東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

春吉翁のご命日

2015-02-28 16:58:54 | 日々

今戸焼の土人形(今戸人形)最後の生粋の人形師だった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のご命日は2月29日。今年の暦にはないのですが、例によってご墓
所をお参りさせてもらいました。今日はお掃除したり花をお供えしてお参りさせてもらうなどには絶好の天気でした。1枚目の画像は春吉翁の仕事風景。
今から25年前に春吉翁のお孫さんである武佑さんから複写させていただいたものです。小ぶりの人形(不知火の小?)に彩色なさっているところですが筆を持つ角度が独特です。こうした仕事場の画像は手の使い方といい写っている道具類といい参考になります。

お天気がよかったので、よその家のご墓所にもちらほらお参りされる姿が見られました。

お掃除や供花に使う井戸水です。地下水だから、まさに「今戸の水」です。今度お参りにお邪魔するときには少し水をいただいて帰って、粘土に混ぜて使ってみたくなりました。

久しぶりのハスキー君ですが、カメラを向けたら向こうを向いてしまいました。最近カメラが嫌いになったみたいです。
お彼岸にまたお参りさせてもらおうと思います。

今戸人形 「一文人形?の招き猫」

2015-02-27 23:33:22 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)


郷土玩具にお詳しい方だとそうでもないのですが、「今戸人形」=「一文人形」と思っている方がたまにいらっしゃいます。つまり、今戸焼の土人形は衣装人形とか高級なおもちゃや人形に手を出せない庶民の人形で「一文人形」とも呼ばれた、、。という解釈です。ある程度間違っていないとも言えますが、ちょっとニアピンという感じではないでしょうか。戦前の有坂与太郎の著作などを読んだあとの印象としては、今戸人形自体は衣装人形とか衣装雛とかに比べて購買層を庶民に絞って作られていたとは言えるのですが、大きさの違い、仕上げの違い、手の込んだものなどもあったりで、今戸人形と呼ばれるものの中にも多少のランクがあったのではないかと思います。例えば人形のサイズの呼び方に「中まじり」「小まじり」といったものがあったといいます。浅草の観音様の境内で露天で売られていた時代には半紙を斜めに折った上に、小さめの人形だとたくさん小さな人形が乗って売られていて「小まじり」、それより少し大きな人形だと大きい分数はすくなく乗っていて「中まじり」と呼ばれたそうで、ひとつ売りの場合「小まじり」なら4文だったとか記されています。ただし「大まじり」というものはなかったそうで大きな人形は普通に「人形」と呼ばれていたとか、、、。さらに、ここで登場する「一文人形」は鐚銭一文で売られていたもので小さい上に、焼きが入っていなかったり、せいぜい七厘で焼かれていたくらいなのでひどく脆くてすぐなくなってしまったということです。

ここにとりあげる招き猫2匹ですが小さいです。1円硬貨を一緒に並べてみました。向かって左が高さ2.8センチ。右が3センチ。ただ、自分としてはこれら「一文人形では?」と思っているのですが違うという人もいるかもしれません。戦前の郷土玩具の収集家の膨大なコレクションの一部などが、図版などで紹介されていることや戦前の愛好家によって絵に描かれたものがあり、その中で「一文人形」として紹介されているものには作りが明らかに違う例が混ざっているのです。画像の招き猫のように2枚の割り型から抜き出して成型するもの、泥めんこに似て1枚の型から抜き出すもの。いずれも型から抜き出して成型できるもの。これらは、七輪か何かで火力は弱くても焼きが入っているものがあり、ないものもあるような感じがします。
もうひとつ「一文人形」と記されているタイプは捻りによって成型されているもの。この中には一部型を使って胴体はそろえておいて型からはずしてから手先で曲げたり、ほかのパーツと組み合わせたりして、竹ひごなどを挿して簪に見立てたり、紙片で扇子を切って生のうちに体に挿し込んで乾燥させ、焼かずに胡粉や泥絵の具、染料などで色をつけるというものです。

