これはひとまわり前の亥(猪)年に作り始めたもので、今年はじめてではありませんが、先にアップしている「仁田四郎」や「下谷の摩利支天」(彩色済のはまだ)と一緒に作っています。ぱっと見で、「何だこの形は????」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。今戸人形の古典の作で猪の姿のものを確認できないので仕方なく創作になっています。
これは猪のリアルな姿ではなく、歌舞伎に出てくる着ぐるみの猪をネタにしたものです。「仮名手本忠臣蔵」の5段目の「山崎街道」の場面に登場する猪です。5段目は3段目の「裏門」の場でお家の大事の時駆け落ちする「お軽 勘平」(最近は3段目の上演ではお軽 勘平の件を出さず、4段目のあと清元で「道行旅路花婿」として華やかに上演することがほとんど)。
続いての5段目ではこの二人がお軽の実家に身に寄せているところ、まだ由良助(実録では大石内蔵助)ら浪士が仇討ちの計画を内密にしているところ、勘平も仇討ちに加わりたいため、軍資金としてお軽は勘平が猟りに出かけているところで勘平に内緒でわが身を祇園の遊女として身を売ることにして、お軽の父親の与市兵衛がその代金を先に祇園で受け取り、家に戻る途中、山崎街道の闇で斧定九郎に殺され五十両を奪われてしまう。勘平は猪を狙って火縄銃を撃つが、定九郎にあたってしまい、暗闇の中手探りで人を殺めてしまったことに驚いて介抱しようとして懐の中の五十両の入った財布は手に当たって思わず軍資金のためと奪って家へ逃げ帰る。
6段目、与市兵衛の宅には祇園の一文字屋がお軽を受け取りに来ているが、勘平の顔を見たいからと待たせているところ。そこへ勘平が帰ってきて事情を知りお軽にすまないと思いつつ別れでお軽は祇園へと向かう。そこへ殺された与市兵衛の亡骸が運び込まれ、姑であるおかやが勘平が持っていた財布と一文字屋が置いて行った財布と同じ布であることから、勘平が舅を殺したのだろうと、訪ねてきた浪士二人に訴える。浪士が亡骸を改めているところ勘平は暗闇で誤って撃ったのは自分の舅であったかと思い腹を切ってしまう。
結局浪士二人が道の途中で見かけた 斧定九郎の死体を勘平が撃ったということがわかり、偶然舅の仇を討ったことになったことがわかった。しかしこと遅く勘平は今わの際で仇討ちの連版状に腹の血で血判を押して亡くなってしまう、、、、、というあらすじ。
暗い内容ではありますが、勘平はハンサムな男という色気のある役として腹切りに追い込まれていく段取りがよく練り上げられている場面です。
この猪は5段目で斧定九郎が与市兵衛を手にかけて「五十両」というセリフで素敵に決まったところへ花道から出て来るもので、一人の役者さんが猪の胴体を被って、兎飛びのように進んで舞台を通り過ぎるところです。前足2本はつくりものがあごの下からぶらぶらとぶらさがっているだけで、2本足で走る猪として知られています。
この人形では被っている猪の胴体から下に垂れ下がっている布をわざと別の布として色を変えてみました。実際の舞台では中に入っている役者さんを隠すため、胴体と同じ色なのですが、それでは色の変化がないのでそうしたということです。大歌舞伎ではありえないことですが、空想として昔の旅回りの芝居なんかでは仕込みに安っぽいもので代用していたりしそうなものとしてイメージしました。我が国初のカラー映画としても知られる松竹映画「カルメン故郷へ帰る」の中で家出して東京でストリップ嬢をしている高峰秀子さんが仲間の小林トシ子さんと故郷に錦を飾るはずだったのが、おだてられて村で仮設の舞台で実演する場面がありますが、その引幕が「暴れ熨斗」の裂だの手ぬぐいだのを継ぎはぎしたようなおもしろいものだったのを憶えていませんか、、。そんな感覚で布を白くして蛸足しぼりを入れてみたのです。
戸板康二さんのエッセイ集の中で出てくる話の中にもちょっと似たような感じのがありました。「昔東京の郊外がまだのどかな土地であった頃、旅まわりの一座の小屋がかかっていて「実録 小平事件」という内容の芝居を打っていた(エロ グロ ナンセンス?)ところ観に行った人が引き幕を観たら「忠孝」と書かれていた、、。」 そんなおもしろおかしい感じが出たらいいなと思ってそうしました。
実際に上演される山崎街道の場面は一面黒幕で暗闇を表していて枯野に松の木が一本立っているという風情で、猪は花道から出て下手から上手に向かって、松の木を一周して上手に入るという段取りだったと思います。斧定九郎は驚いて稲邑の裏に隠れて、猪が立ち去ったところでまだ姿を現したところで「パーン」と火縄の音がして定九郎は口から血糊を垂らして苦しもがいた体でバタリと倒れます。そのあと揚幕から花道へ勘平が出てくるという流れです。猪が登場するときの下座のお囃子が「てんてれつく」と呼ばれるものでちょっと滑稽です。
画像の背景ですがちらかっているのがみっともないので「反故代用紙」の「古事記」の柄ので隠しています。これを染料で染めたものを「ぴいぴい」の鞴の繫ぎとして使っています。
今年は催事のスケジュールの前後の変更のため「仁田四郎」や「摩利支天」の他新たな原型つくりをしていたため、ひとまわり前に作った割型を使っての型抜きが後手にまわってしまいました。現在、この「てんてれつくの猪のぴいぴい」と「瓜乗りウリ坊」を作っているところです。
「仮名手本忠臣蔵」のあらすじをやさしく案内しているサイトはこちら(猪は出てきませんが)⇒
舞台の猪のイラストを掲載しているサイトがありました。⇒