東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

地口行灯(じぐちあんどん)

2018-01-31 22:25:53 | 日々

 昨日の品川千躰荒神さまの帰り道、東海道から海晏寺に直角のびる道端に蔵造りのお稲荷さんがあり覗いてみました。「幸稲荷」とあります。お賽銭をあげてうす暗い内部を覗いたところ、すぐにも掛けられる状態になっている「地口行灯」がありました。いくつかあるのですが置いてある向きのため全体は見えません。

 しっかり見えるのはこれひとつ。上の赤と紫の染料で描かれた「甕垂れ」の上に書かれた「たこさげのばあさん」→元句はおそらく「たかさごのばあさん」(高砂のばあさん)でしょうか。

 こうした言葉のダジャレ遊びを「地口」といって江戸や関東近県、関西でも行われていました。元の言葉は有名なことわざや芝居のセリフ、だれでも知っているような固有名詞だったりで、その音感で違う言葉に替えて下にはその様子を滑稽に描いた簡略なパターンの絵を描き、染料で着色します。江戸の市中では初午、二の午の稲荷祭りのお稲荷様の境内だの玉垣だの参道に柱を建て、木枠の三面(正面と両脇)に絵や言葉を貼って、中に灯りを入れて飾ります。もともとは手作りして楽しんだのでしょうが、正面の地口絵は年中行事に関わる際物を作って生業とする人々の手によって描かれるものが少なくありません。

 若い頃、地口を生業で描いている人々に興味を持って、市町村の教育委員会などに電話と問合しては出かけ歩いた時期がありました。絵馬屋さん、提灯屋さん、人形屋さん、ペンキ屋さん、看板屋さん、傘屋さんで描いて貯めて時期のなると売り出すというパターンが多いと思います。現在でも有名なのは千住の絵馬屋さんと南千住泪橋の大嶋提灯屋さんですね。それと昔は江戸凧で有名な東上野の橋本禎三さん、龍泉の絵師 今井竜谷さんがいました。うちの近くの滝野川の「ビラ武」さんも描いてました。あとは練馬貫井の「国華堂提灯屋」さん。多摩や埼玉のほうにも作者がいて、所沢の東町の人形屋さん、久米川の「花火屋人形店」さん、国立谷保の作者、川越の「津知屋提灯屋」さん、加須の「井上傘屋」さん、市川の提灯屋でも描いていました。自分で探して知ったのはこれくらいですが、昔はもっとどこでもあっただろうと思います。

 江戸の市中の行灯の言葉ネタと多摩、埼玉方面はちょっと違っていて多摩、埼玉の行灯には地口ではなく、川柳を使うことが多いのと、多摩、埼玉の方面は2月の稲荷祭りのほかに夏祭り、秋祭りに飾るということが多いようです。

 今でも江戸近辺では昔ながらに行灯を飾るところがありますが、稲荷祭りで一番盛大なのは、浅草の千束稲荷ではないでしょうか。あと常時ですが浅草の伝法院通りに巨大な地口行灯風の街灯がかかっているのでご存知な方もいらっしゃると思います。歌舞伎座の2月興行でお稲荷様中心にロビーに地口行灯が並びます。

「子犬竹のぼり」→「鯉の滝のぼり」 「呑む大酒三升5合」→「南無大師遍照金剛」 「狐玉のむ」→「狐忠信」 「狐鱈のむ→狐忠信」 「提灯ぶら」→「忠臣蔵」「梅づらしいお客」→「お珍しいお客」 これら絵が一緒に描かれてないとおかしさが効かないんですが、、、。

 生業に描く家には「絵手本」というものがあって。それを手本に描きます。また同じネタでも家によって共通点もあれば違いもあって面白いもんだなと思っていました。

画像の「たこさげのばあさん」の絵は滝野川の「ビラ武」さんで描かれたものだと思います。「ビラ武」さんもいつの間にかお店のあったところがなくなってしまいました。それでも人知れず品川で飾られているのは楽しいです。

初午、二の午で地口行灯を飾っているところの全貌はわからず、案外まだ盛んにやっているところもあるのではないかと思います。


お札をもらいに、、、。

2018-01-31 00:33:32 | 日々

 お昼過ぎの東海道。品川の千躰荒神さまへお札を貰いに出かけてきました。荒神様の大祭は3月と11月で、11月に出かけるつもりだったのが作業が山積してお参りできず、また暮れから正月にかけて、窯の不調でお参りできませんでした。先日やっと窯入れ再開に漕ぎつけ、晴れて荒神様へお参りに行きました。火や水を司る神様ですから、鍛冶屋さんとか家庭の台所、竈などの守護をお願いします。直火ではありませんが陶芸窯のためにも安全をお願いします。

