東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

岩淵(赤羽)の大観音

2010-04-29 11:31:37 | ご近所

2007_0101_000000p1010309 地下鉄「赤羽岩淵」駅から122号線を荒川大橋に向かう途中の右手、以前は小さな門前通りを抜け、正光寺の山門があり、くぐると大きな観音様。いまでは門前の通りは跡かたもなく、駐車場になっています。観音様の背後に本堂があったのを憶えていますが、いつだったか火事でなくなってしまいました。

それ以来、境内はガラーンとしていましたが、雑草の茂った風景は結構寛げて好きでした。鐘のない鐘楼と一角にあった児童遊園は猫さんたちの集うところで、ときどき、お仲間に入れてもらって日なたぼっこしていました。猫さんたちの登場のしかたが面白くて、境内を囲む塀を伝わって現れるんです。P1010111

ところが、昨年から工事が始まって、鐘楼も児童遊園もなくなりました。境内を墓苑にするようです。猫さんたち、今はどこで集っているんでしょう。

この観音様は明治のはじめに建立されたようです。赤羽生え抜きの母の話では、昔、門前ではお団子や甘酒が売られていたとか、縁日があって賑わったらしいです。


水簸(すいひ)

2010-04-25 17:04:35 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010112 昨日今日と久しぶりによい天気。雨だと外へ連れて行ってあげられないわが家の犬の散歩をしてから、久しぶりの泥いじり。

掘ってき土にはガラス片、石ころ、その他いろんなものが混ざってしまっているので、一度水につけて柔らかくし、手でかき回してドロドロに溶かします。

それを今度は篩にかけて不純物を除き、また寝かすと沈殿するので、上澄みの水だけ覗いて、そこへまたドロドロを篩にかけて重ねていきます。

沈殿が深くなってきたら、別のバケツで寝かせ、さらに沈殿を待って、泥だけを石膏鉢へ移し、水気をとります。

画像手前左側のバケツは採ってきた土を水につけているところ、手前右側は柔らかくなったものをかき回してドロドロにするバケツ。奥はドロドロを篩にかけて不純物を除いて寝かしているバケツです。

奥右に見えるざるには篩にかけた不純物を入れてありますが、これをまた別の篩にかけて、きれいな川砂だけを残し、あとで粘土に混ぜて練り込みます。 

  

画像の奥左のバケツから泥だけを別のバケツへ移し、上澄みの水を随時除きながら寝かせます。かなり沈殿も深く、粘りも出てきているので、これを石膏鉢に移すのです。


岩淵(赤羽)の経木絵馬

2010-04-24 21:20:41 | ご近所

P1010105 十年も前ではなかったと思いますが、地元に詳しい、知り合いのおじさんから赤羽にも絵馬を売っているところがあると聞いてびっくりしました。

早速行ったのが、現在の赤羽岩淵駅そばにあった荒物屋の「石渡商店」さん、それ以前何度も前を通り過ぎていたし、植木鉢だの、信楽焼の狸だの小便小僧から箒やたわしまであるローカルな店だと思っていたのですが、絵馬は店先に見えず、話をすると奥から出してきてくれたのでした。

現在「絵馬」というと、観光地や有名な神社仏閣で記念に求めたり、祈願用に神社でプリントしてあるものが主流だと思いますが、この写真のように、昔は祈願する人が荒物屋や際物屋などで求めて使うことが多かったようです。

店先に見えなかったのは、おみやげとかインテリアとかの対象として意識されていなかった証拠。線香や蝋燭と同様、信仰のための道具として、需要があり、売られていたということになります。地元にまだそういう風習を伝えている家があるなんてびっくりしました。

鶏の図柄は、台所のかまどを守る荒神様へあげるもの。鶏のとさかの形が炎を連想させるところから、荒神様につきものとなったようです。向かい狐の図柄は当然お稲荷様。屋敷神としてお祀りしている家が少なくないのでしょう。 こういう図柄のパターンは全国いろいろなところにあって、東京では千住の絵馬屋さんが有名ですが、探してみると、練馬区貫井の国華堂という提灯屋さん、所沢の人形屋さんでも作っていて、川崎の溝の口駅近くの神仏具屋さんでも出所のわからない経木の絵馬を見ました。しかし、あまり街の目立つところでは観られませんね。地元にも売られていたなんて本当にびっくりしました。

