東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

春吉翁のご命日

2017-02-28 21:29:15 | 日々

 作業中の尾張屋 金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)。江戸から続いた今戸焼の土人形、今戸人形の最後の生粋の作者でした。不知火関(小)を彩色されているところです。今年はうるう年ではないので春吉翁のご命日である2月29日が暦にありません。そこで本日28日に今戸町にあるご墓所へお参りに出かけてきました。

チャリで出かけたので赤羽で生花を用意しても途中でぐじゃぐじゃになるのが心配だったので今戸町内にある花屋さんで求めて持参しました。

お寺さまの井戸水を汲んで、お掃除をしてからお供えし、線香をあげてお参りさせてもらいました。

帰りはいつも観音様三社様に寄っていますが、今日は暗渠になっている山谷堀に沿っていつも通り過ぎている吉原大門から竜泉寺町の一葉記念館に寄ってきました。

画像の道路から左側が段差がありますね。高いほうが昔の遊廓の中側で、低い道路のところは有名な「おはぐろどぶ」だったらしいです。

吉原大門から「衣文坂」が斜めに走っていますが、坂はこの段差をつないでいるのですね。

 一葉記念館。数年前まで改装中で閉館していました。この物の前の小さな児童公園こそが、一葉の住まいがあったところだそうです。

ここに住まわれていた間に「たけくらべ」の想を得たようですね。

「たけくらべ」の記念碑。

旧一葉住宅跡の碑。

近くに「一葉せんべい」というお店もありました。この付近、お酉様もあり、中村勘三郎さんの眠るお寺もあり、下谷七福神や初午で有名な千束稲荷

もあります。金杉、根岸から日暮里に抜け、田端から駒込、西ヶ原と旧・藍染川沿いを通って帰りました。染井の商店街では桜の飾りがしてありました。


飯岡の裃雛(ドガミシモ)②

2017-02-22 06:52:38 | 日々

 

先月末に型抜き(成形)のお手伝いに行った千葉県の飯岡(旭市)のドガミシモの木地が無事乾燥し、素焼きも済んだという連絡をいただき、続く工程のお手伝いに出かけてきました。

 

 素焼きはなるべく昔の人形の感じに近くなるようあまり高温にせず焼いてもらいました。土色といい、手取りの感触や重さなど地元の「かべと土」独特の風合いがあるように感じました。

木地を軽く磨いてから、胡粉で地塗りをしてみると、「あまざけや」さんに残っている一対の裃雛(ドガミシモ)と同じような肌合いになりました。面描きをはじめとする彩色は全て地元の有志の皆さんにやってもらいました。その起動力はすごいです。40セット弱の人形の磨き⇒地塗り⇒彩色⇒ラベル作り⇒ラベル貼りの作業が1日半で終わりました。

 古い飯岡人形を直接触るという機会が余りなかったので、これまで知らなかったこと、今回改めて気が付きました。

収集家のコレクションに含まれている古い飯岡の裃雛(ドガミシモ)の多くには群青色部分に細かい銀粉(アルミニウム粉)が蒔かれていることが多いように思っていたので、お手本となった今戸人形が金の砂子を蒔くのに対して銀粉を蒔くことが飯岡の特徴なのだと思っていました。新潟の三条の土人形と今町の土人形の作行が似ている中で、三条では金の粉や砂子、今町では銀粉が使われているという話に似た現象ではないかと思っていたのですが、実際地元に残っているものには金の粉や砂子を蒔いている人形が少なくないことがわかりました。そのため、当初銀の粉を蒔けばよいと思っていましたが、「あまざけや」さんの一対に準じて金粉を蒔くことになりました。

 底には即席に彫った版でラベルを刷り、ひとつひとつに貼りました。

出来上がった人形の群像。すごいと思いませんか。

 

  地元の「かべと土」を採取して細かく砕き、練り込んで作られ、地元の人々の手によって仕上げられた人形たち。上の画像の一対だけは銀粉を蒔いてもらいました。

昭和戦前には廃絶した人形ですが、今回地元の人々の意志と労力によって復活された人形たち、魂の通った飯岡の人形であることには間違いないと思います。

これらの人形は3月4日に開催される「飯岡文学賞」一般公募の入選者の皆さんの表彰式でお披露目されたのち、受賞者に記念品として贈られるのだそうですが、来年に向けて、また作られる方向だそうです。

 

