東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

きはだ(黄柏)

2019-03-24 15:25:25 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 一昨日あたり結構暖かくて、外でも上着を脱いで歩いていたのが、昨日からまた肌寒くなってきていますね。わが家の十五夜さんですが、一昨日まで掛け布団の上だとか仰向けに寝ているお腹の上に大の字に寝ていたのが、昨日は布団に潜り込んできていました。

 ただ今少数ですが色塗りをしているところ。羽織狐の割型が久しく行方不明になっていたのがみつかり、久しぶりの色塗りしています。

 大抵は泥絵の具または水干の具(顔料)や胡粉で彩色していますが、型によっては植物の煮出し汁を塗り重ねて発色させます。

 今塗っているものの中では丸〆猫(嘉永安政風型)の涎掛けの縁と装束稲荷の招き狐(民藝館展式)での赤部分の下塗りに塗っています。

 植物由来の透明な黄色なので、一回塗っても発色儚く、塗っては乾かし、その上にまた重ねるの繰り返しで色味を強めていきます。

仰向けに寝かせてある嘉永安政風型の丸〆猫の涎掛けの縁がそれです。左隣の招き狐の耳や尻尾もきはだです。


ぺこちゃんに会いに

2019-03-16 10:39:10 | 日々

 時系列としては逆になりますが、確定申告の準備を始めた先々週、かねてより楽しみにしていた「ぺこちゃん」(その昔、玉電や世田谷線を走っていた人気電車200系)に会いに、田園都市線「宮崎台」駅に隣接している「電車とバスの博物館」へ行ってきました。実物のペコちゃん♡♡♡

 写真の中でしか見ることができなかった実物に触れて感激。

 この裾の絞り具合が絶妙。「ぺこちゃん」の愛称の由来ではあるけれど、「おかめさん」でも「起き上がり小法師さん」とでも呼びたくなる面構え。正面のX上の塗り分けが量感を際立たせているような、、。解説パネルには「ペコちゃん」とも「いもむし」とも呼ばれたとか。たしかにそう言われるとリアルいもむしな感じではあるけれど、、。

 やっぱり窓から下のカーブが堪りません。それと運転台横の直角三角形の窓♡

 連結部の幌?宇宙的な感じが、、、?

 座席の手すりのパイプが太くて独特。側面の床辺り、絞ってあるからかっこいいけれど、足の踏み場は少なくなるってことですね。

 びっくりしたのは先頭の内部。運転席がないんです。係員の人に聞いたら、運転手さんはずっと立って運転していたとの事。渋谷⇔二子玉、或いは渋谷⇔下高間全区間を交代なしで運転するとは限らないけれど、もしそうだったら結構しんどいかも、、。それとお客さんの座席が先頭まで延びているとは知らなかった!これってゴージャス。

この電車で玉川通りを車に混ざって走っていた車窓は空想するだけでもすごいです。

 カーブしたフォルムに塗られた塗料のツヤ、子供の頃マーブルチョコのツヤのときめいた感覚につながってくるようです。

 東横線を走っていた500系。色が渋くて品格あるフォルム。運転窓に庇がついているというのが新鮮な感じ。赤羽を走っていた旧国鉄の茶色い省線電車型の電車にこういうのがあったかどうか、、。 

 屋根のベンガラのような色は昔の地下鉄銀座線の鋲だらけの古い車両の屋根と同じような色味。

 車内に入って先頭部の内側、お客さんの座席が先頭まで伸びているはペコちゃん同様ですね。座席の側面板の形がノーブルで真鍮色のパイプの手すりがアイリッシュパブみたい。茶色く太い柱も斬新。電車でも古い時代のものはていねいな普請なんでしょうか。

 まずはぺこちゃんの直接触れることができて満足でした。帰り、渋谷の喧騒に戻るのに気が引けるので大井町へ出て、京浜東北線で帰宅しました。

 

 


経木の小絵馬

2019-03-14 23:05:30 | 日々

 昨日ずーっと胸につかえていたもの(確定申告)を済ますことができ、これまでできなかったやるべきことにじっくり取り組んでいきます。

 それとは別にもうすぐ春のお彼岸なので、我が家のワンちゃんたちの眠っている板橋舟渡の霊廟へ塔婆を頼みに行ってきました。お線香をあげて手を合わせてから、せっかく天気もよいのでまっすぐ帰るのももったいないので、自転車でついでに戸田橋で荒川を渡って、戸田から川口に向かい、川口で昼食をとって家に帰ろうと思いつきました。

