子供の頃は電車が大好きで、近くの踏切の傍に座っては好きな列車が通過するのを待っていたものです。また線路沿いにはどぶ川があり、ジュズダマが自然と生えていて、実を集めたりザリガニ採りをしたものです。家には数冊だけですが、鉄道マニア系の本もあって眺めていました。そうして「DISCOVER⇒ YAPAN」のキャンペーンの中で駅のスタンプを押して歩いたり、食べた駅弁の包装紙を大切に保存もしました。でも何故か本格派の「鉄っちゃん」にはなりませんでした。おそらくカメラを持っていなかったからでしょうか。列車は東京と田舎を結ぶもの。この線路の先には山形がある、、というイメージが先で、「山形→花笠音頭→民謡→祭り→民芸品→郷土玩具→こけし→今戸人形」と「祭り→歌舞伎→江戸→今戸人形」という興味の展開になっていたように思います。
万世橋の交通博物館へは何度も行きましたが、ここ大宮に「鉄道博物館」としてオープンしてから「いつか行ってみたい」とは思っていたものの「混んでいる」というイメージが強くてなかなか出かける機会がありませんでした。この夏、見沼田圃のついでに、、という思いを持ちながら実現できないまま学校の夏休み期間に入ってしまったので、ゆっくり見学するなら2学期の始業式にぶつけてみようという計画でいました。今日です。案の定一部のコーナーを除けば並んで待つということはありませんでした。
「弁慶号」でしたか、万世橋にもありましたね。当時はもっと埃っぽかったと思います。
この電気機関車超かっこいいですね。古い鉄道写真では観たことはあるんですが、実物ははじめて、、。流線形。
急行「ばんだい」とか急行「まつしま」として赤羽を走っていたあずき色の車両。赤羽は急行も停車していたので走り出しから速度を上げて通過するまで踏切りで見上げるように眺めていたものですが、今から思うと汚い話、水気のものを垂れ流しながら走り去っていくのを浴びていたと思います。特急「とき」は新潟行きなのであっち方面に親戚はなく乗る機会がありませんせんでしたが、よく眺めていました。奥羽本線の山形までは電化するのが早かったので山形行特急「やまばと」というのがあって、「とき」と同じような車両ではなかったかと思います。
「とき」の車内。昔の車掌さんの車内アナウンス(♪汽笛一声、、のオルゴール)の連続再生が流れていて座席に座っていたら小一時間うとうとしてしまいました。
ブルートレイン。この丸みとシックなプルシャンブルーが憧れでした。前面が三つ窓のもありましたね。末期に格下げされて奥羽線の深夜急行に使われていた頃に乗りました。
EF58はリアルタイムに踏切で眺めていましたが、青とクリーム色に塗り分けられた塗装でした。これがオリジナルの配色なんでしょうね。
0系新幹線の先頭部分だけの展示。これも万世橋にあったような、、。
まだ電光になっていない案内版。
省線型の茶色い電車。行先のパネルがダイアモンド型なのも懐かしい。この手の電車はぎりぎりにリアルで乗っています。あとあと青梅線や五日市線や南武線と鶴見線に残っていましたね。
懐かしいです。ポールの位置。発車するときのブーンというエンジンの音。それと木の床が重油みたいな臭いがしたものですが、流石展示品は臭くない。
ストーブの設置されている客車。木枠の背もたれと高い天井。ストーブ付きの客車は憶えていませんが、高校受験のため鶯谷の学習塾に通っていた頃、わざと上野駅の低いホームから発車する各駅停車の「福島行」とかに木製の車内の列車に乗って赤羽で降りたものです。当時のリアルな思い出からこれら展示車両に欠けているものというと、たばこ臭さとトイレの臭いでしょうか。昔の列車のトイレは臭かった。
駅弁についての展示室があって現在販売中の駅弁の紹介中心なんですがあまり懐かしいというレベルではないですね。入場料¥1300というのはちょっとキツイですが、特急「とき」の車内でうたた寝をする値打ちはあると思います。自分にとって一番懐かしいと思う車両が案外となかったのは残念。奥羽本線は未電化だった頃の急行「出羽」や特急「つばさ」の気動車。はじめ青森行特急「はつかり」用に開発された気動車、後の特急「いなほ」として赤羽を通過していた列車。ぜひぜひここに展示してほしいです。昔の「出羽」や「つばさ」の車内でうたた寝をしてみたいです。