ちなみに、この絵馬は岩淵で作られたものではなく、戸田市内の人形屋さんで作っていたことが後日わかりました。「石渡商店」さんも今では店を閉じてしまいました。


山田徳兵衛著 「人形百話」より

2010-04-24 18:40:47 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010333 東京浅草橋にある江戸から続く老舗人形問屋の吉徳さん。代々の当主は「山田徳兵衛」を名乗っておられます。

先代の山田徳兵衛さん はご家業の傍ら、古今東西の人形玩具の研究、人形文化の普及、人形を芸術文化のひとつの分野にまで引き上げられた事、人形を通しての世界の文化交流など、生涯をとおして人形玩具界にご尽力された方です。たくさんの著作も残されています。

その中でこの「人形百話」は昭和37年から38年にかけて東京新聞に100回に分けて連載された記事を一冊にまとめられた本です。肩の凝らない文章で、たのしく学ぶことのできる一冊です。

その連載6回目のテーマは、最後の今戸人形師であった尾張屋金澤春吉翁の思い出を綴られた内容で、とても楽しく、また春吉翁の一面を垣間見ることができます。現在、吉徳資料室長をされていらっしゃる 小林すみ江先生にお願いして、このブログへ全文引用させていただくお許しをいただきました。

⑥ 今戸の土人形                    37・1・13

 今はほとんど亡びたが、浅草の今戸は、江戸ー東京における土人2007_0101_000000p1010334形の総元締めのようになっていて、その土地で売るばかりでなく、江戸中の社寺に縁起の人形を供給していた。「伊勢屋、稲荷になんとやら」という文句のある通り、お稲荷様の多いのは江戸の名物だったから、今戸焼にはキツネにちなんだ意匠のものが特に多かった。

 今戸の土人形の最後の製作者であった尾張屋こと金沢春吉さんとは、私はとくに懇意にしていたが、江戸人とでもいった風格のあるおもしろい人物であった。大正の大震災にはおたがいに丸焼けになったが、しばらくして見舞いに行ってみると、隅田川の見える焼野が原にポツンと一軒、板囲いの家が見えたが、それが尾張屋の仮バラックであった。訪ねると、その家の中に琴が一面立てかけてあるではないか。私は見舞いの言葉を述べたあとで琴のある由来をきいてみた。尾張屋は「ようやく持ち出した娘の琴ですよ」という。私は、いままでちょっとも知らなかったが、この辺にいてお琴を習わせるとはゆかしいな、とほめたところ、「いやいや、三味線を習わせようと思ったんですが、三味線だとこちとらは芸者に売りたくなるといけないと思ってお琴にしたんでさあ」と笑って答えた

(原文では傍線部分は、、、、のルビが振ってあります。)

 2枚目の画像は文章に添えられている白黒写真。尾張屋春吉翁作の人形3点(左から おいらん、不知火(不知火諾右衛門)、鉄砲狐)です。原色を観ていただこうと、手元にある同じ型の人形3点を撮影してみました。P1010104

                


お気に入りの風景⑤

2010-04-24 12:14:29 | ご近所

2007_0101_000000p1010306 岩淵町内。大観音の裏手にある豆腐屋さん。毎日ではないけれど、犬とぶらぶら歩くコースのひとつのポイントです。ここが東京であるということを忘れてしまいそうな店構え。こうして記事にするのに不謹慎なのですが、外の自販機で¥100の缶コーヒーは何度も買っているのですが、お店でまだ買ったことないんです。外から覗くと、豆乳のビンとか見えます。それにしても、この一角、ほーっとしてきます。


今戸焼?⑲  つゆ徳利

2010-04-23 22:47:40 | 今戸焼(浅草 隅田川)

P1010102

タイトルに敢えて?をつけたのは、わからないから、寧ろお訊ねしたいという気持ちから、、。

画像の3つのつゆ徳利に書かれている屋号はいづれも東京の老舗の名前。

左 「かん多” や婦”」と書かれている。土は鉄分の多い赤土で、白化粧土で波のように流れるような化粧の上に乳白らしき釉薬をかけている。神田須田町の藪蕎麦のもの?

