東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

昔の木版画「当たり役集」?

2010-09-30 22:41:16 | 錦絵

2007_0101_000000p1010745 掃除していたら出てきた昔の木版画。自分でどこかで求めたものですが、いつ、どこでだったか思い出せません。

描かれている役者さんの取り合わせから、昭和10年から15年頃のものではないでしょうか。

というのも右上の二代目市川左團次が昭和15年にこの中で一番早く亡くなっているので。「勧進帳」の富樫ですね。烏帽子の紐が白。橘屋は紫だったとか。楽劇らしく堂々とした風格のある富樫だったそうですね。

その下は記録映画として残っている七代目松本幸四郎の弁慶です。この人は昭和24年に亡くなっていますが、晩年までスタミナのある力強い舞台だったそうです。

その下が「花の橘や」と言われた十五代目市村羽左衛門の源氏店の与三郎。昭和18年疎開先の信州湯田中で不遇にも亡くなられた役者さん。立派な横顔高い鼻。父親はフランス人だという噂があったそうです。パリの旅行した際、ミロのヴィーナスを観て「手の切れた女に用はねえ」と言ったとか、、。与三郎といえば橘屋で、録音もたくさん残っています。戦後SKDの川路龍子さんが橘屋張りの演しものを盛んにやっていたそうで、うちの母が川路さんのフアンでした。

左上は六代目尾上菊五郎の鏡獅子の前ジテお小姓弥生。幸いにも小津安二郎監督による映像が残っていて、踊る姿を観ることができます。六代目の役者さんがあまたいる中で、「六代目」といえば尾上菊五郎の代名詞となっています。昭和24年没。

その下は初代中村吉右衛門の河内山宗俊。「~左の高頬にひとつの黒子.」「ヤッ」。というところ。これも録音が残っていて名調子を聞くことができます。この中ではこの人が最後まで残っていたので映像もいくつか残っています。

その下は「六代目」の髪結新三でしょうか。「おべえは ねえと 白張りの~」と永代橋のところでしょうか。これも録音が残っています。

6つの枠に5人の役者。それも「六代目」が二度描かれているのはやっぱり当時の劇界の人気のため?それとも絵師が音羽屋びいきだったのか?

この木版画、シールのように切り抜いて、ひいきの役者さんの顔を貼ったりしたのでしょうかね。


広重画 「浄るり町繁華の図」より⑤

2010-09-30 21:58:22 | 錦絵

2007_0101_000000p1010743 丸〆猫屋が描かれていることで話題となった錦絵のシリーズの他の絵について、今回は5回目です。

この絵を見ると、描かれている大方の人物の世界は想定できるのですが、ちょっと悩んでしまう点もあるのです。

わかるところから片付けていきます。

画面左上は語りの席のようで演台の上の行灯に「二たば軍記」と書かれているのが見えます。つまり、「一谷嫩軍記」熊谷陣屋の段。語っているのが熊谷直実で、「さても去んぬる6日の夜、、」とやっているのでしょうか?ふたりの見物の右が熊谷夫婦の旧主で恩人であり敦盛の母である藤の方。左側で煙草をのんでいるのが熊谷の妻・相模ということになるのですが、紋が「向かい鳩」ではないです。

中段右、筵の上で三味線を弾く前帯の女性。行灯には「三きょく」とあり、「壇浦兜軍記」阿古屋の琴責めであることがわかります。聴き入る3人のお侍。手前は情け篤き庄司重忠で後ろが赤っ面の岩永。そのまた後は榛沢六郎でしょう。お琴と胡弓は見えません。歌舞伎や文楽がまだ一般的に親しまれていた戦前頃まではこの「重忠と岩永」というキャラクターの比喩で「あの人は重忠のような人なのにあいつは岩永のようだ」と云う風に日常的に使われていたそうです。

下段右の傘売りはもう与市兵衛で蛇の眼を手に取っている人相の悪い男はいかにも斧定九郎ですね。左でそれを覗いているのが勘平のようなのですが、背負っているものが水鉄砲のようなのが皮肉ですね。斧定九郎の扮装が中村仲蔵が工夫したといわれる黒のいでたちに朱鞘なのですが、本行の浄瑠璃や関西の古い型だともっと野暮ったいものなのではないでしょうか?「仮名手本忠臣蔵」五段目の山崎街道であることは言うまでもありません。

下段左は角樽が転がって裃姿のおっさんがいい気分にできあがっている。五斗の三番叟ですね。「義経腰越状」。横にいる犬は風俗画としての添え物でしょうか?野良犬が酔っ払いの拡げたものを食べていたとかいいますし、、。

