東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

明治神宮「思い出人形展」

2015-09-30 21:49:29 | 日々

Bei uns in Japan  glaubt man,dass die puppen und die Spielzeuge nicht nur die Freunde fuer die Kinder sind , sondern sie gehoeren sozusagen der Familie. Sie sind nicht nur einfach die Zeuge, sondern sie haben eigene Seele und Herzen . Man glaubt so,und man kann kaum die Puppen und die Spielzeuge als muell wegschmeissen. Even so wie Spardosen mit Gesicht, Robbotern, Lokomotiven wie Thomas, tieren aus Stoffen, ,,,man hat Liebe daran und davor Angst.  Diesen Wochenende findet das "Dankfest fuer die Puppen" in Meiji-jingu Schrein in Tokio staat. Viele Leute bringen die gebrauchten  Puppen ,Spielzeugen, Figuren zum Schrein mit, um dafuer zu danken  und ihnen Abshied zu nehmen. Nach der Zermonie verlieren die Puppen ihrere Seele und werden sie  entledigt. Zu den Massen der Puppen gehoeren einige wertvolle Objekte , die nicht weggechmissen werden sollen ,sondern sie sollen als Forshungsmaterial erhalten werden oder in den Gelegenheiten ausgestellt werden. Ab morgen bis Sontag Dankesfest findet eine Ausstellung "Puppen mit der Erinnerung" am Schreinamt in Meiji-jingu Schrein in Tokio staat. Gestern und heute habe ich dort um die Vorbereitug der Ausstellung gearbeitet. Die Ausstellung zeigt nicht nur die antike wertvollen japanishen traditionellen Puppen sondern auch einige Trachtpuppen aus aller Welt , oder Antikenpuppen aus Europa und die modishen Puppen aus jeder Zeit  z.B die Barbiepuppen, Shirley Temple puppe , die Baeren aus Steiff usw,,. Natuelich stehen die Kokeshi puppen und an der Wand haengt das Hamppelmaennchen auch . Diese Ausstellung Eintrittfrei.

 Am Eingang traegt ein Baer das Schild ."Herzlich Willkommen zu der Puppenausstellung!"

今週日曜日は毎年恒例の明治神宮の「人形感謝祭」が執り行われます。日本人独特の感性のひとつだと思いますが、長年一緒に暮らしてきたお人形やおもちゃたちを「もの」として捨てるには忍びない。顔のあるおもちゃも人形同様に、感謝をして神社やお寺に託す、という習慣があります。お祓いを受けたあと、人形やおもちゃたちは魂を抜かれた「もの」として処分されますが、中には資料的な価値の高いものもあり、選定され資料として神宮内に保存され、「人形感謝祭」当日までの数日間、社務所内で「思い出人形展」と題して展示公開されます。私も「日本人形玩具学会」の会員のひとりとして毎年展示のお手伝いや後片づけ、「感謝祭」当日の資料選定などのお手伝いをさせていただいてます。昨日今日とで展示の準備をしてきたので、その様子をご紹介したいと思います。まず入口のクマさん。

会場を一望したところ。

 正面には大きな享保雛。また日本橋十軒店や京都にかつてあった人形の歴史的老舗による上手のお雛様たちや技術の粋を尽くした御道具など。

 人形作りの名手による「抱き人形」の数々。

シュタイフ社製のクマさんたちなど。

古今東西の西洋人形。

画像の他にも世界の民族衣装の人形やバービー、りかちゃん、サザエさん、ヒーロー系の人形やぬいぐるみなどなど、、。こけしや郷土玩具も若干展示されています。

入場は無料。神宮の森の中、都会の中であることを忘れてしまうような緑や鳥のさえずりの中、かつて家族の一員として大切にされてきた人形たちに出会うのも一興かと思います。もちろん日曜「感謝祭」の当日のご本殿の回廊を埋め尽くす持ちこまれたお人形たちも圧巻です。お近くの方お立ち寄りください。

 


搬入(北区伝統工芸展)

2015-09-26 01:38:34 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

Morgen und Uebermorgen findet eine Ausstellung mit den traditionellen Handwerken  der  Kita-city Praef. Tokio staat. Da werden meine Tonfiguren mit den klassiken Modellen ausgestellt und vekauft ,die seit der Edo Periode in Asakusa hergestellt wurden. Aber der letzte traditionelle Tonfigurenmeister ist um 1944 zum Tot gegangen.Seit der Zeit versuche ich die Tonfiguren nach den alten Vorlagen wie damals  herzustellen .