中「永坂 さらしな  布屋」と書かれている。土は真っ白ではなく白みの灰色。麻布十番の蕎麦屋・布屋太兵衛さん(創業寛政元年~昭和14年、その後再興)のもの?

右 「上野 揚出し」と書かれており、洋画家・小絲源太郎画伯の生家である上野山下にあったという文字通り「揚げ出し豆腐」の店?随筆や懐古談によく登場する店。吉原からの朝帰りの客が入浴して食事ができ、繁盛した、という話は有名。しかし、創業と閉店の時期がわからない。土色はベージュ。

これら3つ、同時に入手したわけではなく、時もところもばらばらにみつけたもの。

東京の老舗の屋号が入っているからという安直な発想で入手したもので、今戸焼とは考えていなかった。特に「揚出し」は「上野のあの店」という気持ちで求めたものなんですが、その後、白井半七作の徳利の写真によく似た化粧や釉薬の作品があったこと、明治12年刊の「東京名工鑑」の記述で幕末までの茶陶の需要は減り、食べ物屋の器を作るようになった云々、などからすると、今戸焼である可能性も皆無ではないかもしれない、と考えはじめたわけですが、おわかりの方、いらっしゃいませんか?

もちろん、こうした下化粧のやりかたはどこの窯業産地にもあったかもしれませんし、近いところで、笠間、益子などからの供給もあったでしょう。

この3つは鋳込みの成形ではなくて、手挽きです。底に雑な糸切の痕が残っています。


気になる場所

2010-04-22 21:04:01 | ご近所

2007_0101_000000p1010307 岩淵町にある閻魔堂です。犬と岩淵水門辺りを歩いて、岩淵橋を渡って、帰る道すがら、昔から気になっている「閻魔堂」。いつも門が閉ざされているし、境内に人のいるのを見たことがないんです。お堂の中に「閻魔様」がお祀りされているから「閻魔堂」なんだろうけれど、お堂の中を観たことがありません。

ここは東京のはずれで荒川の向こうは埼玉県川口市。昔は日光御成街道(岩槻街道)の宿場であったといいいます。地下鉄「赤羽岩淵」の駅からそんなに離れてはいないけれど、岩淵町の中は迷路のようで、今でもちょっとした懐かしい感じの家が残っていたりするんです。旧家も結構あって、外からは見えないけれど、ご先祖代々の神様とか祀っているんでしょうね。

今から10年前と遡らない話なんですが、ここの町内の荒物屋で経木の絵馬を売っていたんですよ。「絵馬」というと、今では観光地の有名な神社仏閣で記念に授与しているプリント製のものが圧倒的なような気がするんですが、本来は願いごとを託して、奉納するもの。絵師に特注で作らせた大きな扁額なんかもありますが、際物屋が経木に描いて、糊口を凌いでいたような話がありますよね。岩淵にあったのもそういう昔ながらの形式のものでした。


今戸焼⑱  都鳥の徳利(白井半七作)

2010-04-19 05:35:27 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010192 「寿ミ田川」の陶印があり、今戸焼の7世白井半七の作だと思います。へら彫り或いは押し印で都鳥が水面にいろいろな姿で描かれています。

7代目白井半七は関東大震災に被災し、その後招かれて関西に移住して開窯した人ですが。「寿ミ田川」の陶印は今戸で製作していた時代のものだと思われます。

手にとってみて、握ってみてなじんでくるようなやさしい歪みというのか、温かみのある形が好きです。土はやはり東京の土ではないようですが、真っ白という感じでもなく、時代がついたためなのかわかりませんが、ざっくりとした風合いに感じられる徳利。こういうのでお酒を呑むとおいしいかも。

黄色みを帯びた釉薬の色も渋くて好きです。

 

