師走は忠臣蔵で、吉良邸への討ち入りは、きょう12月14日。
*1 *2
江戸時代、仇討ち処置を定める式目が「徳川成憲百箇条」にある。
これは、「長曾我部元親式目」慶長2(1597)年の仇討条項を参考にしたもので、次のように定めた。
「敵討の事。親の敵を子、兄の敵を弟打ち申すべし。弟の敵を兄が打つは逆なり。叔甥の敵打事は無用となすべき事」
分かりやすく書くと「殺された者の子葉が敵討を願い出たなら、登記して希望とおりにさせよ。ただし又敵はいけない」
ここで肝要なのは、兄が弟の敵を討ったり、叔伯父の敵を甥が討つ「又敵」は駄目ということ。
逆縁の敵討が許されるのは、最適格な肉親がいないときに限られた。
となると、赤穂の殿様・浅野長矩の恨みを晴らしたいのであれば、長矩に子がないから、弟の浅野大学が仇討をしなければならない。
基になった中国「礼紀」にも「長曾我部式目」にも「百箇条」にも、君臣の義の敵討ちを認めていない。大石内蔵助たち家来が代わって敵討ちなんてルール違反もいいところである。
松の廊下の刃傷も赤穂浪士の吉良邸討ち入りも、ともに私闘であると論じ、人情論を断固として排した荻生徂徠の言い分はまことに正当であった。
「ぶらり日本史散策」半藤一利
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江戸時代、仇討ち処置を定める式目が「徳川成憲百箇条」にある。
これは、「長曾我部元親式目」慶長2(1597)年の仇討条項を参考にしたもので、次のように定めた。
「敵討の事。親の敵を子、兄の敵を弟打ち申すべし。弟の敵を兄が打つは逆なり。叔甥の敵打事は無用となすべき事」
分かりやすく書くと「殺された者の子葉が敵討を願い出たなら、登記して希望とおりにさせよ。ただし又敵はいけない」
ここで肝要なのは、兄が弟の敵を討ったり、叔伯父の敵を甥が討つ「又敵」は駄目ということ。
逆縁の敵討が許されるのは、最適格な肉親がいないときに限られた。
となると、赤穂の殿様・浅野長矩の恨みを晴らしたいのであれば、長矩に子がないから、弟の浅野大学が仇討をしなければならない。
基になった中国「礼紀」にも「長曾我部式目」にも「百箇条」にも、君臣の義の敵討ちを認めていない。大石内蔵助たち家来が代わって敵討ちなんてルール違反もいいところである。
松の廊下の刃傷も赤穂浪士の吉良邸討ち入りも、ともに私闘であると論じ、人情論を断固として排した荻生徂徠の言い分はまことに正当であった。
「ぶらり日本史散策」半藤一利
この記事には、泉岳寺をさらりと流してました。
iinaは、2~3度ほど訪ねてますが、ブログをはじめる前に寄ったらしく記事にしてなかったです。
幼いころからの「忠臣蔵」は、赤穂浪士が忠義で吉良上野介が悪人と刷り込まれていました。
たまたま、父が愛知県に転勤し、吉良が近くにあることもあって、漏れ聞く話によると地元では善政を敷いていたというところから、見直しになりました。
次が、江戸城内の松の廊下です。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/be29a3c0f014a9732943774f29c6f380
最寄り駅(名鉄西春駅若しくはJR中央本線勝川駅)からバスでしたから、かなり余裕持って行動してました。
現在のセントレア(中部国際空港)は、名古屋駅から名鉄で1本。
そのまま空港敷地内に乗り入れてます。
便利になりました。
さすがiina様
松の廊下事件、詳しいですね!
徳川成憲百箇条、は初めて知りました。
そもそも論として、浅野内匠頭の親族でもない47人の浪人たちが「敵討ち」することに強い違和感を感じますし、その根拠となる立派な法度があったということですね。
勉強になりました。
浅野内匠頭がご乱心した理由については諸説あるそうですが、どんな事情があるにせよ、普通に歩いてるだけの人間を背後から襲うなど、暴漢以外の何物でもない。
これが両成敗なら、現代に例えるなら、突然通り魔に襲われただけでも「両成敗」になってしまいます。
こんな滅茶苦茶な話がなぜ美談になるのか?