昨年末からお話をいただいて、実際に間に合うのかどうか正直心配でいましたが、余裕で完成して何よりです。地元の皆さんの意志と実行力には本当に感心させられました。


型抜き・乾燥・焼貯め・土づくり

2017-02-19 00:30:24 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 作業の風景ばかりで地味な感じです。このところ浅草の被官さま(浅草被官稲荷さま)の鉄砲狐(神社ではお姿と呼んでいる)づくりに励んでいます。毎年のことですが、初午、二の午、3月の被官さまの大祭を控えているので、在庫が切れることがないように、と心掛けています。ただ作業のスペースや人手(当然すべてひとりでやっている)の限界というものがあるので他所のように効率的にはいきません。とにかく狐を中心に。また丸〆猫(まるしめのねこ)についてもお問い合わせをよく受けるので、狐の合間に型抜きして貯めています。素焼きはできるだけ炉内をいっぱいにして稼働させたいので抜き出した狐や招き猫などを室内の高いところで乾燥させています。

この季節、当然暖房をしているので余熱ももったいないという感じです。籠の中には人形。ハンガーには吸水ダスター。前にも記事に登場させましたが、こぼれた水もさーっと吸水。という素材です。我が家ではどうやって使うかといえば、水簸にかけた泥しょうを石膏の吸水鉢に移して、水気をとばすときに、鉢の下に座布団のように敷いて、石膏鉢から水分を吸収させ、泥からの水分の吸収を促すようにしています。毎日ダスターを交換して、おしめのように乾燥させます。

 何個かある石膏鉢のひとつです。泥の表面にクレバスのような裂け目が入ってきて、もうすぐ取り出せそうないい感じになっています。

狐以外の人形も含め、型抜きには結構粘土を使うので、土も足りなくならないよう、外での水簸作業も天気を見ながら行っています。真冬という感じではなくなってきているので外での水いじりも最も辛いという天気ではなくなってきています。


千葉日報(2017年2月7日)より

2017-02-11 12:48:39 | 街角

画像ぼやけていますが、先日の飯岡人形の型抜き作業のことなど取材があり「千葉日報」に記事として取り上げられました。

記事の電子版というのもあるのでリンクを貼らせてもらいます⇒

一部素焼きをしたという連絡とその画像をいただいたのでアップしたいと思います。

飯岡の「かべと土」の焼き色をみるのははじめてです。素焼き後の手取りはどうでしょうか。

素焼きをされた地元飯岡「海音窯」の近藤さん。先日、型抜きのときにお目にかかって、どうなるだろうかといったお話をしましたが無事素焼きしていただいてよかったです。

型抜き分全部が焼き終わったところで、地塗りから彩色の作業に再び飯岡に向かう予定です。


民藝(THE MINGEI)2017年 2月号

2017-02-04 11:17:55 | 日々

民藝(2017年2月号) 特集・平成28年度 日本民芸館展 -新作工芸公募展ー が発行されました。

昨年度のこの号にも画像ページに拙作の「招き猫のぴいぴい」を掲載いただいてとてもうれしかったのですが、先に記しましたとおり、今回「日本民藝協会賞」をいただいて「受賞者のことば」

という欄に作文を載せていただいた上に、画像ページⅠページに上下二段に作品を掲載いただいています。本当うれしいです。

好きで勝手にはじめたことですが、続けてきてよかった、としみじみ思ってます。やってみたい、作ってみたいものがたくさんある中、まだ手掛けていないもの山のようにあります。もともと「ぶきっちょ」だったり要領が悪かったりで人一倍鈍いのですが、こうしたご褒美をいただいて、励みになります。まだ手掛けていないものも、既に手掛けているものを更によいものにしたいなど、続けていきたいと思います。ご指導よろしくお願いします。


大急ぎのお納め

2017-02-03 18:24:09 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 一昨日夕方、被官さま(三社様境内にある浅草被官稲荷神社さま)の「お姿」の残りがなくなっている、というご連絡をいただきました。

暮れ以来、他の作業と同時進行で鉄砲狐の抜き貯め、焼き貯めはしていましたが、レギュラーの数には達していなかったので、かき集めてお持ちできる数の素焼きを急いで彩色して昨日お持ちしました。何はともあれ全くなくなってしまってはご迷惑おかけするので、変則ではあってもがんがん抜いて、焼いて、彩色して、小分けであってもマメにお届けしようと思っています。昔の松戸の「すぐやる課」みたいに柔軟に対応しなければと思います。

今年の初午は2月12日だったと思います。それに向けても何とか穴が空かないようせっせと作るしかありません。がんばりたいと思います。