「一文人形」については改めて記してみたいです。(その上でご存知の方にお教えいただきたいです。)
まずはこれら画像の招き猫も「横座り」で招いていることに「今戸焼招き猫」の典型的な特徴が顕れていると見ていただきたいと思います。
ちなみに向かって右の猫はポーズとしては「丸〆猫」と同じなのですが、型の彫りとしては「丸〆」印は確認できません。でももしかするとまったく同じ型から生まれたもので手描きで「丸〆」と入っているケースも存在するのではないかと空想しています。背面の胡粉の塗り残しすごいですね。「出来について一個一文の人形に注文なんかするな。それは高い人形に対して注文することだ。」なんてやりとり。「西鶴置土産」?だったかにこうした件があったような、、。その分土の焼き色が見えます。火力というか温度が低く生に近い感じがします。左の猫はたぶん1枚型から抜き出したものでしょう。いわゆる「打ち込み」式の成型です。

 

 

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今戸焼(52)箱庭細工の招き猫

2015-02-25 21:48:31 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

今戸焼とひと口に言っても、作られた製品の幅が多く、茶道具等の高級品、素焼きの日常雑器、電気コンロの電熱器のコイル枠とか碍子、もあれば、土人形(今戸人形)、そしてここで画像をとりあげる「箱庭細工」などもあり、隅田川荒川沿岸で窯業が盛んだった頃の土を使っての「ものづくり」渡世の複雑さというものを思わされずにはいられません。「箱庭細工」というのは昔は夏場の涼み半分かなり盛んだったそうで庭の枠とか鉢の中に山だの丘だの川や池を作り、そこにミニチュアの家屋だの動物だの人物を配して楽しむもので、土台部分に粟や稗などの種を播いて発芽させ田圃や草っ原に「見立て」たりもしたとか、、。箱庭細工は素焼き製とか釉薬をかけた楽焼製もあれば、鋳物でできたようなものもあり、素焼き製にも新しいものはペンキで仕上げたようなものもあります。産地も全国に分布していただろうし、特に東では今戸、栃木の佐野の相沢さんも昔作っていたとか、、。西で名古屋の戸部辺り?京都の伏見深草、東山といった感じだったでしょうか。1枚目の画像は3体とも招き猫です。明治くらいのものでしょうか?3匹ともほぼ似た構図、真ん中の子の高さが3.3センチあります。ご覧のとおり2枚の割り型から抜き出したという単純なものではなくて、捻りなんです。捻りで手加減だけで大きさとか規格を揃えるというのはかなり難しいことではないでしょうか。箱庭細工とは別に浅草の捻りの人形というものがあって素焼きされたもの、生土に彩色したもの、釉薬をかけた楽焼風のものなどあり、成型する工程については同じような手間だと思います。

↑向かって左横(猫さんたちにとって右)から見たアングル。

↑向かって右裏(猫さんたちのとって左裏)からのアングル。
ほぼ同じ大きさ、規格を揃えるためには接合するパーツの加工でサイズをそろえたりする秘伝とか量る方法とか型とかがあり、パーツを揃えてから接合するのだと思います。これらの猫さんたちの材料となっている土は隅田川荒川流域の土、、学者の先生がいう「江戸在地系」の赤い天然土ではなくて、おそらく中京か京都方面から取り寄せた白い土のようです。そしてその上に「白化粧土」をかけて下絵の具で彩色して「有鉛透明釉」をかけて焼いてあるようです。
「有鉛釉」は江戸の今戸人形のなかで「舐め人形」といわれた施釉人形によく使われていたもので、子供が口に入れたり、舐めたりしても絵の具が溶けて
色落ちすることがない、ということで歓迎されていたようですが、実は人体に毒だということがわかって明治の半ば「太政官令」で人形や玩具に使うことを禁止された素材のひとつです。画像の猫さんたち、ところどころ「銀化」してみえますが、これは鉛のせいです。

今戸の箱庭細工に関しても画像のようなものばかりではないのです。いろいろ作者があり、使う土も隅田川荒川の焼くと赤くなる土を使っているものもあります。また上手下手のランクもあり上手のものは取り寄せた白くて粘りのある土で、細かい細工で明治以降海外に輸出されていたそうです。
最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年から昭和19年)は明治の末、今戸人形が売れなくなって、箱庭細工に転向していた時期があり、その作品が浅草橋「顔が命の 吉徳さん」でお取り扱いがあったそうです。
吉徳さんのHPには保存されている貴重な人形や玩具の資料を紹介されているページがあり、その中に上等な箱庭細工も紹介されています。

