東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

彼岸の入り

2018-09-22 17:05:40 | 日々

 木曜日が彼岸の入りだったので、自転車で今戸まで出かけてきました。、今戸人形最後の生粋の製作者であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のご墓所へのお参りです。尾張屋さんへ電話でお許しいただいてから向かったので尾久を過ぎる頃からぱらぱら雨が降ってきましたが、持ってきたポンチョを羽織って進みました。真夏ではないのですが、ポンチョを羽織ると暑いですね。お寺さまに着いて、お寺の方にご挨拶してからご墓所のお掃除をしてお花やしきみをお供えし、改めてお線香を頒けていただいてお供えして手をあわせ失礼してきました。

 雨でスカイツリーもぼやけて見えます。お参りが済めば帰るだけなのでずぶ濡れになっても構わないので暑苦しいポンチョは脱いで自転車を漕ぎました。行きは赤羽から王子へ出て明治通り沿い、荒川区役所前から金杉通り入口経由で竜泉を抜け、よしわら大門からは山谷堀沿いに今戸まで、帰りは吉原神社や弁天様経由金美館通りで根岸に出て羽二重団子前を抜けて西日暮里から小台橋通りから明治通りに戻り帰りました。雨も1時間強浴び続けていると案外体が冷えるような感覚がありますね。登山で雨で遭難する人ってこういう感覚なのか?と思いました。実際こんなものではないでしょうが、、。


ごみ入れ

2018-09-22 16:39:39 | ああ懐かしき、、

 時間が前後しますが、火曜日に京王多摩川駅近くの調布市立郷土博物館に出かけてきました。わが家のある赤羽も荒川や隅田川流域の土地で土手に上がればそろそろ秋風を浴びることができそうな時期ではあるんですが、さすが多摩川の流域というのは、水もさらさらしていそうで、山並みがそう遠くなく、あしもとにもいろいろな草花が咲いていていい感じです。

 博物館の敷地内にひどく懐かしいごみ入れがあったので撮ってみました。本体がコンクリートで仕切り板や屋根(蓋)が木製というのは大小いろいろありましたね。自分が小学校に在籍していた昭和40年代頃まででしょうか。かくれんぼでよく中に入って息を殺していたものです。よく見るとそこに毛ガニだったかタラバガニだったか食べた殻が転がっていたとか、死神みみずとかだんご虫とかうごめいていることも少なくなかったです。ゲジゲジとムカデは怖かった。家の近くの通り沿いにあちらこちらこうしたゴミ入れがあったのは憶えているし、中にも入っているのですが、この式のごみ入れでのゴミの回収場面は不思議と観た憶えがありません 

 あたり前のことですが「お彼岸の入りですよ」と知らせとばかりにに彼岸花が咲いています。


干支の亥(猪)づくり②「下谷の摩利支天」(猪乗り摩利支天)

2018-09-19 20:23:30 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 一昨日割型をこさえたものから型抜き試行中。今戸人形の古典の種類の中に猪を象ったものがほとんど見られないので先日の「仁田四郎」に引き続き苦しい創作です。

但し、創作ではあっても江戸東京とのつながりのあるネタ、または古くからの言い伝えや信仰や縁起担ぎをベースにしたいと思っています。今戸のある浅草から近いところで猪につながる縁起や何か、と考えたところ、山手線の車窓からも見えるアメ横の摩利支天堂(徳大寺)がありました。

 関東の昔のローカルCMをご存知な方であれば「二木二木二木二木二木の菓子」という先代の林家三平師匠のコマーシャル。あるいは「♪スィング スィング スィング スイング ヘイ 二木ゴルフ♪」という現・林家正蔵師匠のこぶ平時代のコマーシャルが耳に焼き付いているかと思います。アメ横の「二木の菓子」の屋上に現在お祀りされているのが下谷の摩利支天様で、子供の頃は大塚駅前にあった「角萬」の金閣寺(「大塚~ 角萬」というコマーシャルもありました。)の仲間のようなものだと思っていたのですが、お寺そのものは江戸のはじめ頃から現在地にあったそうで、当然地面に建っていました。

