東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

春吉翁のご命日

2016-02-29 14:05:45 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 今日2月29日は江戸から続いた最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のご命日です。翁は昭和19年2月29日にお亡くなりになられ、それによって江戸明治と脈々と続いていた今戸人形作りの伝統の灯が消えてしまいました。翁のご生前には、翁の実父であった今戸焼の名工といわれた作根弁次榔の流れである「猫屋」(招き猫屋ではなくて、弁次郎の作った「猫足つきの炉台」が評判になって屋号を「猫屋」と名乗ったというような話)の清さんという人を弟子にとって仕込んでいたこともあったそうですが、その人が夭折してしまったため、後継ぎを諦めたと聞いています。もしも後継者があったならば、今頃江戸から続いた生粋の今戸人形の姿が私たちの身近に花咲いていたかもしれません。

 ともあれ翁のお作りになった人形も残されていること、ご生前の昔語りの内容や逸話が記録されていることで、辛うじて江戸から続いた今戸人形の姿を偲ぶことができることはありがたいことだと思います。月日が流れた現在、翁の作品に接することのできる機会はかなり限られており、手軽に接することは簡単ではないかもしれません。しかし翁の作品をはじめ江戸、明治の今戸人形の姿を広く知ってもらうことが、本来の今戸人形や今戸焼を知るよすがになるのは確かだと思います。

 4年ぶりのご命日。4年前は当日にどか雪が降ってご墓所の通路を雪かきしたりで大変でしたが、今日は天気も落ち着いていてよかったです。自宅の近所赤羽でお花を作ってもらい、自転車で浅草今戸町まで出かけてきました。お掃除させていただき、お花とお線香をお供えしてお参りさせていただいたあと、春吉翁の窯場のあった跡も寄らせていただきました。

帰りに隅田公園にまんさくの花をみつけました。

 

 ※春吉翁の作業風景の画像は春吉翁のお孫さんである武佑さんから複写させたいただいたもので、春吉翁について記したりする際に使用してよい由お許しをいただいています。

 

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黒猫

2016-02-28 11:51:13 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 菱田春草の黒猫の図。不勉強なので言い切ることはできないんですが。日本の美術作品の中で「描かれた黒猫」として最も知られた作品だと思うのですがどうでしょう。少なくとも黒猫を描いた作品としては思い出される人は少なくないでしょう。柏の葉っぱも強烈な印象で、枯葉になっても落ちないという特徴をこの絵から学んだように思います。

 突然何でこの絵を引っ張り出してきたかというと、急に身辺の話になってしまうのですが、拙作の昔の今戸人形を手本として起こした猫や招き猫を「黒く塗って欲しい」というご相談を受けることが時折あるんです。

 実際戦後から「今戸焼」として作られているもので黒く塗られているものが結構流通はしているのですが、それらの手本になったであろう昔の黒い猫の人形ってほとんど観たことがないんです。だからおそらく戦後から作っているところでは「江戸明治の今戸の古作に先例があるか否か」なんて考えも特になくてお客さんのご要望に答えて塗りはじめたのだろうと思ってます。

 自分の場合もこれまで「黒く塗って欲しい」と言われて塗ったことはあるんですが、「招き猫の火入れ」だけなんです。何故かというと、自分の手元にはありませんが、唯一黒く塗られた「火入れ」の存在は確認しているからです。ただその「火入れ」の配色はひどく殺風景なもので「目は金」「鼻孔や口、首輪、爪、耳はすべて白」を置いてあるだけなんです。伝世品として時間を経た状態なので、このように殺風景な配色でも間が持っているという感じだと思います。それを自分でやってみてつくづく難しいと思いました。

全体がまっ黒なので変な工夫で赤系統の色を置いたとしてもコントラストが強すぎて中華料理とか南蛮風味みたいな感じになってしまいそうです。それと唯一存在を確認できた上記の「火入れ」だと鼻穴はあっても鼻の頭は色を置いていないのでバランスがとれず間が持たない感じです。

これまで数少ない「黒く塗った経験」の中では邪道だと思いつつ、首輪に浅黄色風な色を置いて、群青色や紺色で「蛸足しぼり」を置いたりしました。でも結果として「きれい」という感じではなかったですね。

 今戸以外の全国に点在する土人形産地の昔の人形の中にはいくつか黒猫の作例も見られますが、そんなに多くもないし、やっぱり「きれい」だと思うモノはそんなにないような気がします。やっぱり黒く塗るということは昔からそんなたくさんはなかったのではないかと思います。