ゆうべの更新のあと眠ったか眠ってないかくらいなもので、朝から荷造りしたりでお昼過ぎから搬入に行きました。

王子駅前の「北とぴあ」地下1階のホールです。既にブースとか設営していただいているところでの作業。今回はとにかくドタバタしているので会場で商札を書いて人形に貼り付けていたという状況でした。

画像は私のブースです。そして人形の陳列状況、、、、、、。

7月に青山のべにや民芸店さんで作品展をやらせていただいた時のようには種類を揃えることができなかったのですが、まあ「バナナの叩き売り」みたいな感じになりました。べにやさんで初登場だった「子守狐」「猫抱きおかめ」「煙草のみだるま」は並んでいます。それとべにやさんの時、並べたかったけれど時間切れで出せなかった「狐拳」(庄屋・狐・猟人)のリニューアル版は今回並べてます。それと「不知火関」。

とりあえず陳列や準備をして家に帰ってへとへとで寝入ってしまいました。

ブースでは昨年同様ご希望の方対象に体験として、割型を使った「型抜き成形」を用意しています。抜いたものそのまま持ち帰るのでは壊れるだけなので、乾燥→素焼きまで御預かりして10月下旬に「北とぴあ」11階の「産業振興課」まで引き取りに来ていただくか、「ゆうパック着払い」で御自宅まで発送かでお渡しすることになります。

明日と明後日の2日間ですが、お近くの方、お寄りくさだるとうれしいです。

 

 

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ヤバい

2015-09-24 02:00:19 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

つい最近のニュースで「ヤバい」という言葉をポジティブな意味として使う人が増えたとか、、。「おいしい」を「ヤバい」、「素敵じゃない?」を「ヤバくない?」というように使うということでしょうか。でも今現在の自分の「ヤバい」は在来の「困った」「どうしよう」というニュアンスで使っております。

あさって金曜日は「北区伝統工芸展」の搬入日。去年に比べると圧倒的に焦っています。

去年に今頃は既に人形類は包んで数えていたのに、今将に色塗りしているとは、、、、!退院後、「無理をしない」といっていたのが今となってドタバタになっているという感じです。でも思い起こせば、8月中から作業は再開していたし、何が問題だったかといえば、力配分というか、何を優先に動くかの判断だったかも、、、?8月中旬は暑さも並みはずれた厳しさだったので、膠を使う作業は無理。そこで鉄砲狐の型抜き成形に重点を置いていた。これは仕様がないことだったけれど、、、。まあ今から無理することはないか、とは思いながらもできるだけ出展したいという欲はあるのが原因。

明日じゅうにはできたものを包んで数えて荷造りして、、ということになりますが、まだあきらめきれない、、、、。

今塗っているものをすべて出展しなければならないということもないのですがね、、。

でもせっかくなんだから、、、、と。

まじ「ヤバいっす。」

 


彼岸の入り

2015-09-20 16:50:37 | 日々

あっという間に秋のお彼岸に入りました。我が家のお墓は山形市内にあり親戚やお寺様にお願いしてお花代を郵送しました。かつて我が家の家族だったワンちゃんたちのお参りは先週に前倒しに済ませ、今日は台東区今戸にある、江戸以来の伝統をひく最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のお墓参りに出かけました。お参りにはいつも電車やバスで出かけていましたが、今日はせっかく天気がよいのでチャリで出かけ、途中カメラを向けたりしながらご墓所めざしました。

赤羽から北本通りで王子から「明治通り」沿いに進むのが基本ですが堀船辺りから裏の道を隅田川に沿った感じで進むと北区と荒川区の区界近くの「船方神社」ここははじめてそばまできました。

神社のとなりに昔の遊具があって、、。こういうのって今となっては貴重なオブジェのようないとおしいような、、。

そしてとなりは荒川区立荒川遊園地。入口脇に昔の都電。屋根の丸みがかっこいい。

ここから「都電荒川線」沿いに町屋へ、一度「明治通り」沿いに出て都電の終点「三ノ輪橋駅」近くのレトロな商店街。そろそろ浅草も近いのでお供えの花やシキミを買いました。