昔から不思議でした。
歴史の先生が一生懸命語っても、どうしても納得できない。
どこをどう解釈しても「喧嘩」には思えない。
偏屈な学生だったんです(笑)。
まして自分は愛知県人。
吉良地区も名古屋からそれほど遠くなく、吉良側に触れる機会に恵まれてます。
忠臣蔵は、事件から何十年か経ってから、事件をモチーフにして書かれた「創作もの」。
プロデューサーとして、赤穂浪士の生き残った誰か(もしくはその関係者)が関わっていて、意図的に美談にすり替えたのかもしれませんが。
その結果、被害者であるはずの名君吉良上野介が、いじわる爺さんみたいなキャラに仕立て上げられ、チョー嫌な奴に。
単にキレちゃっただけの若者(浅野内匠頭)が悲運の名将のごとく扱われ、単に失業した怒りで吉良公を逆恨みしただけの浪人たちが、「忠義のために」にすり替わり、命を懸けて敵討ちを果たす、というストーリーに。
そして日本人はこういう「忠義もの」には弱い(笑)。
こんな主客転倒したような話にあっという間に洗脳?され、あたかも事実であったかのように後世に伝えられたのかな、と思ったりしています。
神功皇后も入浴したといわれて、著名な方もはいっているのですね。
むかしに建てられた建物は優雅です。
お天気にも恵まれて温泉をたのしまれました。
> 孝の殺傷はよいけど、忠の殺傷はダメというのも、イマイチ、ピンときませんが・・・
仇討ち処置を定める式目「徳川成憲百箇条」に忠臣の仇討を定めてないということだそうです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d423729f151f4a9959464b683c1b3c49
更家 さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置いています。
主君の敵討ちがダメというのルールは知りませんでした。
弟の浅野大学の仇討を、大石内蔵助たち家来が助太刀をするというかたちにすればOKだったのでしょうかね。
孝の殺傷はよいけど、忠の殺傷はダメというのも、イマイチ、ピンときませんが・・・
浅野内匠頭が尾上菊之助で、堀部安兵衛を渡哲也でしたか。
敵役の吉良上野介が市川中車。そして、清水一学に天地茂。
やはり、配役が豪華です。^^
睦五朗は、デビッド・ジャンセンではなく大須賀治部右衛門を演じたのですね。(^_^;)
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/7eb4d848ff4ff182984ee2bb3af254f1
* okudaidouさんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました。
それを24回に分けてブログに投稿とはお好きですね。^^
忠臣蔵は、映画-講談-浪曲などに採り上げられてきましたから、さいきんは切り口を変えて扱う作品を散見します。
当方は、すこしちがった角度から記事にしてみました。 (^_^;)
* (マカ)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置いています。
吉良側の剣の使い手である清水一学の名を久しぶりに見ました。
愛知県の西尾市華蔵寺を訪ねましたが、もちろん今も名君として慕われていました。
悪者にされた吉良邸は、本所松坂町に規模が小さくなって残っています。
* 栗太郎さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました。
お金を払ってみた方の悲喜劇こもごもというところでしょうか
大チャンバラの立ち回りをいれて出血大サービスして欲しかったですね。・・・当たりはずれはあるものです・・・
* 習慣HIROSEさんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置きました。
このころは若くて端正な顔立ちですから、浅野内匠頭でも似合いそうです。
この映画を映画館で見ましたょ。 「総天然色」の表示がなつかしいです。
* 錦之助ざんまいさんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました。
よくよく考えれば、浅野内匠頭が辛抱できなかったことが、最大の因果です。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d423729f151f4a9959464b683c1b3c49
赤穂の忠臣に着目しがちですが、討たれた側からみると無体な反感です。
吉良側の家臣は、歯噛みして悔しがったことでしょう。
でも、「忠臣蔵」は面白いです。はい、勝手なものです。
でも、寒村らしいですから、そんな無体な区域に指定されてないと思います。
それはさておき、江戸城内での刃傷沙汰は、ハイ、ご法度です。
「その身は切腹、お家断絶」ですょ。辛抱、辛抱。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d423729f151f4a9959464b683c1b3c49
Kさんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました。
吉良の殿様が一方的に悪者になって
語り継がれてますが
実際には すごく立派な方だったそうですね
松の廊下の刃傷も
実は・・
いろいろな説が有りますね