東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

お気に入りの店⑨

2011-02-27 16:01:51 | おいしいもの

P1010121 赤羽西4丁目の高台の住宅街の中で昔から営業されている和菓子の「喜久屋」さん。私が小学校に上がった時の担任の先生が、ここの裏に住んでいたので、遊びに行くと、ここのお店でお菓子を買ってくれましたから、相当古いお店です。

この辺りは家のわんちゃんと通ることもよくあるので、ついでに何度か和菓子を買っています。お赤飯は置いていますが、お稲荷さんやかんぴょう巻きなどはありません。その代わり生菓子の種類が多く、どれもおいしいです。

一番お気に入りは胡桃入りのわらび餅と道明寺。さくら饅頭というのもあります。赤羽界隈には結構たくさんの和菓子屋さんがあり、それぞれおいしい名物がありますが、こちらのお店はみた目もかわいらしく、おいしいお菓子がたくさん並んでいます。


来集軒さん

2011-02-25 20:02:21 | おいしいもの

P1010123 お参りの帰り道、かながね聞いていた、浅草でおいしいという「来集軒」さんに寄ってみました。

国際通りの西側、町名でいうと西浅草ですか。

今時の行列が取り囲んでいるという景色を予想していたのですが、ごく自然な店構えとすんなりと入れる雰囲気がいいですね。

例によってわんたん麺の大盛りを注文しました。

本当においしい。透き通った醤油のお汁に麺は卵麺風の太い平打ちのちじれ麺。しなちくはかんぴょう巻きのかんぴょうのように甘く煮しめた味でお汁の味と一緒に食べると甘辛のコントラストがあってなかなかでした。

店内にはたくさんの芸能人の色紙が貼ってあるので、よく知られたところなのですね。おそらく国際劇場がまだあった頃にはSKDの団員さんたちも来ていたのかな?と想像してしまいました。P1010122 気さくに入れる感じで、その上おいしいラーメンということで、浅草に出かけたらまた行ってみたくなりました。


暖かな一日

2011-02-25 19:46:02 | 日々

P1010118 最後の生粋の今戸人形師でいらっしゃた尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のご墓所を金澤家の方々の御了解を得て、今日はじめてお参りさせていただきました。

春吉翁の御命日は2月29日で今年の暦にはないのです。しかしかねがねお参りさせていただきたいと思っていたので、今日今戸までお参りに行かせてもらいました。

墓石には春吉翁をはじめ、義兄にあたる政五郎さん、娘のはなさん、その御亭主の左門さんのお名前が刻まれていました。

お寺さまの桶や雑巾をお借りして埃を拭わせていただきました。井戸があって水を手押しポンプで汲みあげて使わせていただいたのですが、「これが本当の今戸の水か」とちょっと感無量でした。

お線香とお花をお供えして手を合わせ、失礼させていただきました。門のところで番をしている犬さんにあいさつすると、とても人なつっこくて、そばでくんくんしてくれました。おそらくわんちゃんの臭いと猫さんの臭いがするのでしょう。犬さんとしばらく話をしてお寺さまを後にしました。

P1010120


茶坊 「たんたん」さん

2011-02-21 22:01:24 | 散歩

P1010117 今日の午後、ふらりと京王線に乗って、高幡不動まで行ってきました。

境内も少し見物してきたのですが、近くの茶坊「たんたん」さんに久しぶりに寄らせてもらいました。

旦那さんと顔馴染みになってかれこれ長いかもしれません。ここのお店はこけしマニアの人には結構有名なお店ではないでしょうか?

私も十代の頃、こけしにハマっていた時代があったので、こけしは今みてもいいなあという気持ちがあります。

ハマっていた当時のこけしの賑わいは肌で感じているので、お店に並んだこけしの中でも、その昔高嶺の華だったものが、今ではこんなに手ごろに買えるのか!!とびっくりしてしまうものもあります。

知り合いの人にプレゼントしようかな、と思って安いのを数本いだだいてきました。

新幹線に乗って出かける距離のところではありませんが、多摩の山並みを背にして歩くのんびりとした時間でした。


開設1周年

2011-02-21 11:50:14 | 日々

P1010115 2月21日。当ブログの第一回目の記事を書いた開設の記念日です。とはいっても極く個人的な思い入れなのですが、、。これまで40000を超えるアクセスをいただきありがとうございます。

