桜は開花したのでしょうか?
今年は例年に比べて遅いようですね。卒業式向けには遅くて残念だったかと思いますが、入学式向けにはラッキーかもしれません。
桜ということで思い出しとりあげます。茶道については皆目わからないので、猫に小判かもしれません。箱に「隅田川灰器」と書いてあります。
白井家の本家「白井善次郎家」で作られたものです。底に「白井善入」という陶印があります。何代目の善次郎さんの作でしょうか?
器の側面に桜の花びらが陰刻され散りばめてあります。「桜=隅田川」ということなのでしょうか?そういえば、これまでこの「今戸焼」のカテゴリーでとりあげた器物のいくつかにも桜の陰刻のあるものがありました。特に橋本三治郎作の炉台には桜の蕾に「隅田川」という文字も陰刻されていたので、やっぱり「桜=隅田川」という趣向なのか?もちろん今戸の川向かいの墨堤の桜は昔から有名ですし、「長命寺の桜餅」という名物まであります。浅草側の岸辺も今では隅田公園の桜で有名ですし、言問橋の袂には瀧連太郎の「花」(春のうららの隅田川♪)の碑もありますね。
今から20年くらい前に葛飾区の宝町にいらした「善次郎家」の白井和夫さんを訪ねて、焼成窯や仕事場を見学させていただいたことがありました。同じく葛飾区内青砥の内山英良さんのお宅にもお邪魔したのですが、どちらをお訪ねした時も感動しました。趣味品とか民芸品という看板ではなく、ごく普通に植木鉢とか焙烙だとかを作っていらっしゃるんです。「ああこれが今戸焼の本来の姿なんだ、、、、、。」と。内山さんのお宅の敷地には粘土の山があって、近くで採取された土なんです。「これは粘い土」「あっちはさくい(粗い)土」とお聞きして、ふたつを混ぜ合わせて製品に合う土にブレンドするそうでした。
白井和夫さんの家(善次郎家)は東京大空襲のあと、葛飾に移られて家業を続けておいでだったそうで、もとは今戸にいらした訳です。今戸神社の狛犬の基壇の連名に刻まれている「白井善次郎」家なんです。白井和夫さんから7代前(8代前だったか?)に善次郎家から分家したのが「白井半七家」で、同じく狛犬の基壇に名前が刻まれています。知名度としては「半七」のほうが知られているので「半七家」が本家のように書かれているものもありますが、「善次郎家」が本家で、「半七家」は分家。それと今、今戸にいらっしゃる白井さんは幕末頃、「善次郎家」から「清二郎」という人が分家してそこから続いているそうです。「半七家」は七代目の時、関東大震災で罹災されたのをきっかけに小林一三ら関西のお茶人に招かれて、兵庫県の宝塚に移住され、あちらで窯を築いたそうですが、それ以降も代々の当主が変わる度に本家の「善次郎家」に挨拶に上京されるのが慣わしだったそうです。
お邪魔した当時、和夫さんから色々なお話をお聞きしたものの、こちらが理解するだけの予習をしていなかったので、今になって本当にもったいないことをしてしまったと後悔しています。「みがき」のことや昔の今戸のことなど、、、。有名な言問団子の都鳥の皿も善次郎家で焼いて納めていた話、隅田川に架かる「吾妻橋」の土台の煉瓦や丹那トンネルの煉瓦作りの技術指導にも和夫さんのお爺さんの善次郎さんが関わっていたとか、、。それと今戸焼の土人形の尾張屋さんの話、「猫屋」さんの話も出てきたので、最近尾張屋さんの金澤家からお聞きした話と繋がってくるのです。
画像の灰器に話に戻ると、和夫さんのお話で、白井家の楽焼では釉薬をかけてから砂を振るとか(或いはその反対?)聞いた憶えがあるのですが、画像の口縁の辺りに砂っぽいものが見えるのが、このことなのか?と思っています。「半七家」の作の香合でも砂っぽいものがついているのを見た憶えがあるので、同じことなのでしょうか?できることならば、今こうした現物を持って、和夫さんに質問できたらよかったと思うばかりです。
「桜=隅田川」という趣向なのかわかりませんが桜の花の陰刻のある今戸焼の器物について他にも記事にとりあげていますのでお時間ありましたらご覧ください。
炉台(橋本三治郎作)→
紅塗りの手あぶり(白井半七作)→
紅塗りの手あぶり(橋本三治郎作)→