荒神様のお参りから戻って、炉内温度が下がった窯を開けて「窯出し」をしています。
被官様の鉄砲狐と干支の酉(鶏)の一陣。12年前に起こした「つがいの鶏」(夫婦鶏)と「鶏のぴいぴい」は既に塗ったものをご紹介しましたが、「一文人形の諫鼓鶏(かんこどり)」と「火の用心鶏」と「諫鼓鶏(かんこどり)」はこれがはじめての素焼きです。これから色塗りに入ります。
荒神様のお参りから戻って、炉内温度が下がった窯を開けて「窯出し」をしています。
被官様の鉄砲狐と干支の酉(鶏)の一陣。12年前に起こした「つがいの鶏」(夫婦鶏)と「鶏のぴいぴい」は既に塗ったものをご紹介しましたが、「一文人形の諫鼓鶏(かんこどり)」と「火の用心鶏」と「諫鼓鶏(かんこどり)」はこれがはじめての素焼きです。これから色塗りに入ります。
乾燥させていた人形は一昨日素焼きをはじめ、窯出しをまっているところ。11月27日・28日は品川千体荒神さまの秋の大祭。我が家は直火ではないものの、素焼きを行う焼成窯の無事安全を願って窯の上に荒神様のお札を貼っているので、お参りに行ってきました。京急「青物横丁」の駅の真裏にあり、となりの「品川寺」と並んでいるので、ホームに降りただけでお線香の香りがしました。旧・東海道に立つと流石に大祭だけあって露店が並んでいます。
山門をくぐると境内にも露店が、、。護摩堂にはお幕がかかっています。
このお幕の紋をみてください。「荒神さまといえば松」なので紋も松なんですね。
護摩堂の内部。天井を見上げれば、格子にたくさんの「火消の纏(まとい)」そして鶏の扁額も観られます。
再び境内に出て「荒神さまの松」を鬻いでいる露店。
それと荒神さま名物の「お釜おこし」の露店。
こういう露店ってうれしくなりますね。能書きがうれしくなります。
新しいお札をいただいて、おこしを買って、帰りは歩いて大井町の駅へ行きました。国道沿いにあるお寺を見たら「海晏寺」(かいあんじ)とあって「えーっつ! アレ見やしゃんせ海晏寺♪ って俗曲に出てくる「海晏寺」?」らしくてびっくりしました。昔から紅葉の名所とか言われていたはず。
品川 荏原の方面は全然知らないんで、不勉強でもあり、ゆっくり歩きに来てみたいと思います。
あと、密かに期待していたんですが、こういう年中行事には露店の中に「鶏の小絵馬」なんかを鬻ぐ店も出るかな?と思っていたんですが、実際なかったですね。ずーっと気になっていたのですが、20年くらい前に川崎の溝の口の駅のそばに「甲州屋」?という神仏具まで扱う人形屋さんがあってその店頭で小絵馬を売っていたんです。2種類あってひとつは所沢の人形屋で描いている(木地は東京の日の出町)絵馬でもうひとつ経木製の見慣れないのがあったので川崎とか東京の城南地区にでも流通しているのかな?と思っていたので、この辺りに来れば出会えるかも、、と思っていたんですが、、。
小絵馬も神社仏閣自ら出している現代風や記念品風の絵馬に代わってきているご時世なんで、昔っぽい際物屋製の絵馬は今後もっとむずかしくなるのかなと思ったりしました。
先日一文人形の「諫鼓鶏」を作りながら、一文人形よりもひとまわりもふたまわりも大きいサイズの「諫鼓鶏」が今戸にあって、それから型抜きを重ねて一文人形になったのでは、という考えに至りました。そしてそれは他の今戸人形にもあるように伏見人形からの型抜きで今戸で作られるようになったのではないかと考えてみると、伏見系の滋賀県の「小幡人形」の「太鼓乗り鶏」が構図的に一文人形とほぼ同じで、それなら伏見が原作だろうと思いました。実際同じ型の伏見人形があるかどうかまで確認できませんが、太鼓を除いた鶏のモデリングについては伏見にあるものと小幡人形のとは同じようです。
そんなわけで想定として今戸にもあった伏見系の「諫鼓鶏」が型抜きの繰り返しによって一文人形になったものと仮定して作ってみました。
太鼓部分は裏表とも巴でよいのでしょうが、「諫鼓鶏」であることを強調したいので裏面には蔦が絡んでいるようなつもりで彫りを入れました。裏面は塗らないということがよくあるので、そんなら羽子板の裏絵的な感覚で、、、。本当は太鼓の胴部分に蔦を入れたかったのですが型抜きの関係でうまく彫りが抜き出せなさそうなのでこのようにしました。