この一年間というのは、これまでの人生の中での大きな節目というものがあり、開設当時には予想だにしていなかったこともありました。

また、画像の十五夜さんも一年前にはまだ出会っていなかったのです。

個人的な記念日ではありますが、それなりに何の画像で飾ろうかとあれこれ考えましたが、私の人形作りの中でも一番数を作ってきた「丸〆猫」と「丸〆猫」を地で行っているわが家の十五夜さんに登場してもらうのがよいかと思いました。

思いつきで撮った画像なのでちょっと目がまわりそうなアングルになってしまいました。

「いまどき人形」という命名についてはこれまでも記していますが、改めて記してみたいと思います。

私が今戸へはじめて行ったのは中学生の頃ママチャリで出かけた時です。アスファルトがべとつくような夏の暑い日でした。交番で「今戸焼を焼いている家」を尋ねたら、何とその隣の家でした。2階建の一軒家で玄関の三和土を入ると右手が住まい、左手が窯場になっていました。とても気さくなおばさん(白井孝一さんの奥さん?)が出てきて、こっちが子供だったのでひどくおまけしてくれました。)

その後時間が飛びますが、いつの間にかマンションになっていて、ご当主も代替わりして靖二郎さんになっていた頃です。何度も訪ねていたあるとき、靖二郎さんがある趣味家から預かっているという尾張屋春吉翁作の「おいらん」の人形を見せてくれました。話に聞けば、この人形を手本に「おいらん」を作るということでした。私も楽しみにして、その後何度も足を運んだのですが「先代萩」の千松政岡ではありませんが二年待てども三年待てどもできたというお話がありませんでした。それに対して何か言ったつもりもないのですが、「そんなに欲しかったら自分で作れば?」と言われたのです。「ああそうか?自分で作ればいいんだ」と目から鱗が落ちる気分でした。

よく通る土手や河原、川沿いには工事現場などに掘り出された粘土や粘土層を目にしていたので、これらの粘土を使って焼けば、今戸焼のようになるんだと思い始めたのが今に続いているわけです。

今は亡き、湯島に住んでいらっしゃた錺職人の方(戦後、防空壕の中で色のとれてしまった尾張屋さんの人形を白井さんに預け、人形作りをお勧めになったという有名な方)、人形玩具の遺跡からの出土物や色素の成分にお詳しい方にもいろいろお世話になりましたが、折角作ったのだから世に問うてみたら、というこになり「今戸焼」と名乗っては失礼だし他の名前にしたら、というご助言で「いまの人形」アルファベットで「IMANO」とはちょっとイタリア料理のようで洒落ているかと思いました。しかしその後湯島の方が「いまどき人形」のほうが面白いと言ってくださったのでこれに落ち着いたわけです。それからもう20年近くなります。

最近ネット検索していましたら、たまたま当ブログについて紹介くださっている方がいらしてありがたいと思ったのですが、そこへのコメントで「性癖、意図がわからず怖い」と書かれているのを目にして正直ショックでした。

常々自分を思えば変な子が変なおじさんになってしまったな、と感じてはいますが、具体的にどこを指しているのだろうか?ブログの構成についてなのか、或いは私のことを知っている人なのか?一番堪えたのは「性癖」という言葉です。世間から外れたところはあるかと思いますが、警察にお世話になるようなことはしていませんし、、、。変質者とか窃盗犯のように見えるのだろうかと思ったり、、。

しかし、いろいろ考えてみても、こういう私の「性癖」は天然ものなので、どう逆立ちしても治るものではありません。そんな訳で、「怖い性癖」に見えるかも知れない人間が書いているブログですが、「怖い」と思われる方にはお越しくださらないようご遠慮いただければ無害だと思いますし、お付き合いくださる方は今後とも引き続きどうぞよろしくお願いいたします。


お世話になっている方々へ

2011-02-19 21:11:57 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010111 当ブログは昨年の2月21日に開設しましたので、もうすぐ1周年を迎えます。

開設以来ご訪問くださった皆様ありがとうございます。またコメントをお寄せくださった皆様に感謝いたしております。

勝手な思いつきなのですが、コメントをお寄せいただいた方々へ感謝を込めて粗品として拙作の人形をお配りできたらと思います。

開設日から昨夜2月18日(金)までにコメントをお寄せくださった方々(一回でも複数回でも結構です。)でお送りしてもよろしい方、お手数ですが発送先をお知らせいただけませんでしょうか?リンクしています私のHPのトップページからメールでお教えいただければ発送させていただきます。 こちらです→