「吉徳これくしょん」のサイトはこちら→
吉徳これくしょんの箱庭細工は高級品で、これらの中におそらく尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作も含まれているのではないかと思っています。
 
 この記事での猫さんたちは土は白いですが上等なものではないでしょう。といって最低のランクでもなさそうな。何よりここでご紹介した一番の味噌が招き猫のポーズです。もうおわかりだと思いますが、正面招きではなく、横座りで招いているということ。これらを作った箱庭細工屋さんたちはこのブログで「今戸人形」としてご紹介しているスタンダードな2枚の割り型からの「土人形」を作った人たちとはちょっと違った職分ではないかと思います。もしかすると焼成窯を持たず、七輪で焼いていた人たちに近いのかもしれません(推量であって断定はできません)。そういう畑の人たちにとっての招き猫のポーズも「横座り式」だったという認識を示す物証のひとつとしてご覧いただきたいと思います。今戸の招き猫の「横座り式」は古い様式で「正面招き」は西からの招き猫が流入したあとの影響下に生まれたものだと思います。「尾張屋さんの招き猫の貯金玉」、「寺島・高野安次郎の招き猫の貯金玉」
などの今戸焼の「正面招き」の作例は西からの影響のあった明治後半以降のものではないかと思います。

追記:この記事冒頭の今戸焼で作られた製品の幅の広さとともに作る製品によって材料となる土が昔から使い分けられていたことも記しておきたいと思います。お茶道具系のものには白い土が使われたことが多く、植木鉢、焙烙、貯金玉、などは地元の焼くと赤くなる土でした。いわゆる「今戸人形」「今戸焼の土人形」には地元の土が使われ、この記事のような「箱庭細工」には白い土の場合と地元の土の場合があり、その延長線上に鳩笛などでも施釉の場合白い土が使われる例を確認しています。おおざっぱに言えば、釉薬をかけない素焼きの人形には地元の土を使うという不文律のようなものがあったのではないかさえ見えます。しかし最近驚いたのですが、現在今戸焼として製作、販売されている人形の中に素焼きなのに白い土のものがあったのにはびっくりしました。♪まわるよ まわるよ 時代はまわる~♪♪♪

豪徳寺の招き猫(続)

2015-02-23 22:00:18 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

昨日の記事「豪徳寺の招き猫」でとりあげた3枚目の画像です。昭和53年刊「ガラクタ百科・身辺のことばとそのイメージ」(石子順造 著・平凡社)からの画像の一部ですが、やっぱり3体並んでいる招き猫のうち真ん中は常滑産。そして右の豪徳寺の招き猫、左の今戸の白井さんの招き猫。形状的にとてもよく似ているので兄弟ではないか、と記したのですが、よりビジュアル的に比較検証してみたいと思います。まず1枚目の画像は昨日の画像3枚目と同じです。こも画像のページにはたくさんの招き猫が同一画面に並んでレイアウトされている中の一部です。ただ、よく見るさまざまな猫が並ぶよう大きさを縮小拡大して並べてあるようで、例えば真ん中の純常滑の猫の撮影されている角度はやや見上げて撮った感じで床と猫との接する面が水平に近い感じです。しかし右の豪徳寺と左の白井さんの撮影角度はやや上からで床との接する角度は大雑把に同じくらいです。実際に大きさが揃うようにしてありますから実物の大きさは実際違うかもしれませんが、今と違って昭和53年だと特別な表現として画像を加工することもないと考えられるので実物の大きさが違っていてもプロポーションは比較できそうです。

まず気になる白井さんのと豪徳寺のを白黒コピーにかけアウトラインに沿って切り抜いてみました。そして蛍光マーカーで白井さんは縁結びのピンク、豪徳寺はそよ風のブルーに塗って色分けしてみました。ふたつの猫の向かって左側、つまり猫にとって右足から招いている右手のわきの下から腕の付け根にかけてほとんど近いラインなので「縁結びピンクの白井さん」と「そよ風ブルーの豪徳寺」とを向かって左(猫にとって右)の足から腕にかけてのラインを基準に交互に重ねてみました。

まずは白井さんが上(縁結びピンク)、豪徳寺が下(そよ風ブルー)

次に豪徳寺が上(そよ風ブルー)、白井さんが下(縁結びピンク)
白井さんのほうがちょっと招く手が長いとか豪徳寺のほうが耳が長いとか末端的な違いがありますが、こんなに重なっているって偶然とは考えられないのでは????他人のそら似とは言えないのでは???? 「♪親の血をひく兄弟いい~」????、、。

今度はカラーコピーしたものを切り抜いてみました。そして白井さんのは目の位置を高く描いているので切り貼りで下に移動させてみました。もうっちょと下げたほうがよかったかな?アウトラインはいじっていないので両目を下に描いたとすれば、より近づいた感じしませんか?

