その日は、大阪に住んでいた。当日はたまたま朝9時頃に神戸駅のプラットホームで待ち合わせをしていた。時間が少しずれていればiinaも阪神大震災に巻き込まれていたことになる。
大きな揺れに目を覚ましたときは、真っ暗闇なので深夜と思った。まさか大地震とは思っていないので、いつものように食事して神戸に直行しようと、駅に出向くと電車が止まっている。動きそうにないので自宅でテレビを見ながら待機した。
地震ニュースが高速道路の倒壊を写しても「そんなこともあるかも知れない」程度の意識しかもっていなかった。ビルが斜めに倒れかかっている映像を捉えても、「そんなことが起こることもあろう」だった。
ところが時間とともに、尋常でない様相に大地震であることを知らされた。とうとう電車が走ることもなく、一日中自宅でテレビにかじりついていた。
iina宅は大阪市内に住んでいたので、幸いに茶碗類がすこし割れた程度で問題はなかった。その後、会社では地震対策本部をつくり兵庫地区に物資を届けたり、関連の家屋にでかけたりした。
ニュース映像とのちがいは、蒸したようなこげたにおいがしたことだ。
立派な屋敷が倒壊して亙の重さを認識させられた。家屋内の足元は割れたビン類に満ちスリッパが有効とか、風呂の残り湯がトイレを流すのに役立ったというのは遭遇者の生な感想。
その後、重いタンス類は寝室には置かぬに配置換えした。
地震時のiinaの行動は、高い場所に置いた重い電子レンジが落花すると階下に突き抜けるのではと心配して押さえ、飼っていた子猫がスローモーションのようにゆっくりと歩いていた。家族はそれぞれのところで目を覚まし怖がっていた。
阪神大震災から11年たったのですねぇ。
大きな揺れに目を覚ましたときは、真っ暗闇なので深夜と思った。まさか大地震とは思っていないので、いつものように食事して神戸に直行しようと、駅に出向くと電車が止まっている。動きそうにないので自宅でテレビを見ながら待機した。
地震ニュースが高速道路の倒壊を写しても「そんなこともあるかも知れない」程度の意識しかもっていなかった。ビルが斜めに倒れかかっている映像を捉えても、「そんなことが起こることもあろう」だった。
ところが時間とともに、尋常でない様相に大地震であることを知らされた。とうとう電車が走ることもなく、一日中自宅でテレビにかじりついていた。
iina宅は大阪市内に住んでいたので、幸いに茶碗類がすこし割れた程度で問題はなかった。その後、会社では地震対策本部をつくり兵庫地区に物資を届けたり、関連の家屋にでかけたりした。
ニュース映像とのちがいは、蒸したようなこげたにおいがしたことだ。
立派な屋敷が倒壊して亙の重さを認識させられた。家屋内の足元は割れたビン類に満ちスリッパが有効とか、風呂の残り湯がトイレを流すのに役立ったというのは遭遇者の生な感想。
その後、重いタンス類は寝室には置かぬに配置換えした。
地震時のiinaの行動は、高い場所に置いた重い電子レンジが落花すると階下に突き抜けるのではと心配して押さえ、飼っていた子猫がスローモーションのようにゆっくりと歩いていた。家族はそれぞれのところで目を覚まし怖がっていた。
阪神大震災から11年たったのですねぇ。
神戸の知人から聞いた話では、
何か縦にたたきつけられるような感じだった、
って。そういう感覚は経験したことがないので
すごい地震だったんだなあと思いますね。
あれから11年。少しずつ過去のことになりつつありますが、毎年この日になると自分が生きていることの命の重さを感じます。
そうでしたか。
もう少しで・・・・
命の重さを感じるという言葉に、重みがありますね。
その思いを私も大切にしたいと思います。
運命というのも、感じざるを得ないですね。
これからも宜しくお願いします。
そして、私の高校のある教科の先生が授業中、「妻がどうしてもボランティアに行きたい、というので私も一緒に行くことにしました」と、その夜神戸へむかったそうです。
私も実家が新潟の中越で、地震にあいました。東京に私一人、電話もつながらず不安だったのを、今でも思い出すと、家族が無事だったのを確認するまでつらかったです。
家族は無事でしたが、家の中の片付けは大変だったそうで、それを思うと手伝えなくて切なくなりましたが…。
災害で亡くなられた方、またご家族の方を想うと合掌せずにはいられません。
大変だったんですよネ・・・
いつ大地震が起きてもいいように
防災力をつけないとダメですネ。
オレも。。。阪神大震災で初めて。。地震の怖さ知りましたヨ・・・
ドイツカブーレとは愉快なネーミングですね。
北海道も意外と地震が多いのでしたか。
そういえば昭和新山なんかが盛り上がってますね。
阪神大震災はたしかに縦ゆれでした。
横揺れよりも縦揺れのほうが危険なのです。
一回目のすぐ後に再びゆれたときが、余程怖かった
です。
(yucky)さんは、
ロウソクで図柄をつくって追悼しているのですね。
(感動創造)さんも追悼の集いはいまもつづけているようです。
新潟に大きな地震があったばかりで、ときどき
新聞等々で特集を組むと不気味にかんじます。
地震国日本では、いつきてもおかしくない
環境にありますね。
(にやのこ)さん へ
たいへんですよね、雪国は。
38、48、58でしたか、その年の雪が豪雪で凄かった
と耳にしたことはあるものの、それに匹敵する勢い
の雪が現実に降っている驚きがあります。
実は、暖冬時代の富山に5年ほど暮らしたことが
ありますが、平和に週一のスキーをたのしんでおり
ました。
関東は雪はまだ降っていませんが、、、
男がいる女子トイレは、最近ではニュース沙汰になって
いるので、検索しておすすみください。 (^J^)
(せみ丸~)さん へ
1/17が阪神大震災&旦那誕生日なら絶対に忘れないですね。
タンスの下敷きになったまま抜けられずに、焼け死んだ人も大勢いたろうと思うと怖気がはしります。
間一髪で助かった人や、
骨折して自力で動けなくなったひとも身近に知っています。
( GetDream)さん へ
そういえば、
外の水道をとらえ「のんでいってや。
だけど、ポンポンこわさんよう、
気ぃつけ~や」というTVのCMは
いま思い起こしても、傑作な作品です。
(ひろちゃん)へ
落ち着いて神戸のマリンタワーの港公園に遊びに行ったら、1メートルほどの段差がありましたよ。
小倉で不幸があって葬式にでたとき、岡山辺りまで普通列車で行って新幹線に乗りましたよ。
帰りは、幸いに復旧したという時期です。
当日は俺はまだ赤ん坊だった2女の上に
覆いかぶさっていました。
Orzな感じです!
嫁さんは・・・
俺の足にしがみつき・・・
長女は・・・
爆睡してました・・・
大物です・・・