三ノ輪から「土手通り」に入り「吉原大門」辺りから暗きょになっている「山谷堀」沿いに下れば今戸。

途中にある「紙洗橋」跡。「ひやかし」「ひやかす」という言葉がありますが、ここら辺りに語源があるそうです。昔のトイレの「落とし紙」を「浅草紙」と呼んでいました。古紙を溶かして梳き返した紙のことで、昔この辺り山谷堀沿いの地場産業だったそうです。古紙を水に浸して寝かしている間、職人さんたちはすぐ近くの吉原の廓の大まがきを覗き見に出かけていたとか、、、。古紙を水に冷やかしている間、お金も使わず、廓のお客にもならず、ただ覗いているだけ、、。それが「ひやかす」「ひやかし」という言葉に結びついたといわれているのです。それにしても、今「浅草紙」っていう言葉わかる人どのくらいいますかね。寺田寅彦の随筆に浅草紙の話があって、「いろいろな異なった古紙の破片が混ざりあって光る宝石みたいのもあってきれいだ」といった内容のことが記されていたような、、、。

山谷堀沿いに下って目指す尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のご墓所のお寺に着きました。

お墓もきれいになっていてお花もお線香もあげたばかりの様子。ご家族のみなさんがお参りされたばかりのようです。お目にかかれて直接ご挨拶できたらよかったのですが、、、。用意してきたお花も一緒にお供えさせていただいて、あとで線香をあげていただくようお寺様にお願いして手を合わせ、、。

人形の彩色をされていることろの春吉翁のお姿です。江戸から続いた今戸人形の伝統的技術は翁を最後に途絶えてしまったのでした。

今戸を後に帰途、「入谷金美館通り」経由で「根岸」へ。この辺りも懐かしい感じの景色が点在します。おせんべい屋さん

「御行の松」

正岡子規の住居跡「子規庵」

正確ににはここに子規の晩年住んでいた家があったのですが、空襲で焼けてしまい、戦後お弟子さんたちにより往時の住まいを復元したものだそうです。

昔上野に勤めていた頃、子規庵の模型を作ったことがありました。懐かしいです。

根岸から山手線沿いに西日暮里へ、西日暮里から「不忍通り」沿い、駒込から「霜降橋商店街」沿いに染井から山を登って中山道へ「とげぬき地蔵通り」に途中から入り「庚申塚停留所」近くの古着屋に寄ってから「旧・中山道」沿いに板橋区役所前経由に東武東上線「大山」駅前の山形冷やしラーメンの「大木」さんでお昼を食べ、「旧・中山道」沿いに「仲宿」「本町」経由で赤羽に帰りました。少し休んだのでこれから作業に入ります。


膠の再開

2015-09-19 07:47:21 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 先週末の奈良と八幡市の楽しかった思い出の後味に浸っていたんですが、自転車で転倒して頭から倒れてゴツンと打ちました。瞬間全身をビリビリっと花火が走るような感覚でしばらくそのままで気がつくと黒山の人だかりになっていました。起き上がって家に戻り、様子をみていましたが、後頭部が大きく腫れるということもなく、吐き気もなく問題なさそうですが、時間が経つにつれ首が痛くなり、先生に観てもらうと「鞭打ち」だろうということで整体術を受け、冷湿布をしています。日ごと微妙に痛みが弱くなっていますが「いいことあればその次は、、、」というこれまでの人生にもあった流れなんでしょうね。 

いつの間にか朝夕には半袖だと涼しく感じられる天気となり、「これで膠も大丈夫そう、、」と思って水に浸して戻し、煮溶かして胡粉に混ぜて久しぶりの人形の地塗りをはじめました。思い出すと7月の作品展の準備以来のことです。そのあと入院することになって、退院したら夏真っ盛りで「この天気では無理」状態でしたから、、、。

夜には外からこおろぎの声も聞こえてくるし、あちらこちらで猫さんたちが寛いでいる姿を目にするようになりました。一年のサイクルと心の状態を山手線の内回りになぞらえると目白か高田馬場辺りって感じです。大阪環状線だと野田辺りでしょうか。


浄瑠璃寺と「引窓」の里「八幡」

2015-09-14 13:59:02 | 日々

奈良国立博物館の特別展が目的の今回の遠出。強行軍で一泊二日。時間が限られている中、ついでに観て帰りたいと思っていた蟹満寺の白鳳仏は昨日訪ねることが叶いました。明けて東京へ戻る前に訪ねたいと思っていたのが京都府木津川市の「浄瑠璃寺」そして、芝居の舞台となった土地に寄ってから帰りたいという思いでした。