今度は仲良くくっつけてみました。片方だけ鈴を紐で通してますが、、。(ひとりだけズルイ?)

仮に豪徳寺風に鼻の頭をピンクにしてみると、、、。

また元に戻って昭和53年以前の白井さん同士をくっつけると大人気「縁結び招き猫」の出来上がり。「♪ああー 日本のどこかにぃ~私を待ってる人がいるう~♪」→→神社で合コン→→白山様のご利益→→「♪愛あなたとふーたりい~♪」
現在のは磨耗してもっと丸くなっているのでは、、。

ついでに豪徳寺同士をくっつけてみました。これ豪徳寺でもヒットするのでは、、?ご利益ありそう、、、「縁・む・す・びぃ!」。
まあいろいろ試してみましたが、元の写真の白井さんと豪徳寺は撮影の上下の角度はほぼ同じくらいとして左右の向きは微妙にずれて撮影されているとしてもプロポーション的にはこんなに重なるというのは他人のそら似とは考えられない、、。「♪兄弟船は~熱いこの血はヨ~オヤジ譲りだぜ~♪」

ついでにちょっと余興に、、。こんな縁結び招き猫はいかがでせうか?

↑何だか怖い!!ドッペルゲンガー丸〆猫。「ばちが当たりそう??」

気を取り直して眼の位置を下げて、眉を隠して、。

仲良くくっつけて。(眉を隠すのにちょうどいいトーンの紙がなくて残念。)
こまどり姉妹。。。 リンリンランラン留園♪♪♪

「豪徳寺の招き猫①」へ→

うれしい景色

2015-02-23 21:17:39 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

今日は日中暖かかったですね。昨日の寒さとはがらりと違うんで、歩いていても上着を脱いだりしても汗ばむようでした。でも夕方になって空がどんよりしてきて雨になりました。体の調子が余計悪くなりそうです。さて今日は通院のついでに浅草の某店に頼まれた人形を納めてきました。その帰り三社様裏手の被官稲荷様にお参りしてきました。実はつい先日遅れていた鉄砲狐の2回目のお納めを済ませたのですが、その折お参りしたところちょっとうれしかったので今日もお参りさせてもらいました。

例によって奉納された鉄砲狐たちの祠です。

これまでも経過として何度も撮影しブログにもアップしている景色なので定点観察みたいですが、拙作の狐の割合がかなり高くなっています。実は先日のお納めの際には山手線状態で溢れるくらいぎっしりだったのですが整理されたのか、すっきりしていますが正直うれしいです。3度目のお納めめざして頑張ります。

これまでの経過については「仕事場」のカテゴリー記事を遡って観ていただくと幸いです。

※先日の記事にも記しましたが、私のHPのほうのサーバーが間もなく廃止されるため新しいサーバーへ引越ししています。
移転先のURLですがhttp://imadoki.server-shared.com/となりますこちらからアクセスへご協力お願いいたします。→