 摩利支天さまは「厄除け」「開運」などにご利益があり、古くは戦国武将から江戸の武士からの信仰、それと勝負や開運を願っての庶民からの流行り神としてここ下谷の摩利支天さまは賑わってきたといいます。何度かの改築のうち、明治の門前の風景の挿絵が「東京風俗誌」に挿入されていたと思います。摩利支天さまのお姿は女性の姿で7頭の猪の上に座ったもの(三面六臂、または八臂)と一頭の猪の上に立って左手を掲げ、右手に刀、又は弓矢を持っている姿のもの(一面二臂)他あり、アメ横の摩利支天さまには「伝・聖徳大師作」といわれるお姿が何度もの災害や戦災からも無事にお祀りされているそうです。この夏に自転車で上野動物園とここアメ横の摩利支天さまとをネタ調べのためお参りさせていただいた折、御守売り場の方にいろいろお訊ねしており、そのお姿(一面二臂)の写真入りのカラーのパンフレットをいただき、それを頼りに原型作りをしていました。

 伺ったお話によれば、摩利支天様は太陽とか陽炎の象徴なのだそうで、例えば鬼子母神さまだったら「ザクロ」のところ摩利支天さまだったら「太陽」というイメージにつながるということで、実際の伝世のお姿は猪の上に直接正面向きに立たれているところですが、両手を独立させるように2枚割型から抜き出すことは不可能なのでお姿をお天道様の円の中に納めて、猪の上に立つという構図にしてみたわけです。仏像をレリーフとして表現するのは、大きなスペースならばそれなりに細部まで追及すべきところですが、直径9センチの中に納めるとなると指先などまで彫を入れても飛んでしまうので、甘い肉付けになってしまって下手っぴな感じがしますが色をつけたらどうなるだろうか、、、という感じです。

 下の猪のモデリングについては郷土玩具のお好きな方ならば、「ああ、あれか?」という形状だと思います。猪単独の姿を象った郷土玩具の中では一番秀逸な人形だと思うものを参考にさせていただきました。

 まだ試し抜きの状態で、これから何度も抜き出しながら割型自体もこなれ、抜き方にも慣れていくという感じだと思います。

干支の亥(猪)づくり①「仁田四郎」 はこちら⇒


お知らせ(みそろぎ人形展 2018)

2018-09-17 16:56:07 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 まだ北区伝統工芸展の準備中ではありますが、来月開催の「みそろぎ人形展」のサイトが準備されたようですのでお知らせします。

会期は10月10日(水)~16日(火)で最終日は片付けのため早めの非常になると思います。私のブースについては例年のような感じになると思います。若干ですが昨年でていなかったものを加えるつもりで動いていますが、まだ確実に完成できているとはいえないので、会期前に新しく加わるものについては改めてお知らせします。

どうぞよろしくお願いいたします。

みそろぎ人形展HP⇒


どろめん

2018-09-16 00:46:12 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 しばらく振りのアップになります。久しぶりに母が戻っているので足の踏み場を整理したり、いろいろ雑用がありますが、夜中の作業は続けていました。

「どろめん」はじめてのご紹介ではありませんが、今後の催事を控え型抜きをしてプールしています。彩色の拙さにもよるかと思いますが、全ての種類をいくつか以上揃ええて用意しますが、何度かの経験から捌けのよいものとそうでないものがありますね。一番捌けのよいのは「狐」。それに次いで「おかめ」とか「ひょっとこ」でしょうか。なので全種類を同じ数用意する必要もないか?とも思いますが、捌けに関らずとも色どりのひとつとしては用意しておいたほうかよいのかと思います。