 仮に江戸時代の錦絵に黒猫がたくさん描かれていたかどうか思いめぐらしてみても、思いだせないし、猫の錦絵といえば「いの一番」に国芳の作品群が思い出されますが、作品の中にはぶちや三毛や白の猫は登場するけど黒はいたかな、、?というくらいではなかったかな?と思います。錦絵をはじめ日本の絵画作品全部を知っているわけではないので見落としもあるかもしれませんが、黒猫はそんなにたくさんないのでは、、、?つまり黒猫を受け入ようとする大衆的嗜好は強くなかったのではないかと思ったりします。

 そこで登場するのが菱田春草の上掲の作品をはじめてする黒猫作品群です。ただしこれはご維新以降の価値観の世界から生まれたもののように思えるし、ご維新前の価値観の世界では代表的な黒猫作品ってあったかな?という感じがしますが、ご存じの方いらっしゃったらご教示いただきたいです。

 黒猫というと「耽美的」「猟奇的」世界の産物という決めつけをすると怒られてしまうかもしれませんが、そういうのは明治以降に出てくる流れのような気がするので、古い時代の猫たちには少ないのかな~、、、とも。不勉強のくせにこんなこと書いて怒られるかな、、とも。

 結局のところ、もしも今戸人形の古い作例の中にいくつもの黒猫が存在し、「いいな」と思えば、自分からそういう風に塗ってみたいと思うのですが、現実にはそういうお手本には出会っていないので勝手にこしらえたいとも思わないのが現状です。でもご要望があればそれにお応えすべきかな?とも思ったり揺れ動きます。


窯入れ

2016-02-26 18:35:49 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 鉄砲狐と丸〆猫が溜まってきました。隣の町内にある仕事場からチャリで少しづつ自宅に運び、乾燥させていました。鉄砲狐を最優先に乾いた人形から素焼きをします。窯の上に積みあがった人形を移動させ、炉内に鉄砲狐を詰めていきます。

 数からして狐全部は無理なので、いっぱいになったところで蓋を半開きにして素焼きはじめました。炉内温度が500℃に達するまでは炉内の水分を逃がすため半開きのままにしておいて、500℃になったら蓋をします。

 炉内の温度800度まであがり、ならし時間を終えて、炉内が自然に冷めて100度以下になったら取り出す作業になります。早くて明日の夜以降になるでしょう。同時進行で他の作業をして待ちます。


おかめの火入れ他

2016-02-23 20:09:47 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 このところずーっと鉄砲狐と嘉永安政風丸〆猫の型抜きに集中していたのですが、鉄砲狐2回お納め分くらいはクリアしかかってきているかな?ということで頼まれている臥姿の虎やおかめの火入れも久しぶりに抜き出してみました。火入れは他の人形に比べるとかなり大型なので割型自体がかなり巨大で重いです。狭いスペースで抱えたりするのも結構しんどいですね。でもこうしたシンプルな型のものを型抜きしたばかりの乾かない状態の粘土の質感も個人的には好きです。しっとりとしていて微妙な生土の色と相まって好きです。この状態を保存できないので、「つかの間のきれいさ」とひとり思ってます。


再び土いじり

2016-02-12 14:12:05 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 先日稲荷祭向けの狐の一回目の納めを済ませたのですが、二回目もつつがなくお納めしなければならないので、土いじりを再開しています。

ずーっと座った姿勢のままのせいか、また寒さで体が硬くなっているせいか、腰から足にかけて痛むことがあります。座った状態から立ち上ったり、歩くとき、角度によって痛みます。布団に横たわっても痛むので最近よく眠れない感じです。

 ここで何とかふんばって無事2回目のお納めしたいです。頼まれた人形類もあるのですが、この狭いスペースでは同時にできないのでお待たせしている方々には申し訳ありませんがご了承ください。今から型抜きできる人形はやって乾燥させておきます。

 水簸はこの時期厳しいので、先日までやり貯めた土を結構キープしてあり、使う前にブリッジにして水気を飛ばしています。

 


とほほ、、、(ニュースキャスター2月6日放映分)

2016-02-07 12:46:48 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

 昨日は浅草で「日本人形玩具学会」の人形玩具研究部会の集まりで江橋崇先生による「芝居かるた」についてのご研究の発表があり、日頃あまり参加していない自分ではありますが芝居と聞いては是非にと参加して面白い話を拝聴させてもらいました。またお世話になっているみなさんに久しぶりにお目にかかり、会のあとに軽く酒肴をご一緒できて楽しく帰宅しました。

