彩色していた人形の一部を包装して荷造りをしています。
先日の帆布の手提げの稼働開始。
銀座の「たくみ」さんへお納めしてきました。これらの人形ですが、、、
6月6日(水)~6月11日(月)大阪・うめだ阪急にて開催される日本民藝協会の催事のブースで並べてくださる予定だとお聞きしました。
よろしくお願いいたします。
彩色していた人形の一部を包装して荷造りをしています。
先日の帆布の手提げの稼働開始。
銀座の「たくみ」さんへお納めしてきました。これらの人形ですが、、、
6月6日(水)~6月11日(月)大阪・うめだ阪急にて開催される日本民藝協会の催事のブースで並べてくださる予定だとお聞きしました。
よろしくお願いいたします。
人形の彩色の進行中。作っている全ての人形とは限らず、一部なんですが、彩色した上に砂子(砂子)を蒔きます。ひとりでやるので結構慌てて行います。
というのも、乾いた面にただ蒔いても定着しませんから、つなぎを塗ってそれが乾かないうちに急いで蒔くので、筆でつなぎを塗って急いで粉筒に持ち替えて蒔くという秒刻みのスリル度がありますね。仮にニスとかラッカーとか粘りがあり乾きに時間のかかるものであれば落ち着いて蒔くことができるのですが、大方の昔の今戸焼の土人形では少数の例外を覗いてはニスは塗らない代わりに膠液を上塗りして照りを出したり、マットな地にも砂子を蒔いているので、昔の人はいったいどうやっていたのだろうか、知りたくてたまりません。人形の素材自体が素焼きでその上に胡粉で地塗りしているものなので絵具でもつなぎでも吸収するのが早いのです。繫ぎを塗ってそれが水溜まりのようにとどまっていてくれるうちに砂子を蒔かないと定着しません。
以前はまがい金箔(真鍮箔)の「切りまわし」という切りくず片を買ってきて「箔筒」という太い竹筒の底にメッシュの張ってあるものへ入れ「たたき筆」でごりごりさせてメッシュを通した細かい箔片を貯めておいて使っていたのですが修行不足のためかふわふわしすぎて目的部分に命中させにくいと感じていました。古い産地の砂子には切り回で砂子をやっているところもあるのかもしれませんが、今戸の土人形の場合もう少し厚みのある砂子ではないかと考え、いろいろ探していてみつかったのが「梨地粉」と呼ばれる真鍮粉です。画像に映っているのが梨地粉です。知らないだけなのかわかりませんが、売っているところがわからない、、というか日本画材屋さんでは見たことがないです。また画像に映っている「粉筒」は漆屋さんで求めたものです。(漆食器で使う砂子は本金だけで真鍮は使わないそうです。)
昔の土人形に使われている砂子は時代を経て酸化して茶色っぽく残っていることが多いので真鍮粉です。(御所人形とか嵯峨人形をはじめとする当時のお金持ち向けの人形には本金が使われているのもあると思いますが、、。)
「犬」と「娘河童」に蒔いているところ。自画採り棒でもあればもっとよい画像が撮れるのだろうと思いますが、ないので臨場感のあるところを撮れません。
ちなみに買ってプールしている真鍮粉はそのまま使えばキラキラしています。昔の人形たちは作りたてのものはキラキラピカピカしていて、それが「ハレ」的なありがたさ、高級感といった付加価値を持たせていたのだと思います。伝世の古い土人形は時間を経て今でこそピカピカがなくなって落ち着いた感じになっているのでしょう。
自分で使う場合、出来立てであればピカピカが自然なことではあり、そのまま蒔いていたのですが、ちょっとけばけばしすぎると感じることがあって、使う前に燻してピカピカのトーンを意図的に落として蒔いています。画像の砂子が黒っぽく映っているのはそのためです。
今でも残っていたら欲しいと思っていた帆布製の手提げ。教えてくださる方があってその実物をゲットすることができました。
小学生の頃、牛乳屋のおじさんがガラス瓶の牛乳を入れて運んでいた思い出そのものでです。はじめ時代の空気や埃を思いきり吸い込んで、かなりの色になっていたのですが、重曹を溶かした水をたらいに張ってその中にしばらくつけておいてズック洗いのたわしで擦ったり、両足で踏み洗いしたりで3回水を取り換えて(水は真っ黒)そのあとメッシュの洗濯カバーに入れて洗濯機で洗って干しているところ。
