裏にたて長の四角の中に「半七」という陶印があります。また、陶印の部分だけ象嵌のように違った色の土になっています。
いったい何代目の半七の作なのか、、?
焼成時に入ったと思われる亀裂が数か所、。作った当人として、満足のいく作であったのかどうか?
半七の代々について知りたいですが、教科書となるようなしっかりとした本が見当たりません。
絵柄としては、古代中国で東の海上にあったと言われていた「蓬莱山」なのでしょう。霊亀の甲羅の上に存在し、金や銀の堂宇が建っていて、仙人が住んでおり、不老不死の薬があるとか、しかし、実際に行った人はいないとか、、。ごくおめでたい絵ということになります。
今戸で活躍した最後の半七は7代目。8代目は関西に移住後に襲名した人。9代目が最後の半七。関西移住後の半七についてはまだよく知りませんけれど、関西の本場の茶人に評価され、趣向や工芸的な技巧に凝った人というイメージを持っているので、このように渋いというか、がさつな感じのするものを作ったのかどうか、、。
7代目の半七や6代目の作例というものはわずかですが見ているし、陶印も見てはいるのですが、この皿にある印とも違うような、、、。わかりません。
ここは小学生の頃よく遠征していたところ。小学校の友達の間では「赤土山」の名前で通っていました。でも「八幡山」という人もいました。
公にはてっぺんに「若宮八幡神社」という祠がお祀りされているので「八幡山」でしょうか。祠のそばに大きな銀杏の木があるのは、昔ながらです。
昔に比べると木が鬱蒼とした気がします。以前はもっと禿げ山のようだったような、、。赤土の上を段ボールを敷いて滑って遊びました。山の裏側もすっかり木陰となって遊歩道までできています。子 供の頃この辺りにいくつも防空壕が残っていて、そこいらに怪しげな雑誌が散乱していたのを思いだします。
そういえば、当時あけびの蔓が茂っていて、春に若芽を摘んでおひたしにして三杯酢で食べました。
私の小学校の学区域だと「八幡山」といえば、ここなのですが、隣の赤羽小学校の学区域になると、赤羽の八幡神社を指しているんです。
乾燥させていた土人形の木地を窯詰めして素焼きしています。思ったより嵩があって一度の窯では入りきれないので、何度かに分けての素焼きになりそうです。
十分乾燥させたつもりでも、水分が残っていると言われているので、500℃になるまでは水気を逃すために蓋を少し開けています。
実際この画像は570℃まで上がっていたのですぐ蓋をしました。最高800度まで上げ、一時間ならして終わりです。あとは自然に冷めるのを待ち、100℃以下に下がったら、蓋を開けます。
ただでさえ暑いこの時期、窯の近くは暑さ数倍。 東京より暑そうな中京や関西の窯場はさぞ大変なことでしょうね。あまり暑くて蚊が飛んできません。
(検索 今戸焼 今戸人形 墨田川焼 今戸神社 縁結び パワースポット ご利益 お守り おみくじ 白井 半七 東京 スカイツリー 伝統 工藝
民藝 民芸品 土人形 メトロ 郷土玩具 おみやげ 観光 物産 伝統 台東区 江戸 干支 猿 戌 狐 稲荷 丸〆猫 招き猫 発祥の地 tokyo
asakusa imado sensouji tenple sightseeing tourist information souvenir tradition handcrft japan festival poetry oldstyle doll toy display )
梅雨が明けた、との知らせ。晴々とした、という気持ちはありますが、この暑さ。土いじりも手につかず、どこかへ行きたい、と思っても、電車もどこも混んでいるような気がして、体の調子の悪い身の上では、出かける決心もつきません。
ママチャリで外へ出てみました。ここは北区豊島の隅田川の畔。下流から上流を撮ってみました。対岸は足立区新田。遠くに見える清掃工場の真下あたりが私の土いじりの仕事場がある辺り。
豊島や新田あたりの街並みを眺めてきたのですが、商店街も日曜日とあって閉まっているし、ガラーンとして歩く人も見えない。 この暑さとガラーンとした雰囲気で、自然とジャニス ジョップリンのあの歌が聞こえてくるようでした。けだるい午後、、、。
先日、赤羽西の自然観察園へ久しぶりに行った折、真菰(まこも)が干してあり、近々七夕馬作りの教室があることを知りました。教室を見学に行くことはできなかったのですが、飾りを観に行ってきました。
巨大な精霊馬です。正しくは馬と牛なんでしょうが、、。ここの民家は浮間から移築したもの。そしてこの精霊馬も浮間の作り方のようです。東京といってもこの辺りは昔は北豊島郡だったそうですからローカルなところだったわけですね。
七夕とお盆は一連の行事だったようですね。お供えにそうめんがあるところなど、その名残でしょう。
お盆になると、スーパーなどで、今でも小さな精霊馬セットを売り出しますが、農家の手製のものは、こんなに大きいんですね。
東京でも中心部だと、昔は草市というのがあって、人形町の草市は有名だったようです。今から20年くらい前、人形町の花屋さんで、スーパーのとは違う、とても姿のよい精霊馬を売っていたのを思い出します。