昨日は、13万部のベストセラー「平穏死 10の条件」の著者でもある、長尾クリニックの長尾和宏先生をお呼びして「ほたる多職種研修会」を行いました。
長尾先生のオフィシャルサイト
講演は3時間にもおよび、終末期医療のあるべき姿について、たっぷりと聴かせて頂きました。内容は共感できるものが多く、むしろ当たり前のことと感じましたが、その当たり前が当たり前に行われていない現実のなかで、「穏やかな死に医師は要らない!」などという少々過激な表現で、当たり前のことを批判を恐れず発信しつづける勇気に私は感銘を覚えました。
講演会の後は長三郎で懇親会。そこで、また3時間にわたり、長尾先生の人となりを堪能させて頂きました。とにかく、エネルギッシュな先生です。また呼びたい講師にリストアップしました。
早速、鶴岡での講演について、先生のブログに書かれています。
http://blog.drnagao.com/2014/06/post-3967.html
以下、講演メモ
平成26年6月15日(日)14:00~17:00
穏やかな最期を迎えるために知っておきたいこと
医療法人社団裕和会 理事長 長尾クリニック院長 長尾和宏先生
おくりびとに感動し何度も観た。庄内へ来てみたかった。
自分の最期は、自分で決める!
日本は、自己決定しない国
医療者の多くは、医療の進歩により死亡する人は年々減っていると思っている。(ホント?驚きました。)
少産多死時代となり社会は一変した
2050年の看取り場所の想定
医療機関:89万人
自宅:20万人
介護施設:9万人
その他:47万人
その他には、高齢者向け住宅・有料老人ホームなどが含まれる
在宅復帰率が診療報酬で評価される時代
病院の受け皿としての在宅 から 在宅の受け皿としての病院へ
"ほぼ在宅、ときどき病院"の時代へ
地域包括ケアシステムは、必須の仕組み
トップ(自治体の長や医師会長)の本気度で地域は変わる!
モラルハザードが課題
Ageing in Place コミュニティで社会実験
一方で、介護が24時間随時対応できない現実がある(低賃金、過重労働)
地域が病院 = 発想の転換、 病院が在宅の受け皿 !
1、「平穏死」とは?
ピンピンコロリしたいが 現実は5%程度
他は、A:がん、B:心不全・呼吸不全、C:認知症の3つのコース
・終末期 = 人生の最終段階、最終章
定義できない はずれることも少なくないが、、
この時期に無駄な治療をしない 過剰な延命治療をしない
2、平穏死に出会うまでの自分
消化器内科医、10年間病院勤務、ほぼ24時間365日働いた
多くの看取りをしてきたが、これで良いのかという思いがあった
10年目に、何の治療もしない看取り(平穏死)を経験
苦痛がなく、自然な死を体験
「待つ」ことの重要性を認識、終末期は待った方が楽、
枯れて(脱水)で死ぬのを待つ
3、在宅看取りの日々
4、病院の最期と在宅での最期
枯れて死ぬのが昔の死に方、それが平穏死
一方、病院は溺れ死させている
5、どうすれば
・誰が「平穏」なのか?
・大切なのは患者さんの満足、納得!
平穏死と、尊厳死、自然死はほぼ同義語
尊厳死という言葉を使わないのは、諸外国では、尊厳死は安楽死を含むから
安楽死には絶対反対!
嫌いな言葉
1、告知 →分かりやすい説明
2、余命 →良く外れます、
3、延命 →医療は全て延命
4、QOD
5、遺族ケア →人類皆遺族、家族ケアというべき
延命と宿命の分水嶺を感じて欲しい
分水嶺以降は自分で生きる
最期は枯れて死ぬのです
穏やかな最期を阻害しているもの
1、ギアチェンジのタイミング、「やめ どき」
2、「よき死」を想定していない医学教育
3、終末期の「脱水」と「栄養」の誤解
4、無意味な退院調整や退院支援 院内連携をしっかりやってほしい
5、「待てない」こと、バイタルサイン依存症
6、傾聴、タッチケアの絶対的不足・・・
往生際が悪い3職種
・坊主/牧師
・教師
・医師/看護師
死はいつも所詮他人事 → 「死の外注化」
死を直視するには、棺桶体験などは有効
病院死 と 在宅死が逆転してのは、1976(昭和51)年
韓国は2003年、台湾は2012年に逆転
→韓国、台湾は日本の動向に注目している
映画、「大病人」の一部を動画で紹介
病院の終末期医療の残酷さを紹介
認知症 : 関係性障害
食べられるのに食べさせないのが現代医療
ハッピーな胃ろう を目指す
自然に任せるという 自己決定の尊重
欧米は、安楽死へ進んでいる
ある意味、日本のほうが進んでいる?
peaceful death
本人の思いに沿って
これからの流れ
病院 →地域、在宅
医療 →看護、介護
在宅医療 →地域包括ケア
多職種連携 →まじくる
Q,どうして病院で平穏死ができないのか?