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今日から羽子板市だったのですがどうだったでしょうか。お昼すぎに雨が降ってきたり、午後寒くなったりではなかったでしょうか。一昨日からの風邪のため、そしてまだ仕上げなければならないものあって初日には出かけることができませんでした。「屁っぴり猿のぴいぴい」のほうが先になってしまいましたが数的には多く作っている「御幣猿」についても紹介させていただきます。都内の近世遺跡からの出土物も含めると今戸人形の猿のレパートリーは膨大で面白いものがいっぱいありますが伝世している古典的な人形の中ではこの「御幣猿」が最も知られているのではないかと思いますが当時の販路として柴又帝釈天の土産として出されていたので「柴又の猿」として書籍で紹介されているケースもあるかもしれません。背中に帝釈天の「雷文」の彫りがあり袖なしの胸にも「雷紋」を描いてあります。
ひとまわり前の申年にこの「御幣猿」の左手持ちの人形を作っててはいましたが、実際の伝世品の中には右手持ちのもあり、今回は両方揃えてみました。今回干支の中では最初に始めていたのですが、一番にご紹介できなかった理由はこれ「御幣づくり」の手間のためです。
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これ少し作るだけならいいんですが、たくさんとなると結構時間がかかります。金紙に良いのがないので再生紙にまがい金泥(真鍮粉)を塗るのからはじめます。竹串を途中まで割ったり先を削るなども数があると結構しんどいです。それとお猿さんに限らず狸にも使いますが、茶色の部分には泥絵の具の「ベンガラ」(酸化鉄)を使うのが昔からのやり方ですが、この「ベンガラ」も厄介なんです。粒子の大きさが揃っていないせいか、また鉄由来のためか重く筆のすべりが悪くすぐムラになります。べた塗りにムラなくするのにひとつの人形に4回塗りはしなければなりません。昔、学生時分は洋画専攻だったのでチューブ入りの油絵の具とかアクリル絵の具とか透明水彩とかチューブや缶から出してすぐ使えることが多く、茶色系の絵の具で「ライトレッド」とか「バーントアンバー」「ローアンバー」「バーントシェンナ」「セピア」とかよく使っていましたけど練り絵の具で筆すべりが悪い経験をしたという記憶はない
ように思います。テンペラとかフレスコの実習というのもありましたが、経験したという程度でピグメント顔料によって困ったという記憶がないんです。土人形作りをはじめてから泥絵の具を粉で買ってきて膠をつなぎにして溶くようになり、色によって癖があり面倒なことに気がついたという感じです。
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余談になってしまいました。まず朱色の袖なしを着ているお猿さんは昭和4年頃まで今戸で人形を作っていたという「市川梅次郎」という人が残したものをお手本にしています。この人の描くお猿さんの眼はまん丸です。そして朱色の袖なしの場合、私はこのまん丸お眼目のしか観たことがありません。
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次に群青の袖なしを着ているお猿さんには画像のような横に筆を走らせた眼のものと上の朱色袖なしのようにまん丸お眼目のものを確認しています。まん丸お眼目は群青袖なしでもやっぱり「市川梅次郎さん」のものだと思います。梅次郎さんの工夫でしょうか着物と紐と耳の配色をクロスさせているのが面白いと思います。しかし横に筆を走らせた眼のものはちょっと硬質な表情で梅次郎さんとはちょっと違うと思うのです。昭和戦前の有坂与太郎の著作には「明治の終わりに今戸の林檎畑の「人形屋勇次郎」という人が常盤津「靱猿」から想を得て作った人形で後に弟子の「市川梅次郎」がそれを引き継いで作った、、、」ように記されているので「人形屋勇次郎」のものだと思っています。ちなみに「勇次郎」作と思えるものは左右対称に右手持ちと左手持ちのを確認しています。実際対にして売られたり飾られたりしたケースもあったかもしれませんがよく目にするのは左手持ちのほうが圧倒的に多く残っているように思うので、必ずしも2体対で売られたものではないのでは、と思います。この「御幣猿」大小何段階かサイズの違うものがあるようです。
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必ずしも対ではなく「ザ・ピーナッツ」や「リンリンランラン」のようにならなければいけないということではないと思います。お猿さんなのでもみあげみたいのがあって「♪また会う日まで会える時まで~♪」な感じもするのですがどうでしょうか。また、朱色や群青よりももっと古いかもしれない袖なしを石黄らしき黄色で塗ってある巨大なのも観たことがありますのでそれ式の配色のものも某店にお納めしました。「市川梅次郎」「人形屋勇次郎」という今戸人形師も存在したということで、時間があったらお手本とした人形もご紹介できたら、と思っています。干支のためにもうふたつ遺跡由来のお猿さんの原型をやりかけていますが間に合うかどうか、、?もったいないので完成させたいのですが、、。
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