豪徳寺の招き猫

2015-02-22 00:47:39 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

 つい先日豪徳寺の「東肥軒」さんをお訪ねした記事をアップしたばかりなのですが、「豪徳寺の招き猫」として門前で鬻がれていたという招き猫は世の移り変わりととも仕入れていた産地も変遷して新旧さまざまなものがあったのだろうと思われます。ここでは手元にある画像のうちすぐ出すことができたものをご紹介するのみで、まだまだこぼれているものはたくさんあるのではないかと思います。
 最初の画像は昭和53年刊「ガラクタ百科・身辺のことばとそのイメージ」(石子順造 著・平凡社)の1ページ、刊行された当時あるいはそれ以前の豪徳寺で撮影された画像だと思います。昭和53年といえば当時私は高校2年生で毎日「明大前」まで通学していたので、豪徳寺の近くにいたんですね。(感慨)
 最上段に明らかに常滑産らしき瀬戸物屋でも売られていたタイプの大きな猫さん(これは特に進化して頭と胴のプロポーションがデフォルメされたもの?自分が小学4年生の頃、つまり昭和48年頃、浦和の瀬戸物屋で見たものと同じで、テグスのヒゲが植えられています。)が写っていますが、その周りに写っている大小の猫さんたちは大きく分けて「首輪に鈴玉」タイプと「首輪によだれかけに鈴玉」タイプの2つがあったことがわかります。しかも後者のタイプは大きなひとつのサイズに限られているようです。前者は大から小までさまざまなサイズがあり、現在のものにつながるタイプのようですが、現在のものが全体的にマットな仕上がりなのに比べると常滑産のものに似て、つやがあります。現在のものと実際並べてみないとわかりませんが(豪徳寺の招き猫は自分で持っていないので)現在よりも常滑産に近い感じがするのですがどうでしょうか?

 さて2枚目の画像は昭和10年刊「郷土玩具大成・第1巻・東京篇」(有坂与太郎 著・建設社)の中の「招猫」と題してまとめられた記事の画像で一番左は浅草被官稲荷の招き狐、前列のふたつは今戸の尾張屋春吉翁のお作りになられた丸〆猫(小)の座り姿と臥姿の一対です。そして後列の二体が「豪徳寺招猫2種」と記されています。
 本文中に「なほ、現在、招猫を特別に販売する個所は、世田谷区世田谷町に在る豪徳寺門前で、此処には土製と陶製と二種あり、前者は前面に招福、後者は同じく丸に招と記されている。」とあります。(少なくとも昭和10年以前までは仕入れる産地が異なっても胸に「招福」か「丸に招」と入れるのが豪徳寺招き猫の特徴のひとつだった?)
 真ん中のが陶製つまり「かんかん人形」で瀬戸辺り?右端の太った「招福」と書かれた猫は鈴を紐で通してあるのは、大正ころ深川門前仲町で丸〆猫をもじって売られていた「¬〆猫」(かぎしめのねこ)のひとつのタイプと共通するところで(「¬〆猫」の画像として紹介されているのは首輪も鈴玉も型の彫りとしてできているタイプのほうが知られていると思います。)、京都辺りの産ではないかと思いますが如何でしょうか。時代が下って昭和の戦後30年代終わりころから人形つくりをはじめた今戸の白井さんはおそらくこうした先例から鈴をリリアンや紐で通すヒントを得たのではないかと思うのですが、、。

 画像3枚目は1枚目と同じく昭和53年刊「ガラクタ百科・身辺のことばとそのイメージ」(石子順造 著・平凡社)からの画像の一部です。3体並んでいる右は豪徳寺の招き猫。中央は常滑産の招き猫。左端は今戸焼の白井さん作。
 こうやって並んでいる画像を見て改めてよく似ていると思います。(片や招く右手が頭から離れ、もう片方のはくっついていますが、これは割り型のやり方でどうにでもできそうです。離れているほうが技術的には面倒ですが、バリを削るか否かくらいの差ではないでしょうか?又鼻と鼻梁辺りのモデリングは片方の型の彫りが甘くなっているという程度の差ではないでしょうか。甘くなっている顔の造作の上に描かれた目の位置がずれているのがちょっと違って見える程度?両耳の間の谷間は深いほどバリ取りが面倒なので、谷間を埋めて浅くしたほうが楽なので割り型を作る時に意図的に浅くすることはできそうです。向かって右側の耳先から首、首から肩にかけての稜線は割り型の前後の合わせ目の位置のつけ方やバリの取り方により変わるものだとも考えられます。)
 1枚目の画像から受ける印象から自由に空想させてもらえば現在の豪徳寺の猫の母体は常滑系にあり、3枚目の画像の印象からは造形的にモデリングは今戸の白井さんの招き猫と豪徳寺の招き猫はどちらが「兄か弟か」或いは「母か子か」「卵が先か鶏が先かの関係」のようで、どちらにしても(異父兄弟として)常滑系から生まれたのかもしれないと考えることができるように思います。ちなみに地下鉄のポスターで大ブレイクしている白井さんの2連招き猫(今戸神社の縁結び招き猫)は画像3枚目の招き猫をもとに作られているので!!!そうか「常滑亜系」の招き猫だったのか!!!と感慨に耽っています。因みに1枚目と3枚目の画像は昭和53年以前のものなので、それ以降の豪徳寺と白井さんそれぞれ更に進化して分化していると言えるのではないでしょうか。(分化には意図的な進化と型の磨耗による変化の両方の要因が考えられ、たとえば浅草被官稲荷の鉄砲狐を白井さんが作っていた最末期のものは型の磨耗の夥しいものでした。)
 先日再現してみたいと書いた豪徳寺の招き猫の画像がまだみつかりません。はやくみつけて、できれば所蔵されている方を探して参考にさせてもらいたいなと思う今日この頃です。

