昨日ずーっと胸につかえていたもの(確定申告)を済ますことができ、これまでできなかったやるべきことにじっくり取り組んでいきます。
それとは別にもうすぐ春のお彼岸なので、我が家のワンちゃんたちの眠っている板橋舟渡の霊廟へ塔婆を頼みに行ってきました。お線香をあげて手を合わせてから、せっかく天気もよいのでまっすぐ帰るのももったいないので、自転車でついでに戸田橋で荒川を渡って、戸田から川口に向かい、川口で昼食をとって家に帰ろうと思いつきました。
戸田へ入ってから昔、経木の小絵馬を作っていた古い人形屋さんがあったのを思い出し、まだ残っているのだろうか、、?と中山道沿いを記憶を辿って進みました。前回行ったのは30年以上前のことなので、マンションの立ち並ぶ景色ばかりの中、心配でしたが、ひっそり残っていました。
お雛さまの際が済んで五月のものに飾り変えるところなのか、店内はあっさりしていましたが、おじさんに件のことを聞いてみると、一瞬「何だ?」という表情をされましたが、すぐに通じて奥から出してくれました。
「向い狐」の絵馬。中央の宝珠を中心に狐がシンメトリーに向かい合っている構図。向かって右の狐は蔵の鍵を咥えています。関東地方各地にあった一般的な構図のもの。当然お稲荷様。この辺りでは神社へ奉納するというより、各家の庭のお稲荷様の祠へお供えする需要で支えられていたそうです。
「鶏」の絵馬。おんどりとめんどりとひよこ。鶏の「とさか」の色と形状が「炎」を連想させるため、火伏の神様である「荒神様」のご眷属として防火、家内安全の祈願として、竈の上にお祀りされている「荒神棚」のお供えします。一般家庭の他、火を使う生業、、「鍛冶屋」とか「錺職」など鞴の仕事や焼き物など関係でもお祀りされることがあります。
「暴れ馬」の絵馬。「咲いた桜になぜ駒繋ぐ」という言葉(桜の木は描かれていませんが)そのものという感じの構図。一般的な馬の絵馬は馬に関る生業であれば馬の健康、安全ということなのでしょうが、馬の生業に関係なくとも諸願に向けてお供えされるみたいです。ここの人形屋のおじさんの話では地元、戸田では「鶏」の絵馬とともに11月の荒神様のおまつりに需要があるといことでした。
「絵馬」というと観光地のおみやげとか記念品というイメージができて、願かけするために境内に納めるという習慣は今でも残っていますが、神社仏閣で授与されている大量生産の絵馬というのはそんなに古いことではないらしく、もともとは願をかけるということは人目を憚られることなので、雑貨屋、荒物屋で買ってきて名前も匿名で「男〇才」「女〇才」として納める風だったので町の荒物屋や雑貨屋に線香やろうそくなどとともに置いてあり、それらを作っていたのが絵師、提灯屋、看板屋、人形屋など色を塗る生業の人々だったとか聞きます。
そんなわけで、これら画像のような願い別に画像が決まって作られている絵馬というのは、今ではあまり目立つところに名物のように売られていることがほとんで少なくなっています。「観光記念」とか「参詣記念」などとして名所で売られているものは昔の庶民の生活で需要のあった小絵馬とは別のものですが、これらが「絵馬」だというくらい普及しています。
以前、私の地元、赤羽の岩淵町にあった荒物屋さんで売られていた小絵馬はここ、戸田で作られたものを仕入れていたものですが、既にになく、岩淵の旧家の人たちはどうしているのかわかりませんが、戸田でも昔ほどの需要もないので、親戚の家々でも絵馬作りをしていたが、今ではうちだけになってしまった、ということです。
30年以上前のことで、もうなくなってしまったか?と思っていたものが、今まだ健在だということはうれしいです。
「岩淵(赤羽)の経木絵馬」→