送料もこちらで負担します。「そんなもの要らない」と言われればそれまでなのですが、、、。

ご住所。お名前等、くれぐれもコメント欄にお書き込みにならないようお願いいたします。また、メールでいただいた個人情報は発送後消去させていただきます。

なおこれまで、ブログ記事の内容と関係ない困惑してしまう内容のコメント投稿については、スパム記事として消去させていただいていますので、これらの投稿者の方は対象外とさせていただきます。

年賀状をくださったなど発送先をいただいている方々にはこれから荷造りして発送させていただきますのでご了承ください。


創業300年

2011-02-19 13:16:47 | 日々

P1010110 現在、日本橋室町の三井記念美術館で「三井家のおひなさま」と「特別展示 人形文化の華 創業三百年 吉徳これくしょんの名品」という展覧会が開催されています。(4月3日まで)

今週静岡から帰った翌日、所属させていただいている日本人形玩具学会の見学会があったので私も参加させていただきました。

正直言って、私には豪華な衣装人形や時代雛、などについて云々する知識も資格もないですが、技術の粋を結集させて作られた人形たちはすごいです。

その昔、日本橋室町は十軒店といって人形問屋さんが立ち並ぶ江戸東京の人形のメッカだったそうです。現在浅草橋に問屋さんが集中していますが、その中でも一番の老舗である吉徳さんが今年で創業300年ということで、吉徳さんに収蔵されているお人形の名品たちが、所縁の十軒店で公開されているということがまた歴史的なことなのだと思いました。

展示されているお人形たちには、これまでも公開されていて、私も何度か顔を合わせていますが、長年大切に保存され、こういう機会に展示される労力は大変なことだと思います。

ミーハーな私がいつも楽しみにしているのは3代目・原舟月の作のお雛さまです。お雛様には色々なスタイルがありますが、原舟月という名前は、江戸前の古今雛の創始者として必ず書物に出てくる人物です。その割には、これが舟月作であるという伝世のお雛様はそう多くはないようなので、このように実物を観ることができるというのは貴重な機会だと思います。

会場では、ごく最近出版された吉徳さんのコレクションの図録も販売されています。会場では舟月作のお雛さま以外にも普段観ることことができないすばらしいお人形が公開されていますので、興味のある方は是非お出かけになられることをお勧めします。


今戸焼?(44)「施釉の鳩笛」

2011-02-17 17:03:21 | 今戸焼(浅草 隅田川)

P1010053 今戸焼では素焼きの木地に泥絵具で彩色した鳩笛(従来の土人形と同じ彩色方法)の他に鉛の透明釉を施した鳩笛(箱庭細工やなめ人形と呼ばれるものに共通するし仕上げ)もかなりの量で作られていたようです。

都内の近世遺跡からかなりの量が出土しています。施釉のものだけでもさまざまな大きさ、プロポーションのものがみられます。

画像の鳩笛もまた、今戸焼のものだと考えています。但し、かねがね不思議に思うことがあるので記してみたいと思います。

画像のものと同様な造りの鳩笛について「仙台産」のものだと書かれた記述を目にしたことがあります。例えば昭和40~50年代でしょうか?東京の郷土玩具関係の会で発行された全国の鳩笛について特集された冊子に「仙台産であることがわかった、、、。」という記述があること。何だったか忘れてしまいましたが、近年関西の郷土玩具の研究家の方が「仙台の鳩笛」としていたこと(おそらくネットオークションの販売での表記)などです。

気になっていたので、これまで仙台在住の歴史や人形関係にお詳しい複数の方々にお訊ねしたところ、「このようなものが仙台で作られていたということを聞いたことがない。」というお答えでした。また、仙台市博物館の学芸の方、仙台市歴史民俗博物館の学芸の方に問い合わせてみても「そういう話や実物は記録されたり資料として収蔵されていない。」というお答え。また、念のため、仙台市近辺の近世遺跡からの出土例がないか仙台市役所の埋蔵文化財の係の方に問い合わせたところ「そういうものは確認されていない。」というお答えでした。

