”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(77)

2006年05月25日 23時53分51秒 | ビジネス

5月25日(木)晴
昨日の晩は若い美女3人と年寄り組3人で飲んで、今日のランチはまたまた若い美女と僕ら年寄り組2人で食事をして、いい気分ですが、しょうもない年寄りに昔の職場の上下関係だけで付き合ってくれるこの若い子達はみんな美人でやさしい子たちです。昨日都合で参加できなかった子達も同じように美人でやさしい子達です。

リタイアしたら雲のように消えるのが男の生き方と思っていた自分が、いつまでたっても未練がましく、みんなに迷惑かけてごめんなさいです。仕事が暇になって一種の寂しさを感じている自分にとっては若い人達と話をすることで元気をもらっているのかもしれません。ありがたいことです。もっともそれができるのも、僕と言うより相棒にしていただいているTさんの力かもしれませんね。
飲んだり食べたりしながら「国家の品格」を読めとか「スローライフ」を読めとか言っているこのおじさん達に付き合うのも大変かもしれませんが、暇な時はこれからも付き合ってくださいね。

ところで昨日も、今日も最近ブログに書いている内容と同じようなことを若い女性を相手に話しているのには自分はかなり意味があると真面目に思っているのです。でもいやがられるだろなとも思っているのですが。
僕たち団塊の世代は戦後教育の中で自分達の親から受けた日本人の伝統を子供に伝えることなく来てしまったと、この年になって反省しています。(僕だけかもしれませんが。)このままアメリカ的論理や効率至上主義だけでこれからの子供たちが育っていくとしたら、日本人は歴史からなくなってしまうだろうと言う危機感をみんなが感じているのではないでしょうか。そうでなければ「国家の品格」があんなにベストセラーになるわけないですよ。そのことを若い母親候補生がしっかり認識していてほしいし、そう言う認識を持った母親の子供たちの育成をお手伝いできるのは我々世代じゃないでしょうか。なぜなら日本人の伝統に唯一接している世代なのですから。
この世代が地上から消えたときになにも残していかなかったら、民族としてのアイデンティティはなくなってしまうのでしょう。まぁ中国系民族の中に組み入れられてインディアンかアイヌのような存在になっているかもしれませんね。僕は政治家でも学者でもなんでもないただの人だけど、日本人が日本人として生き残って行くためには、我々世代が生きている今が最後のチャンスなのかもしれません。
我々は多かれ少なかれ自然の中で育てらることにより学んできました。そして自然に対する好奇心と行動が、創造力を生み新しい知識を生んできたのだと思います。最近日本の子供の学力が世界の中でどんどん落ちてきていると聞きます。でも当たり前です。塾へ通い知識を覚えるだけの学力がいいわけありません。自然の中で好奇心が引き起こす発見や考える力のトレーニングができていない頭がよくなるわけがありません。きわめて当たり前のことです。既存の知識をいっぱい詰め込んでも、知識が零れ落ちることはあっても増やすことはできないのですから。ところが自然の中で遊ぶことによって知らず知らずに考える力がついて知識を増やすすべを覚えるのです。だから問題を解決する想像力を持った子と覚えた知識だけの子と学力を比較すれば結果は測定する必要もないくらい明白ですよね。なんでそんなことが今の世の中わかんないのか僕には不思議です。ただわかっているけどみんながやっていることがいつも正しくて、少数意見を実践していくことはどんなに正しいことであっても難しいのもよくわかります。赤信号みんなで渡れば怖くないと言うやつですね。自由と言いながら、日本人はとかく大衆と違った行動をとるとみんなでいじめるような悪い性癖があります。だからその他大勢と違いを際立たせずに、正しい行動をとっていく処世術がテクニックとして必要かもしれません。

この種の教育を目指した取り組みが全国で細々と試行されている話が新聞等で紹介されていますが、なかなか大きな流れににはならないようです。10年後20年後にしか結果の見えない話ですから、哲学がないと続けることができないでしょう。理屈がなくてもいいものはいい、ダメはダメと言える哲学(武士道?)を今一度思い起こすことが結局一番必要のような気がします。
また長たらしくなってしまいました。ここまで読んでいただきありがとうございました。
それではおやすみなさい。

コメント (1)
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