外は雨なので室内干しで8割方乾いてきているところ。天気が戻ったら天日干しにします。昔校庭で運動会のテントを張っていた頃と同じ匂いがしますが、まさしく帆布。持ち手の裏側を皮革で補強してあるんですね。高さは普通の牛乳瓶の高さ+αくらいで浅めですがマチの幅があるので中くらいの段ボール箱ひとつはゆったり入りそうです。人形の納めに使えそうです。「あったらいいな、、、」と思っていたものが降ってきたという感じでホクホクしています。
「画竜点睛を欠く」とか言いますが、「龍を描いても最後に眼を入れないと完結しない」というような意味ですね。わが身で考えると、顔は大切で一番最初に眼を描いて、耳、鼻孔、口、髭、眉という順に大事なところを最初に入れないと始まらないという感じです。仮に先に胴模様だの首輪だのを先に進めて後で眼を描いたらうまくいかなくて全ておじゃんというのは嫌なんで、最初に顔を済ませ、そのあと他の部分を埋めていくというのが安全な進め方でもあるし、筆を入れるにしても先に顔を入れてから周りを進めるほうが持つ位置も確保できます。そんなわけで故事とは逆な順番になりますね。
まだ鼻孔や耳、口が描き込まれていないと生気がないという感じです。
先日の近所からもらってきた土に一部を向かって右の第一ばけつでふやかしておきました。左の第2バケツに寝かせておいた撹拌して篩(ふるい)でろ過した泥しょうも沈殿して上澄みの水と分離しているので水を他のバケツに移してその隙間に右のバケツの土を撹拌して篩にかけて流し込んでいきます。先日もらった土は地表はカラカラに乾いているようでしたが、地中にあった分は水分を含んでいたので思った以上に柔らかくなっていました。
左のバケツがほぼいっぱいになったところ。右の土もだいぶ減りました。明日あさってには左のバケツはまだ沈殿するので、また上澄みを取り除いて右の撹拌した泥を加えていきます。このところ同じような画像ばかりでワンパターンですが、天気がよい証拠。雨の日でも傘をさしてできなくはありませんが、天気がいいに越したことはありません。
作業を終えるとバケツの上に果物の種から育った大群を戻します。柿の葉、梨、さくらんぼ、みかん、むくろじゅなど満員じょうたいで、土地のあるところに里子に出してあげたいのですが、、、。
食べた果物の種を捨ててしまっては、せっかくの生命の機会を奪ってしまうようで申し訳ない、、。そんな気持ちで植木鉢に蒔く癖があるんですが、結構発芽しますね。画面中央奥のカップラーメンのカップや四角い鉢の芽は昨年食べた種を蒔いておいた分なんですがどんどん発芽しています。
もとは奥の口の四角い鉢にばらまいて埋めておいたものの中でもリンゴ?なし?の発芽が早くて、すくすく葉を拡げて他の発芽の遅い芽たちの光合成を奪っていて可哀そうなので、大きくなった芽はカップラーメンのほうに移したところ、日陰で元気のなかった芽もお天道様を拝んですくすく成長中でした。
双葉だと違いに気が付かなかったのですが小さい芽たちはブドウみたいです。
こっちの鉢は十五夜さんが我が家に来た頃蒔いたブドウの種が育ったもの。
こっちも同じ時に蒔いたものです。時間の経過を思わずにはいられません。どうしたらよいかわからないのですが、蔓は日々どんどん上に向かって伸びているんですが中ぐらいの鉢から棒を追加していくのも大変です。鉢ではなくて地面ならいいんですが、、。剪定してあげたほうかよいのかどうか、、。
今戸人形に限らず、古い産地の人形の古い時代の人形には胡粉の下地の上に更に「きら」(雲母粉)を塗って仕上げてあるものがあります。そのもとというのは「御殿玩具」という練り製の吉祥的な人形を真似したものでしょうか。当てずっぽうで正しいことはわからないのですがそんな気がします。人物の肌もキラがかかっているのも観たことあるように思いますが、白い動物の地肌だとかはよく見ます。