12年前の酉年の2種類と最近起こした3種類で合計5種類の鶏です。時間も迫っているのでもっと案はあるのですが、他のものも作らなければならないし、最近起こした型のものも抜き貯めしていきます。いずれにしても早く色をつけてみたいです。
これは創作的な型になりますが、江戸の迷信とか民間信仰とかを背景に盛って作ってみました。その名も「火の用心鶏」。
昨年の暮れ、王子の「狐の行列」のおみやげ向けに起こした「火の用心狐」と同じく、古典の人形である「火の用心」(与市兵衛)の人形をもとに創作しました。独善的な主張になってしまいますが、鶏の江戸の市井のイメージを人形化してみたいと思ったからです。「火の用心狐」の場合は王子の「狐の行列」という行事があり、それに合わせて、提灯を持った姿ということで古典の「火の用心」(与市兵衛)の姿を引用したのですが、今回の鶏の場合は、民間信仰では鶏はとさかの形が「炎」を連想させる形状であるということから「火伏せ」にご利益があるといわれる「荒神様」のご眷属であるというイメージがあります。年の市などで神棚の道具などと一緒に鬻がれている昔ながらの小絵馬の図柄としても鶏は荒神様の使わしめとして描かれていることは少なくありません。鶏の絵馬は主に台所の竈の上や鍛冶屋さん、鋳掛屋さん、銅壺屋さん、錺職人さんなど火を使う職人さんの仕事場にも神棚を作って火の用心、家内安全を願ってお祀りされていました。
荒神様のご眷属⇒火の用心という発想で、古典の火の用心の人形を鶏に置き換えてみたわけです。
この「火の用心」の人形のモデリングにていては2枚の割型を作るためには割目が複雑なラインなので型つくりそのものは少し面倒です。また鶏の顔は正面向きだと何だかわかりにくく、横から眺めてこそ、鶏だと認識しやすい姿です。また型づくりにかんしても鶏の姿は横向きに平行に割目をつけることが多いので、「火の用心」の割型とは割目の方向が直角になってしまって難しいので、今回は体の部分と鶏の頭とを別々の型で抜いて、最終的に頭を体に接合するやり方をしています。
これは偶然ですが、「火の用心」のオリジナルの体のラインがちょうど鶏の動きにも通じるような気がします。左ひじを高く「くの字」に突き上げている姿は鶏の翼にも通じるフォルムに思えますし、腰を曲げて前かがみな感じも鶏が餌をさがしている姿につうじるような感じにも見えると思います。
以上火伏のための庶民の願いの対象が「荒神様」で、鶏は「荒神様」のご眷属のようにイメージされてきたところを人形の古典と合体させてみた、というつもりです。
焼いて、彩色してどうなるか?やってみないと人形としておもしろいかどうかはわかりませんが、まずはやってみているところです。
しっかり色をつけてみないとわかりませんが、早く色をつけてみたいです。
「つがいの鶏」と「鶏のぴいぴい」と12年前に起こした型の人形は型で抜き出しているところですが、まだ他の案もあるので手がけたいと思っていますが、ふと思い出したのが、以前プールしていたお手本の中に一文人形の「諌鼓鶏」(かんこどり)があったような、、、。しまっておいた箱を取り出して捜してみたら、「諌鼓鶏」ともうひとつ捻りの鶏がありました。早速、「諌鼓鶏」のほうをお手本にして型を作ってみました。
「諌鼓鶏」というのは中国の故事に由来する鶏の姿、図案で、太鼓の上に鶏が止まっているという構図で、よく知られているところでは江戸の天下祭と呼ばれた神田祭(神田明神)や山王祭(赤坂日枝神社)で渡御する山車の列の先頭にいる鶏の姿がそれです。祭の様子を描いた錦絵にも見ることができますし、現在でもお祭りに出てきます。また地方のお祭りの山車にもこの飾りは見られます。
昔、中国に尭帝(ぎょうてい)という聖天子が朝廷の門前に太鼓を置き、天子の政道に誤りがある時は人民にそれを打たしめてその訴えを聞こうとしたが彼の政治に誤りが無く、打つことが無かった為、鳥が太鼓に巣食う有様であったと言う故事に由来します。「諫鼓苔深うして鳥驚かず」と漢詩にも詠まれ、天下泰平の象徴とされているおめでたい形なのだそうです。