 やりたいこと山とあるんですが、ひとりでの作業の限界もあってもどかしいです。


鉄道博物館

2018-09-03 21:45:18 | 日々

 子供の頃は電車が大好きで、近くの踏切の傍に座っては好きな列車が通過するのを待っていたものです。また線路沿いにはどぶ川があり、ジュズダマが自然と生えていて、実を集めたりザリガニ採りをしたものです。家には数冊だけですが、鉄道マニア系の本もあって眺めていました。そうして「DISCOVER⇒ YAPAN」のキャンペーンの中で駅のスタンプを押して歩いたり、食べた駅弁の包装紙を大切に保存もしました。でも何故か本格派の「鉄っちゃん」にはなりませんでした。おそらくカメラを持っていなかったからでしょうか。列車は東京と田舎を結ぶもの。この線路の先には山形がある、、というイメージが先で、「山形→花笠音頭→民謡→祭り→民芸品→郷土玩具→こけし→今戸人形」と「祭り→歌舞伎→江戸→今戸人形」という興味の展開になっていたように思います。

 万世橋の交通博物館へは何度も行きましたが、ここ大宮に「鉄道博物館」としてオープンしてから「いつか行ってみたい」とは思っていたものの「混んでいる」というイメージが強くてなかなか出かける機会がありませんでした。この夏、見沼田圃のついでに、、という思いを持ちながら実現できないまま学校の夏休み期間に入ってしまったので、ゆっくり見学するなら2学期の始業式にぶつけてみようという計画でいました。今日です。案の定一部のコーナーを除けば並んで待つということはありませんでした。

 

「弁慶号」でしたか、万世橋にもありましたね。当時はもっと埃っぽかったと思います。

 この電気機関車超かっこいいですね。古い鉄道写真では観たことはあるんですが、実物ははじめて、、。流線形。

 急行「ばんだい」とか急行「まつしま」として赤羽を走っていたあずき色の車両。赤羽は急行も停車していたので走り出しから速度を上げて通過するまで踏切りで見上げるように眺めていたものですが、今から思うと汚い話、水気のものを垂れ流しながら走り去っていくのを浴びていたと思います。特急「とき」は新潟行きなのであっち方面に親戚はなく乗る機会がありませんせんでしたが、よく眺めていました。奥羽本線の山形までは電化するのが早かったので山形行特急「やまばと」というのがあって、「とき」と同じような車両ではなかったかと思います。

 「とき」の車内。昔の車掌さんの車内アナウンス(♪汽笛一声、、のオルゴール)の連続再生が流れていて座席に座っていたら小一時間うとうとしてしまいました。

 ブルートレイン。この丸みとシックなプルシャンブルーが憧れでした。前面が三つ窓のもありましたね。末期に格下げされて奥羽線の深夜急行に使われていた頃に乗りました。

 EF58はリアルタイムに踏切で眺めていましたが、青とクリーム色に塗り分けられた塗装でした。これがオリジナルの配色なんでしょうね。

 0系新幹線の先頭部分だけの展示。これも万世橋にあったような、、。

 まだ電光になっていない案内版。

 省線型の茶色い電車。行先のパネルがダイアモンド型なのも懐かしい。この手の電車はぎりぎりにリアルで乗っています。あとあと青梅線や五日市線や南武線と鶴見線に残っていましたね。

 懐かしいです。ポールの位置。発車するときのブーンというエンジンの音。それと木の床が重油みたいな臭いがしたものですが、流石展示品は臭くない。

 ストーブの設置されている客車。木枠の背もたれと高い天井。ストーブ付きの客車は憶えていませんが、高校受験のため鶯谷の学習塾に通っていた頃、わざと上野駅の低いホームから発車する各駅停車の「福島行」とかに木製の車内の列車に乗って赤羽で降りたものです。当時のリアルな思い出からこれら展示車両に欠けているものというと、たばこ臭さとトイレの臭いでしょうか。昔の列車のトイレは臭かった。

 駅弁についての展示室があって現在販売中の駅弁の紹介中心なんですがあまり懐かしいというレベルではないですね。入場料¥1300というのはちょっとキツイですが、特急「とき」の車内でうたた寝をする値打ちはあると思います。自分にとって一番懐かしいと思う車両が案外となかったのは残念。奥羽本線は未電化だった頃の急行「出羽」や特急「つばさ」の気動車。はじめ青森行特急「はつかり」用に開発された気動車、後の特急「いなほ」として赤羽を通過していた列車。ぜひぜひここに展示してほしいです。昔の「出羽」や「つばさ」の車内でうたた寝をしてみたいです。