残りふたつが私には悩みの種です。

中段左の二人。鍋蓋売りって実際あったのでしょうか?これって塚原卜伝と宮本武蔵の「鍋蓋試合」というやつでしょうか?しかしこれを浄瑠璃化させたものって聞いたことがないのでわかりません。探せば意外とあるのかもしれません。

右上の「ござ売り」のおじさんとお客の女性ふたり。私の観たことのある芝居の記憶からはこういう場面を連想させるものがないんです。女性はふたりとも筵を抱えているし、手前の女性は手ぬぐいを冠ってますね。後ろめたそうな、、。江戸の世話狂言だと「夜鷹」でしょう。しかし浄瑠璃は上方が本場だし、向こうの呼び方だと「惣嫁」ですよね。「惣嫁」の登場する浄瑠璃って結構あったのではないでしょうか。まだ観たことがないのですが、矢間重太郎の話。重太郎の妻おりえが重太郎の留守の間、疱瘡の子と舅の残った家の家計のために「惣嫁」をしていて、乞食と争ってその乞食が実は夫であったという場面があるそうで、それなのかどうか、、、。そうだとすれば「太平記忠臣講釈」かも、、。

とにかく観たことのないものはわかりません。

この錦絵シリーズで丸〆猫屋の描かれた絵についての記事はこちらです。


親切すぎる中華屋さん

2010-09-29 00:52:22 | おいしいもの

2007_0101_000000p1010732 志茂5丁目にある中華屋さんの「大豊」さん。

住宅街のなかに一軒建っていて、夜にもなると暗闇の中にポツンと看板が見えるという風情です。

以前から前を通り過ぎては、気になっていたのですが、今回はじめて入ってみました。

おばあちゃんがひとりで切り盛りしています。

メニューを見て、ラーメン¥380とはいまどきびっくり。いつものようにワンタン麺の大盛りを注文しました。

麺は卵麺のような太目のちぢれ麺です。スープはやっぱり昔懐かしい感じ。さっぱりとしているけれど、肉汁のようなこくがずっしりとした味。

手の空いたおばちゃんが、いろいろと話かけてくれるので、こっちもついつい自分の知っている赤羽の昔ばなしや身の上の話、世間ばなしに花が咲いてしまいました。

ふと、「あなた大盛りを注文したんだからお腹空いているんでしょう?」と定食用に作ってあった芋の煮ころがしをよそってくれました。「すみません。ありがとうございます。」

昭和45年からここでやっているそうです。おばあちゃんの身の上話も聴かせてもらって、また来ます。とお勘定を済ませると、「生の餃子を持っていらっしゃい」とパックに詰めてくれます。

「御商売なんですから、お代をとってください。」と言っても、「いいよいいよ」と、、、。

結局もらってしまったのですが、何だか悪いような、、、、。 また行きますね。


とほほ、、

2010-09-28 18:47:51 | おともだち

2007_0101_000000p1010670 昨夜、夕ご飯の前に仕事部屋まで物を取りに行きました。

物を探している間に、しろちゃんがやってきて部屋の中を探検し始めてしまい、、。すぐに自宅へ帰って、ご飯を食べようと思っていたのですが、しまいには、奥のほうでしろちゃんがすっかりく寛いでしまって、、。

ここの部屋は物がたくさんあって、、学生時分に描いた習作だとか古いキャンバスや木枠、イーゼルなどが押し入れに入りきらずに重なり合っているので、その隙間は猫さんにとっては楽しい迷路、あるいはジャングルみたいなのでしょう。 茶ぶちさんが小さな子供を咥えてきて、迷路に置いていったり、黒ぶちさんも迷路が大好きでした。

こっちはお腹が空いて辛いのですが、せっかく遊びに来てくれたお客様を追い返す事もできず、しろちゃんが自分から外へ行くまで待っていました。

2007_0101_000000p1010673


貸本屋さん

2010-09-27 20:51:18 | ご近所

2007_0101_000000p1010731 志茂にある貸本屋さんです。

朝の連続TV小説の「ゲゲゲの女房」に貸本屋さんが出てきました。昭和も40年代くらいまではこうしたお店も需要があってどこの町にもあったのでしょうね。

確かに私の小学生時代には赤羽にも何軒かあったように憶えていますし、十条界隈にもありました。しかし今でも営業しているというのはかなり珍しくなっているのではないでしょうか?