 戸田へ入ってから昔、経木の小絵馬を作っていた古い人形屋さんがあったのを思い出し、まだ残っているのだろうか、、?と中山道沿いを記憶を辿って進みました。前回行ったのは30年以上前のことなので、マンションの立ち並ぶ景色ばかりの中、心配でしたが、ひっそり残っていました。

 お雛さまの際が済んで五月のものに飾り変えるところなのか、店内はあっさりしていましたが、おじさんに件のことを聞いてみると、一瞬「何だ?」という表情をされましたが、すぐに通じて奥から出してくれました。

 「向い狐」の絵馬。中央の宝珠を中心に狐がシンメトリーに向かい合っている構図。向かって右の狐は蔵の鍵を咥えています。関東地方各地にあった一般的な構図のもの。当然お稲荷様。この辺りでは神社へ奉納するというより、各家の庭のお稲荷様の祠へお供えする需要で支えられていたそうです。

 「鶏」の絵馬。おんどりとめんどりとひよこ。鶏の「とさか」の色と形状が「炎」を連想させるため、火伏の神様である「荒神様」のご眷属として防火、家内安全の祈願として、竈の上にお祀りされている「荒神棚」のお供えします。一般家庭の他、火を使う生業、、「鍛冶屋」とか「錺職」など鞴の仕事や焼き物など関係でもお祀りされることがあります。

 「暴れ馬」の絵馬。「咲いた桜になぜ駒繋ぐ」という言葉(桜の木は描かれていませんが)そのものという感じの構図。一般的な馬の絵馬は馬に関る生業であれば馬の健康、安全ということなのでしょうが、馬の生業に関係なくとも諸願に向けてお供えされるみたいです。ここの人形屋のおじさんの話では地元、戸田では「鶏」の絵馬とともに11月の荒神様のおまつりに需要があるといことでした。

 「絵馬」というと観光地のおみやげとか記念品というイメージができて、願かけするために境内に納めるという習慣は今でも残っていますが、神社仏閣で授与されている大量生産の絵馬というのはそんなに古いことではないらしく、もともとは願をかけるということは人目を憚られることなので、雑貨屋、荒物屋で買ってきて名前も匿名で「男〇才」「女〇才」として納める風だったので町の荒物屋や雑貨屋に線香やろうそくなどとともに置いてあり、それらを作っていたのが絵師、提灯屋、看板屋、人形屋など色を塗る生業の人々だったとか聞きます。

 そんなわけで、これら画像のような願い別に画像が決まって作られている絵馬というのは、今ではあまり目立つところに名物のように売られていることがほとんで少なくなっています。「観光記念」とか「参詣記念」などとして名所で売られているものは昔の庶民の生活で需要のあった小絵馬とは別のものですが、これらが「絵馬」だというくらい普及しています。

 以前、私の地元、赤羽の岩淵町にあった荒物屋さんで売られていた小絵馬はここ、戸田で作られたものを仕入れていたものですが、既にになく、岩淵の旧家の人たちはどうしているのかわかりませんが、戸田でも昔ほどの需要もないので、親戚の家々でも絵馬作りをしていたが、今ではうちだけになってしまった、ということです。

 30年以上前のことで、もうなくなってしまったか?と思っていたものが、今まだ健在だということはうれしいです。

「岩淵(赤羽)の経木絵馬」→


急ぎの色塗り

2019-03-10 01:24:38 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 今、崖っぷちのような気分の日々。一番の頭痛の種は確定申告。これがすっきりしてくれないと、他のことが気持ちよく進められません。15日までには滑り込んで済ませるべきところ、3月31日、4月1日の毎年恒例「信州中野の雛市」の「全国土人形」への出品分をそろそろ発送しなければならず、急いで荷造り発送しなければなりません。この新年から体調優先モードだったため、初午の装束稲荷さまへの狐をはじめ、お約束しているものがまだ滞っていて、摩利支天もまだ出せるように仕上がっていない状況でご迷惑おかけしています。

