東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

年越そばには、、、

2010-12-31 19:58:14 | おいしいもの

2007_0101_000000p1011164 あと数時間で年越しそば、、。

天ぷらはやっぱり地元の名店から。志茂平和通りの「天富士」さんで。味に関しては、それぞれ好みがあるかとは思いますが、赤羽だったらここでしょう。

今日は旦那さんも女将さんも気合が入っているようです。持ち帰り用のウィンドーの戸を外して販売しています。(大晦日以外にもいつだったか気合の日があったような気もしますが)

海老のかき揚げ¥360、大海老天¥350でした。大手の店では特大車海老天を売っているのも見かけましたが、味だったらここです。

これから王子の「狐の行列」をはじめて見物に行こうと思っています。

当ブログを訪問くださった皆様、コメントをくださった皆様、お世話になりました。来年もどうぞよろしくお付き合いくださいますようよろしくお願いいたします。よい年をお迎えくださいますよう。


?な季節

2010-12-31 11:02:58 | おともだち

2007_0101_000000p1011163 十五夜さんが家に来てから早ひと月。猫さんと暮らすことが今までなかったので、わからないことばかりです。

猫さんトイレへは慣れてくれました。トイレ以外での失敗はなくなりました。

この数日、悩ましい声で鳴いたり、絶えず床を転げまわっています。周りのものに頭をすりすりしたり、普段に比べると警戒心が薄れて、?な様子。

私へもすりすりしたり、爪を立てたり落ち着きません。ごはんを全然食べなくはないのですが、いつもより減る量が少なくなっています。

心配になってお世話になっている動物病院の先生に伺ったところ、こういう状態は10日くらいは続くということです。左目のほうもいくらか快方へ向かっているようですが、新年明けに診てもらいに行こうと思っています。


しめこの兎

2010-12-30 22:28:57 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011156 新年は卯年ということで、自分あの干支でもあるので、6種類の兎の土人形を作りました。

先日の記事で画像もご紹介したのですが、「しめこの兎」は何となく、もの足らないような感じがして更に塗り加えてみました。

他の5種類は最後の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになったものや、明治の今戸、あるいは出土品からの推定など、今戸焼の人形としてお手本のあるものですが、この「しめこの兎」だけは、創作的なものなのです。

しかし、どこか今戸っぽいパターンをとり入れたいと思いました。そこで、「狐拳の狐」や「招き猫」の涎かけなどにみられる「蛸足模様」、そして「羽織狐」や「裃雛」「客寄せ狸」などにみられる「黒襟」を加えてみました。 どぎつくなってしまいましたかね???


招き狐

2010-12-29 15:35:44 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011154 あさってはいよいよ大晦日。秋ごろ、調子が悪くて、制作がはかどっていないしわ寄せで、今ごろになって慌てています。

王子の「狐の行列」はあさってです。そんな訳でエンジン全開で招き狐を先程終わらせました。

乾いてから包みます。

装束稲荷の招き狐はHPでも紹介しています。→


珍来川口店

2010-12-25 18:44:09 | おいしいもの

2007_0101_000000p1011150 中華の「珍来」。大ぶりな餃子とラーメンを中心としたお店です。確か、本店は草加の駅前だったかと思いますが、東武伊勢崎線沿線を中心にチェーン店があります。

昔、通勤で竹の塚駅を利用していたので一番馴染みがあったのは竹の塚店でしたが、なくなってしまったような、、。五反野、梅島、西新井、谷塚、北越谷にもありました。

勤めが変わって以来、伊勢崎線沿線に寄る機会もなかったのですが、その後、西川口や川口にもあることを知りました。

最近よくある大手の安さが売りのチェーンとは違って、食べでがあるのが魅力です。大きな餃子は今でも一皿¥310。ラーメンは¥480です。タンメンや坦々麺などもありますが、基本的にはさっぱりとした醤油ベースのお汁なので胃にやさしく安心して食べることができます。

なぜか私はついワンタン麺の大盛りを注文してしまいます。今風のしつこくて甘いお汁ではないので、ラーメンマニアな人よりもサラリーマン風の人で繁盛しているようです。

食べたくなると電車でひと駅、しかし川を二つ渡って、越境して出かけます。

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今戸焼(38) 村雲焼?の手あぶり (橋本三治郎 作)

2010-12-25 01:57:19 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011152 朝夕すっかりと冷え込むようになりました。