我が家の場合、丸〆猫の嘉永安政風型とか本丸〆猫とか鞠猫、羽衣狆や犬、それと鶏にはキラの地塗りをしています。自分でやってみて感じるのはキラを使う場合には胡粉の地塗りを慎重にして塗りムラがないよう、ムラがあったら胡粉で重ねて塗っておかないとキラがかかってから汚く見えやすいということです。何でなのかわかりませんが、キラは粒子の細かいのを使うので、そのつなぎが表面に露出しやすいのか透けて見えてしまうんですね。そう思います。
キラを塗らない人形でも猫や犬など胡粉の地の面積がたくさん露出する場合はムラがないよう重ね塗りして潰しています。上から他の泥絵具で塗る部分はそんなに神経質にはならないんですが、顔とか白地が露出するところは気をつけています。
時間の流れ的には先の工事現場からの土もらいより前なのですが、今日は日中泥いじりに明け暮れていました。上の画像は石膏吸水鉢で3週間くらい寝かせていた水簸(すいひ)済、沈殿済の泥しょうです。表面にクレバスが走ってますから、中身はまだまだ緩いですが、とりあえず蓋つきタッパーに移して次沈殿泥しょうを流し込みます。
第三バケツ(泥しょうの一番濃くなっているバケツ)からありったけのを掻き出して石膏鉢に移したばかりの状態。左のほうが濃いのはバケツの中で高低差をつけて寝かせて高い部分のものだから。右のは低いところの泥でまだ水気がだくさんあるところ。ふたつともこれから数週間寝かせます。
第二バケツの蓋を取ると前回まで沈殿させていた泥部分がかなりしっかり沈殿しています。上澄みの水を他へ移して泥だけを第三バケツに移し空にしました。
空になった第二バケツ(左)に第一バケツ(右)から撹拌した泥しょうを篩(ふるい)にかけながら移し、おおかたいっぱいになったところ。明日には右のバケツの沈殿で上澄みを他に移して再度第一バケツから撹拌した泥しょうを移します。先の工事現場からもらってきた土は先ほど右の第一バケツに入れ、水でふやかしているところです。前回の撹拌のときはそれほどでもなかったのですが、真夏のような暑さなのでさすが蚊も元気に飛んでいて、蚊除けスプレーをして作業していますが、汗で流れてしまうのでマメにスプレーして作業しています。十五夜さんは蚊にやられないよう、今日は室内で待ってもらっています。(犬猫用蚊取線香は焚いています。)
わが家から直線30メートル以内のご近所で家の建て替え工事をやっています。数日前から始まっているのですが昨日あたりまで重機が稼働していたので、そのそばで土くださいというのも迷惑だろうと思い、今日は重機もいなくなっているので現場の方にお許しをいただいて作業が終わってからお邪魔しました。
雨が降った後なら色ですぐ見分けられますが、この数日真夏並みの天気なので、地面がからからでぱっと見では区別がつきにくいです。ただ、乾燥していてもざっと見では青みがかったところは粘土が混ざったところです。
本来この辺りは地表から1メートルから1メートル半くらい下に粘土の層が眠っているのですが、重機で根こそぎ撹拌されているのですが、地面をしげしげ見ると粘土の層ごと斜めに地表に顔を出していることがあり、そのあたりをスコップでてこ式に持ち上げると、ご覧のとおり粘土の層ごと塊が出てきます。これが一番ほしいところ、、。
自転車を付けている位置に拾い集めたところ、、。
ビニール袋に詰めて4袋分2往復して運びました。隣の町内の仕事場前にもこれまでプールしている粘土が山積みしてありますが、こればっかりは、いつまた工事現場に出くわすかわからないので、少しでももらってきてキープします。傍から見ると何やってるんだろうという感じですが、こればっかりは自分にとってはやっていることの原点だと思ってます。暑かったのでほんのちょっとの作業でも汗びっしょりになりました。
この二日間暑さが戻ってきましたね。人形の彩色と同時に型抜き成形をしていますが、すぐ使える状態の粘土が少なくなってきたので、石膏の吸水鉢に寝かせてあった水簸(すいひ)済の粘土を練りながらブリッジにして水気を飛ばしています。
