17日は京都では、本場の祇園祭山鉾巡行があった。里帰りした小倉では16日に祇園太鼓だった。そして、平家物語の出だしは、
”祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。”
上の赤間(あかま)神宮は、源平壇之浦の合戦で入水された安徳天皇を祭神とする神宮で、鮮やかな赤が特徴的で、世界初の竜宮造り。入水する時に祖母が「今から海の底にある都へ行く」との話からその象徴である竜宮城作りになったという。
1186年(文治2年)、安徳天皇を弔うために源頼朝の願いによって阿弥陀寺開基。1875年(明治8年)明治天皇の勅定により、阿弥陀寺を安徳天皇を祭神とする赤間宮と改める。
1185年(寿永4年)3月24日、平知盛を大将にした平家と、源義経ひきいる源氏がこの壇之浦を舞台に合戦をした。初め平家が優勢だったが、潮の流れが西向きに変わり始めると源氏が勢いを盛り返し、平家は追い詰められた。最期を覚悟した平知盛が、その旨を一門に伝えると、二位の尼は当時数え八歳の安徳天皇を抱いて入水。知盛も後を追って海峡に身を投じ、平家一門は滅亡。日本の政治は貴族から幕府による武家政治へと移行していった。なお、この戦いにおいて義経は平教経の攻撃を船から船へと飛び移ってかわし、いわゆる「八艘飛び」を見せた。
その義経も、諸行無常の運命をたどった。
境内には、安徳天皇陵と武将たちを祀る七盛塚、そして耳なし芳一堂がある。
対岸は、九州であり、間近に門司港がみえる。”碇”は知盛が抱いて海に沈んだため、象徴的なモチーフになっている。
iinaは、子供のころに遠足等でこの赤間神宮前を何度も通ったことがあるけど、立ち寄ったのははじめて。
つづく
足目
”祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。”
上の赤間(あかま)神宮は、源平壇之浦の合戦で入水された安徳天皇を祭神とする神宮で、鮮やかな赤が特徴的で、世界初の竜宮造り。入水する時に祖母が「今から海の底にある都へ行く」との話からその象徴である竜宮城作りになったという。
1186年(文治2年)、安徳天皇を弔うために源頼朝の願いによって阿弥陀寺開基。1875年(明治8年)明治天皇の勅定により、阿弥陀寺を安徳天皇を祭神とする赤間宮と改める。
1185年(寿永4年)3月24日、平知盛を大将にした平家と、源義経ひきいる源氏がこの壇之浦を舞台に合戦をした。初め平家が優勢だったが、潮の流れが西向きに変わり始めると源氏が勢いを盛り返し、平家は追い詰められた。最期を覚悟した平知盛が、その旨を一門に伝えると、二位の尼は当時数え八歳の安徳天皇を抱いて入水。知盛も後を追って海峡に身を投じ、平家一門は滅亡。日本の政治は貴族から幕府による武家政治へと移行していった。なお、この戦いにおいて義経は平教経の攻撃を船から船へと飛び移ってかわし、いわゆる「八艘飛び」を見せた。
その義経も、諸行無常の運命をたどった。
境内には、安徳天皇陵と武将たちを祀る七盛塚、そして耳なし芳一堂がある。
対岸は、九州であり、間近に門司港がみえる。”碇”は知盛が抱いて海に沈んだため、象徴的なモチーフになっている。
iinaは、子供のころに遠足等でこの赤間神宮前を何度も通ったことがあるけど、立ち寄ったのははじめて。
つづく
足目
赤間神宮の、この水門の佇まい・・・
とっても素敵ですよね!!(って私だけ?!)
何故か、この佇まいに惹かれて惹かれて。
源氏と平氏の合戦ですが、私は源氏より平氏に興味があります。
こういう、ささいなきっかけで歴史に興味を持つようになれるのも、良いですよね?!
またお邪魔しにきますね!
山車の取材で各地にでかけます。随所で共通場所がでてくるようです。もしかしたら行き違っているかも(笑)。
これからゆっくり過去のブログ拝見する予定です。
よろしく。
朱塗りの門の華やかさと目の前に広がる壇ノ浦の雰囲気に惹かれて、
赤間神宮には、何度か足を運んだことがあります。
何気ない風景の中に濃密な歴史が詰まっている。。。
そういう意味では隣接する春帆楼も同じですよね。
また、お邪魔させていただきます!
今度、一っ走りして入湯料1000円のマリン温泉パーク
から関門大橋と潮を眺めながら癒してみることを
おすすめします。
ゴールデンウィークにお出かけのご様子ですが、
5/3に「しものせき海峡まつり」があったようですよ。
壇ノ浦の源平合戦の模様を写真で見ましたが、
早い潮流は絵画のようで行きたくなりました。
(一人閑)さん へ
実は、偶然ながら「芳一琵琶供養祭」に遭遇し、
嬉しiina~だったのです。
まわりの景色と潮の速い流れを体感できる絶好の場所です。
こどものころにこの界隈を遠足しています。
文字通り、歩きまわっての遠足です。
門司の風師山やめかり水族館等々でのたのしい想い出
が詰まっています
(茶陶遊人の部屋)さん へ
雨の中での祇園祭だったようですね。
iinaはふるさとの小倉に帰っていて、
16日には無法松でも有名になった祗園太鼓でした。
iinaは実は10年ほど前に京都で仕事をしており、
西陣界隈が多く、交流もあったのです。
そのおかげで京を隈なく歩きましたよ。
一条戻橋はそこで仕入れた知識というわけです。
http://members.goo.ne.jp/home/iinna
祇園精舎の鐘の音・・・は、
明日以降のブログになる予定です。
(そらまめ)さん へ
河豚刺しを春帆楼で食べられずに残念でしたね。
門司港レトロめぐりもしましたよ。門司港ホテル傍を
通り、倉庫街もぐるぐるっと大里からターンして姉宅
に帰り、食卓には珍しい鯨の尾のみの刺身が絶品でした。
ふくは食べ損ねたけど、満足まんぞく。
iinaは赤間神宮を初めて立ち寄ったのでした。