 家に戻ってTVをつけたらTBSでたけしさんの「ニュースキャスター」という番組がやっていて観ていたら、「招き猫の発祥」についてたけしさんが解説しているという場面があり、その内容にがっかり、、、。おそらくたけしさんの罪ではなくてディレクターさんが準備した内容だったのだろうと思いますが、何ともお粗末!それに加えて報道バラエティーとはいえ、国民的な著名人であるたけしさんの口から歪曲された歴史観が日本全国に流布されたとあって、その影響力というのは甚大で、そのとおり思いこんでしまう人々は益々増加するんだろうな、、、と溜息。

 これは最近のNHKをはじめTVやトレンドを扱うサイトに共通することですが、ただ変わっていて面白おかしいという内容についてはそれを調べないで安易にたれ流し、みんなして「前へならえ」式に積み上げてしまうということばかり。

 また昨年発行された愛好家の大家のような人による分厚い「招き猫」に関する書籍にもどちらかといえば、「詐称された今風なものに肩入れしている傾向」が見られ、こうあちらこちらで適当な内容を吹聴されれば「歴史は書き換えられて」しまうんだな、、と無情感に苛まれています。

 今さらここで記しても砂のひと粒にもならないかもしれませんが、、、

 招き猫の発祥については、全国各地に「発祥の地」と呼ばれる、または自称するところがあります。それひとつひとつは記しているときりがないですが、大抵その発祥といわれる時代を示す当時の物証が伴っていないケースばかりの中、今戸焼「丸〆猫」の話だけは

①文献にその流行した内容が記されている。 「武江年表」「藤岡屋日記」嘉永5年の項

②錦絵に描かれている。 広重画「浄るり町繁華の図」(嘉永5年)ほか

③都内近世遺跡から 当時の招き猫の土人形が出土している。 新宿区「水野原遺跡」「払方町遺跡」 文京区「千駄木3丁目南遺跡」、。(画像の水野原遺跡出土の丸〆猫。ここの遺跡については安政年間にお屋敷が火事になったという記録があり、それを裏付けるように丸〆猫には当時の焼け焦げ痕が残っている。安政年間に火事になっているので丸〆猫自体の出来はそれ以前に遡る。安政の前が嘉永年間。)

この3つの物証が揃っているだけで、丸〆猫が嘉永5年には浅草寺境内に登場していたという事実の証となり、他の土地の自称「招き猫発祥の地」とは信憑性に格段の差があります。

 ところがバブル期あたりからちょっと困った風潮が起こりました。浅草今戸町に鎮座する「某神社」が常滑(愛知県)系の招き猫の形状のものをふたつつなげてひとつにした招き猫を「縁結び」という縁起に結びつけて作らせ、東京メトロの中刷り広告に採用されたり、折からのパワースポットブームなどによりマスコミによってブームとなったこと。その上神社は自ら「招き猫発祥」の地という碑まで作り主張し始めました。私は10代のはじめ昭和50年頃今戸へはじめて行きましたが、当時そのような風潮はまだ目にしませんでした。戦前の郷土玩具に関する書籍をひもといてみても招き猫に関しては「丸〆猫」と「三社権現」(浅草神社)に関する記述が出てきても「○○神社」に関する話はありません。おそらく昭和50年代くらいまでの郷土玩具の本には招き猫と「○○神社」に関する記述はないのではないかと思います。あまり興味のあることではないので記録を網羅して諳んじているわけではありませんが、「○○神社」と招き猫との関係について記されはじめたのは「日本招き猫倶楽部」という愛好家団体による出版物で「縁結びと招き猫的」な記事が現れる平成のはじめではなかったか、と思います。

 先に記した①の2つ文献の内容はストーリーが多少異なりますが猫を大切にした老婆が猫のお告げによって猫の姿を作り、その報恩により福徳を授かったので世間ではそれにあやかるため今戸焼の招き猫「丸〆猫」(まるしめのねこ)を求めてブームとなった。「丸〆猫」は当時の盛り場だった浅草寺境内「三社権現鳥居前」で老婆によって鬻がれていた。という内容で浅草寺境内こそが文献が示す招き猫由縁の最古の記録となるのです。上記「自称発祥の地」の神社と招き猫の発祥について記した古い文献は確認されていません。