戸板康二さんの随筆は楽しくて繰り返し読みますが、その中でこういう話があったかと思います。

推理小説の大好きな人が、貸本屋さんから一冊借りてきて、いそいそとページを開くと、表紙裏に犯人は誰か落書きしてあった。こんなに情けないことはなかった、とその人がぼやいたとか、、、。


今戸人形「鳩笛」 (尾張屋春吉翁 作)

2010-09-27 20:30:17 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010734 最後の今戸焼の土人形の作者であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)による鳩笛です。

鳩笛は全国各地に分布していて、子供の無事な成長を祈る玩具であるという風なことを読んだことがあります。

鳩は神社仏閣の境内にいますが、浅草寺の境内の鳩の群れは昔から特に知られているようで描かれた錦絵や石版画、古い絵はがきを見ても正面に観音堂があり、その手前の両側に赤い日傘をさした頬かむりのお婆さんが鳩にやる豆を商っている様子が見られます。

また、浅草寺みやげに鳩の形をした土人形や玩具がいろいろあったようで子供の食膳に供えると胸のつかえに効能があるとか言われていたようです。

浅草で売られていた鳩笛にはいろいろな種類があったと思われます。鉛の釉薬をかけたものが近世遺跡から出土することが多く見られるほか、画像のような素焼きに彩色したものもいろいろあったのでしょう。

この尾張屋春吉翁による鳩笛は関東大震災の後に作られたものですが、驚くのはこの配色が人形の吉徳さんに残されている天保年間の人形玩具の彩色見本帳に描かれている鳩笛の色の指定と酷似していることです。春吉翁は教わったとおりの配色を墨守していたのでしょう。

この鳩笛も従来の2枚の割型で作られているのだと思うのですが、型の合わせ目がどうなっているのかしげしげ眺めても不思議に思っています。尾から翼の付け根まではわかるのですが、頭から嘴にかけてが謎です。目が出ぱっているのですが目の周辺に合わせたような痕が見えません。嘴から後頭部にかけてバリをならした痕のようなものが見えるのですが、、。まさか3枚の割型という手の込んだやり方だとは思えないのですが、、。

今戸焼「施釉の鳩笛」についてはこちら→

 

 

 

 

 

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今戸人形「おいらん」 (尾張屋春吉翁 作)

2010-09-27 19:50:12 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010733 最後の今戸の土人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)による作です。

昔の今戸の土人形の中でも特に知られた代表的なものでしょう。 全国各地に伝わった土人形にもおいらんはありますが、ここ今戸は近くに新吉原の遊郭も控えており、土産やプロマイド的に憧れの対象として求められたのでしょうか?

春吉翁によるこの人形よりもひとまわりもふたまわりも大きな同じ形の伝世品の写真を観たことがありますが、実際に手にして観ているのはこのサイズです。

不思議なことに、春吉翁やその養父である兼吉翁による人形はかなり有名だったり、出回っている人形であるのに、近世の考古遺跡から出土したという例をまだ観たことがない種類もかなりあります。

このおいらんの人形も不思議と出土品を見ませんでした。ところが一昨年だったか通院の帰りに本郷通り沿いの東京大学管理の土地の発掘現場に偶然遭遇して見学させてもらったところ、これとほぼ同じサイズの出土品がありました。

俎板帯の緑色に塗られているところには、よく見えませんが、ポコポコとした彫りがあるのです。俎板帯の図柄なのですが、一体何を描いてあるのか長年疑問に思っていたのですが、色の取れてしまった出土品を見てもよくわかりませんでした。

春吉翁による人形の彩色は実に美しく、きらきらと宝石のようです。

 

 

 

 

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工事現場

2010-09-26 15:06:11 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010712 ゆうべ、家に帰ってから、わが家の犬の散歩へ。

自宅のすぐ近くに新たな工事現場を発見。この辺りは昔田圃だったところなので、地下には粘土が眠っています。

夜が明けてから、移植べらを持って早速粘土をもらいに、、。

近所のおはさんが「また土掘ってるの?」と言いながら通りすぎていきました。


無事でよかった

2010-09-26 00:50:44 | おともだち

2007_0101_000000p1010698 十五夜の猫さんのことが気になって夜分にまた来てしまいました。

来たすぐにはいなかったので、ああやっぱり、、と思って帰ろうとしたところ、背後から走り寄って来てくれました。

どしゃぶりや気温のことでひどく(勝手に)心配していたので、無事でよかった~。

お腹空いてる?と聞くと返事をしてくれます。早速差し入れ。夢中になって食べていても、話かけると食べながらも相槌を打ってくれます。

以前は飼われていた猫さんなのでしょう。捨てられてしまったのか?