明日の朝にはいくらかべたつき加減も少なくなることでしょう。塩梅をみながら密封タッパーに戻します。石膏吸水鉢へは次の泥しょうを注ぎ入れます。
先週末、日の出町で個人で郷土玩具の博物館として公開されている方にお願いをしてお邪魔してネタの参考としたい人形を撮影させていただいてきました。そちらでは参考にしたい人形の画像ばかりで、うっかり室内の様子等の画像は忘れてしまいました。駅まで送っていただいて、帰りの電車を待つ間のホームからの眺め。いいところですね。画像ではお伝えできませんが思いっきり吸い込みたくなる空気。田園の空気というのか、緑の木々や葉っぱの香りに加えて畑の土の香り、天然の肥の匂いも混ざっていますが、よい香りだと思います。
ホームから見える畑。ところどころ桑の木があって、かつてはお蚕が盛んだったことが偲ばれます。お邪魔したお宅でも以前は蚕室があり昔は重要な収入源だったとお話を聴きました。
小学生の頃はGWというと毎年のように秋川渓谷へ家族で日帰りで出かけました。まだ茶色い省線電車風の電車が走っていた頃です。亡き父は山形の出身なので、秋川の近くで「うるい」や「やまうど」なんかを採っているのを真似して、都会育ちながらこれは食べられる草のいくつかを学んだ思い出があります。近くに臨む山並み。時間があれば川沿いに歩いてみたいし、日帰り温泉にも寄ってみたいところですが、GW最終日の混雑に巻き込まれないよう、後ろ髪引かれる思いで帰途につきました。
GWより前のあの真夏のような暑さからは信じられないような気温の逆行。風邪でもひいてしまいそうな肌寒さですが、作業のためには幸いです。寒いとはいっても真冬の水で手が痺れるというほどではなく、何が幸いかといえば、膠が使いやすいということですね。暑くなってくると膠の効きがよくなくなるので、余計に多く混ぜたり、室内に冷房をかけて凌ごうとしたりしますが、やっぱり膠は涼しいか寒いくらいのほうが使いやすいと思います、冷房のなかった昔の土人形屋さんやだるま屋(張り子屋)さんは夏の暑い時期にはせっせと成形作業をして作り貯めして秋以降涼しくなってから地塗りや彩色中心の年間のサイクルで作業していたとも聞きますし、季節の気候に応じた作業というものがあったのだろうと思います。
先日の一文雛等はやっとのことで発送できたので、これから素焼き済の人形の彩色と型抜き成形を同時に進めようとしていたところでした。例年だとGW明け以降はだんだん暑くなって地塗りや彩色はできないことはないですが、やっぱり膠の効きが違うのです。この肌寒さはラッキーです。
小さな「ひねり鳩」から「丸〆猫」や「鞠猫」「犬」をはじめいつもの人形たちですが整理の悪いスペースで地塗りしています。
夜中の作業中。十五夜さんは構って欲しいと膝に乗ってくるのですが、もう一寸待ってください。というと、ふて加減でガラクタの山の上に座って待っています。部屋の散らかり具合をお見せするのは恥ずかしいんですが、、、。
長い連休でしたが、自分にとっては勤めの身ではないので平日も休日も関係のない日々で、人形を早く仕上げようと、昼夜逆転だったり、外に出るにも、混んでいるところには行きたくないので、引きこもっていました。ただ6日の日曜日だけな、GWらしい一日を過ごしてみたいと新宿でネタ探しをし、京王線で高幡不動へ。そしてこけしの「楽語舎」さんを覗いて日も沈みそうな頃合いで、本当は多摩の山並みを仰いでどこかで少し食べたり一杯できないか、と思っていたのですが、帰りに高尾山帰りの混雑に巻き込まれるのが不安になってまっすぐ赤羽に戻り、中国料理屋さんで夕食と一杯やって帰宅しました。