 「某神社」の主張する「発祥の地」としての理由は今戸町に鎮座する神社であること。「今戸焼」の今戸町に鎮座しているんだぞ!!とか、、。かつて今戸焼の陶工を大勢氏子に抱えていたこと。しかしそれは「I八幡社」であった時代で、昭和12年に隣町の「白山神社」と合祀され現在の神社になった。そして「縁結び」というのは「白山神社」のご祭神からひっぱって昭和の終わり頃から流布されるようになり、そこに常滑(愛知県)風の招き猫2体をくっつけた招き猫が登場したという流れです。歴史上「今戸焼」との関わりは否定しませんが、招き猫については古い文献で記されたものはなく、また「発祥の地」を主張しながら「今戸焼」の歴史的伝統的な招き猫の形状とは関係ないものを採用している。変じゃあありませんか。矛盾しています。大抵神社仏閣って土地の文化の伝承に前向きなものだと思うのですが、ここは経営的利潤追及のためか歴史観や文化の保存伝承にぞんざいな様子に見えて、、、というか自分に都合のよい方向に歴史や文化を塗り替えることに前向きのような、、。どうしてでたらめなことを流布させるんでしょうか。お祀りされている神様たちには何の非もないことであるけれど、奉職の身にある立場の人達のセンスの奇妙さ、経営的意識の強さゆえの現象なんでしょうね。とにかくどんなことでも仕入れの招き猫の売上第一という感じでそのためなら歴史や記録を塗り替えようが構わない、、何でもあり、という様相なのは、、。そしてまたそういうえげつない動きを支えるのは婚活に切実な思いを抱く人々だったりして、、、。いにしえから歴史を眺め続けていらっしゃる神様たちは現状をどう思っていらっしゃるのでしょうか。

 NHKにしろTBSにしろ、番組のモチーフとして面白楽しければよい、という感覚でこうした歪曲された歴史観を発信しているのかと思うと「とほほ、、」となります。「灯台もと暗し」で地元浅草の人々も案外、今風な発信を学んでいるということもあるかもしれませんが、折角浅草由縁の歴史のひとコマが記録されているのだから、正しいところを知ってもらいたいと思います。何よりも古文献や当時の錦絵、出土遺物などから窺える様子をいうものを歪曲させるべきではないと思いますし、そんなことをするのは土地の歴史への冒涜であり罰当たりなことだと思います。奉職の身にありながらなまじっか地元の歴史を自分の都合のよいように手繰り寄せ、一般大衆に吹聴してそれを実績として歴史を書き換えようとする動き、不気味です。

「丸〆猫」(まるしめのねこ)については過去のブログでとりあげていますのでお時間あったらご覧ください。→

「武江年表」嘉永5年の記述についてはこちら→

「藤岡屋日記」嘉永5年の記述についてはこちら→

手前味噌になりますが「拙作」の「丸〆猫」に関する過去のTV番組についての記事はこちらです。(生憎後半はカットされていますが)→

 

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「民藝」2016年2月号

2016-02-05 19:51:24 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 昨年秋、お知らせいただいてはじめて出品した「日本民藝館展」で選に入れていただいたことについては既に記しましたが、「民藝」最新刊の「特集 平成27年度日本民藝館展 -新作工藝公募展ー」の誌上で拙作の「招き猫のぴいぴい」の画像を掲載していただいてうれしく思っています。選に入れていただいたということだけでもこの上なくありがたいことで天にも昇るようなことでした。誌上で選に入れていただいた名前が載っていたらうれしいと思っていたのですが、画像まで、、。本当にありがとうございました。

 自分の作ったものがこうやって紹介していただけるのは、本当にうれしいことです。世間様に自分のやっていることを少しでも知っていただきたいし、自分で昔に廃れてしまった(尾張屋 金沢春吉翁を最後に)江戸明治の今戸人形の雰囲気を少しでも再現できたら、とかねがね思っています。課題として「昔のものを再現する」ことと「シンプルで美しいものを作る」ということを両立させてできるようになることが大事なんだろうな、、と思います。これはとても高度な課題なのではないか?と思いますが。基本的には昔のよい時代の(江戸から明治と伝承が途切れず続いていた時代の)今戸人形を偲び、再現させたいという思いで始めたことなので、昔の今戸をお手本としつつ、また純粋に美しいところを引き出して、、、ということを目指すことになるのでしょうが、、、、。今後もがんばりたいと思います。今後ともご指導ご鞭撻をお願いいたします。ありがとうございます。

「民藝」 THE MINGEI

2016年2月号(通巻758号)

特集 平成27年度日本民藝館 -新作工藝公募展ー

発行 日本民藝協会

ISSN  0462-6133

 

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王子の狐

2016-02-03 19:48:02 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 浅草被官さまの鉄砲狐をとりあえず一回目のお納めを済ませ、やはり同じく初午前に王子の装束稲荷神社向けの「招き狐」を暮れに頼まれていたのを急いで塗って納めなければなりません。古典落語には「王子の狐」という演目もあり、人が狐を化かし返すといった筋なのですが、舞台となった王子は昔から飛鳥山と音無川(石神井川)を名所として花見や紅葉狩りで江戸近郊の行楽地として賑わったところ。また王子稲荷神社は関八州の稲荷の総元締めとして知られ、毎年大晦日には関八州の狐が王子稲荷を詣でるため、近くの榎の古木に集って装束を改めたところから、榎のあった場所が「装束稲荷神社」として今日まで伝わっています。JR線を挟んで関東ローム層の上にある「王子稲荷神社」と下の「装束稲荷神社」とがあります。