街中の猫さんだと雨を凌ぐところがあるのですが、ここでは心配。でも余計なこともできず、、。

せめて一口でも猫さんのお役の立てばうれしい。

いい年したおじさんとしてこういう事をしているのは恥ずかしいことですが、個人のブログとしてうれしいことを書き込むのもまあいいかと、、。

独善的だと思う向きの方もおられるかと思いますがね。


いい感じのお店

2010-09-26 00:34:59 | ご近所

2007_0101_000000p1010650 赤羽駅東口から川口寄りに高架沿いに進んだところにある焼とん屋さん。かなり昔からあるお店なのですが、行列になっていて繁盛しているようです。

いい感じですね。私は入ったことがないのですが、、。というのもほとんど呑まないものですから。飲めないのではなくて呑まない。実際お酒の味ってわからないので、家でひとりで呑むことはなくてもっぱらお茶党なんです。

しかしこの店構えは素敵です。


ポンポン船

2010-09-26 00:23:03 | ご近所

2007_0101_000000p1010679 ここはまだ荒川と合流する前の新河岸川。志茂橋のところです。100メートル下流は既に荒川と合流して隅田川になります。

いつもじっくりとここにいる訳ではないのですが、ポンポン船を見るのは実に久しぶりです。

小さかった頃には川の水が汚くて、舟の往来も頻繁だったように憶えています。岸に接岸したままの舟に住んでいる人もあって、甲板に犬もいたりするのをよく見たものです。

往来するポンポン船には汚穢を運ぶ船もあって、東京湾の外まで運んで行って、海に流す、それが浅草海苔の栄養になるという話を人から聞いてびっくりしたものですが、本当だったのかどうか、、。


月見

2010-09-23 01:35:19 | おともだち
  1. 2007_0101_000000p1010651 そろそろかと思っていたらTVで今日が十五夜だと知りました。夕方、隅田川畔の土手へ月見に行ってきました。

昨晩は月が煌煌としていたのに、今晩はどんよりとした空模様。でもかなり風が吹いているので時折覗いて見えるのではないかと、、。

「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」

紫式部ではないけれど、月が見えたのはあっという間。急いでシャッターを切って撮影できたのが、この画像です。慌てて撮ったのがありありです。

土手に一匹の猫さん。どうしてこんなところに、、?こちらを見て、みゃーみゃー言っている。お腹が空いているのかな、、、?

急いでコンビニでキャットフードを買ってきて、差し入れをしました。

かなりお腹が空いている様子。土手なので、自動車の危険はなさそうだけれど、これから寒くなっていくと辛いかもしれない、ちゃんと雨を凌げるのかな?とか余計な心配かもしれないけれど、元気でね、、、。と名残を惜しみながら帰ってきました。

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今戸人形 「月見兎」 (尾張屋春吉翁 作)

2010-09-22 00:11:24 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010638 最後の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)の作られた土人形です。今戸の土人形の中でもよく知られているものです。

目と耳はスカーレット染料で塗られていて、着物は朱のような顔料、羽織は群青の顔料です。赤でも色を使い分けています。帯は金色のものと緑のものと黒のがあります。

可愛らしい人形なのですが、「その昔、遊女が妊娠しないように、無事月のものを拝めるようにという呪いで求めた」という内容の解説がされている本が多いです。

こうした内容の解説のもとは有坂与太郎の著作に出てくるのがはじめなのではないでしょうか?有坂与太郎はこれをどこから聞いたのでしょうか?当時の古老から聞いた話なのか、あるいは遡って何かに記録されていることなのか?出典についてはっきりと書かれていないので気になります。

こうした内容の古い記述をちょこちょこ探しているのですが、まだみつかりません。ご存じの方がいらしたらご教示いただきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

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今戸焼(31) 消し壺

2010-09-19 19:38:47 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010637 自分の子供時分にはどこにでもあった道具類で、いつの間にか見られなくなったものがいくつかありますが、画像のような消し壺や、今戸焼(1)で採り上げた猫こたつなど、さして遠い時代のものだとは思えません。

子供の頃、あがっていった近所のお宅で現役だったり、縁の下や植え込みのやつでの木の下などにごろごろしていたように憶えています。

画像の消し壺は「棗(なつめ)型の消し壺」というのだそうで、今戸焼の職人さんによって考案されたデザインなのだそうです。画像の品自体がれっきとした今戸焼屋さんによるものかどうかわかりません。博物館の今戸焼研究家の先生だと、「出自のわからないものは認めない」と足蹴りにされてしまうかもしれませんが、日常会話の中での今戸焼のイメージの範疇で十分通用するものだと思います。

この黒いつやは「黒みがき」の仕上げですね。素焼きしたものの表面を那智石と灯明油で磨き、水?溶きした黒鉛粉を塗って再度焼き上げると聞いたように理解しています。

肉厚で蓋もずっしりと重く、安定感のある本体と重たい蓋とで、確実な消火がされていたのでしょう。