5月18日(木)雨のち曇
さてずいぶん長くなってしまった外国出張ドジドジ行状記も最終目的であるデンマークの通信会社に着いて何事もなくすませ、コペンハーゲンで3日間の休日を残すだけになるはずでした。ところが訪問先の会社について、前年に来日したもう一人のマネージャーのオフィスでしばらく談笑し、おみやげの新商品である端末のデモをすることとなりました。現地の作業員に手伝ってもらいながら始めたのですが、最初はうまくいって、歓声があがったのもつかの間、変圧器から煙が出始めてしまったのです。作業者達がさわぎだしてしまったため、僕もパニックになってしまい、途中で中断してしまうことになってしまったのです。多分成田で出発前に購入した変圧器がおかしかったとしか考えられないのでした。とにかくデモは途中で中止して、予定されていたディスカッソンをマネージャーのオフィスで始めることになりました。と言っても事前にテーマや質問を聞いていましたので、既に作成してあった英文レポートを提出して、若干の質問を受けた程度でした。その中で特に印象に残っていることは日本のホームテレホンの考え方が彼らには理解できなかったようです。一本の電話回線で何台もの電話機をぶらさげるやり方に対して2回戦引けばいいじゃないのか?となるのです。こうなるともう説明のしようがなくなってしまうのです。根底には料金制度が深くかかわっているのですが、要は制度によって基本となるコンセプト自身がまったく変わってしまうのでしょう。我々が普段常識と思っていることも時代や場所によってまったく異なると言うことです。
ところで無事ディスカッションも終わり、帰りのの飛行機の時間を聞かれチケットをみせると、迎えにきてくれた彼が夜パーティを開くから最終の飛行機に変えてもよいかと聞かれ、ゴチになることにしました。チケットは彼が航空会社に電話して変えたからOKだと言い、自分が飛行場まで送っていくから安心するよう言ってくれました。そしてパーティまで時間があるのでオーフスの町を案内すると言って、彼の車でオールドタウンやビール工場や古い中世風の教会やら見物させてもらいました。夕方パーティ会場のお店に入るとすでに皆さん集まっていて、すぐに地ビールで乾杯となり、楽しい一時になったのですがつまみのチーズを勧められて一口食べたところすごくおいしかったので、”ベリーナイス”などと言ってしまったのです。それからあとが大変で彼はチーズが好きだからと言うことでスイス産の○○チーズとかフランス産の○○チーズとかアオカビが生えたようなチーズとかみなさんが持ってきてくれてこれがうまいから食べろと勧めるのです。僕はもう食べられないくなっていたのですが、うまく断れずに”サンキュー、ベリーナイス”などとやっていたものですから、ウイスキーとチーズで完全に酔っ払ってしまい、気持ち悪くなってしまいました。とにかくあとしばらくだからと自分に言い聞かせて、なんとか持ちこたえました。パーティが終わり、プレゼントにユトランド半島の自然を撮った写真集とデンマークで販売されている端末(デザインがすばらしい)をもらい、皆さんにお礼とお別れを言い、約束どおり彼の車で送っていただきました。空港に着くと彼が荷物を持ってくれて、チェックインカウンターで僕のチケットを見せながら、なにやら手続きをすませてくれて、ゲートを指差して手を振ったので”サンキューグッバイ”と言いながら彼と別れ飛行機に乗り込んだのです。飛行機の座席に座ったとたんに安堵感からか急に気持ち悪くなってきて、最悪にもチーズを吐いてしまったのです。よりによって飛行機の中で吐いてしまうとは情けないですが、もうどうにもならなかったのです。幸い乗客はほとんどいなかったのでまだよかったのですが、スチワーデスが飛んできて、全部ふき取ってもらいました。スチワーデスの彼女は笑顔で僕を心配してくれ、コーラを持ってきてくれたり、毛布を持ってきてくれたりでずっとお世話になってしまいました。北欧の女性はブロンドの髪で妖精のような顔立ちなので絶世の美女にお世話になったのは最高にかっこ悪かったと思います。コペンハーゲンに着いて飛行機からでるまで彼女にきずかってもらい、別れた時の笑顔はいまだに遠い記憶にあるのです。
コペンについてからは3日間あっちこっち歩いてゆっくり見物したのです。特に日本食が食べたくて入ったレストランで日本人に会い、それぞれの旅の話や日本のカラオケをやったりできて、コペンハーゲンはオーフスと違い国際都市だなとつくづく思ったのです。
これで”ドジドジ行状記”は終わりです。帰国後上司からは”××でも行けるのだからお前らみんな大丈夫だぞ”と言われていました。そして僕の後に外国出張となったN君などは”××さんでも大丈夫だと言われたから僕も行くことにしました。”と僕に言ってくる始末でした。まぁみんなを元気付ける意味で僕の出張も会社のためになったのかもしれません。
この職場を最後に僕は技術屋から営業屋に転身することになるのです。
しんさんのビジネスライフ前編はこれで終わりです。後編はまた気が向いた時にでも話すことにしましょう。それではまた。