干支の人形と授与用の招き狐はようやく最低目標数をクリアしたのでひと段落して、乾燥させています。おととい、急に「三すくみの狐拳」を頼まれたので、割型を奥から捜し出して久しぶりに型抜きしました。狐・猟人・庄屋三体一組の人形で、今戸焼の土人形の中でも、かなり有名なものなのですが、この三年間くらい作っていませんでした。
割型の中にはとても簡単に抜けるものとひどく抜きにくいものがありますが、それぞれの型の持っている癖に対して気をつけるポイントのようなものがあり、年中扱っている型だとそれなりに勘でスムーズにできるものですが、久しくやっていないものは勘が鈍ってしまっているので事の他面倒です。これら三すくみの中では猟人が厄介です。狐もそれなりに気を遣います。庄屋はすんなりと抜けます。右後ろに見える「犬のぴいぴい」用の型も久しぶりでひどく抜きにくいので慣れるまで時間がかかりそうです。
できればこれらの人形も早く乾燥させて干支と一緒に素焼きを済ませてしまおうと思います。
干支や狐の型抜きのほうはもう少しで最低目標数に近づいてきています。しかしかなり粘土を使ったので、硬くなりかけている粘土を練り直して使わなければなりません。それもあまりたくさん残っていません。あと採ってきた土を水簸にかけておく必要があります。自宅の玄関先に町内の「玉の湯」跡からもらってきた土がまだたくさんあります。
バケツの中身を回転させておかないと新たな土を入れるスペースがありません。水を使う作業なので、これから寒くなると大変です。今のうちにやっておかないと、、、。
まず、水簸させて沈殿させておいた土を石膏でできた吸水鉢に入れたり、別の沈殿用のバケツに移してスペースを空けます。そして水簸のため水で柔らかくしておいた土のバケツに更に水を加えながらかき回してどろどろにし、それを篩にかけ余計な不純物を取り除きながら沈殿用の第一バケツに溜める繰り返し。そうしてやっとできた隙間に採ってきた土を入れ、また寝かせて柔らかくしておきます。
柔らかくなった土をかき回す作業は子供の泥あそびみたいに楽しいことは楽しいのですが、腰を
曲げたりしゃがんだりする姿勢が多いので結構きついです。画像2枚目の左のバケツは採ってきた土を柔らかくするための第一バケツ。まあまあ柔かくなっています。画像3枚目の右は第一バケツで柔らかくなった土をかき回してドロドロにするバケツ。左は篩で濾したどろどろを溜めて沈殿させるバケツ。東京の下町の土は鉄分が多いせいか沈殿させている間にバケツに鉄分が付着して赤くなっています。このバケツで沈殿させたものを画像2枚目右の吸水鉢で水を除くわけです。
買ってきた粘土を使えば簡単なのですが、やっぱり地元東京の土で作るということはミソだと思っているので、面倒でもこの作業は必要です。
久しぶりなので、腰や膝が参ってしまい怖いので、今日はこの後型抜きの仕事はしないで大事をとって休んでいました。
秋だというのにまた暑さが再来でびっくりしています。膠を買いに上野まで行ってきました。
赤羽から高崎線で12・3分くらいな距離ですが、最近外に出かける機会がないので、こんな近くでも久しぶりです。昔上野に勤めていたというのに案外景色が変わったところもあり、ついでに東上野を歩いてきました。
昔、よく歩いていた辺りにお稲荷さんがあったのですがまだ残っているかどうか、、、。
上野駅の浅草口。一頃ここに高層ビルが建つという構想の話がありましたが、どうなったのでしょう?でも駅舎の中を修復して店が入っているということはまだ残すということでしょう。「ああ 上野駅」という歌謡曲がありました。また石川啄木の「ふるさとの 訛り懐かし停車場の 人ごみの中にそを聞きに行く」なんて歌もあり、昔はここから北へ向かう人、志を持って上野に着いた人で溢れていたのでしょう。今でもたくさんの列車が発着してたくさんの人で溢れかえっていますが、列車も速いし、昔ほどの距離感とか郷愁というムードでもなくなっているかもしれません。
浅草通りに面してまだ残っている銅葺きの家。関東大震災での火災の経験から火の粉を受けないようにと銅で葺かれたと聞いたような気がしますが、、。緑青の色がきれいです。昔もっとたくさん残っていたような気がするのですが、建て替えが進んでいるようで。