各地の郷土人形の中に鶏が太鼓の上にとまっている図案のものが見られると思いますが、もともはこの 「諌鼓鶏」からきているようですね。さて今戸焼の土人形の古いものの中にこの構図はあったのかどうか、ずーっと考えていたのですが伝世の人形にも近世遺跡からの出土品にも見たという憶えがなかったので、不思議に思っていました。そして、創作として人形を起こしてみたいと思っていましたが、悶々としていたこと、、。山王様や明神様の山車に乗っている鶏の姿は2本の足で立ち上がって羽ばたいているポーズなのです。作れないこともないのですが、脆い素焼きでは負荷ですぐに壊れてしまいそうです。仕方なく足を直立させず、翼も拡げずに太鼓に止まっているしかないかな、、、といろいろ考えていたのですが、灯台もと暗し、以前プールしておいたお手本用の人形の中にそのものがありました。
一文人形なのでとても小さく、形も甘くなっていますが、実際に存在しているということがうれしいです。一文人形という言葉は今戸焼の人形についての説明には大抵ついてくる有名な「さわり」なんですが、鐚銭一文で鬻ぐために極力手間を省いて作られた粗製の豆人形というイメージですが、実際のところ壊れやすかったり小さくてすぐ失くしてしまいそうなせいか、残っているものにお目にかかることが少ないです。我が家にプールしているもの、そんなにたくさんありませんが、いくつか異なるタイプのつくりのものがあります。
①もっと大きめの標準的な人形と同じく2枚の割り型から抜き出してあるもの。
②片側1枚の型から抜き出したもの、あるいはそれに手を加えたもの。
③型を使用しないで手捻りによるもの。
今回の 「諌鼓鶏」は②のタイプなので「どろめん」にも似ていると思われる方もあるかもしれません。「打ち込み」といって片面だけのつくりの土人形の一種に属するものだと思います。
兎に角小さくて、彫もぼけているので抜き出した形状だけだと何だかわからないような感じで、色をつけてやっと何であるかわかるといった体のものです。
一文人形にあるのだから、もしかするとまだ実見していないだけで、この一文人形よりひとまわりもふたまわりも大きな 「諌鼓鶏」の人形も今戸にあったのではないかと想像してしまいます。
何だこれは?と思われるような出来になるかもしれませんが、とりあえず実在する人形をお手本に作ることのできるありがたさ。これからこのほかの案の鶏にも挑戦してみたいと思います
いやはや大変にご無沙汰しておりました。
いつの間にか寒くなってきましたね。長いこと記事の更新をしていなかった理由は、まず忙しかったこと。そのほとんどが例によって人形作りそのものや材料の土の準備、水簸(すいひ)作業であったり、納めに追われていました。
「干支の酉(鶏)作り③」と言っても①②の延長線上のことなので取り分けて大きな新しさはありません。塗りあがっている様子を画像に撮ってみました。
これら全てずいぶん早くから頼まれていた某店へのお納め分です。前回の「干支の酉(鶏)②」の画像と見比べてもらえるとわかるかと思いますが、配色を少し整理してみました。これら「つがいの鶏」または「夫婦鶏」は12年前に「これは今戸?」と思われるぼろぼろの人形をもとに形を起こしたものなんですが、今回は同じ形でありながら、前回とは違う配色で、「鶏のぴいぴい」のうちにあるお手本パターンから抽出した配色というつもりでいます。
まず、鶏の地色を単なる胡粉の白地にしないで、きら(雲母粉)でパール地にすることで、江戸時代の今戸人形にみられるような古典味が出るか?ということ。また各地の古い人形の中にも見られることですが、赤や緑の発色をよりきれいにさせるために黄色を下に置いて色を響き合わせることで楽しい色合いになるのではないかと考えました。その昔「こけし」にもハマッていた時代の見聞からも例えば昭和戦前の鳴子のこけしの「黄鳴子時代」という様式でも発色を引き立たせるための工夫としてこうしたことをやっていたのを思い出します。
ちょっと手前味噌のような話になってしまいますが。この「おんどり・めんどり」の形状としては全国どこにでもありそうな汎庸なものですが、昨日お納めに伺ったお店の人から「美しいくていい感じ」って言ってもらえてうれしいですね。
できれば、干支の酉に向けてはまだまだ案があるので、たくさんできるかどうかは別として作って世に出したいという気持ちはまだあります。その前に二重、三重、四重、5重に控えているお納めもこなしつつ進めていきたいと思います。