 

 

 

 

 

 

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お久しぶり

2010-04-18 22:08:48 | おともだち

2007_0101_000000p1010329 冬場は寒くって仕事場の窓は閉め切っていたし、最近は体調がいまひとつだったりで、これからそろそろ土いじりでも、、、という感じで仕事場に長時間いることが少なかった。

タイミングというものあったのかもしれないけれど、一番身近に感じている黒ぶちさんに久しく会うことがなかった。

すぐそばに新しいスーパーができて、人の往来も前より増えてきたし、猫さんたちにとって居心地悪くなって鞍替えでもしたのかな?もしや黒ぶちさんは、、、?などとよその猫さんたちを見るたびに黒ぶちさんのことを思っていたのでした。

夕方、仕事場に行ってみたら、、、黒ぶちさんに茶ぶちさんがいました。

お久しぶりです。会えてよかった。

これから土いじりが楽しみです。2007_0101_000000p1010323


子の権現

2010-04-18 13:20:25 | ご近所

2007_0101_000000p1010308 生れ育った赤羽でも近所の路地全てを知っているわけでもなく、未踏の路地もまだまだあるんですが、岩淵の小山酒造の裏手、八雲神社の近くの路地にこんな祠があるなんて知りませんでした。

中を覗いてみると、草鞋が奉納されてる。何の神様をお祀りしているんだろうかと思いながら写真を撮っていたら、向かいの家の方が出ていらして、お話を聞いてみたら「子の権現様」なんだそうです。飯能の奥のほうにありましたね。

腰から下の病の治癒にご霊験あらたかだとかで、草鞋奉納してあるのもさもありなん、と納得。お話によれば、このお宅の曾祖父に当たる方が勧請されたそうで、昔は敷地内の別の位置にあったそうです。

それにしても今まで知らなかったなんて。まだまだ近所にも知らないものがたくさんあるのかも、、、。


今戸焼⑰ 言問団子の都鳥皿

2010-04-18 12:48:17 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010311 言問団子と言えば、長命寺の桜餅と並んで、墨堤の名物というだけにとどまらず、全国的にも有名な東京を代表する老舗のひとつです。創業は江戸の終わり頃と聞いていますが、詳しいことは他で紹介されていますし、ここで今更という気がします。

このお店で使用された都鳥の菓子皿。確か、昔お店に行ったとき、ウインドーの中に飾られていた由縁の品々の中には三浦乾也作の皿もあったかと記憶しています。使われていた皿は、いろいろな作者によるものがあったのでしょうね。

2007_0101_000000p1010312 画像3枚目の右側の皿を除いては、全て白井本家の善次郎家で作られたものだと思います。皿それぞれに善次郎家の陶印があるわけではなく、都鳥のシルエットに「言問」という文字の入った印が押されています。

昔、善次郎家の白井和夫さんをお訪ねしてお話を聞いたところ、見せてもらったのとほぼ同じです。和夫さんご自身も作っていらっしゃったそうです。

割と厚手で、また焼成温度もそう高くないためか手取りが重いです。他からの取り寄せの白い土でできています。

都鳥もいろいろなポーズのあったようで、全部で何種類くらいあったのでしょう?同じ柄でも揃えなければならないから、型紙などを使って目安をつけた上から、鉄の下絵具で描いたのでしょうか? 3枚目右の皿は他の作者によるものでしょう。

隅田川のこちら岸には「墨田川焼」とか「百花園焼」という焼きものがあって、都鳥はポピュラーな題材で、香合とか皿とか盃に徳利その他、いろんな製品があったようですし、一説には素焼きの生地を今戸から取り寄せていた、なんて話も聞きます。陶印が違うとかありますが、職人さんの行き来もあったでしょうし、ブランドとしては独立していますが、根は今戸とつながっているんじゃないかと思っています。なんてことを書くと、専門家の方に怒られてしまいますかね。   2007_0101_000000p1010313

 

 

 

 

 

 

 

 