 招き猫から離れてしまいますが、上記の石子順造さんの著作を全て読んだわけではないのですが、庶民生活のなかの聖と俗悪のはざまに関するテーマの文章がとても面白く、上記「ガラクタ百科」と並んで「小絵馬図譜」(芳賀書店)の文章など読んでみて痺れます。

※この記事の豪徳寺の猫は今戸焼ではないのですが、便宜上「今戸焼招き猫」のカテゴリーでとりあげてみました。

「豪徳寺の招き猫(続)」へ→

HPサーバー移転のお知らせとお願い

2015-02-20 18:42:16 | 日々

どうもついていません。
昨年秋の当ブログの引っ越しに続いて、HP「東京の土人形 今戸焼?! 今戸人形? いまどき人形」のこれまでのサーバーだったOCNの"Page On"がもうすぐ閉鎖されてしまうのに伴い、HPも引っ越さなければならず、すでに他のサーバーへの移転はされています。検索エンジンなどでのヒット順位はかれこれ何年もの間みなさまによってアクセスいただいた結果から維持していただいているもの???と思っていますが、前のサーバーが廃止されると同時にアクセスいただいた実績は消えて無くなり、新サーバーは0からのはじまりになってしまうように理解しているのですがどうですか?インターネットを利用していながらこういうシステム的なこと、技術的なことには疎いので困っています。既に移転しているHPと前のサーバーでのHPが現在並立しているようなのですが、現在検索でヒットしやすいのは前のURLですが、廃止されてしまえば、どこかすごく後ろに消えてしまうのではないかと思います。そこで試し?というべきか新サーバーのURLへ今のうちからアクセスしていただくことにご協力いただけないかお願いしたく思います。

移転先のURLですがhttp://imadoki.server-shared.com/となりますこちらからアクセスへご協力お願いいたします。→

お手数おかけしますが何回もアクセスしていただくことで、前のサーバー廃止直後にどういう風になるのかわかりませんが、もしかしたら事前にアクセスいただくことで最悪のどん底まで落ちることを避けられたらうれしいです。こういう方面のことについてお詳しい方お知恵いただけるとありがたいです。
なお、HPの内容ですが、最近画像が抜けて流れていたり、型枠が崩れているページがあったりと調子がよくないのですが、いきなりは無理でもじっくりリニューアルできないかと考えています。HPの新URLへのたくさんのアクセスのご協力よろしくお願いいたします。

包む

2015-02-16 00:18:40 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

故障して修理に出していたパソコンがやっと復旧。インターネットやメールの受信もできるようになりました。
この前の記事はインターネットカフェで更新したものですが、新しい画像のアップが難しかったので今日からやっと望みが叶います。
さて、浅草神社(三社様)裏手の「被官稲荷」(被官さま)の鉄砲狐の2回目がやっとできあがり、包む作業をしています。

自分の場合、出来上がった人形は通常透明なセロファン袋で包んでいます。例外的に、これら被官さま向けの鉄砲狐は「薄葉紙」(うすようし)で包み、輪ゴムで仮どめしています。ちり紙だと彩色と擦れて色移りしてしまうのが心配なので、この「薄葉紙」のすべすべの面が人形に当たるようにして包むのです。