 平日の昼間なので境内はひっそり。お札をいただいて、ついでに大井町の駅まで帰り際歩いてきました。

 荒神様の並び東海道沿いの品川寺。

東海道から直角につながる角にふたつの石塔。ここから「海晏寺」の参道に入るようですが、「海晏寺」の現在の山門まで京急の高架や第一京浜を超えて結構距離がある感じですが、昔の地図ではもうここは境内だったのでしょうか。

 海晏寺の門。「あれ見やしゃんせ海晏寺 ままよ 龍田が高尾でも およびないぞえ 紅葉狩り」という江戸端唄に出てくる紅葉の名所だったところ。

「立田川」も「高尾」も紅葉では「海晏寺」には及ばないという唄なんですが、境内に入ってみて案外紅葉の木が見えません。

 本堂の裏手の植え込み僅かに見えましたが、、。この奥は檀家さんの墓地になっていて一般は入れなさそうなのでよくわかりませんが、紅葉はあんまりなさそうな感じ、、。おそらく震災とか戦災とか歴史を通して新たに整備されているんでしょうか。でも境内にはいろいろ気になるものがありました。

 海晏寺よこの「仙台坂?」を登って高台の上までの途中、土中から赤貝とかきしゃご貝とかに混じって染付の破片とかガラスのおはじきが飛び出しているところがありました。

 仙台坂の上の交差点にある伊達藩ゆかりの仙台味噌の醸造所。いい感じです。ここから大井町駅に向かって商店街あり、路地あり探検のように歩いてみたんですが、いい感じの密度が濃いというか、、。

 昭和。看板建築の木造モルタルの家ですが軒下ぎりぎりまで窓の桟なのが面白くありませんか。

 お昼を青物横丁で済ませてしまったんですが、ちょっと覗いてみたい、食べてみたいような店とこの雰囲気。猫さんも出てきます。

路地の突き当りにあるお稲荷さん。つまらないかもしれませんが、ひとり痺れてしまったのが、排水用の鉄格子の蓋。お稲荷さんだから赤?

 仙台坂の上から大井町駅までをちょろっと歩いただけですが、いい感じな街並みもいいですし、古本屋さんも2軒みつけました。

このあと大井町線で二子玉経由で高津のほうに行きたかったんですが、考え直して品川区の歴史館というところに寄って帰宅しました。

 東京生まれ東京育ちですが、城南地域といいますが、品川とか荏原とか池上とか京急沿線もあまり来たことがありませんでしたが、まだまだおもしろそうなものがいっぱいありそうです。

 

 

 


窯出し(無事焼き上がりました。)

2018-01-28 01:11:41 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 昨日電気工事屋さんにブレーカーを取り換えてもらい、制御器のランプに再び点灯したので窯詰め素焼きに稼働させていた古いほうの窯ですが、炉内の温度が40℃まで下がったところで蓋を開け、中身を見ています。無事素焼きできています。

 上の棚板には、大晦日の装束稲荷向けに進めていた「招き狐」。下には「丸〆猫」のいろいろや、一文雛、犬などです。昨年末のクリスマス頃以来の窯出しです。一か月のブランクですが、古いほうの窯自体には問題がなく、ブレーカーに問題があったんですね。よかったです。

 素焼きした人形の木地の色が違って見えますが、これはフラッシュを焚いたか焚かないかの差です。危機一髪という状況でしたが、安心しました。

とは言え、一か月のブランクをこれから取り戻していかないと、、、。


復旧???

2018-01-26 16:06:43 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 連日の底冷えと窯が動かないむなしさで寒々とした思いでいましたが、昨日、今日と電気工事屋さんに来てもらい、ブレーカーなど電源については問題が解消しました。古いほうの窯は先週20年前に納品設置にいらした方に来てもらって調べてもらいましたが、制御装置自体よりも根本的にブレーカーがおかしくなっているから、それを直してもらってから電源ランプが点灯するなら問題ないかもしれない、ということだったので、ブレーカーを取り換えてもらったら、ランプも表示も点いたので窯と装置自体は問題なかったのかもしれません。