まず浄瑠璃寺。昨日の蟹満寺と同じく木津川市内なのですが、交通のアクセスで2か所の梯子は難しそうだと判断し2日目、奈良を離れる前に往復することにしました。浄瑠璃寺へは奈良市内から直通路線バスが一日数往復あり、荷物を駅に置いて、朝一番のバスで浄瑠璃寺へ、そして約一時間後の浄瑠璃寺発奈良行きのバスで駅に戻ることとなりました。

 

京都府といっても奈良市とぎりぎり国境(山城と大和)を越えた静かな山里といった風情のところで、バスでの移動中サイクリングで移動している人をよく目にしました。平安時代の浄土庭園、池を挟んで東側に三重塔(秘仏の薬師如来像を安置)西側に9体の阿弥陀像を安置する本堂を配置する山中の小じんまりとしたお寺ですが、平安時代にはこうした配置や建造物が流行ったそうですが現在まとまった形で残っているのはここだけなのだそうです。宇治の平等院の鳳凰堂も西方浄土という配置で作られたものですが、東方も備えて残っているのはここだけなんだそうです。庭園にはいろんな野の花が咲き乱れていてギボウシとか萩、ミズヒキ、キキョウ、などがひっそりと咲いていました。日曜日だというのに人気もまばらでひっそりとしていました。

奈良市内に戻り近鉄特急で近鉄京都線「丹波橋」乗り換えで京阪電鉄「八幡市」へ。奈良から丹波橋までに特急券を買ったのですが奈良から大阪難波行きの特急で大和西大寺で乗り換え京都行きの特急へドアからドアへの乗り換え。まるでドイツのICE(インターシティーエクスプレス)の乗り換えのようでホームを挟んでドアからドアへというのがかっこいいですね。

はじめ、芝居ゆかりの土地としてお染久松「新版歌祭文・野崎村の場」で有名な「野崎観音」(大阪府大東市)を考えていたのですが、帰りは京都から新幹線と考えていたのでJR片町線の「野崎」から京都へ戻る乗り換えがうまくいくかわからないのと芝居に出てくるように川と堤を舟と籠で行き来したような景色が現在も近くにあるのかどうか全く下調べしていなかったのでいきなり行くのも不安、、、。それならばどこかで耳に入れていた情報で舞台に出てくる屋敷跡と石碑があるという「双蝶々曲輪日記・八幡の里引窓の場」の舞台となった京都府八幡市へ寄ってみたいと思ったのでした。八幡市はこちらのブログへもたびたびコメントを寄せてくださるウリ坊さんのご出身地で、日本三大八幡宮のひとつ「石清水八幡宮」のお膝元の町であること、木津川、宇治川、桂川の3つの河川が合流して淀川となるところであるということを聞いていたのでそれもこの眼で観てみたいという好奇心がありました。

京阪電車で二本の河川を鉄橋ではじめて渡り、八幡市の駅のホームに降り立って、景色が素敵なので感動しました。石清水八幡宮の鎮座する男山と淀川を挟んで向こうの聳える天王山とが迫り合っているようです。ちなみに天王山のふもとこそが「仮名手本忠臣蔵・五段目・山崎街道」の山崎で、猪が「テンテレツク」の鳴りもので登場し、早野勘平が登場するところ、続く六段目・勘平腹切も近くなのでしょう。

 

駅前の観光案内所で早速「南与兵衛の屋敷跡は?」と尋ねたのですが「何ですか???」と言われ不安になったのですが「あの浄瑠璃に出てくる引窓の屋敷跡と石碑があるという、、、」と訊くと「ああ、、でも跡ですから何も残ってませんよ」と言いながら一緒に歩いて案内してくださいました。何と駅の改札口から1分とかからないところでした。