すごいのは玄関の雨戸が木製なんです。チョコレートのような色です。
ちょっと表通りから内側に進み、件のお稲荷さんがあった辺りに行ったのですが、あれ?この辺にあったはずが、、、、。ぐるぐる捜しまわったのですが見当たらす、、、。久しく来ていなかったから土地勘が鈍ったのかどうか、、、。
日曜日の東上野は店も閉まっていてガラーンとしていました。昔食べた小さな洋食屋さんはなkなっていました。日本そば屋さんも休み。ついでなので時々買いに行く桐箱屋さんへ行こうと思ったものの、日曜はやっぱり休み。平日にまた来ようと思います。
春の地震で十五夜さんの部屋で崩れ落ちてきたものの中から、昔かじっていた納経帳が出てきました。ああ懐かしい。
画像上は坂東三十三ヶ所観音札所用の帳面。下は江戸三十三ヶ所観音札所用の帳面です。思い出すと高校生の頃同じアトリエの友達とどういうわけか札所めぐりにハマったことがあり、その頃休みの日とかに一緒に周って歩いていたのでした。
ご存じでしょうが、三十三ヶ所の観音霊場というのは西国三十三ヶ所がそもそもあって、それを倣って坂東三十三ヶ所ができ、江戸の西方(西方浄土というわけ?)にある秩父に三十四か所の霊場ができ、西国・坂東・秩父の札所を合わせて百観音霊場になるのです。
画像とは別に西国三十三ヶ所用の帳面もどこかにありますが、関西はやっぱり遠いのでなかなかお参りする機会に恵まれません。第一番の那智の青岸渡寺と第三十三番の美濃・谷汲山へは行っており、その途中の奈良興福寺の南円堂とか京都の六角堂、革堂はお参りしていますが他のところはまだです。
画像の坂東札所は高校の時第一番の鎌倉杉本寺から十四番の横浜・弘明寺までは巡りました。これらの札所は神奈川、東京、埼玉に集中しているので割と巡りやすいですが、そのあとは群馬、栃木、茨城、千葉に点在するので遠くなります。特に茨城の日輪寺というところは最大の難所で、水郡線の駅からかなり離れた山の中にあると聞いています。
画像下の江戸三十三観音札所は第一番が浅草の観音様に始まって、三十三番が目黒のお不動様で東京の区部に集中しているので、その気になって集中すれば全部巡るのも難しくはないのですが、じっくりゆっくり巡ってみたいです。それにしても、やりかけて達成しないというのも気持ちよくないので、出かけられる時に少しづつお参りしようと思います。
秋だというのに何で今更蚊遣り?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、この時期案外と蚊がたくましいというか元気なのです。
仕事場で型抜き作業を繰り返していますが、窓を開け放っていると次から次と蚊が飛んできます。
夏場の蚊も嫌ですが、秋の蚊は脚や針も黒々していて直線的に襲ってくるようで、またしつこい。
そんな訳で、部屋の中に蚊取り線香を同時にふた巻焚いているので、中にいる自分の体もいつの間にか燻されて、燻製のようになってしまいます。
画像の豚の蚊遣りは今戸焼ではなくて、隅田川を挟んで川向うの「百花園焼」のものです。梅花型の枠の中に百花園の文字の陶印があります。萩の花の下絵付けの上に透明釉がかかっています。時代はわかりませんが、そんなに古いものではないのかもしれません。しかし百花園でもこのような実用的なものが焼かれていたというのは意外です。都鳥ばかりではないんですね。百花園焼は墨田川焼のひとつだと言えると思いますが、隅田川の東岸には三浦乾也や鳥居京山もいたし、本所に中之郷瓦町というところがあったりと、窯業が盛んだったようです。今戸焼の名工と言われた戸沢弁司も寺島にいたようです。隅田川西岸に今戸があり、それより川上の橋場には井上良斎の隅田焼、聖天様の下の聖天瓦町という地名もあったようですし、川を挟んで両側に焼きものが点在していたようです。
画像の豚の蚊遣りで不思議に思うのは鼻孔がヘラ押しで付けられているんです。徳利の口に当たる部分が鼻だと思うのですが、これを作った人は口だと思ったのでしょう。つまりひょっとこの口をした豚さん。面白いと思います。隅田川を挟んだ両岸の焼き物いろいろ。陶工の行き来もあったことでしょうし、今戸焼の親戚みたいなものではないでしょうか?
