浅草弾左衛門の屋敷跡には、都立台東商業高校が建つ。
ご覧のように、正面がモダンな校舎でそばを流れる山谷堀はコンクリートで埋め立てられ、公園になっている。いま、桜が満開に近い。
碑と道路には段差がみられ、弾左衛門屋敷の囲内は50センチほど高くしてあったことが分かる。隅田川が氾濫していたので高くしたのであろうか。
高校の前身は、山谷掘国民学校であった。
構内に弾左衛門碑があるらしく、事務所でたずねるとないとの返事だった。
弾左衛門に興味をもつ先生が調べたワープロで綴った研究書をみせてもらったが、当人の了解を貰っていないとのことで頂けなかった。残念。
つづく
ご覧のように、正面がモダンな校舎でそばを流れる山谷堀はコンクリートで埋め立てられ、公園になっている。いま、桜が満開に近い。
碑と道路には段差がみられ、弾左衛門屋敷の囲内は50センチほど高くしてあったことが分かる。隅田川が氾濫していたので高くしたのであろうか。
高校の前身は、山谷掘国民学校であった。
構内に弾左衛門碑があるらしく、事務所でたずねるとないとの返事だった。
弾左衛門に興味をもつ先生が調べたワープロで綴った研究書をみせてもらったが、当人の了解を貰っていないとのことで頂けなかった。残念。
つづく
前本は小説なので改めて調べなおした『弾左衛門とその時代』塩見鮮一郎著等も参考になりました。
ただ、弾左衛門の行列に葵の紋のくだりは釈然としませんが、旗本達も葵御紋を拝領しているらしく、関連があるのかないのか分かりません。
私も浅草弾左衛門に関心がありますので、実際の写真はとてもありがたいです。
機会があれば、訪ねて、じぶんの目でたしかめてみたくなりました。