「あれ?石碑がなくなっている」「え?」とびっくりしていると「ああ、あそこにあった」と引きぬかれて民家の脇に置いてある石碑を教えてくれました。みつかってよかった。

ついでに有名なセリフ「狐川を左に取り、右へ渡って山越しに、サ右に渡って・・・山越にィ・・・あぁいゃ、めったにそうは参りますまい。」の狐川って川はどこですか?と聞いたのですが、「そういう名前の川はないですよ。」という答え。(家に帰ってから改めて調べてみると八幡市内に「狐川」というところは確かにあるようです。3つの河川の合流地点の近くのようです。)それと舞台の通称にもなっている「引窓」のあるような古い家がこの辺りにはないか、、ということについても聞いてみたのですが、「わからない」とのことでした。お礼を言って、ひとりで駅から八幡宮の鳥居付近、すぐそばの川に沿って歩いていると太鼓橋がありその袂に「放生」と書かれた高札が立っていて思わず有名なセリフ「南無三宝、夜が明けた。身どもの役目は夜の内ばかり、一夜明くれば放生会。生けるを放つ所の法、恩に着ずとも勝手にお行きゃれ。」っていうのはこれから来ているんだ、と改めてびっくりしました。

橋を渡り、昔ながらの家並みを眺めながら歩いているとお婆さんがいたので「引窓」のある古い家がないか尋ねたのですが、怪訝そうな顔をされたので「昔の芝居に出てくるんで探しているんです。」と言ったら「ああ、杉良太郎さんですか?」と言われました。????「飛行神社」というハイカラな感じのお社がありその近くにある民家こそが芝居に出て来るような作りなのではないかと思いました。屋根の一部に出っ張っている小さな屋根があり、その下に内部から紐をスライドさせて開閉する窓になっているのだと思います。この引窓が芝居の流れの鍵となるのです。

 

その後、駅前のご飯屋さんで昼食をとり、重い荷物をコインロッカーに預け、ケーブルカーで男山山頂へ(片道¥200は安い!)山頂駅から八幡様目指して参道を登り、極彩色の本殿へ。

ご社殿に対して手前の敷石が直角ではなく右斜めになっています。これは意図的なもので、お参りを済ませたあとで神様に対してお尻を向けて帰るのは恐れ多いということからまっすぐお尻を向けずに帰るようにという意味があるんだそうです。

文化財維持として¥1000お納めすれば昇殿も拝観できると知り、申し込んで拝観させてもらいました。何とご神職の方が一対一でつきっきりで案内してくださったんです。これはもう贅沢。いろいろミーハーに質問させてもらいました。話では9月15日がこちらのお祭りで山上のご本殿から3柱の神様が神輿に乗り山下へ移られる。そして16日には再びご本殿目指して山下から神輿でお戻りになるそうで、境内で一斉に支度をされているところだとのこと。そして先に太鼓橋の袂で観た「放生」こそは、この神事の中で行われるのだとのこと。鳥類や魚類を橋のところで放つのだそうです。「南無三宝、夜が明けた。身どもの役目は夜の内ばかり、一夜明くれば放生会。生けるを放つ所の法、恩に着ずとも勝手にお行きゃれ。」のセリフはちょうど今のタイミングなわけです。ラッキー!!!

偶然とはいえ、いい時にいい土地を訪ねることができたわけです。山頂から3つの河川の合流点を眺めました。

画像右手遠くに見えるのは比叡山。左右に横切る水色の高速道路。高速道路が左端で切れる下に桂川の水面が見えます。そして一本手前に見えるのが宇治川、木津川は一番手前を流れるので木々の茂みに隠れていますが右端に赤く見えるのが京阪電車の木津川鉄橋です。先ほどのセリフに出てくる狐川は左端桂川と宇治川の間で水色の高速道路の左側一帯のようです。つまりセリフでは「狐川を左にして(桂川を渡って)山を越えて河内の国に逃げろ」と言っているようです。

はじめて訪ねた八幡の里ですが景色といいのんびりとした雰囲気でよかったです。

今回の奈良行きは目的地の「奈良国立博物館」の他は「蟹満寺」と夕暮れの「奈良町散歩」、2日目の「浄瑠璃寺」と「双蝶々曲輪日記・八幡の里引窓の場」の舞台八幡市。

博物館以外はどこもあまり人ごみのないのんびりとした場所でよかったです。もっと慾を出して周るということもできたかもしれませんが、じっくり土地に触れることができたように思います。

普段ご縁のない私鉄の電車に乗ることができたのもうれしいですね。近鉄や京阪の電車かっこいいですね。京阪の電車の色、昔と変わったように思いますが、何かに似た色だな、、とずっと考えていたのですが、「三井住友銀行」の色に似ているという結論に達しました。

 