この時期こそ昔は手あぶり火鉢の重宝する季節だったことでしょう。

画像の手あぶりの底には「對鷗斎」「橋本三治郎」の陶印がみられ、今戸神社(旧・今戸八幡)の狛犬の基壇や明治時代の記録に残る名工・橋本三治郎の作であることがわかります。(狛犬基壇には橋本三次郎とある。)

この人は、白井善次郎や白井半七とならぶ今戸焼の旧家で、また明治の上野の勧業博覧会に製品を出品して牌を受けています。

「東京名工鑑」という文献には、その製品の特徴として「村雲焼」という名前が挙げられています。それがどんなものであるかは記述されていませんが、この画像に見られるような雲海にも山並みにも、また波のようにも見える模様のことではないかと思うのですがどうでしょうか?

その製造方法については、素人の私にはよくわからないのですが、木地を素焼きしてから灯明油と那智石(または鴨川石)で表面を磨き木地の表面を滑らかにし、黒鉛を塗って再度焼きあげる。そして漆を施すということなのかどうか、、。しかし、この雲海にも見える模様はどのように出すのか、、???黒鉛の塗り方によるものか、あるいは漆の塗り方によるものか不思議です。

話が脱線しますが、大学時代にエッチングやリトグラフの実習をしましたが、先輩でリトグラフで版面にインクを濃淡滲ませて置いていき、その重なりによって不思議な濃淡を作りだす人がいました。

画像の手あぶり火鉢の雲海風の模様が何となくその効果に似ている感じがするのですが、膠か何かのメディウムで溶いた黒鉛の濃淡によって出せるものなのかあれこれ空想するばかりです。


木目込人形「一寸睨んで、、、」

2010-12-23 12:14:22 | アート・文化

2007_0101_000000p1011109 今戸焼とも今戸の土人形とは関係ないのですが、ちょっとタイムリーなところで手持ちの木目込人形をご紹介します。

共箱ではないし、本体に銘が入っているわけでもないのですが、なかなかできのよい木目込です。おそらく、名川春山もしくはその系統の作ではないかと思うのですがどうでしょうか。

劇聖と呼ばれた明治の「9代目市川團十郎」の舞台姿へのオマージュではないかと思います。

実際の「睨み」は私は2回しか観ていないんです。高校生の頃、4代目市川左團次さんの襲名披露公演と現在の12代目市川團十郎さんの襲名披露公演の時です。口上のあと、片方の肩衣を外して、緋毛氈の上で「一寸睨んでご覧に入れます」とか言ってこのポーズになるのですが、記憶違いでなかったら、拳を作るもう一方の手で三方を掲げたように思うのですが、、。いろいろなやり方があるのでしょうか?

劇界で「随市川」ともいわれる市川宗家。ご本人の精進次第で華も実もある将来の團十郎になれるのに勿体ないですね。「人気は任期」「任期はいつか終わる」とかいう言葉もあるので、どうなるかは本人次第ですね。


町内の火事

2010-12-20 19:15:01 | ご近所

2007_0101_000000p1011144_2 今朝のこと、十五夜さんのトイレの始末やワンちゃんのご飯を済ませ、親の朝食を準備して食べてもらっている間、ワンちゃんの朝の散歩に行きました。近くの公園の周りをまわって、自宅に向かう途中、「火事だ~」という声を聞きました。

振り返ってみると、つい先ほどわんちゃんと通りすぎた家のその奥の方から2階以上の高さの炎と真っ黒な煙がもくもくと立ち上っているではありませんか、、。その家のあたりから猫さんが飛び出してきたり、近所の人が飛び出してきました。こういう時の判断ははっきりつかないもので、犬を連れて何かお手伝いなんて考えもつかず、かえって邪魔ではないかと家に戻ったのです。じきに消防車の音が聞こえてきましたが、結構長い間複数の消防車の出動があったようです。

父を送り出したあと、用事があって駅から出かけたのですが、火事のあった近辺は人だかりや警察の立ち入り禁止テープが張り巡らせてあるようなので、まわり道しました。

帰ってきてTVのニュースを観ていたら、町内の火事のことがでてきてびっくり。原因というのが火元の家の方が飼われていたという10匹の猫さんの誰かが電気ストーブを倒したらしいのです。思い返せば、その辺りではいつも黒ぶち猫さんや白猫さんのファミリーが気持ち良さそうに日向ぼっこをしていたのです。飛び出してきた猫さんもその一員だったかもしれません。