ご存じのとおり鉄砲狐はヒゲのあるのとないのとで2体ひと組になるので、一枚の「薄葉紙」で2体が喧嘩しないように包みます。2枚目の画像で、スペースに困っているのがありありではないでしょうか。平らな作業面がないので膝の上で包んでいるのです。
2体を包んで輪ゴムをかけた状態になると中に狐が入っているとは見えませんね。中に和菓子か何か入っているように見えませんか。

こうやって組にして包んだものを貯めていっぱいになると青いコンテナに移します。

明日にでも連絡をさせてもらいOKをいただければ段ボールに詰め替えてお納めに出かけます。

この一対の狐さんの面描き、我ながら結構悦に入っているんです。筆の穂先の入り方と離し方、中央部分の三角眼的な厚み、、昔の今戸っぽい感じが出ているような気がするので♡るんるん♡になっています。

カタログはありませんか?

2015-02-08 19:12:14 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)


以前からメールでのお問い合わせで作っている招き猫のカタログはないか?といった内容のご質問をいただくことがありまして、その都度HPで画像を観てくださいといったお答えしかしていなかったのですが、最近HPの調子がよくなく、アップした画像が消えてしまっていたり不便をおかけしています。HP自体もこれまで利用していたOCNがもうすぐ廃止されてしまうので、他所へ引越しをしなければならなくなりました。人一倍不器用なので、今後引越しのあと少しずつリニューアルしなければと思っています。
さて、カタログ的なものですが、いずれHP上か当ブログの記事としてアップしたいと思いますが、すぐにきちんとした体裁のものとなると厳しいです。これまでの記事に使用した画像ならばすぐにもアップできるので暫定的にここに貼り付けておきます。
画像1枚目
左から①招き猫貯金玉(寺島風)(H11.5cm)、②招き猫のぴいぴい(H8.8cm)、③招き猫の火入れ(H17cm)、④招き猫貯金玉(尾張屋風)(H10cm)、⑤招き猫貯金玉(不詳)(H センチ)
画像2枚目
左から(狐類は除く)①招き猫貯金玉(不詳)(H cm)、②左招き猫(よだれかけ・小)(H cm)

画像3枚目
左から手前①丸〆猫(尾張屋風・臥)(H3.5cm)②丸〆猫(尾張屋風・小)(H4cm)、後列③丸〆猫(昭和戦前型)(10.5cm)④丸〆猫(嘉永安政風)(H10.3cm)⑤丸〆小判猫(H5.8cm)

画像5枚目
左2列 丸〆猫(昭和戦前型・青・蛸足しぼり)(H10.5cm)

作っているものでこれらの画像に写っていないものがあるので、今後改めて紹介させていただきます。

 

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搬入

2015-02-03 23:02:00 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)


やって来ました東京駅丸の内北口前。昼間よりも夜のほうが改修された駅舎の重厚さが感じられますね。それにしても丸の内付近の景色の変わったこと。東京生まれ東京育ちでいながら「おのぼりさん気分」になります。荷物が重いので家からタクシーで来たのですが、今日は不思議なことに道も街も夜中のように空いているという感じ。渋滞の微塵もありません。そして静かです。「節分」と関係あるのでしょうか。

会場の「丸善」へ、、こんなになっているのも知らなかった、、。こういう機会でもないと来ることないですね。4Fのギャラリーへ行き早速荷物を開き、ご用意いただいたスペースに乗せてみました。

何を持って行ったかバレバレなんですが、係の方に確認していただいて、後はレイアウトはおまかせでお願いしてきました。周りの出品者の方々のスペースをじっくり観たわけではないんですが、どちらもすっきりとしたハイセンスなムードの展示の中、自分の島だけ「バナナの叩き売り」みたいな雰囲気?アチャー!!!という感じですが、よくよく考えてみるとそもそもの今戸人形の鬻がれ方というのは、観音様の境内の露店で並べられて売られている絵も描かれているくらいなので、こうした屋台のような「ごちゃごちゃさ」はムードとしては間違っていないのかも?と独善的に考えてみました。
担当の係の方にお願いしてきたので、明日の開場のときにはもっとすっきりしているかもしれません。
お近くにお出かけの方、どうかお立ちよりくださいませ。
それにしても、ひとつ片付いたような気分でほーっとしました。
今日はたっぷり寝たいと思います。明日からはまた鉄砲狐を塗ります。

 