最後に京都駅に戻り、新幹線に乗る前に20年くらい前に池袋の西武デパートの「京都うまいもの会」みたいな催事で偶然食べたまっ黒なスープのラーメンが駅の近くにあるということを思い出し、寄ってみたのですが、ここだけは行列で大変でした。東京ではまずこうした行列に立つことはしないのですが、頑張って並んで食べて帰途につきました。見た目まっ黒でどぎつい感じに見えますが、脂っぽくなく、塩気もそんなにきつくなくさっぱりしています。食事制限中の身ですが、これは特別の機会ということで、、、。

「双蝶々曲輪日記・八幡の里引窓の場」については簡単なあらすじの紹介サイトがありますのでご覧ください。→


奈良の夜

2015-09-12 19:43:24 | 日々

強行軍で奈良へ来ています。

京都から近鉄特急。

鹿に会うのも30年ぶりです。

目的は奈良国立博物館で開催中の特別展「白鳳・花ひらく仏教美術」をどうしても観たかったから、、。

学生の時分、日本美術史の自由課題で深大寺の白鳳仏について調べ、薬師寺の薬師三尊や聖観音、法隆寺の橘夫人念持仏や夢違観音、兵庫の鶴林寺の観音立像、そして関東にもう一体、成田の竜角寺の薬師如来などを図版で見たりしました。

昨年には、上野の芸大資料館で興福寺の仏頭の展示があり、深大寺のお釈迦様も一緒に展示されたのを観に行きました。

そして8月の末に奈良でこの特別展が開催されているということを知り、家を離れずらいところ強行軍で一泊2日で観にいこうと思ってました。

深大寺のお釈迦様と竜角寺の薬師さまが並んでいて、鶴林寺の観音様と法隆寺の橘婦人念持仏と夢違観音と薬師寺の月光菩薩と聖観音様がひとつところにご光臨というのは空前絶後ではないでしょうか。すごく混んでいましたがとにかくそばで拝むことができてよかったです。

博物館の周りに東大寺あり興福寺ありとせっかく出かけてもったいないのですが、今回は白鳳展のついでなので京都府木津川市にある蟹満寺の白鳳仏のお釈迦様もかねがね観たいと思っていたので、博物館からJR奈良線経由で「棚倉」下車、田園の中を歩いて観に行きました。

奈良市内の人出と打って変わって、軽自動車しか通れないような小道をくねくねほとんど人とすれ違うこともなくのどかなところで大小のトンボが飛び交っていたりカマキリやチキチキバッタや蝶々、ツバメにカラスにトンビまで飛んでいるのを観ながら不思議なハイキングのようでした。お寺に着いても拝観に来ている2組の人に会っただけ。写真でしか観たことがなかった丈六仏ですが実物を目の前に感動しました。

蟹満寺を後に再び奈良市内に戻ったのですが、お寺の拝観時間も迫っていてくたびれてもいたので奈良町付近の迷路のような小道やレトロな商店街を巡って猿沢の池に出て、JR奈良駅前の宿に入りました。

明日中には家へ戻らねばならず、行きたいお寺と「歌枕」ならぬ「芝居枕」「浄瑠璃枕」つまり人形浄瑠璃や芝居の舞台となった土地に寄ってみたいと思って思案中です。奈良市内にも当然ありますし、人形浄瑠璃は大阪で生まれたものが多いですから、関西に多く分布しているのですが、その中から一箇所だけ寄れないかと思うのです。ちょっと時間の使い方としてミーハーですが、折角来ているので、、。

今まさに奈良にいるなんて信じられないことで、ちょっと興奮ぎみです。

 


おかずとごはん

2015-09-11 20:24:22 | 日々

最近家ではおかずもごはんも作り置きして冷蔵庫から出して食べているということが多いです。

入院前後、そして入院中の院内食も含めて食べるものとその栄養に気をつけるようになったつもりで以前に比べ食べないようにしています。

入院中の食事は案外普段自分で控えめに食べる食材よりも栄養がありそうでびっくりしたのですが、カロリーの計算は難しいですね。

家の食事ではもともと野菜は好きなので、野菜ものを中心に、ごはんは茶碗に軽く摂るようにしていますが、その内容を栄養士さんが診て「野菜を食べすぎ」「もっと肉を食べなさい」と言われたのは意外でした。