赤羽は近頃、「せんべろの街」的なイメージではるばるやってくる人が少なくないようですね。人さまから「赤羽に住まっているなんていいですね。」とか言われますが、飲み食いに関してはどの店も混み合っていて入れないところが多くて不便になっています。その点ここの中華料理屋さんは行きつけなので「いつものを」とお願いすれば決まってご覧のとおりの小皿を出してくれます。肉ものは嫌いではないですが、たくさん食べられるものではないし、こうした野菜ものの小皿をつまみながら一杯やっていられるのが安心です。黒おでんの店なんかだともっと安いし、そういうのも食べたくなりますが、赤羽だと大抵満員で入れないので西川口へ行って同じ看板の店へ入ったほうがよいかと思っていますが、ここの中華屋さんは割と繁盛していても入れず困ったことがありません。毎日こればっかりというのも飽きますが。一番の理想は野菜ものの多い和食風のお店があったら、、と思います。
際もとっくに過ぎたのですが、頼まれて一文雛を作っていました。本体の人形が揃い、今度は玉台を塗っています。昔、お人形は顔が命の浅草橋の吉徳さんの番頭さんから教えていただいたのですが、雛段で人形の下の台を「玉台」というのだそうです。「玉」はみかど様のこと。江戸時代にはいろいろな様式のお雛様が生まれて、享保だの古今だの贅を尽くした人形を見ることができます。「玉台」の縁に貼られる布の模様から「繧繝縁」(うんげんべり)と「高麗縁」(こうらいべり)というのがあるんだそうで、繧繝縁は特に最近までもお雛様のイメージとして定着しているのではないでしょうか。繧繝(うんげん)はグラデーション彩色のこと。衣装をつけた人形をはじめとして、郷土人形のお雛様や天神様の台座部分には繧繝風(必ずしもグラデーションになっていなくともストライプのような彩色がなされています。
今戸の一文雛の場合、板に彩色した玉台で、正面に繧繝風の彩色をしたり、白緑色一色に塗られたものもあります。今塗っているのは左側は煮出しで塗る一文雛用の台、右は最後の生粋の今戸人形の作者だった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)がお作りになった江戸一文雛用の台座です。
尾張屋さんの繧繝風の配色は細かいですね。はじめてこれを作ってみたとき、吉徳資料室の小林すみ江先生に観ていただいたら、尾張屋さんの配色が「いかにも江戸東京っぽい好みですね」と仰ったのを思い出します。つまり春吉翁自身が江戸っ子ですから自然と配色にも江戸からの好みというものを伝承されていたということですね。
乾かして、既に包んである人形を乗せてみました。
右の煮出し彩色の一文雛の台の配色は決定版という訳ではなく、あっさりとしたグラデーションで塗っていますが、グラデーションなしで白緑一色というパターンも古い作例にありました。
煮出したばかりのきはだ汁で一文雛の女雛の衣の部分の下地塗りをしました。煮出したばかりのきはだ汁は発色がはかないですね。画像の薄い黄色ですが、これで13回重ねた色なのです。但しこれは蘇芳(すおう)の汁を重ね塗りするための下地なので問題はありません。
小鉢に数年間寝かせてある蘇芳の汁。正確に言えば、蘇芳にきはだの汁も混ぜてあります。かなり濃くなっています。
小鉢から小皿に移した蘇芳の汁。筆先で混ぜて塗ります。ぱっと見で血液のような色でどっきりしませんか。それもそのはずで、江戸から明治にかけての歌舞伎での血糊は蘇芳汁とふのりとを混ぜて使っていたといいます。河竹黙阿弥作の「切られお富」(初演 1864年(元治元年)のセリフで「蘇芳の色もよく出たなあ」というのがありますが、まさにそのとおりです。
一文雛の女雛に蘇芳を一回塗ったところ。乾いたらまた重ねていきます。
「装束稲荷の招き狐」です。稲荷さまからの授与用のものは煮出し彩色していませんが。民藝館や民藝店向けの場合は煮出しで出しています。耳と尻尾の部分にきはだと蘇芳を置きます。画像の蘇芳はやはり一回塗りの状態ですが、面積が狭い場合は一回塗りでも色がはっきり見えるので、これでよいと思います。
蘇芳の汁も煮出したばかりだと発色がはかなく、薄いですが、今小鉢に寝かせてあった分だと一回でも比較的赤みがでます。(きはだも混ざっているので)蘇芳の煮出しの場合、煮出した汁にみようばんを加える瞬間にぱっと色が変わるのが面白いのですが、煮出す機会にご紹介します。