5月1日(月)晴れ
今日から5月と言うことで暖かな一日でした。5月は僕の誕生月だからというわけでもありませんが大好きな月です。僕の田舎の家の庭にはつつじがいっぱい植えてありましてこの時期にはいっせいに咲き出します。赤・ピンク・白と目立つ色合いのつつじと洋間の周りに植えててある赤いチューリップも一列に並んで咲いていました。それとちょっと遅れてあやめの花も咲き出します。そんなことで5月になると田舎の家は花に囲まれてにぎやかになるとともに、裏の茶畑は新芽の緑でいっぱいになります。天気も暖かで過ごしやすく、緑と色とりどりの花に囲まれて新しい生命の息吹に一番ふさわしい月だと思います。そんな5月に僕も誕生したのだけれども、子供の頃は農作業が忙しくて誕生祝いなどしてもらったことがありませんでした。親に頼んでカレーライスを作ってもらうのが唯一のお祝いでした。都会に出てきて何年も生活しているうちに、僕は季節感を失ってしまったような気がしています。僕たちはいろいろな便利さを手に入れた代わりに自然の季節を失ってしまったかもしれませんね。
さて今月のビジネストークのテーマは過去における思い出に残る僕のビジネスライフを語って行きたいと思います。僕はサラリーマン生活約30年のうち初めの10年はIT関係の技術者として、残りの20年はIT関係の営業マネージャーとして過ごしてきました。今思うといろいろなことがあったものです。普段はすべて忘れてしまっていますが、一年一年辿って見るといろいろ思い出してきます。読んでいる方にはつまらないことでしょうが、僕にとっては自分の生きてきた証のように思います。最初は若き頃の悩める技術者のビジネスライフを少し振り返ってみたいと思います。
僕は昭和49年に入社したのですけど、初めての勤務地は福井でした。まったく仕事のことは分からずに、部長・課長・副課長及び職場の先輩達に、多分迷惑をかけながら半年間現場研修と言う形でいろいろな業務のローテーションに入れてもらい、みんなにいつも親切に教えてもらっていました。ここでの最大の失敗は故障受付担当で電話応対をした時、お客様の端末の試験を遠隔で行い正常だったので故障していないですよと対応したことが、あとで大変な問題になってしまったことです。実はお客様の端末は正常だったのですが、接続先に故障があったのです。確かにお客様は金沢の接続先を言って僕に電話をしてきたのだけど、僕はお客様側しか調べずに答えを返してしまったわけです。これが後に苦情となって課長・部長対応になるわけですが、相手がヤクザ屋さんだったようで、僕に謝罪に来いとなりました。何もわからない土地で、僕もどうしてよいかわからずに、課長に同伴してもらい、会社で用意してもらった菓子折りを持ってお詫びに行ったのが我がサラリーマン人生最初の失敗です。以来顔の見えない電話で営業をしたり、応対するのは苦手です。唯一の救いは職場の先輩達がいろいろなぐさめてくれたことです。特に職場の花だったM先輩は美人でいつも僕を気遣ってくれました。そのほのかな恋心も6ヶ月後の辞令で東京本社に戻ることになってあっという間に消えてしまい、東京でのきびしい生活が待っているのでした。
今日はここまでです。この続きは明日以降お届けします。ではおやすみなさい。