粘土2枚の割型に詰め、2枚を合わせ、暫らく置きます。その間に他の割型に粘土を詰め、時間を置いた型から人形を外し、座りに関わる部分のバリ(はみ出した粘土)だけヘラで削り取り、置いておき、空いた型に次の粘土を詰めるという繰り返しです。外した人形は何個かまとめて底以外のバリを削り取り、合わせ目をなめします。型の種類によっては、別の型で抜いたパーツを完全に乾かないうちに本体に貼りつける工程も生じるので如何に効率よく進めるか、、、。
要領の悪い人間なのでてんてこ舞いしています。来年の辰の干支もの2種類と招き狐の合計3種類をぐるぐる廻しているところです。まとめで一回の窯の素焼きで焼いてしまいたいので、少しでも早く乾燥してくれるようフル稼働で型抜きしているところです。
もう10月も三分の一を過ぎようとしています。来年の干支の辰モードであわただしくしています。
今年は兎歳だったので、今戸焼の古い人形の中には兎の種類も割とあったので幾通りも作ることができましたが、次は辰歳なので兎のようにはいきません。泥めんこの類には辰はあるかとおもいますが、人形としての龍は古い今戸焼の中で見た憶えがないのです。最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになったものの中に泥めんこがあったのは知っていますが、他に一連の木彫り風の干支人形シリーズのいくつかは観たことがあるものの、龍はあったのかどうか?あったとしても、どこに残っているのか?どこかのコレクターの手元に眠っているかもしれませんが、捜すのもお願いして見せてもらうのも大変そうです。遺跡から出土した人形の中にも龍の今戸は観たことないように思います。
昔あった今戸焼の人形を再現することがスタンスだと思っていますが、お手本がなければ、仕方なく創作するしかありません。やっと2種類の原型を起し、型も出来上がったので、専ら土を詰めて型抜きを繰り返し、乾燥させて早く素焼きをしたいです。狭い部屋の中、抜き出した人形を干しに並べていたところ、お馴染みの黒ぶちさんがやってきました。この猫さんは自分の指定席というものをちゃんと認識しているので、その場所がもので塞がっていることに納得しません。
急いで、干している人形をどかして、指定席を空けました。最近黒ぶちさんの食べ物の好みも難しくなってきているので、黒ぶちさん用に用意しておいたウェットタイプの食べ物をよそってお出しすると、お口に合うようなのでひと安心。食べ終わって舌なめずりしながら悠々と立ち去って行く黒ぶちさんを見ながら、指定席に再び人形を並べました。
自宅と仕事場との行き来の道端でみかけたカラスウリの実。人の手で作ったものに美しいものはもちろんあるのですが、自然の生んだものの美しさには敵わないように思います。この色と光沢、そして形。
子供の頃、お年寄りから聞いた憶えがありますが、この実はしもやけになったときに擦り込むといいとか、、。
こうした野草の類には動物の名前のついたものが結構あるな、、と俄かに思い出してみると
カラスウリ、カラスノエンドウ、スズメウリ、スズメノテッポウ、スズメノカタビラ、イヌガラシ、イヌノフグリ、イヌタデ、イヌゴボウ、、、、案外猫さんのが少ない?エノコログサのことを「猫じゃらし」とはいいますが、、、。
すっかり秋。空気が澄んでいるようで、木々や草葉のいいにおいがしてきます。
このところ更新が滞っていました。干支のモードで仕事場にいる時間が多いです。あっという間に10月に入ってしまいました。そして夏の山形以来で十五夜さんがモードに入ってしまいました。
まだ手当てしていないの?と言われてしまいそうです。タイミングが悪いだけではなく、やっぱり十五夜さんの体にこっちの勝手で施術してしまうのが後ろめたいところがあるのです。
観ていて辛そうですし、こういう周期のたびに体力も消耗してしまっているのも可哀そうでもあり、といって生まれた体をいじるのが罰当たりのような怖さもあり、、。
お腹をさすってあげるといくぶん安心してくれますが、こちらも出たり入ったりしているので、ずーっと傍にいてあげていないので、大きな声で呼んできます。自転車で仕事場に出かけたり、帰ってきたときの音ですぐわかるので、そういう時には置いてきぼりにされたと思っているのか、、。
どっちにしても申し訳ないです。