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担ぎ棒

2015-02-03 04:17:20 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

うっかり忘れていました。土神輿に挿しこむ棒が足りない。そこで急いで竹串を切って削って色を塗りました。「顔が命の吉徳」さんには天保3年に記された「玩具聚図」という人形玩具の配色手本が残されており、その中にこの土神輿の配色が描かれているのです。また最後の生粋の今戸人形製作者であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)がお作りになった土神輿が残っており、本体と鳳凰部分は手本の配色と同じです。春吉翁作の土神輿にはかつぎ棒はついていないように思いますが、手本には記されているのでやってみました。

京都の伏見人形にも土神輿はありますが、考えてみるとぶつけたり落としたりすればすぐ割れてしまう素焼きで神輿を作るという発想が不思議です。ただ昔は伏見人形だったら、「割れてももとの伏見の土に帰る」といわれたそうですし、今戸では「割れると子供の疳の虫が切れる」といわれたそうで、壊れてもったいないという感覚よりは前向きな縁起をかついでいたでしょうか。
我ながら「ハハ呑気だね♪」です。もう今日の内には搬入しなければならないのでこれから寝ます。おやすみなさい。

金紙

2015-02-03 03:46:01 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

人形本体はほとんど終わったので昨夜は9時で切り上げ、銭湯で体をほぐして1:00には床につきました。6時間は眠れたと思います。銭湯のせいか体の疲れが素直に痛みに出た感じですが、行っただけよかったです。今日は付属的なものでまだなもの、そしてできたものには緩衝材で包むなどしました。ちょっとこだわるものが発生したのでその分今日はまた遅くまでの作業になりました。
金紙でお猿さんに持たせる御幣をつくるのですが、以前からいい感じの金紙がみつからないなと思っていました。近所の文房具屋さんを何軒かまわってみたのですが、やはりイメージのものがない。おそらく今日ではもう生産されていないのではないか?ということで仕方なく古い再生紙に自分で真鍮粉を塗って使うことにしたのです。つなぎにはアラビア糊ときはだ(黄柏)の煮出し汁を混ぜて塗っては乾かしで5回くり返しました。そしてハサミを入れ、折り目をつけ竹串に挟んでという具合の画像です。


最後に水引でしばって出来上がりです。

そうしてお猿さんに持たせて出来上がりました。戦前、今戸の市川梅次郎というお爺さんが作って柴又帝釈天門前で鬻がれていたという「御幣猿」です。

金紙だけではなく、折り紙用の色紙も自分の子供時分にあったような質感のものはもうないようです。幼稚園や小学校で鎖飾りを作るのに糊で貼り合わせようとすると紙を染めている染料が手にくっついて嫌でしたが、あの赤の独特な質感は今日の色紙には残っていません。どっちが良いかは人それぞれの好みですが、自分としては昔の色落ちする色紙にエスニックなものを感じます。今の金紙はつるつるのコーティングされてぴかぴか過ぎます。昔の(おそらく戦前くらいまでの金紙は時間を経て真っ黒になってしまうような質のものでした。自分で塗った金紙も後にどうなるでしょうか。

どたばた→へとへと

2015-02-01 11:46:34 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)


ゆうべの仕事場。急く気持ちに手が追いつかずまた朝5時までのノンストップ。このところこういうパターンが続いているので寝不足でへとへと。あくびばかり出て涙がうるうる。腰も崖っぷち状態。夜中ラジオを聴きながらの作業は集中できてそれなりに楽しいですが、今は早く仕上げて思いっきり眠って、銭湯でジェットスリムバスや電気風呂でじっくりとガチガチになった体をリラックスさせたいという気持ちばかりです。

ぴいぴいは鞴もやっとできて人形本体を固定させるところまで進みました。あとは板部分の彩色だけ。まだやり残しているのは一文雛の台と小さい座猫の彩色と御幣猿に持たせる御幣作りとおかめの火入れへの蛸足しぼり模様を入れるくらいのような、、。
とにかくついに2月に入ってしまったので今日中にやり残しを片づけて終われば、明日中に荷造り、あさって搬入という段取りのめどはつきます。
今晩こそは銭湯に入って早くたっぷり睡眠をとりたいというところです。家で待ってくれている十五夜さんも毎朝帰りが遅かったので悲しそうな顔で迎えてくれていました。

 

 

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