昨日は浅草で「日本人形玩具学会」の人形玩具研究部会の集まりで江橋崇先生による「芝居かるた」についてのご研究の発表があり、日頃あまり参加していない自分ではありますが芝居と聞いては是非にと参加して面白い話を拝聴させてもらいました。またお世話になっているみなさんに久しぶりにお目にかかり、会のあとに軽く酒肴をご一緒できて楽しく帰宅しました。
家に戻ってTVをつけたらTBSでたけしさんの「ニュースキャスター」という番組がやっていて観ていたら、「招き猫の発祥」についてたけしさんが解説しているという場面があり、その内容にがっかり、、、。おそらくたけしさんの罪ではなくてディレクターさんが準備した内容だったのだろうと思いますが、何ともお粗末!それに加えて報道バラエティーとはいえ、国民的な著名人であるたけしさんの口から歪曲された歴史観が日本全国に流布されたとあって、その影響力というのは甚大で、そのとおり思いこんでしまう人々は益々増加するんだろうな、、、と溜息。
これは最近のNHKをはじめTVやトレンドを扱うサイトに共通することですが、ただ変わっていて面白おかしいという内容についてはそれを調べないで安易にたれ流し、みんなして「前へならえ」式に積み上げてしまうということばかり。
また昨年発行された愛好家の大家のような人による分厚い「招き猫」に関する書籍にもどちらかといえば、「詐称された今風なものに肩入れしている傾向」が見られ、こうあちらこちらで適当な内容を吹聴されれば「歴史は書き換えられて」しまうんだな、、と無情感に苛まれています。
今さらここで記しても砂のひと粒にもならないかもしれませんが、、、
招き猫の発祥については、全国各地に「発祥の地」と呼ばれる、または自称するところがあります。それひとつひとつは記しているときりがないですが、大抵その発祥といわれる時代を示す当時の物証が伴っていないケースばかりの中、今戸焼「丸〆猫」の話だけは
①文献にその流行した内容が記されている。 「武江年表」「藤岡屋日記」嘉永5年の項
②錦絵に描かれている。 広重画「浄るり町繁華の図」(嘉永5年)ほか
③都内近世遺跡から 当時の招き猫の土人形が出土している。 新宿区「水野原遺跡」「払方町遺跡」 文京区「千駄木3丁目南遺跡」、。(画像の水野原遺跡出土の丸〆猫。ここの遺跡については安政年間にお屋敷が火事になったという記録があり、それを裏付けるように丸〆猫には当時の焼け焦げ痕が残っている。安政年間に火事になっているので丸〆猫自体の出来はそれ以前に遡る。安政の前が嘉永年間。)
この3つの物証が揃っているだけで、丸〆猫が嘉永5年には浅草寺境内に登場していたという事実の証となり、他の土地の自称「招き猫発祥の地」とは信憑性に格段の差があります。
ところがバブル期あたりからちょっと困った風潮が起こりました。浅草今戸町に鎮座する「某神社」が常滑(愛知県)系の招き猫の形状のものをふたつつなげてひとつにした招き猫を「縁結び」という縁起に結びつけて作らせ、東京メトロの中刷り広告に採用されたり、折からのパワースポットブームなどによりマスコミによってブームとなったこと。その上神社は自ら「招き猫発祥」の地という碑まで作り主張し始めました。私は10代のはじめ昭和50年頃今戸へはじめて行きましたが、当時そのような風潮はまだ目にしませんでした。戦前の郷土玩具に関する書籍をひもといてみても招き猫に関しては「丸〆猫」と「三社権現」(浅草神社)に関する記述が出てきても「○○神社」に関する話はありません。おそらく昭和50年代くらいまでの郷土玩具の本には招き猫と「○○神社」に関する記述はないのではないかと思います。あまり興味のあることではないので記録を網羅して諳んじているわけではありませんが、「○○神社」と招き猫との関係について記されはじめたのは「日本招き猫倶楽部」という愛好家団体による出版物で「縁結びと招き猫的」な記事が現れる平成のはじめではなかったか、と思います。
先に記した①の2つ文献の内容はストーリーが多少異なりますが猫を大切にした老婆が猫のお告げによって猫の姿を作り、その報恩により福徳を授かったので世間ではそれにあやかるため今戸焼の招き猫「丸〆猫」(まるしめのねこ)を求めてブームとなった。「丸〆猫」は当時の盛り場だった浅草寺境内「三社権現鳥居前」で老婆によって鬻がれていた。という内容で浅草寺境内こそが文献が示す招き猫由縁の最古の記録となるのです。上記「自称発祥の地」の神社と招き猫の発祥について記した古い文献は確認されていません。
「某神社」の主張する「発祥の地」としての理由は今戸町に鎮座する神社であること。「今戸焼」の今戸町に鎮座しているんだぞ!!とか、、。かつて今戸焼の陶工を大勢氏子に抱えていたこと。しかしそれは「I八幡社」であった時代で、昭和12年に隣町の「白山神社」と合祀され現在の神社になった。そして「縁結び」というのは「白山神社」のご祭神からひっぱって昭和の終わり頃から流布されるようになり、そこに常滑(愛知県)風の招き猫2体をくっつけた招き猫が登場したという流れです。歴史上「今戸焼」との関わりは否定しませんが、招き猫については古い文献で記されたものはなく、また「発祥の地」を主張しながら「今戸焼」の歴史的伝統的な招き猫の形状とは関係ないものを採用している。変じゃあありませんか。矛盾しています。大抵神社仏閣って土地の文化の伝承に前向きなものだと思うのですが、ここは経営的利潤追及のためか歴史観や文化の保存伝承にぞんざいな様子に見えて、、、というか自分に都合のよい方向に歴史や文化を塗り替えることに前向きのような、、。どうしてでたらめなことを流布させるんでしょうか。お祀りされている神様たちには何の非もないことであるけれど、奉職の身にある立場の人達のセンスの奇妙さ、経営的意識の強さゆえの現象なんでしょうね。とにかくどんなことでも仕入れの招き猫の売上第一という感じでそのためなら歴史や記録を塗り替えようが構わない、、何でもあり、という様相なのは、、。そしてまたそういうえげつない動きを支えるのは婚活に切実な思いを抱く人々だったりして、、、。いにしえから歴史を眺め続けていらっしゃる神様たちは現状をどう思っていらっしゃるのでしょうか。
NHKにしろTBSにしろ、番組のモチーフとして面白楽しければよい、という感覚でこうした歪曲された歴史観を発信しているのかと思うと「とほほ、、」となります。「灯台もと暗し」で地元浅草の人々も案外、今風な発信を学んでいるということもあるかもしれませんが、折角浅草由縁の歴史のひとコマが記録されているのだから、正しいところを知ってもらいたいと思います。何よりも古文献や当時の錦絵、出土遺物などから窺える様子をいうものを歪曲させるべきではないと思いますし、そんなことをするのは土地の歴史への冒涜であり罰当たりなことだと思います。奉職の身にありながらなまじっか地元の歴史を自分の都合のよいように手繰り寄せ、一般大衆に吹聴してそれを実績として歴史を書き換えようとする動き、不気味です。
「丸〆猫」(まるしめのねこ)については過去のブログでとりあげていますのでお時間あったらご覧ください。→
「武江年表」嘉永5年の記述についてはこちら→
「藤岡屋日記」嘉永5年の記述についてはこちら→
手前味噌になりますが「拙作」の「丸〆猫」に関する過去のTV番組についての記事はこちらです。(生憎後半はカットされていますが)→
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