本日、浅草橋の「人形は顔が命」の「吉徳」さんへ羽子板市向けの人形を納めに出かけてきました。
その羽子板市は今年も例年どおり12月17日(日)・18日(月)・19日(日)の三日間 浅草寺観音様の境内で開催されます。吉徳さんも露店を出され、その中で拙作の土人形を並べてくださいます。
観音様の境内は古くからご参詣をはじめ人の行き来のあるところで、庶民の文化の展開されてきたところ。その中で今戸焼の土人形(今戸人形)をはじめ「ひねり鳩」とか箱庭細工や張り子人形をはじめ様々な浅草由来の人形玩具が鬻がれてきた舞台でもあり、最古の招き猫発祥の発祥として嘉永5年(1852)の「丸〆猫」(まるしめのねこ)を境内で売る老婆の話や大流行の記録やその実物の存在、描かれた錦絵が示すとおり、本家本元の「招き猫発祥由縁の地」はここ観音様の境内です。
また、「東京風俗誌」の中に描かれている観音様境内で今戸の人形を鬻いでいるおばさんの姿というものも伝わっています。観音様境内の重要文化財に指定されている堂宇のひとつ「六角堂」が昭和の終わりに位置を移動された折、お堂の地面から大量の裃雛が出土した、という話も聞いています。
それと羽子板市以外でも歳の市では今戸焼の恵比寿大黒が鬻がれていたそうです。
そういう歴史の中での観音様の境内という位置と歳の市との今戸焼の人形のつながりを踏まえて、吉徳さんの露店で昔の今戸人形の再現として拙作の人形を並べてくださるという訳でありがたい、かたじけないことです。
今日、お納めの折に吉徳さんの方々と雑談していて、毎度のことなのですが、夢のような話ですが、せっかく丸〆猫の古型を作っているのだから、自分自身がお婆さんの姿(またはパロディーとしての広重の錦絵の西行法師の姿)に扮して露店で「丸〆猫屋さんごっこ」をすることができたらいいな、、、という話になりました。あくまで夢ですけれど、、。
吉徳さんの帰り、毎度のことですが、雷門と観音通りの角の羽子板市の絵ビラを撮影してきました。
毎年のことながら、9月から12月までの間は特に人形作りで忙しくしていますが、今年は特別忙しい感じで例えが適当かどうかわかりませんが、ハードルの数がとても多かったような気がします。その中でもこの「羽子板市」は自分にとっては「学芸会」「学習発表会」のように特に大切にしたい機会です。はじめに記しましたとおり、この場が歴史的にも今戸人形に由縁の深いところだからです。そういう意味では今回は当初予定して作って出そうと思っていたものが100パーセント納められなかったという残念さを感じています。具体的にいうと「招き猫発祥の地 浅草寺 観音様境内」つながりとして招き猫の数はまあまあたくさん作ったつもりですし、「来年の干支 戌(犬)」ものも3種類作ってお納めしてありますが、その他のもの(狐のいろいろ、今戸人形としてオーソドックスな古典ものなど)まで手が届かなかったという感じがします。「招き猫」と「洋犬」のぴいぴいは途中まで進めて作っていたのですが残念ながら間に合いませんでした。それでも何とか出来上がったものをお納めできたことにはほーっとしています。今晩は久しぶりに十五夜さんと一緒にたっぷり眠ってみようと思います。
羽子板市になると毎度寒さが急に厳しくなる、というイメージのとおり、今年も寒くなりました。お近くの方、お時間ございましたら、羽子板市へお立ち寄りください。何時かわかりませんが、自分でも覗きに行ってみたいと思います。