一番上のおかずは自分でよく作る茹で野菜ときゅうりの辛子醤油和えなんですが、小学生の頃の給食に出ていたのを思い出して作っています。砂糖を使わず0カロリーの甘味料を使ってます。ハムを刻んで入れるのが小学校の頃の思い出でそうしてます。はじめ、これと漬物と冷や奴3分の一丁とご飯茶わんに4分の一くらいに慣れていたものの毎食このくらいだと変な話トイレが遠くなってしまいました。栄養士さんには「肉を食べるよう」言われたのですが牛丼のようなものだとカロリー多すぎだしハンバーグとかひき肉料理は脂質が混ざり過ぎで×。最近ハンバーグとか餃子とかてっきり食べていません。

それで考えたのが牛肉のしぐれ煮風なのを常備菜のように作り置きしてご飯のときにちょっとだけ食べるようにしてます。油をひかずに肉だけで炒めてレンコンやゴボウ、ニンジンを加えて味付けしてます。やっぱりカロリー0の甘味料で味付けします。

ごはんそのものも白米より麦ごはんのほうが少しでもカロリーが低いと聞いて炊いています。

画像は炊飯器から払ったものなんで炊きたてではないんですが、、。

日によって「山形のだし」にしたり、「なすとピーマンの素揚げ風(実際に油で揚げないで、ジップロックの中になすとピーマンを入れてサラダ油大さじ1杯だけ入れて振ってから電子レンジでチンすれば油を使いすぎない)の甘酢和えモヤシ入り」とかも作ります。

でも本当は山形の冷やしラーメンとか大好きなので、一週間に一回だけ食べに行くのを許してます。

浅草の甘酒ジェラートやかぼちゃや胡麻のジェラートも恋しいですがあと5キロ減らすことができたらご褒美に、と思ってます。

外で食べるのが最近心配で、大戸屋みたいなカロリー表示してあるところだと安心です。

何とか体重を落とし、血糖値も落として心配なくなりたいですが、何とか頑張らなければと思います。(現在食事の調節を初めてから10キロちょっと落ちました。)


大雨

2015-09-10 09:11:06 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 一昨日以来雨脚激しく降り続いています。ニュースでは各地で川の氾濫や土砂崩れ、浸水被害など報じられて、近年稀な被害をもたらしているとのこと。被害に遭われたみなさん非難されているみなさんにはお見舞い申し上げます。先週末だったかNHKでタモリさんによる地球規模の気象異常についての番組を観たばかりだったので、それが具体的になってしまったのか、、と思ったりもします。我が家のある地域ではとなりの区などで氾濫警報が出ているとか、北区内でも石神井川は川幅狭いのでかなり水位が上昇しているのではないでしょうか。我が家に一番近いところで隅田川と荒川。

 昨日は前々からの出かける予定だったのが午後から雨脚が厳しくなったので、先方に連絡を入れ予定の日程を変更してもらうことになりました。隣町への腰痛の通院もとりやめ、心配なので自分でストレッチをしていました。仕事場と自宅との間も行き来も厳しく、物を運べないので、せめて今まで型抜きして貯めて運んでおいた人形(ほとんどは8月中抜き貯め乾燥させていた「被官さま」の鉄砲狐です)を素焼きして窯出ししていました。

 素焼きの間、窯の周りに余熱が出るので水簸(すいひ)して水抜きしている石膏鉢を窯の脇に移動させて早く水分を飛ばせました。型抜きすべき種類のものもまだあるのですが、材料となる土も繰り返し水簸と水抜きを回転させなければなりません。


贅沢すぎる一日

2015-09-07 20:19:50 | 日々

 

 先週、知り合いの方より招待券をいただき、歌舞伎座9月興業2日目の昼の部と夜の部を通しで見物させてもらいました。座席がまた自腹ではとっても厳しい等級の場所だったのも豪華で、こんな贅沢をさせてもらえるなんて、何かバチが当たったらと思いました。

 

 もともと今月はかねがね吉右衛門丈には上演してもらいたいと思っていた「競伊勢物語」という演目が出るということを聞いて、自腹を割いてでも観に行かなければ、と思っていたので、それをよい席でご招待いただけるなんて願ったり叶ったりです。お世話になっている日本人形玩具学会の歌舞伎観劇歴大ベテランの先生にもご同行いただきました。その眼目の「伊勢物語」は昼の部のおわり。東京での上演は国立劇場で十数年前にあったかと思いますが、わがままながら当時の配役では観たい行きたいと思わなかったので観ていません。それ以前の東京での上演は昭和40年の歌舞伎座以来ということになり、自分にとってはいつかは吉右衛門丈によって見せてもらいたいと願っていた幻の演目です。

