東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

再び型抜き

2020-10-31 17:44:31 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)
 
 この数年の流れだと今時分「日本民藝館展」出品向けの支度でパニくってギリギリセーフというところなんですが、今年は中止が早い時期にお知らせいただいていたので残念ながらも、見通し持ちながら作業しています…といいながら実際パニックです。干支に関しては現状3種類を作って出していますが、完成できたらいいなと思って原形進行中のが4つあります。そう思うばかりで際に間に合わないということがしばしばありますが、すこしでも実現できればと思います。
 
 実際には型抜きや素焼き、やすりがけから地塗り、彩色も挟んで作業していきます。暮に高崎のお稲荷さまへ鉄砲狐、王子の装束稲荷さまへの招き狐のお納め、年明け以降の催事等に向けての支度も早めに支度を進めておかないと…。 
 かなり以前に作った型の不詳の招き猫貯金玉のリクエストがあり、あまり出していなかった割型を見つけ出したので抜き出しました。

今戸焼(54)  寝牛の香合(白井半七 作)

2020-10-30 03:13:11 | 今戸焼(浅草 隅田川)

 まだはっきり年末という空気ではなくて勇み足かもしれませんが、手元にあるものに気がついたのでアップしたいと思います。

 これには「寿ミ田川 半七」という陶印があるので、今戸にいた最後の半七、7代目白井半七にょる香合です。白井本家である善次郎家から5代前くらい?に分家したのが半七家ですが、世間でのネームバリューでは圧倒的に半七家が有名なので本家のように記されているケースがすくなくありませんが、本家は善次郎家なのだそうです。 

 今戸にいた最後の半七というのは、関東大震災で被災されたあと、阪急グループや宝塚歌劇の創立者だった小林一三の招きにより宝塚に移って開窯したのがこの7代目なのだそうでその後8代目、9代目まで続きました。関西に移ってからの半七の代々は今戸焼の手法のものも残していますが、京焼風な作行のものが多く残されているような気がします。
 この牛の香合はおそらく干支として作られたのではないかと思います。というのは、これよりひとまわり大きな寝牛の香合もあり(姿も異ります)そちらの箱書には大正6年と明記されているのです。どちらも目鼻立ちや表現、釉薬の肌合いや銀化加減が同じです。技法的にどうやったか不勉強でわかりませんが、マットなところと照りのあるところ、ほぼ同じです。
 寝牛の姿は「牛の御前」のイメージなのでしょうね。大震災前ですから牛の御前のあった場所は現在の牛島神社のあるところより川上の長命寺の近くだったそうです。
 大震災後の区画整理で牛島神社が現在のところに再建されるのと同じ頃、白井半七も関西に移住し、その後も今戸に残って家業を続けていた白井本家の善次郎家も大空襲によって今戸を離れ、葛飾の宝町に移り操業されていました。震災後、関西で操業していた半七家ですが、何かあった折々には、葛飾に移った本家に挨拶に来ていた、と本家善次郎家の白井和夫さんからお話を聞きました。
 今戸焼本流の半七にょる作陶で、今戸の土人形(今戸人形)とは別のものですが、昔の今戸焼のひとつの作例として興味深いと思います。

吉徳本店「人形うらら展」 無事搬入できました。

2020-10-23 13:57:37 | 街角

 ゆうべはほとんど眠ることなく、朝の渋滞が心配で早めに家を出て、予定より早めに吉徳さんに着くことができました。
 今年はコロナの影響で浅草の観音さまでの「羽子板市」は例年より規模を縮小しての開催になるという話で吉徳さんのご出店はないそうです。
 そのため、拙作の人形を本店での「人形うらら展」で並べてくださるというご配慮。感謝してあまりあるほどで!す。
 吉徳さんの創業以来三百有余年の歴史の中では今戸の人形を取り扱っていらっしゃった時代もあったそうなのと、最古の生粋の今戸人形師だった尾張屋 金澤春吉翁(明治元年〜昭和19年)もまた吉徳さんとお付き合いがあったそうで、先々代の吉徳当主の山田徳兵衛さんの著作のひとつ「人形百話」の中にも、春吉翁の楽しい思い出話や、前の本社ビル建て替えの際、敷地の土中から昔、お店で取り扱われていたであろう木箱に入った大量の今戸人形がみつかった話もあり、ゆかりの深い老舗の店内に拙作の人形を置いていただけることは、見に余る光栄なことでうれしいです。
 お礼申し上げて、お店を出たところ、それまで落ち着いていた天気が、予報どおり降り出していました。運びこむまで降らずにいてくれてよかった。ひと安心したら急に眠気と腰の痛みが…。十五夜さんの待つ我が家へ戻り、ひと寝入りしました。

