この数週間というもの連夜夜なべが続いていましたが、やっと来年の干支の辰の土人形3種類が塗り終わりました。といっても素焼きしてあるもの全てではなく、とりあえず急ぎで完成しなければならない分だけなのですが、、、。
早速この場でご覧いただければと思います。
最初の画像は「有卦船」(うけぶね)。「有卦」というのは、昔、陰陽道からきた祝い方なのですが、人生のサイクルには「有卦」と「無卦」というふたつの期間が交互にやって来る。当然「有卦」がいい時期です。「有卦」に入ると飾りものの船に「ふ」のつくものを7つ乗せて飾って祝う。「ふ」は「福」の「ふ」です。「ふぐ」「福寿草」「分銅」「福助」「福(お福)」「筆」「文(ふみ)」「富士山」「藤」「ふんどし」「福禄寿」「ふのり」などなど、、、。画像の船には左から「分銅」「ふぐ」「お福」「福寿草」「福良雀」「富士山」そして帆柱が「筆」で7つになっています。作ってみてこの「有卦船」が一番大変でした。何しろ塗り分けが大変でした。ネオカラーとかポスターカラーを使えば瓶やチューブから色を出して、水に混ぜて使うだけですごく便利なのですが、できるだけ昔風な発色にしたいので、すべて粉で買ってきた泥絵の具を膠と混ぜて湯煎にかけて溶くので、使うたびにお湯を沸かすわけです。一番大変だった訳ですが、その分報われた出来かどうかはわかりません。
画像2枚目は「善玉悪玉」。いわば「見立ての金龍山」といった心で作ってみました。歌舞伎好きの方にはおわかりいただけるでしょうか?
歌舞伎舞踊に「三社祭」(弥生の花浅草祭)という演目があり人気があります。これは昔、三社祭で曳き廻された山車に飾った人形に見立てて4つの場面からなる踊りなのですが、その中で一番有名な場面です。浅草の観音様の縁起では隅田川(宮戸川とも大川とも)で投網をしていた「竹成・浜成」の2人の漁師の網に黄金の観音像がかかり、それを地元の「土師のなかとも」という人と3人で祠にお祀りしたのが浅草寺のはじまりといわれているので、この3人をお祀りしたのが浅草神社(三社様)です。踊りの中では、2人の漁師が漁をしているところに叢雲が降りて来て、雲の中の「善玉」「悪玉」が2人にとりついて滑稽な踊りとなる設定です。「善」と「悪」の文字が顔になっているデザインが面白いと思います。「善玉悪玉」というのが当時流行していた「心学」というものから来ていて「人の心の中には善玉と悪玉がいて行動を左右する」といったものらしいですが、「悪」といっても「強悪」「極悪」「凶悪」といった類ではなく「誘惑に負けてしまう心」といったところなのではないでしょうか?昔、芝居とか廓とか寄席、酒場などを「悪所」といったそうですが、そのくらいの「悪」のレベルではないでしょうか?実際の踊りの場面には龍は登場しませんが、浅草寺の山号を「金龍山」というくらいなので、絡ませてみました。善玉の持つ扇には浅草寺のご紋の「かすがいやま」を描いてみました。
3枚目の画像は「珠取り」(「珠取り海女」とも「珠取り姫」とも)。これは能(謡曲)の「海士」からきている題材です。その昔、藤原淡海と契った海女がその子の無事の成長出世を祈って、海に潜り、竜宮から珠を盗んだ、、という話。舞台となったのは四国の「志渡寺」辺りだそうです。
謡曲から地唄などに伝わり、京都の伏見人形で作られ、伝播した古典的な形の人形なのですが、強引ですが、東京といえば隅田川、隅田川といえば都鳥ということで、海女の横に都鳥を泳がせてみました。
まだ塗っていない分があるのですが、急ぎで招き猫やぴいぴいなども仕上げなければならず、また、大晦日の王子の装束稲荷さまの「狐の行列」で授与される「招き狐」も仕上げなければならないので、とりあえず干支の辰はここらで中断して他のものも仕上げなければ、、と慌てています。
それでも塗り終わっていくらかホッとしました。
拙作の干支ものの辰についてはHPでもご紹介しています。→