昨日の品川千躰荒神さまの帰り道、東海道から海晏寺に直角のびる道端に蔵造りのお稲荷さんがあり覗いてみました。「幸稲荷」とあります。お賽銭をあげてうす暗い内部を覗いたところ、すぐにも掛けられる状態になっている「地口行灯」がありました。いくつかあるのですが置いてある向きのため全体は見えません。
しっかり見えるのはこれひとつ。上の赤と紫の染料で描かれた「甕垂れ」の上に書かれた「たこさげのばあさん」→元句はおそらく「たかさごのばあさん」(高砂のばあさん)でしょうか。
こうした言葉のダジャレ遊びを「地口」といって江戸や関東近県、関西でも行われていました。元の言葉は有名なことわざや芝居のセリフ、だれでも知っているような固有名詞だったりで、その音感で違う言葉に替えて下にはその様子を滑稽に描いた簡略なパターンの絵を描き、染料で着色します。江戸の市中では初午、二の午の稲荷祭りのお稲荷様の境内だの玉垣だの参道に柱を建て、木枠の三面(正面と両脇)に絵や言葉を貼って、中に灯りを入れて飾ります。もともとは手作りして楽しんだのでしょうが、正面の地口絵は年中行事に関わる際物を作って生業とする人々の手によって描かれるものが少なくありません。
若い頃、地口を生業で描いている人々に興味を持って、市町村の教育委員会などに電話と問合しては出かけ歩いた時期がありました。絵馬屋さん、提灯屋さん、人形屋さん、ペンキ屋さん、看板屋さん、傘屋さんで描いて貯めて時期のなると売り出すというパターンが多いと思います。現在でも有名なのは千住の絵馬屋さんと南千住泪橋の大嶋提灯屋さんですね。それと昔は江戸凧で有名な東上野の橋本禎三さん、龍泉の絵師 今井竜谷さんがいました。うちの近くの滝野川の「ビラ武」さんも描いてました。あとは練馬貫井の「国華堂提灯屋」さん。多摩や埼玉のほうにも作者がいて、所沢の東町の人形屋さん、久米川の「花火屋人形店」さん、国立谷保の作者、川越の「津知屋提灯屋」さん、加須の「井上傘屋」さん、市川の提灯屋でも描いていました。自分で探して知ったのはこれくらいですが、昔はもっとどこでもあっただろうと思います。
江戸の市中の行灯の言葉ネタと多摩、埼玉方面はちょっと違っていて多摩、埼玉の行灯には地口ではなく、川柳を使うことが多いのと、多摩、埼玉の方面は2月の稲荷祭りのほかに夏祭り、秋祭りに飾るということが多いようです。
今でも江戸近辺では昔ながらに行灯を飾るところがありますが、稲荷祭りで一番盛大なのは、浅草の千束稲荷ではないでしょうか。あと常時ですが浅草の伝法院通りに巨大な地口行灯風の街灯がかかっているのでご存知な方もいらっしゃると思います。歌舞伎座の2月興行でお稲荷様中心にロビーに地口行灯が並びます。
「子犬竹のぼり」→「鯉の滝のぼり」 「呑む大酒三升5合」→「南無大師遍照金剛」 「狐玉のむ」→「狐忠信」 「狐鱈のむ→狐忠信」 「提灯ぶら」→「忠臣蔵」「梅づらしいお客」→「お珍しいお客」 これら絵が一緒に描かれてないとおかしさが効かないんですが、、、。
生業に描く家には「絵手本」というものがあって。それを手本に描きます。また同じネタでも家によって共通点もあれば違いもあって面白いもんだなと思っていました。
画像の「たこさげのばあさん」の絵は滝野川の「ビラ武」さんで描かれたものだと思います。「ビラ武」さんもいつの間にかお店のあったところがなくなってしまいました。それでも人知れず品川で飾られているのは楽しいです。
初午、二の午で地口行灯を飾っているところの全貌はわからず、案外まだ盛んにやっているところもあるのではないかと思います。