 このたびは、来年の干支として「寒紅の丑」や再現してみた「牛御前の撫牛」(かつて墨堤の長命寺そばにあったという現在の牛島神社の前身。明治の神仏分離以前まで牛の御前と称された。関東大震災で焼失して現在の場所に牛島神社として再建されたという。牛の御前さまの時代まで授与されていたという小さな撫牛。)、12年前に創作した「お福牛」などや、病除け、コロナ終息を願って「みみずく」などを混ぜて置いていただいています。

会期初日の搬入(-_-;)

2020-10-23 05:57:41 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 吉徳さんの「人形うらら展」今日からなので昨日のうちに搬入のつもりが支度に時間がかかってしまい、店長さんが心配されて何度も連絡してくださり、無理しないで朝の搬入でよいと仰って
くださり、お言葉に甘えさせていただきます。本当に皆さんにご迷惑おかけします。
 しかし、思えば、何か運命的というか、因果というか、支度をしていた時に主治医のDr.から電話があって、今日の予約を先方の事情で延期することになったり、店長さんから、明けてからの搬入でよいとうお言葉をいただいたことなど事の成り行きが身辺の事情を開けてくれたようで不思議でもあり、本当に助かった。朝のうちに無事運びこむことができますよう…。





干支の丑(牛)作り③「牛御前の撫牛」その2

2020-10-20 04:02:09 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 とりあえず先日素焼きしたものを川崎巨泉の玩具帳の描画を参考に塗ってみました。ちなみに原形のモデリングも同じ絵からです。

 他に有坂与太郎の郷土玩具大成にもぼやけた白黒画像が掲載されていて巨泉による描画と同じ構図らしきものが見えますが、今回は巨泉のものを参考にしました。

 真っ黒だし、地味な感じがしますが、まずはこんな風なものがあったのだろう、という感じです。

NINGYO Art and Beauty of Japanese dolls

2020-10-18 23:02:16 | 日々

 昨年、お世話くださる方からのお導きで国際交流基金による海外での巡回「日本の人形展」のための人形制作のお話をいただきました。郷土人形の枠内で他の作品との兼ね合いで「叶福助」と「おかめの火入れ」とを作ってお納めしました。すっかり忘れていた先日、大きな茶封筒が届き、お歳暮カタログか何かだとおもって置いたままだったのですが、開けてびっくり。

 海外での巡回展だと聞いてはいたけど、英語だらけ。
展示の展開として
①節句人形(子供の成長を祈るための人形)
②美術人形
③庶民の人形
④人形文化の広がり
となっていて、うちの叶福助は③のところで紹介されているようです。

 こうして自分で作ったものが、展示してもらえたり印刷物に紹介してもらえるのはありがたいことです。ありがとうございました。
 巡回展は8月下旬から9月下旬までクロアチア プーラ市立博物館で、10月1日から来年1月までカナダ トロント日本文化センターで開催中のようです。

お知らせ「人形うらら展」(吉徳浅草橋本店)

2020-10-15 14:40:55 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 来る10月23日(金)より11月3日(火)まで浅草橋 吉徳本店内で開催予定の「人形うらら展」に拙作の人形も並べていただける、というありがたいお話をいただきました。はじめてのことでどういう感じになるかわかりませんが、間に合う分だけでもお客様方の目に触れさせていただけるのをうれしく思います。

 今はオープンまでにどれだけ仕上げて搬入できるかということでどきどきしています。まずはお知らせまで。

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やすりがけと地塗り

2020-10-15 02:06:26 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 午前中窯から取り出した素焼き済の人形の地肌を整えるためやすりがけして塵を濡れ雑巾で拭い、煮溶かした膠をつなぎにして胡粉で地塗りをしています。胡粉や膠の扱いはこれまで20年くらい練習してきましたが、未だ上手くいったという実感がありません。
 3つのカゴに分けてあるのはこれからの作業によって、地塗りの加減が違ってくる人形同士に分けてあるのです。

何も塗っていない「寒紅の丑」は古いものに倣って、地塗りをせず、地色を直接塗っていきます。

 次のカゴのは地色にキラ(雲母粉)を塗るものでいちばん厄介。念入りに胡粉地をやっておかないと、キラをかけてからムラになりやすい。
 
 3つ目のカゴはオーソドックスに胡粉地で、白地が露出するところはムラのないように気をつけます。但し、お手本の古い人形で白地にもニスがけしてあるものは、やはりニスのあとにムラになりやすいので厚めに胡粉を塗る必要があるような気がします。

窯開け?

