上杉神社
2010年05月01日 | 旅
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「毘旗」「龍旗」が翻る。
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上杉謙信公 上杉鷹山公
米沢城址(松ヶ岬公園)の上杉神社は、祭神・上杉謙信を祀る。桜は、7分咲き。
謙信は新潟の人だが、二代目・上杉景勝が関が原合戦で西軍・石田光成に味方したため徳川家康から120万石から30万石に減封され米沢に。
その格式を守ったため藩財政が破綻状態となり、それを救ったのが九代藩主・鷹山で、摂社の松岬神社に祀られている。
『なぜば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人のなさぬなりけり』は、現代にも通じる名言。
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伝国の杜(でんごくのもり)の上杉博物館内
毎年4月29日~5月3日に「米沢上杉まつり」。
民踊流し・米沢時代行列・みこし渡御・上杉軍団行列・川中島合戦を再現する。
謙信よりも「愛」の兜で名を売った直江兼続を前面に出しているのに違和感を抱くが、いまや時代は多様性を求めている。
ほかに、 傾奇者 婆沙羅の前田慶次も上杉藩と縁があり、米沢に葬られたとは知らなかった。
また、伊達政宗もこの城で産声をあげている。のち政宗が陸前に転封になり、蒲生氏が城主になった。
ことしは、桜を二度たのしめた。
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経緯をWEB検索してみました。
「前田慶次は元々は、織田信長に仕える武将であったが、お城勤めに嫌気がさした
のか、利家を水風呂に騙し入れさせ自ら加賀を出奔したという逸話もある。
高禄であちこちからスカウトされたが、自由奔放に生きたかったのか断っていた。
前田慶次が京都を旅していると、上杉景勝と共に京へ上京していた直江兼続と出会い
スカウトされる。自由に勤めるというのを条件に、上杉藩に仕官した。直江兼続に
何か魅力を感じ、受け入れたと思われる。
上杉将士書上には、慶次は詩歌にも通じ、学者でもあった直江兼続と気があったと
記されいる。」
コメント&TBありがとうございました
地元・加賀百万石を作り上げた前田利家公に縁の深い前田慶次が、米沢に葬られたというのは初めて知りました!
米沢は歴史好きにもたまらない土地ですね
これからも宜しくお願いします
「武田信清の墓」でWEB検索してみました。
ご推察通り、林泉寺にあり本堂の南側に位置するのだそうです。
http://www.city.yonezawa.yamagata.jp/kanko/rekishi/pg/r38.html
敵方であった武田家の者を「上杉家の菩提寺」に埋葬とは、義に厚い家風を偲ばせます。
http://yone-rinsenji.com/yukari.html
TB(空色レールウェイ)さん へ
松ヶ岬公園の堀の夜桜がみごとです。
桜が、ライトアップによって浮かび上がって見えます。
そうですか、1年前の夜景でしたか・・・。
御返事どうもです。
お寺の名前ですが、
"代々の上杉家ご当主やその身内・縁戚者のお墓の隣にある"という事しか分からないのですよ、
すみません。
上杉家墓所というと『林泉寺』(米沢)内かなぁ、とも思うのですが。
「米沢 上杉」でネット検索すると、米沢市の上杉家の案内が出て来て、
『武田信清』のお墓の案内に行き着けるとも思うのですが。
詳しく教えて差し上げられなくて済みません。
是非また米沢にいらっしゃる時にでも調べて来てみて下さい。
自分も調べ直しを心掛けておきます。
どうか、良い旅を。
1582年の武田氏滅亡後、上杉景勝の正室となっていた異母姉である菊姫の縁を
頼って上杉氏に寄寓し、上杉家一門・高家衆筆頭として3300石を領し、武田姓に
復帰した(米沢武田家)。1614年、大久保長安の事件で幕府から嫌疑を受けるも、
事実無しとされ帰領。1642年、83歳で死去。
武田信清のことは知りませんでした。今後も直ぐに忘れると思います。戦乱の世
では、ありえる話ですね。
上杉家墓所の隣に墓があるそうですが、寺の名も記してあれば訪問する寄る辺に
なったと思います。残念。
武田信玄の七男・武田信清公の事も忘れないでやって下さい。
代々上杉家臣として高家として仕えましたが、
武田姓と武田菱の家紋を許されていました。
お墓は上杉家墓所のすぐ隣にあって、山形県の重要文化財になっているそうです。
失礼しました
自分で迷子案内して迎えにきてもらえてよかったです。
よく館内放送をさせてもらえたと思います。
いま「米沢上杉まつり」です。
(鷲谷芝嵐) さん へ
義の上杉家が、現代にまで家系を維持したことを思うと、上杉謙信の偉大さが理解できる気がします。
(銭無のとっつあん) へ
一気にいい陽気になりました。
五月晴れとは、よくいったものです。
(motoko)さん へ
木瓜の語感から、呆けを思い、ぼやけたイメージを抱きますが、木瓜の花は
大輪で美しいです。
上杉鷹山は、地元を除くとケネディ大統領に教えられた感が強いです。
鷹山も上杉神社に謙信と一緒に祀られていたようですが、明治35年に上杉神社が
別格官幣社に列せられるに際し、傍の松岬神社に分祀されたそうです。
上杉鷹山公、上杉景勝公、直江兼続、細井平洲、竹俣当綱、莅戸善政が一緒に
祀られています。
行かれない地の様子を、拝見させていただきました。
桜も、見事です!!。
上杉鷹山は、ケネディ大統領が、尊敬する日本人として、名をあげて、有名になりましたね。
謙信、景勝、直江兼続、伊達正宗などは、NHKの
大河ドラマの影響も、大きいですね。
上杉鷹山には、興味があり少しだけ調べたことがありました。
今の世にいてくれたら、厳しく、国の財政再建に取り組んでくれたことでしょう。
上杉鷹山がいれば、仕分け人として適任でしょうね。
1度だけ行きました。
もう遠い昔のことになりましたが・・・。