自宅から直線距離で50m離れているかというところだし、家の親の知り合いの人もいて、今朝何もできなかったことに後ろめたさを感じたり、火に見まわれた方々にはお気の毒に思うばかりです。亡くなられた方がいなかったのがせめてもの救いです。でもあの猫さんたちはどうなったのか気になっています。

消防車の音やヘリコプターのバタバタいう音を聞いて十五夜さんも気にしていました。

折しも、十五夜さんも夜寒かろうと思い、何か暖をとれるものはないかと考えていたところですが、電気のものはやっぱり心配になりました。猫さん用ほっカイロでもあったら考えようかと思っています。


そとの空気

2010-12-19 16:23:48 | おともだち

2007_0101_000000p1011134 このところ、かなり冷え込むようになりました。

十五夜さんのいる部屋には暖房がないので、夜になると雨戸をたてています。そのため、完全な外気に比べれば、室内はいくぶん楽です。

でも十五夜さんは雨戸が嫌いです。閉めた途端、開けてくれといわんばかりにガラス戸に寄ってきます。「外は寒いんだから、また明るくなったらね。」というと一応は納得した顔を見せてくれるのですが、、。

朝になると早速「開けて」の催促です。外の空気を吸い込んで、窓の外を眺めています。

太陽が射してくると、戸を開けたまま撫ぜて欲しいという意志表示をします。この時間が一番好きなようです。

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元祖・招き猫発祥の地

2010-12-19 15:59:05 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011124 浅草寺境内にある浅草神社。三社祭りで有名ですが、招き猫の好きな人にとって、ここがその発祥の地です。

最近、今戸神社のほうが「招き猫発祥の地」という触れ込みで賑わっているようですが、これは解釈の違いからそうだとも読むことができるということで、そもそも、丸〆猫(まるしめのねこ)が嘉永5年に売りだされ大流行した、と「武江年表」や「藤岡屋日記」に記されている場所は、ここ旧・三社権現なのです。

鳥居脇にたこ焼き屋さんの露店が見えます。この辺りに丸〆猫屋の床店(仮設店舗)があったと考えられます。先日、十五夜さんからのプレゼントで家にきた、広重画の錦絵「浄るり町繁華の図」に描かれている丸〆猫屋(左上部分)が、画像のたこ焼き屋さん辺りにあったと想像してみてください。但し、この錦絵は浄瑠璃の登場人物を物売りに見立ててあるので、丸〆猫を売っているのが西行法師になっていますが、記録ではお婆さんが売っていたことになっています。

2007_0101_000000p1011101 丸〆猫は今戸焼で作られたという理由からその地元こそが招き猫の発祥の地であるという理屈も否定はしませんが、やっぱりここ三社様こそが「元祖・招き猫発祥の地」ではないでしょうか。

お時間あれば「武江年表」と「藤岡屋日記」の丸〆猫についての原文をお読みください。

武江年表」原文へ→

「藤岡屋日記」原文へ→

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羽子板市

2010-12-19 15:46:19 | 散歩

2007_0101_000000p1011127 用事で仲見世へ行ったついでに、境内を急いで観てきました。

押絵の羽子板に限ったことではありませんが、こうした手工芸の手間というのは当然大変なもので、それプラス縁起物というプレミアのつくものですから、そう簡単に手の出る値段ではありませんね。

ただ、こういうものは、使われている布のよさとか顔の面相とか、羽子板の形の中に人物をどのような構図で納めるかというところに名人の技があるわけで、派手であればよいというものでもないかと思います。

浅草橋の江戸時代からの人形問屋である「吉徳」さんには明治の押絵の大名人「大和屋吟光」の手になるすばらしいのが保存されていますが、ああいうのを観たあとだと何だか、、、。

それより突き羽根や繭玉などのキッチュな色彩に眼が奪われました。神仏具を商う露店もあり、昔はこういうところで今戸焼の大黒様も並んでいたんだな、想像を巡らしました。

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浅草の朝

2010-12-19 15:31:59 | 散歩

2007_0101_000000p1011131 今朝、用事があって仲見世まで行ってきました。やっぱり混んでいますね。いつものように観音通りから行きました。

スカーツリーがもうこんなにできているのですね。正直いって、こういう巨大な建物は威圧されるようで苦手です。ふとここは上海なのではと錯覚してしまいそうでした。

それに比べると、大きくても観音様の境内の建物には馴染みがあるようで違和感は感じませんでした。

今日は羽子板市なのですね。どおりで混んでいるはずです。

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とりあえず並べてみました

2010-12-18 21:33:28 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011118_6    連日夜なべして、何とか干支の兎の人形の色塗りがひと段落しました。