2020-10-14 04:03:46 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

今夜は昨日から素焼きしていたものを取り出せるのを待ちながら地塗りの支度をしたり、炉内の温度を睨みながら、片や型抜きをしたりで、今、朝の4時過ぎ。炉内温度がやっと100℃を下回ったので窯の蓋を開けたところ。焼きたてですが、もう眠いので「窯出し」ならぬ「窯開け」して明日冷めたのを取り出すことにします。
 
 焼きたてのミミズクや河童、紅丑たちにおやすみなさい。…

窯入れと素焼き

2020-10-13 00:15:30 | 街角
 
 FANみそ!展終了以降に抜き出した分で乾燥天日干しを済ませたものを素焼きします。
 毎度思っていることですが、窯の炉内満杯になる分の嵩を貯めてから素焼きできることが効率がよくて理想でもあるのですが、人形の行き先がいくつか絡み合って、慌てて焼き上げたいもの、レギュラー的に焼き貯めておきたいのと混ざっています。
 いちばん底には上州向けの鉄砲狐(昨年焼き貯めておいた分が行方不明のため急いで数を合わせている。)そしてまだ出していない来年の干支の型の調整中のもの。

 ひとつ上の棚には、干支の「寒紅の丑」や「お福牛」や今回はじめて作っている「酒呑み河童」などです。「酒呑み河童」は型としては従来の尾張屋さんの「客寄せ河童」なのですが、盃と徳利を貼り付けてあります。この河童、故 牧野玩太郎さん著「郷土玩具 紙・木・土」(読売新聞社)の「土」の巻のカラーグラビアの尾張屋春吉翁作の今戸人形の群像の中に写っている人形を意識しています。

 今年はコロナのため、今までの例年どおりの見通しとは違う動きになっています。例年だと、今、日本民藝館展に応募するもので忙しくしているところですが、今年はコロナのため早い時期に中止が決まりました。他にも昨年までとは異なる流れになりそうで、それに向けて準備していきます。

 まずはレギュラーなお稲荷さま向けを貯めておきながら、次の催事向けにいそいでいるといったところです。窯のスイッチを入れ、炉内500℃になるまでは蓋を半開きにしておかなければならないので、それまでは型抜きや型起こしをしながら、日中には出せない生乾きの人形たちを日の出前だけ物干しで戸外の空気に晒しています。

干支の丑(丑)作り③「牛御前の撫牛」ほか

2020-10-10 20:02:57 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 この「牛御前の撫牛」は12年前も24年前もやりたいと思っていながら手本や資料がてもとにない心細さから動き出すことかできなかったもの。知り合いの郷土玩具愛好家や博物館などいろいろ訊ねたものの伝世のものを所蔵しているという方には巡り会えませんでした。また12年後なんてはたして自分はこの世にまだ健在か、最低今くらいの体力と根性で動いていられるか?
  
 そんなわけで描かれたものを頼りに原型を起こし作っています。仮に将来実物に出会えれば、どこが違うかを掴んで修整すればよいか…と言うところです。少なくとも誤差やモデリングの差異があったとしても、全体の構図がこういうものがあったということは間違いないと言うことができるかと。

干支の丑ものはまだ原形やりかけのがあるので何とか昔の今戸の牛をできる限り形にして出したいです。

佐々木一澄さんの「郷土玩具カレンダー」

2020-10-02 14:47:51 | アート・文化

 イラストレーターの佐々木一澄さんから来年の郷土玩具カレンダーが送られてきました。

 来年の干支は丑なので表紙は伏見の俵牛と会津の赤べこ。
1月に伏見の俵牛、そして2月には拙作の丸〆猫(嘉永安政風型)を描いてくださってます。自分のつくった人形を写真に撮ったり、描いたりしていただく際、当然どんな角度から描かれていても、当方でどうこう言う筋ではありませんが、流石佐々木さん、嘉永安政風型のモデリングの特徴がいちばんあらわれていると思っている角度で描いていただいてとてもうれしいです。ありがとうございました。