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4月だというのに、、、、

2010-04-18 00:38:41 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010310 桜も終わって、そろそろ水温む季節だな、そろそろと思っていたら、この寒さ。人形の彩色は膠を使うんで、涼しい季節から寒い季節がやりやすいんですが、土いじりは反対に暖かい季節でないと手が凍えるし、乾きも悪い。

恥ずかしい話なんですが、作業用に借りているこの部屋、湯沸かし器をつけていないんです。冬場は大きなホーローの洗面器でお湯を沸かしては、使い、継ぎ足していて、加湿器代りにもなり、絵具を溶くとき、そのまま湯煎にかけることもできるんですが、粘土の冷たさには手が痺れてきます。

そろそろ土いじりを始めたいな、と思っている矢先の寒さで困ってしまいます。


お気に入りのお店③

2010-04-18 00:24:56 | おいしいもの

2007_0101_000000p1010301 有名店だから、今更という感じですけど。

肉まん、あんまん、しゅうまいのお店。肉まんは中身がおつゆたっぷりで、あつあつのを食べる時には、おつゆがこぼれないように注意が必要です。タマネギの甘さのあるおつゆです。

もともとこのお店は現在「洋服の青山」があるビルの土地に建っていて、一階と地下に食堂があって、一階の一部でおみやげとして売っていたんです。洋食、和食、お子様ランチ、、メニューも豊富だったけど、中華が一番おいしかったと思います。値段も大衆的でした。

その後、建て替えになったんですが、今の場所の向かいに仮店舗を出していたんですが、建て替え後も、もとへ戻らず、今のところに移ったという訳です。

セキネは浅草の新仲見世と寿司屋横丁の交差するところにもあって、今でもやってると思いますが、地元で気やすく食事できるのがよかったんですけどね。しかし肉まんは今でもおいしい。地方発送できないのが残念ですけどね。


赤羽一番街

2010-04-18 00:09:03 | ご近所

2007_0101_000000p1010299 最近一番街の建て替えが進んでいます。まあ戦後の普請なんでしょうし、耐久性という意味では必要なんですかね。もともとこの辺りは戦後の闇市で有名だったみたいですね。既に建て替えたところもあるんですが、もともとあった店が入るというわけでもないみたいです。「おもちゃの玉屋」さんはずっと離れたところへ移転したままだし、もともとあったところへは新しい飲食店が入っています。最近目立つのは、ホルモン焼とか新しいラーメン屋さんとか、、。子供の頃の記憶では、おもちゃ屋さんだけでも「玉屋」さんともう一軒ありました。魚屋さんの「魚鈴」さんももう無い。新本屋さんも2軒あったけどどちらも無い。肉屋さんも2軒あったとおもうけど、両方とももう無い。荒物屋さんもあったし、文房具屋さんも2軒あったけどどちらももう無い。「ブラジル」という古めかしい喫茶店があって、店内はビニール張りのソファーなんかで、昔風の甘い「ザッハートルテ」が食べられたんだけどもうない。街は絶えず新しくなる、というのも悪くはないけれど、何を買うならあそこ、という勘がなくなってきています。何だかさびいしいような、、、。


今戸焼⑮ 馬上盃(白井善次郎作)

2010-04-16 20:49:26 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010194 陶印があり、 「白井善次郎」の作であることがわかります。でも何代目のものなんでしょうか?善次郎家の白井和夫さんで何代目なのか、これも聞き洩らしてしまったんです。ただ、和夫さんか父親の善次郎さんから数えて7代前に半七家が分家したそうです。また半七家の代々は名前を継ぐ時には必ず、本家である善次郎家にあいさつに行ったらしいです。亡くなった9代半七さんが名前と継いだとき、はるばる関西から和夫さんのところにあいさつに来たそうです。

馬上盃は、馬の上でも安定して酒を飲めるように高台が握れるようにつくってある器です。作りを底から見てみると本体と高台を別々に作って接合しています。

器の側面をへらか何かで削ったような装飾があります。これを何と呼ぶのでしょうか?

釉薬も複雑な発色で緑がかったような、小豆色のような色です。

 

 

 

 

 

 

 

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