地元で作られていたとすれば何かしらの手がかりがありそうなものですが、肯定的な手がかりが全くないのが不思議です。反対に、私自身が観たことがある都内の近世遺跡からの出土品にほぼ同じものがあったり、関東近県から出てきた伝世品もあるので、今戸焼なのではという思いがより深まっています。

では、なぜ「仙台産」と考えられたのか?古い人形についてお詳しい方にもご意見をいただいたところ、昭和の戦前の頃までの収集家の記録にそのような記述があり、それが根拠となっていることも考えられるのでは、、?というお答えでした。昔のそうした記録は今から見るとアバウトな内容もままあって、例えば今戸の「招き猫のぴいぴい」が「宇都宮産」とされているのを目にしていますし、東北のこけしの産地なども入手地と混同されているケースも見受けられます。「仙台産の鳩笛」として紹介されている文献そのものについてはまだ目にしたことがないのであったら見てみたいと思っています。

昭和10年代、「鯛車」という郷土玩具の雑誌に最後の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)が座談会でお話になられたことが記録されています。その中で人形、玩具の彩色について

「、、、楽焼きの絵の具は鉛が入るので毒だと言はれて居ます、それについて斯う云ふ話があります、浅草仲町の大野と云ふ小児科醫が楽焼の鳩笛を毎日一つ宛子供に呉れて居た、其数は五百個だと云ふから一個二厘か二厘五毛程の安価な時代でも大した仕入れ値段です、それが絵の具が毒だとあって問題になり遂に禁止されました。」

浅草仲町というのは、現在の浅草1丁目の仲見世通りと寿司屋横丁に挟まれた辺りの地域のことです。話に出ている鳩笛が画像のようなものだったのではないかと考えています。

顔料による彩色の鳩笛についてはこちら(尾張屋春吉翁作)→


白糸の滝

2011-02-16 23:23:27 | 旅行記

2007_0101_000000p1010014 白糸の滝にも案内してもらいました。

自動車を運転しない人間には、こうして案内してもらう機会がない限り、なかなか来る機会もないところです。

途中曽我兄弟に由縁の場所がいくつもあるのを知りました。芝居ではよく観るものですが、実際の土地があるなんて全然知りませんでした。

冬場で季節外れのためか、ひと気がなくて、途中の土産物屋さんもがらーんとしています。キッチュなお土産がたくさんあるのがいかにも日本的?

滝の景観を遮るようにコンクリートの土産物屋が建っているのも然り。同じ名前の滝が軽井沢にもあるというのも知らなかったし、リチャード・ギアが出演した黒沢の映画のシーンがここではないかと勘違いしていたのも帰ってから知りました。あれは「浄簾の滝」だったのですね。

このあと駅まで送っていただき、新幹線で帰路につきました。黒はんぺんも食べることができたし、やきそばも食べることができました。このような機会がなかったら、こうしたところを観られる機会もなかったので、お世話になった方々にはこの上もなく感謝しています。

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富士山

2011-02-16 22:54:24 | 旅行記

2007_0101_000000p1010005 翌日午前中。こんなに近くに富士山を観るのは生れて初めてです。

富士宮市内の富士浅間神社へ案内してもらいました。富士山をご神体として広大な境内です。

境内の森のあちらこちらに野放しの鶏がいるのが不思議で、いろいろな種類がいるのにおんどりばかりなのがまた不思議。

池からこんこんと湧く清水と流れのなかに群がるたくさんの鱒。傍らで餌を売っていて、池に撒くと一斉に群がります。陸には鳩が餌を待っていました。

2007_0101_000000p1010012 眺める角度によって富士山は姿を変えるという話はいろいろと聞いていたのですが、実際に目にするのも初めてでした。

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2007_0101_000000p1010007 2007_0101_000000p1010009 富士宮名物の「やきそば」も初めて食べました。麺がやや太めでこしがあり、鰹節の粉をかけて食べるのですが、こしのある麺の角が歯茎に当たる食感が印象的でした。

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参道の近くに古い家。昔は旅籠か何かだったのでしょうか?部屋がたくさんあるローカルないい感じでした。


夢の超特急

2011-02-16 01:27:24 | 旅行記

2007_0101_000000p1010001 昨日の午後。ついに夢の超特急(こういう唄があたような、、。)に乗って出発。乗る前に張り切って駅弁をふたつも買い込んでしまいました。