 早速素焼きを待っていたものを窯詰めして素焼きをはじめています。但し、無事焼きあがるまでは完全な復旧かどうかわかりません。

 今年の初午は2月7日あたり、また仙台光原社さんの「雛の会」も迫っていて、「べにや」さんへの犬類の追加もあり、とにかくこの素焼きが無事済んで、やすりがけと地塗り、彩色まで急がなければなりません。とりあえずはまだ結果が出ていないので完全な復旧とまで言えず、、。暮れに発注した小型の焼成窯のほうも電源とかの工事はしてもらっているので、まずは使う前に「試運転」する必要がありますが、まずは慣れている古いほうの窯を優先させたいと思います。今晩はこの底冷えでも素焼きの余熱でいくらか廊下や玄関が温かくできるので型抜きの作業も再開できそうです。


新宿「ミラノ」

2018-01-24 22:16:47 | ああ懐かしき、、

 先日とりあげた新宿にあった「ミラノ」というスパゲッティー屋さんについての記憶についてですが、昭和30年代の新宿駅前の古地図をお持ちの方から連絡をいただき、地図の画像もご提供いただきました。お祖父さまが所蔵されていたという大切な地図の画像ですが。この場にて使ってもよいというお許しをいただきました。ありがとうございます。

 この地図ですが、昭和38年頃のものだそうです。大まかに現在の通りと同じのように思いますが、西口の私鉄の駅がどうなっていたのでしょう。これって地上駅だったんでしょうか。そして「ミラノ」ですが真ん中の縦の折り目のところにあるようです。

 今、新宿通りの「三峰」(この地図では「オリンピック」となっています。)のある角から靖国通りに抜ける道の右側の「ミ〇ノ」をいうのがそれです。長年「ミラノ」という店の名前か料理の名前だったと記憶していたことが、こうして間違っていなかったということがうれしいです。ここで食べた肉団子の載ったスパゲッティーの味付けが子供心に微妙にほろ苦い記憶があるので、おそらくトマト味というよりドミグラスソース味だったのでは、と思います。現在伊勢丹の新館になっているところは「丸物ストアー」だったんですね。池袋のパルコも昔「丸物」だったように思いますが、、、。それと今のアルタのところは食品の「二幸」だったんですね。アルタには10代の頃思い出があって、「笑っていいとも」に3回出たことがありました。もらったギャラを握りしめて世界堂の本店で絵具を買って帰りました。

本当に懐かしいです。でもこの地図と自分と同じ年齢なわけで、この地図の時代は子供ひとりで行くようなところではなかったので、他の店屋さんはさすがにわかりません。

地図の情報と画像をご提供いただき、ありがとうございました。

 


気は焦れど、、、。

2018-01-17 16:48:35 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 年末に我が家の焼成窯がいかれてしまい、そのメンテも早急な対応は無理そうなので、決心して発注した小型の焼成窯が家にやってきました。すぐにも貯まっている素焼きを済ませたいのですが、電機屋さんに頼んで専用のコンセントを設置してもらうことにしました。今日見積もりしてもらい、わかり次第工事してもらうつもりです。それにしても何ごともひとりではできないというのは辛いことで、窯本体が70キロ弱あるのですが、若い頃ならともかく普段から足腰の痛みで通院している現在のわが身では「ひとり」は無理です。仕方なく1メートル移動させるため「便利屋」さんを頼んだのですが、結構な料金なんですね。ちょっとびっくりしました。早く素焼きがしたいです。


日曜日の夜なべ

2018-01-08 12:24:00 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 昨夏あたりから、作業は自宅に道具を運んできて、狭いながらもやっています。昨年中に素焼きしたものはほとんど塗って出してしまったのでまた型抜きをしています。これからは初午向けの狐とかお雛さまが加わりますが、まだ干支の戌の追加とか猫ものもお呼びがあります。

 焼成窯がいかれてしまって、旧年中に代用にしたい小型の電気窯は発注してあるのですが、家に届くのはまだ先になりそうです。

材料の粘土もこれからたくさん使うことになるので、使いやすい状態にして蓄えておかなければなりません。今ブリッジにしてある土は、先の晦日に沈殿バケツの中身を払い出して、石膏鉢に寝かせていた分です。ブリッジしている中でもライトを浴びて反射の仕方が違いますが、土の水気の違いによるものです。

 とても狭いので玄関先に暖房器具を置くのは不安で、隣の部屋のエアコンの熱風を扇風機でこちらへ送っています。

 隣の町内の仕事場では専らラジオから流れてくる懐かしい曲をBGMにしていました。ミーハーですが、ラジオからキャロル キングとかマービン ゲイとか流れてくると「待ってました」という感じでした。