といっても素焼きしてあった分全てが塗り終わったというわけではないので、まだ塗り続けていかなければなりません。

とりあえずご紹介させていただこうと思います。

今回はこれまでHPで既にご紹介しているものを含めて昔の今戸焼の土人形を手本としたもの6種類+創作1種類。

画像後列、左から順に、、、

①子抱き兎(2点色ちがい、どちらも最後の今戸人形師、尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)の人形、配色を手本としています。)

②月見兎(最後の今戸人形師、尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)の緑の帯の人形を手本としています。)

③餅つき兎・座姿(明治時代の人形を手本としています。)

④餅つき兎・立姿(最後の今戸人形師、尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)の人形を手本としています。)

⑤しめこの兎(これは私の勝手な創作です。歌舞伎「法界坊」に出てくる「しめこのうさうさ」「しめこの兎」からのイメージで隅田川といえば都鳥。都鳥の中に「〆子」の彫をいれてみました。)

手前

⑥玉兎(近世遺跡からの出土品にはあるはずなので、手持ちの人形をもとにイメージしてみました。背面には「繭玉」あるいは「金のなる木」を描いてみました。)

以上です。⑤のしめこの兎についてはさっぱりとこのままでよいか、あるいは蛸足の模様を入れたほうがよいか、または振り金をしようか、襟を入れたほうがよいかまだ考え中です。

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今戸人形にもあった「玉兎」

2010-12-18 20:52:11 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011116_2 はじめにおことわりしておきますが、画像の「玉兎」の土人形は今戸焼の土人形ではないと思います。

どうしてここでとりあげるかといいますと、近世遺跡からの出土品の中には確か「玉兎」は存在しているはずです。どこかで観ました。

但し、出土品ですから、描彩が残っているはずもなく、ひょっとするとどこかに伝世しているのかもしれませんが、私はしっかりと確認していません。

画像の人形は伏見かその系統のものでしょうか?かなり大きくて10センチくらいの高さがあります。この人形以外にも、もっと小振りの玉兎も観たことがあります。御殿玩具からの影響でしょうか、背面に植物、特に吉祥的なものを描くことが多いのではないでしょうか?

今戸焼の古い人形の中にも、御殿玩具からの影響を受けていると思われる例は少なからずあるので、今戸の玉兎にもそうしたことがあった可能性を想定して、画像の人形からイメージしているわけです。

画像の人形の背面に描かれている植物はおそらく「繭玉」か「金のなる木」ではないかと思います。どちらとも願いの意味合いは共通するところがありますね。

そんなわけで、これこそ伝世の「今戸の玉兎」を確認できるまでは当座ではありますが、この画像の玉兎からイメージしたいと思います。2007_0101_000000p1011117

情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらご教示ください。


今戸人形「餅つき兎」(尾張屋春吉翁 作)

2010-12-17 02:42:58 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011107 最後の生粋の今戸人形師といわれた尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた今戸焼の土人形です。

兎が餅を搗いているというイメージは昔からポピュラーなもので、各地の土人形にもよくある構想ですが、江戸市中においては、兎のイメージとともに物売りの「かんかち団子売り」(景勝団子)の風俗をだぶってイメージしていた人が少なくはなかったのではないかと思います。その証拠に歌舞伎でもごく稀に上演される変化舞踊の「玉兎」などは、その影響下に初演されたとかどこかで読んだことがあるように記憶しています。

このお人形は春吉翁の創作なのか、それ以前から伝わっていたものなのかはわかりません。

近世遺跡からの出土品の中には、この人形のように、手前に臼があって正面を向いた兎が杵を持っている構図のものはあります。しかしプロポーションが異なります。

春吉翁の彩色を観ると、耳と眼の赤と袖なしの朱色とで赤みの色でも使い分けていることはもとより、同じ黄色っぽい部分でも杵は顔料、臼はイエローの染料とで使い分けています。臼はイエローの染料の上からスカーレットの染料で木目を描き加えています。手が混んでいます。

今戸焼の人形の中には座ったポーズの餅つき兎の型もあり、そっちのほうが有名かもしれません。しかし、こういう立ち姿のものもあったわけです。