指定席に座って早速食べはじめたのですが、ひとつ目は品川に着いたときに完食。ふたつ目は多摩川を渡る前に食べてしまいました。

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やっぱり新幹線は速いですね。それと車窓からの視界が普段見慣れている景色と違います。

あっという間に小田原を通過。箱根山の向こうに行きます。

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熱海を通過しながら、「寛一お宮」のことを思い出したり、「東京物語」のシーンが眼に浮かんできたり、、。三島を過ぎるとあのニュースのお猿さんはどうしたか?などいろんなことを楽しく考えてしまいます。

富士山は残念ながら見えませんでしたが、「お座敷小唄」が聞こえてくるような気分。

そしていよいよ静岡。夕方、ご当地の郷土玩具の会である「日本雪だるまの会」の例会にお招きいただき、お話させていただくことになりました。

改札口にはお世話になるAさんがお迎えに来てくださり、時間まで近くを案内してくださったり、待望の黒はんぺんのおでんはじめおいしいものをご馳走になりました。普段口にしていないビールも今日ばかりはい戴いて、いい気分。

会場では、土いじりの話などをさせていただきました。話下手なので緊張していましたが、会の皆様のアットホームな雰囲気の中で、お話させていただきました。

久しぶりに新幹線に乗り、東京を離れた土地で皆さんにご親切をいただいて、ほーっとした夕べでした。その後、Aさんのお宅でご馳走になりながら、4匹の猫さんたちのそばでビール片手にのんびりとした夜長を味わうことができました。


楽しみ♪

2011-02-12 01:12:31 | 日々

P1010109 このところ家から離れることができなかったのでちょっと浮き浮きした気分です。

お招きをいただいて、来週、東海道新幹線に乗って静岡まで出かけることになりました。

一泊二日ですが、東海道新幹線に乗れるというのがとにかくうれしいです。もちろんこれまで東海道新幹線に乗ったことはありますが、数えてみても子供の頃以来10往復くらいしかしたことがありません。箱根山の向こう側にはご縁がそう多くはなかったので、今からわくわくしています。

親の食事とわんちゃんと十五夜さんの食事は頼んで出かけます。


二度目の、、

2011-02-11 18:55:03 | おともだち

P1010105 一昨日あたりから十五夜さんの様子がまた変です。夜中に何度も悩ましい声で鳴いたり、床を転げまわったりしています。

先日通院した折、先生から手術のお話も聞いていたところなのですが、うっかりしていました。

猫さんたちは、暖かい春に出産できるよう、寒い冬のあいだでも、何度も?な時期が来るのだそうです。

そういえば、前回のときには、ご飯を食べる量が減りました。こうした時期は10日から2週間くらい続くということです。栄養だけはしっかり摂って欲しいです。


王子稲荷の紙からくり④

2011-02-11 14:43:31 | ご近所

P1010100 「暫狐」で有名な、東京を代表する郷土玩具のひとつである「王子稲荷の紙からくり」についての④です。

画像のものは昭和40年代に好事家によって作られたものです。福禄寿が抱える鉢植えの朝顔がにょっきりと咲いたり、三つ目の大入道、などちょっとグロテスクなものもみられます。

狐では唐傘を持った粋な姿のものは、おそらく歌舞伎の「髪結新三」の永代橋のもじりでしょうか?

これらは、昔王子で作られたものを写したものか、それともからくりの技法を応用して創作されたものか、わかりません。お作りになった好事家の方は下谷の小野照崎神社のそばに住んでいた有名な錺職の方だと聞いていますので、福禄寿と朝顔など、近所の入谷の鬼子母神の趣向でお作りになったのではないかとも考えられます。

しかし、昔の王子にはさまざまな紙からくりがあったと聞いていますので、不思議な姿のものもあったのかもしれません。P1010101


王子稲荷の紙からくり③

2011-02-11 14:27:04 | ご近所

P1010098 「暫狐」で有名な東京を代表する郷土玩具のひとつ、「王子の紙からくり」の③です。

画像は昭和40年代以降に好事家によって作られたものかと思われますが、この構図のものは、実際に明治時代に王子で作られ、売られていたもののようで、それを手本に写されたものだと思います。

舞いを舞っている女性の首が狐に変身する仕掛けです。P1010099