 「中野の雛市」は出展させていただくことが世間様との大切な接点のひとつだと思っているので少しであっても出展させてもらいたくて、現在までの拙作レパートリーからお送りしたいところ、新年からのモードのため既にセロファンで包んであるものに追加する用に塗っているのが画像のものです。とりあえずこれらが乾いてからセロファンで包んで荷造りします。特別今回初登場というものはありませんが、被官様仕様の素焼きがあったので、それをふたとおりに彩色しました。定番の口ポチに群青と朱色のストライプと昔尾張屋さんが塗った鼻孔と口を描いて台座のストライプの色変わりのパターンというのをやってみました。「煙草呑みだるま」も素焼きがひとつみつかったので久しぶり塗りました。

 とりあえず信州中野向けへの荷造り、発送と同時進行でこれから整理中の領収書とかをまとめて税務署に並びます。

 正月明けに、「今年は上半期に山場が来る」と記しましたが、4月末ゴールデンウィークの期間に数年ぶりに「べにや民藝店」さんで作品展をさせていただくことになっています。それにつけてもひとつくらいはは初登場のものを準備しておきたいものです。とにかく嫌ーな申告を片付けて、作品制作モードに集中したいです。


雛の家

2019-03-03 16:25:25 | 日々

 今日は3月3日のひなまつり当日。全国各地でお雛様にまつわるイベントで賑わっていることでしょう。都内だけでも各所で雛にまつわる展示や催事がにぎにぎしく開催されているかと思います。残念なことに朝から雨が降っています。

 昨日は郷土の雛を大切に収集され、自宅に飾っていらっしゃる方をお訪ねして見学させてもらってきました。私も所属させていただいている「日本人形玩具学会」の発足当初からの会員でいらっしゃる吉本滉子さんのお宅です。学会の会員名簿は五十音順なので同じ「吉」はじまりの苗字なのでいつも同じページのお近くに記されているお名前なので、お名前だけは存じあげていたのですが、ご面識はいただいておりませんでしたが、昨年の丸の内丸善オアゾでの「みそろぎ人形展」会場へお越しくださって、私のブース前でお話していてはじめてお目にかかったという次第です。それより遡って、「べにや民藝店」さんが青山で営業されていたとき、拙作の人形展をさせていただいた折りにもお越しくださり会場内にあった「一文雛」と「江戸一文雛」(尾張屋風)をお求めくださったそうで、裃雛はまだなので丸善にあるかと、お越し下さったそうなのですが、最近作っていなかったため会場には置いていなかった。そこでお時間をいただいてできたところで連絡差し上げるというお約束をしていたのでした。そして新年が明けてから今年のひなまつりに間に合わせなければ失礼かと思い、急いで作ってお送りしたのでした。亡父の法要を終えて東京に戻る3月2日か3日に見学させていただくというお約束をいただいて昨日お邪魔させていただいたという次第です。

 ふた部屋に台を設営された上にズラリと並んでいる様子は圧巻です。ほとんどのお雛様はひとつひとつ作者を訪ねてお求めになられたとのこと。それだけにそれぞれにその当時の思い出があり毎年飾るのもしまうのも大切にされているのだそうです。「べにや」さんでお求めになられたふた組の拙作の一文雛。白いのは当時確かに作っていたのですが、忘れていました。裃雛ふた組は同じ明治調のパターンで塗ったものなのですが頭や襟元の塗り方が異なるパターンで、両方とも塗ってお送りしたものです。拙作の裃雛の後方に見える芝原の「団子雛?」の一対は三代目田中謙治さんの作、小さい裃雛の一対も田中謙治さんの作で、その他は現在の作者のもののようです。手前の皿に盛られた食べ物はご自身で細工されたものだそうです。

 手前のテーブル右奥に積みあがっているのは、山形のひな祭りでお供えされている「かど」(ニシン)に見立てて、千葉で売られている魚型の食品パッケージを利用して膨らみを持たせているそうです。一番手前はお訪ねするのに普通のお菓子ではつまらないと思って、西荻窪の「ルーペ」さんで買って手土産にお持ちした「金花糖」。もし既に同じものをお供えされていたら申し訳ないかも、、、と思っていたのですが、お喜びいただいて何よりでした。

 あまりの壮観さに全てにカメラを向けることをうっかりしていましたが、梁の上や天井近くにも紀州方面の立雛型の御守とか雛の絵柄の絵馬なども飾られていました。

 この木彫の段雛や横の立雛やその他すべて、ご自分でお作りになられたものなのだそうです。もうびっくり!!!てっきり奈良彫のセットなのだと思っていました。このようにひとつの部屋に歩いて作者を訪ね、お集めになられた雛の数々、もうひとつの部屋にご自身でお作りになった雛の数々が飾られてあり、お住まいのお部屋には昭和はじめの雛段で御殿飾りつきのものものや玄関には大きな九州産のお雛様も飾られていました。

