古くから死体捨て場、つまり風葬の地。空海が、野ざらしの遺骸を埋葬したことに寺ははじまる。
このように約千百年前、弘法大師が五智山如来寺を開創し、その後法然上人の常念仏道場となり、現在化野念仏寺と称し浄土宗に属する。
「あだしの」は「化野」と記す。「あだし」とははかない、むなしいの意で、また「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化ることや、極楽浄土に往来する願いなどを意図している。
境内の石仏・石塔は、あだしの一帯に葬られた人々の墓。何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没していた。明治中期に地元の人たちの協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。賽の河原に模して「西院の河原」と名づけられた。
常寂光院
常寂光院は、小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望でき、秋は全山紅葉に包まれる。その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされる。参道は紅葉と黄葉のトンネル。
「我がものと秋の梢を思うかな 小椋の里に家居せしより」 西行
嵯峨野には、さらに二尊院、野宮に、落柿舎。平清盛の寵愛を受けた白拍子が出家したお祇王寺がこじんまりとした佇まいだった。
<注> 写真は、15年ほど前に撮影。
このように約千百年前、弘法大師が五智山如来寺を開創し、その後法然上人の常念仏道場となり、現在化野念仏寺と称し浄土宗に属する。
「あだしの」は「化野」と記す。「あだし」とははかない、むなしいの意で、また「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化ることや、極楽浄土に往来する願いなどを意図している。
境内の石仏・石塔は、あだしの一帯に葬られた人々の墓。何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没していた。明治中期に地元の人たちの協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。賽の河原に模して「西院の河原」と名づけられた。
常寂光院
常寂光院は、小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望でき、秋は全山紅葉に包まれる。その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされる。参道は紅葉と黄葉のトンネル。
「我がものと秋の梢を思うかな 小椋の里に家居せしより」 西行
嵯峨野には、さらに二尊院、野宮に、落柿舎。平清盛の寵愛を受けた白拍子が出家したお祇王寺がこじんまりとした佇まいだった。
<注> 写真は、15年ほど前に撮影。
現在は美しい紅葉に囲まれた化野(あだしの)念仏寺で供養され極楽浄土で満足していることでしょう。
死者には善人、悪人を問わず丁重に弔ってあげたいものです。
秋に、京都を観光したいです。安いツアーをさがすことにします。
ことしは、無理です・・・
そういう歴史を持つ土地と、黄と赤の紅葉の対比が印象的です。
京都に行く機会があったら訪れてみたいです。
最初の写真~あだし野念仏寺、この画像はTV・雑誌等で特に良く拝見しますが
神秘的で 畏怖(の念)を抱 かせる ~そんな雰囲気を感じます。
「風葬」その言葉事態がなにかしら、もの悲しい
お寺の始まりは、そういう事だったのですか?いろいろなことを学びためになります
常寂光院の紅葉も見事、絶景に感服です。
・一ノ越山荘から雄山頂上までは、結構な登山道ですが、周りの景色が素晴らしいですね。
立山は、雄山~別山~奥大日岳方面、何処まで行っても常に左手に「室堂」、お釈迦様の手のひらの中
立山に雪が似合いますね、静かな湖面のみくりが池と素晴らしい立山雪景色が羨ましいです。
さすがに私たちのレベルでは冬のアルプス登山は無理なので・・・・
写真で楽しませていただきました。
馬を引き出して「引出物」にするとは、豪勢な贈り物です。
用途に応じて品物が限られるため、同じような物を貰ったり贈ったりするようになりますね。最近は、カタログで
頂いた者が好きな物を選ぶことができ重宝します。
鳥野辺や風葬は、都の外れに捨てられたといい、清水寺当たりも六道珍皇寺があるなどそのような風習が行われた
ようです。
(鷲谷芝嵐) さん へ
あいかわらずの芝嵐節かシラン。 芝嵐さんは、茶化すのがおじょうずです。
(ムツゴロウ)さん へ
小倉山は燃えるような紅葉でした。神社仏閣に紅葉・黄葉があうと思ったのは、この地でした。
(モカ)さん へ
トンビがくるりと輪を描いた、ホーイのホイ・・・
鎌倉にトンビが繁殖して観光客の食べている物を襲うようになりました。本来、トンビは臆病で人を警戒して
近寄らぬ鳥だそうです。ところが、味を覚えたらしくこんな被害が増えたのです。取材班が追跡したところ、屋根
の上に肉を放り投げてエサを食べるのを楽しそうに見ている者を発見。エサやりで繁殖するし、人を襲うので
止めるよう注意するも、取締条例が不整備のため一向にやめぬそうです。
ヒヨドリも藤沢駅に物凄い数が集まり、凄まじいのを目にしました。はじめて見たときは。珍しくて木々で騒ぐ様子
が面白かったですが、住んでいたり行き交う人にとってはフン害で迷惑しています。彼方此方でも、害鳥として
嫌がられています。
敵視しないで共存共栄ができればいいですが、利害がからまぬと、気楽にものを申せます。
(「のべR山会」のK)さん へ
足のすくみそうな岩山をよく登ったものです。とても怖くて度胸もありません。
自分が登山できぬのを、ブログで体験できた気分です。
風葬は鳥野辺ですから、鳥や獣が死体を食いちぎり凄惨な様相であったことが想像できます。古い時代は、都の郊外
が死体捨て場で寺が建ちました。やがて、市中にも建てられるのは日蓮宗あたりから、武士にはやりはじめます。
あだしのの野辺にたどりて雪深く
生きる荷もなくぬくもりの・・・
いち世いち世の
石を積む手
そんなとき、寂しげな場所を恋しがるものです。
ブログが、息抜きの居場所になると好いですが、初心者はそれなりに初々しさを醸し、われわれの気づかぬ視点から
つづれるものでもあります・・・。