 近年大晦日の新たな年中行事として定着している「狐の行列」がはじまってから、装束稲荷神社の奉賛会の方から赤羽にいらっしゃた北区の歴史文化にお詳しい方を通して、「狐の行列」に因んだ土人形を作れないか、、というお話があり、画像のような招きの狐をお納めするようになったのがはじめで、この型を装束稲荷さま向けとして作るようになりました。とはいっても完全な創作ではなくて、若い頃一時期東京の郷土玩具の愛好会であった「竹とんぼの会」の例会で中古として出ていた狐があり、詳しいことはわからないものの「今戸」であるという話も聞いていて、デザインとしては面白いと思っていたのでそれを手本にアレンジしたものです。

 お手本となった狐の土人形は2つか3つ手に入れる機会があって、あるものは前面の尻尾ともども「前後の2枚型」から抜き出したものと、本体のみ「前後の2枚型」で抜き出して、尻尾のみ手捻りで貼り付けたタイプと両方あって、その後者を手本としました。彩色については赤部分を赤の絵の具で置いてあったのが中古の手本でしたが、古い人形の彩色パターンとして下地に黄色を置いて、その上から透明感のある赤の染料を置くほうが色の深みがあると思って、現在のような彩色にしました。

 王子の初午、二の午は「火伏せの凧市」や「暫狐」をはじめとする「紙からくり」が有名になっており、「王子稲荷」でも「装束稲荷」でも凧の授与が有名ですが、過去には王子で土の狐が並んでいたという事実もあり、今戸の狐やその傍系らしき狐があったことも確かです。しかし大正から昭和にかけて瀬戸物の硬い磁器製の狐が関東にも流入されることで今戸焼の狐は淘汰されてしまいました。磁器製だと雨風にも丈夫で長持ちするという理由からでしょう。

 かつて王子にあった今戸傍系らしき土の狐もいつかは手がけてみたいと思います。

余談ですが、王子の名物玩具の話ばかりになりましたが、昔の王子の特産品としてお茶とか里芋とかやつがしらが名物だったらしいです。

かつてあった今戸傍系の「王子の狐」はこちら→

王子で有名な紙からくり①はこちら→

紙からくり②はこちら→

紙からくり③はこちら→

紙からくり④はこちら→

王子のお茶の話はこちら→

 

 

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お納め(被官稲荷神社)

2016-02-02 01:55:28 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 被官さま(被官稲荷神社)宛ての鉄砲狐のお納め一回目です。遅れてご迷惑おかけしているのですが、せめて初午には間に合うようにと思ってましたが、何とかセーフで安心しました。

 隣の町内にある仕事場の前。一回分のお納め分を荷造りできたところ、、。結構重いです。下の箱には80組(160体)、上の箱には120組(240体)入ってます。上の箱は大きくてドアを通すことができないので窓から出しました。

 自分では車を運転できないのでタクシーで運びます。三ノ輪から「土手通り」に入った辺り。

 三社様(浅草神社)の社務所にお納めしてひと安心。早速被官さまへ。節分前?或いは初午前でいつも閉まっているお守りや狐の授与所が開いていて巫子さんが詰めていらっしゃいました。手を合わせて、狐の祠へ、、。

 暮れよりも数が並んでいます。

 近くに寄って随分昔の狐が並んでいるな、、と思って観たら、拙作のものでした。おそらく雨風に晒されて色が流れたり苔のついたものをお返しで持って来られたものでしょうか。おさらくお屋敷の庭にお祀りされている稲荷祠に並んでいたのかもしれません。鉄砲狐の本来の在り方で、ありがたい気持ちになりました。土色も晒されたせいか作りたてよりも東京の土っぽい赤みがすると思うのは身びいきかもしれませんが、、。中央の時代感のついた一対はおそらくはじめて被官さまにお納めした年のもの。それより右側のもはじめての年のものです。どこが違うかといえば、赤部分は初回はスカーレット染料を膠で溶いた昔ながらのやり方だったのですが、膠が反り返って剥落しやすいということでその後他の素材で代用し始めたからです。今回はまだ一回目のお納めでできるだけ早く二回目のお納めができるようがんばります。

 今日は日中寒かったはずですが、お納めまでどきどきしていた為か、汗をかいてしまいました。

 

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