 聞くところによれば、「お人形は顔がいのち」の浅草橋の「吉徳」さんの小林すみ江先生もこれらの雛をご覧にいらっしゃったことがあるそうです。大切にされているものなので広く一般公開はされていないそうですが、人形に関心を持っている方であれば事前に相談のうえ、見学させてくださることは可能だということです。今年は飾るのも今日までなので、これから大切におしまいになられるようです。

 吉本さんのお母様は美術学校で日本画を専攻されていたのだそうで、猫で有名な川村目呂二さんとご親交があったとかお父様は日本画の奥村土牛先生とのご親交があったそうです。すごい。まずはたくさんの郷土雛たちに拙作の土雛も仲間入りさせてくださってうれしく思いました。


寄り道

2019-03-02 02:19:53 | 日々

 昨日は亡父の三回忌の法事のため山形へ。菩提寺で法要、そのあと須川の近くにあるお墓へお参り、そして移動してお斎という流れでした。始発の山形新幹線に乗り車窓を眺めていましたが、福島までは山を除いてはほとんど雪は積っておらず、板谷峠は当然40センチくらい積もっていて、米沢盆地に入ると畑は真っ白に積もっていました。赤湯から汽車は上り勾配を走って置賜と村山の境あたりもわずかに雪が積もっていたものの、上山あたりからは山を除いてはほとんど雪は積もっていませんでした。お墓のお参りで足場の心配をしていたのでその点よかったです。お寺は山形の中心部よりも在なので屋根から落ちた雪が積もっていましたが、、。亡父の実家である最上の親戚のみなさんの話では向こうはまだ積もっているということ。積もっている最上と積もっていない境は村山の楯岡辺りだったそうです。

 法事の勝手を知らないところ、みなさんの助けで何とか3回忌まですませることができてありがたいと思いました。

 お斎で結構食べ物をいただいたあとですが、まっすぐ帰るのももったいないので、帰りは仙山線で仙台へ出て、お馴染みの店に寄らせてもらってコーヒーをご馳走になったり、久しぶりだったのでいろいろおしゃべりをして駅に戻り、仙台へ行くと必ず寄っている中嘉屋食堂で軽く食べて、はやぶさ号で大宮までノンストップで帰りました。「中嘉屋食堂」は駅構内の他、勾当台公園近く市役所のそば、もうひとつ長町にもあり、向こうで時間があるときは市役所近くで食べます。ここの料理はアイデアというかちょっと工夫のある感じで好きです。例えば「酢豚」だったら大抵ピーマンが入っていますが、この店ではピーマンの代わりに「ししとう」が入っていて風味や味が引き立っています。今日は軽く食べたかったので「牛タンラーメン」を注文しました。スープはあっさりとして微妙に甘さを感じますが、嫌なかんじではなく悪くないと思います。麺もパラッとした感じでつるつる食べることができていいと思います。仙台へ行ったら絶対「牛タン」という好みでもないのですが、さっぱりとしてお汁と麺と合っておいしいと思いました。

他にもいろいろなメニューがありますが、今日はおそばとハイボール2杯だけ注文して新幹線ホームに向かいました。

 市内でタクシーに乗っていたとき急に昔の映画「赤い殺意」(ちょっとエグい感じの映画でしたが)の舞台が仙台だったので出てくる景色が大学病院の近くの交差点ではないかと思っていたので運転手さんお訊ねしたのですが、知らないとのこと、知り合いの店でも訊ねてみたのですが知らないという返事。あんまり地元では話題にならない作品なのでしょうか。(本当エグい内容で、当時ではスキャンダラスな内容だったろうと思いますが、、、北林谷栄さんが出ているということで観たのですが、、。)吉田さんそういう映画お好きなんですかとか聞き返されますが、「赤い殺意」とか「日本昆虫記」とかどちらも北林さんが出ているということで観たのですが、ものすごく皮肉な作品という印象でした。

 はやぶさ号のおかげで10時過ぎには帰宅して十五夜さんに「ただいま」をいうことができました。