 初めて観た印象は流石聞きしに勝る重量感のある演し物だな、ということ、役者さんが揃わないと出せない演目であり、ずーっと出ていなかったのもそんな理由からか、、とも思いました。芝居の綾といいたっぷりとしたもので、正直昼の部の3つの演目の最後に来るのは当然ながら前の2演目を省略してでも「伊勢物語」に集中して観るべきくらいのものだと思いました。人の好みにもよりますが、自分だったら「伊勢物語」だけに観る体力を貯めて臨んだほうがもっとしっかり感じられるだろうと思いました。

 昼の部だけでもお腹いっぱいなのに夜の部も見せてもらえるなんて贅沢すぎ。夜の部は「先代萩」の通しで「竹の間」も出ました。これも自分のわがままなのですが「先代萩」だとどうしても関心が「竹の間」「御殿」「床下」までに集中してしまいます。これは人それぞれ好みとか、思い、ご贔屓の役者さんの違いなどで同じ舞台でも目に映り方が違うかもしれませんが、今回の「先代萩」の「御殿」はひどく疲れました。なぜそう思ったかといえば、院本狂言(義太夫節に乗って進む芝居)の代表作のひとつであるのに今回の芝居の進行は何故か「意識的に糸に乗らない」ような印象が強く、チョボ(義太夫節)のテンポがやたら押さえられて渋滞している、子役の演技から鳴りもののテンポまでひどく遅く感じられたのです。その昔、歌右衛門さんの御殿では世評ではやりすぎ、しつこい,長いというような事を言う人もいましたが、それに比べると今回のはもっと長く感じました。そこにどんな差があるかと言えば、歌右衛門さんはチョボに乗るところはたっぶり乗っていたし、子役への思い入れがしっかりあり、単なる手順というものを感じさせなかったように思うのです。今回は「まま炊き」の手順が渋滞しているように感じました。その上「後にはひとり政岡、、」からの愁嘆場になっても内輪というのかドライというのか悲しい気持ちがうわーっと来るというのではなかった感じがしました。あと「松島」が出ないのも変わってましたね。終盤の流れがいつもと違って「天命思い知ったるか」で幕になる手前で流れが変わるんです。

 正直今回の「千代萩」の「御殿」までは本当に疲れました。家に帰ってから昔の動画で現・猿翁さんの壮年時代の「御殿」のさわりを観たのですが、こっちは当てすぎるくらい糸に乗り過ぎくらいの芝居なのですが、今回の「御殿」のあと観てみると、昔の動画のほうが何か居心地のよい世界のようにも感じました。でも今回の八汐役の歌六さん、昨年末の岡崎以来の好演できっちり押しのある芝居でよかったし、沖の井の菊之助さんもしっとりよかったと思います。昼の「伊勢物語」の信夫もよかったし菊之助さん大当り。そして吉右衛門丈あってこその歌舞伎の醍醐味ですね。

 贅沢させてもらって言いたいこと言って生意気??? でも観客のひとりとしての与えられる自由ではないかとも思います。それにしても今月「伊勢物語」を見せてもらえてよかったです。

 幕間には先生に買ってきていただいた「弁松」のお弁当をいただきました。極楽極楽、、。


我が意を得たり

2015-09-07 09:02:05 | 今戸焼(浅草 隅田川)

偶々見かけたのですが、よそのサイトに三社様に関する記事を目にしました。その内容のひとつに自分でもかねてから口を酸っぱくして言っていたこと、つまり当今雨後のきのこ的に世間に広まってしまった「平成版・招き猫発祥説」(今○神社)は歴史的な裏付けもなく、おかしなパワースポットのブーム、芸能人を巻き込んだ派手な宣伝や珍奇なPRなどによって表に繁ってしまったものであって、歴史的資料や記録、描かれた錦絵、そして遺跡から出土した招き猫そのものを通じてここ「浅草神社」(かつては浅草寺境内三社権現)こそが最も古い招き猫由縁の地であり現時点において「招き猫発祥の地」であるということをとりあげてくださっているのです。ちょっとうれしいですね。マスコミ関係の人たちにもちゃんと勉強してもらって正しいことを発信してほしいものです。

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