 自宅で作業するようになってからは専らNHKの深夜放送の音を聞きながら作業しています。深夜2時頃までは先週の番組の再放送がありますが、そのあと3時半くらいまで「空中散歩」とか「美しき日本の山々」とか「京の音」「花火散歩」「水族館」「SL」などのヒーリングっぽいきれいな動画と癒しのBGMを組み合わせた番組が流れて、いい感じに作業ができます。

 ラジオではJ-WAVEをつけていましたが、日曜の深夜(正確には月曜の早朝)点検か何かで放送が打ち切られます。NHKのTV放送も第一日曜の深夜は同じような理由で放送が止まります。子供の頃にはTVは結構早く放送を終了していたような気がするので、それに比べれば贅沢な話ですが、放送が終わって「ピー」という音が嫌で消しますが、まったく静かすぎる真夜中の作業は、集中するにはいいですが、やっぱりもの寂しい感じがします。

 


ご存知ありませんか???

2018-01-04 13:46:21 | 街角

 明けて2日に粘土の「切り針」を探しに新宿の世界堂本店に行ってきたのですがそのあと、食べたい店へ移動中、子供の頃からずーっと気になっていた店のあった場所へ行き、画像に撮りました。上の画像は新宿通りの「三峰」から「アドホック」を通って靖国通りに抜ける通りです。右手奥が新宿通り、左に「アドホック」や靖国通りがあります。問題の店があったところが「ブラーボ」という看板のある店のところにあったのではないかという記憶を持っています。

入り口からすぐ左下の階段を下りたところの地下に昔あった店だったと思っているのです。

 おそらく時代は自分が小学校にあがるかあがらないかという頃なので昭和43年か44年頃だったかと思います。母親に連れられて伊勢丹へ行った帰りに食事をした店で、スパゲッティなどのイタリア料理屋でした。おぼろな記憶でボロネーゼだったのかナポリタンだったのかわかりませんが、味付けしてあるパスタの上に肉団子のようなものが3つ4つ盛り付けられていたと思います。ディズニーの絵本「わんわん物語」で犬のアベックが食べていたパスタにそっくりだったので憶えているのです。店内は薄暗く壁は古レンガが積みあがったような内装でした。なぜか「ミラノ」という店の名前だったのか、料理自体が「ミラノ」だったのか曖昧です。画像では現在、偶然にもイタリア料理屋が入っていますが、昔から気になって店の前を通り過ぎているのでそのたびに店がいぬきで変わっていたと思います。

 幼い頃、親に連れられて伊勢丹や三越、西口の小田急などへ出かけた憶えがありますが、その頃、東口のロータリーの辺りにヒッピーのような人がたくさんいてビニール袋を口鼻に当てて吸い込んでいる様子や、赤いヘルメットを被って青竹を背負って徒党を組んでいる学生さんの姿など、子供心におっかないところだというイメージが焼き付いていたので当然ひとりで出かけるところという感じではなかったのでひとりで新宿の東口を歩くということは、高校にあがって、学校が明大前にあったので乗り換えで新宿を通るついでに、紀伊国屋で立ち読みをする、世界堂で画材を買うくらい以外ありませんでした。大学にあがってからミラノ座とかピカデリーとかへ行くようになりましたが、新宿で自腹で食事するのは中村屋と船橋屋くらいしかなかったように思えますし、「ミラノ」?はその頃にはもうなかったように思います。

 昭和43年44年頃の新宿で飲食をしていて、店屋さんをご存知の方、といえば自然と自分と同じか、年上の方の記憶を頼りにするほかないと思います。わかったからどうなるということでもないのですが、未だ知っていらっしゃる方にお目にかかったことがありませんので、どなたかご存知でしたらお知らせいただけないでしょうか。

 質問ついでですが映画館に貼ってあったポスターの女優さんたち、自分でどれだけわかるだろうか?と試しているんですが、わからない人、間違いがあったら教えていただけませんでしょうか。

最上段 左→右 京マチ子さん・若尾文子さん・山本富士子さん

2段目     ?・野添ひとみさん

3段目     ?・藤村志保さん

4段目     ?・三益愛子さん・?

大映の映画で自分でリアルタイムに観たのは「ガメラ」とか「妖怪百物語」くらいでしょうか。黄金期といわれる時代の作品はTVやビデオやリバイバル上映で観たくらいで、観たことのない作品ばかりかもしれません。