5月12日(金)曇
五月晴れが一日もない一週間が過ぎようとしています。田舎では来週茶摘が予定されているのですが、今年のできはどうなのか気になるところです。
さて今日から3回のシリーズで初海外出張失敗談をしていきます。名付けて”しんさんのドジドジ行状記”です。
まだ肌寒い3月上旬の夕方、初めての成田空港なので何があっても大丈夫な出発4時間前には着いてこれから18時間近くの空の旅に、何とも言えない神妙な緊張でいっぱいでした。まず訪問先で新規開発商品のデモをする時に使用する変圧器を空港併設のトラベルショップで変圧器を購入しました。日本とデンマークは電圧が違うので220Vを100Vに変換する必要があったのです。チェックイン後初めて免税店なるものを見てまわり、ブランド品の高さにおどろいていたのですが、それでも免税分だけ安いのだからどんな人が買うのか考えられませんでした。当時の僕はまったくブランドなるものに興味がなかったというか貧乏してましたので。最近でも貧乏は相変わらずですが、ブランドは回りにバブリイな人達が多いので多少わかるようになりました。そんな訳で出張中の喫煙用にタバコを買っただけでした。あとは帰りに買う予定のウィスキーの銘柄と値段を頭に入れて、搭乗口で待つことに。SASのDC8だったと思うけど、エコノミークラスの後部座席はこれからアンカレッジ経由でドイツのハンブルクまで世話になるには狭すぎるような気がしました。でも機内から北極圏の氷の山々が朝日に輝くのが見えるとカメラでいっぱい写真をとっていました。
アンカレッジで給油のためしばらく待ってから北極回りでハンブルクまでになりますが、搭乗員がまったく変わってしまい、言葉も北欧語になり、まったくの異国に入った実感がしてきました。英語も北欧なまりと言うかコフィー オァ ティー?が カフェ オァ チィ?と聞こえるのです。特にチィが最初何だかわからずコーヒーばかり飲んでました。
そしてハンブルグ空港についてからが大失敗の始まりでした。訳のわからない字ばかりの空港で何とか自分の荷物をピックアップし、税関にきたら荷物のトランクを開けろときました。しかたないので空けたところ、中に入れていたデンマークの会社へのプレゼント用に用意した日本で発売したばかりの端末を見て、一方的にまくしたてられました。こちらは何を言われているのかさっぱりで、それはデンマークの友人とディスカッションするための機械だと言ったのですが、全然話が通じず、腕をつかまれて税関の事務所に連れていかれました。そこでまた質問が始まり、僕の会社のことから目的から1時間近く聞かれてしまいました。その時は何かのペーパーがないとこの機械は持ち込みできないと言うことだったのですが僕には何でなのかがさっぱりわからず、この機械の使用目的ばかりを話していたのです。あとでわかったことですが当時電子機器を持ち込むには日本の役所から証明書のようなものを発行してもらう必要があったようなのです。そんなことを知らない僕は苦し紛れに、丁度ドイツのハノーバで開催されていたヨーロッパ最大の電子機器展にうちの会社のメンバーがいるから聞いてくれといったようなことを言いました。そして税関の人も中でなにやら打合せをして、戻ってくると”ナウズ OK”と言いました。僕はやっと解放されると思うと、自然に”サンキューヴェリマッチ”と言って両手で相手の手をつかみ、握手をしてしまったので相手は苦笑したしたような笑顔で”ナイストゥリップ”と送り出してもらったのです。多分あまり言葉のできない日本人が電子機器で密輸ビジネスができるわけないだろうと判断してくれたのでしょう。人種が違っても、言葉は流暢でなくても、きっと表情や動作で人間をわかってもらえることだけが唯一の収穫でした。以後僕はよく税関でトランクを開けさせられます。何か表情にでるんでしょうかね?まぁとにかくこの一件はいまだに忘れることのできない失敗です。ただもうここまで恥をかいたのでやぶれかぶれで、かえって度胸がついたようです。その日は埃だらけのタクシーでハンブルグ駅に行き、ドイツ鉄道に乗ってブレーメンのホテルまで何とかたどり着いたのでした。今回の出張でドイツに寄ったのは”ハノーバメッセ”と言うヨーロッパ最大の電子機器展があったからですが、そのせいか主要都市のホテルはまったくとれなかったためブレーメンのホテルになったのでした。ブレーメンの宿も日本ではとれなくてイギリスの会社を通して取ってもらった宿だったので、宿泊客には東洋人は僕だけでかなり心細いものでした。ただその分異国に来ている実感は十分ありました。ブレーメンの音楽隊像も街角に自然にあるだけなので日本の観光地のように説明用のプラカードがある訳でもなく、すごく自然な田舎町という感じでよかったと思います。ここには4泊したので町中を散歩しました。先日愛ちゃんの世界卓球選手権がブレーメンで開かれ、中継もありましたが愛ちゃんもブレーメンの音楽隊像をみたのかなとあの頃を思い出してしまいました。
今日は長くなってしまいましたが”しんさんのドジドジ行状記”第一回を終わります。この続きはまた来週にします。お付き合いありがとうございました。おやすみなさい。
五月晴れが一日もない一週間が過ぎようとしています。田舎では来週茶摘が予定されているのですが、今年のできはどうなのか気になるところです。
さて今日から3回のシリーズで初海外出張失敗談をしていきます。名付けて”しんさんのドジドジ行状記”です。
まだ肌寒い3月上旬の夕方、初めての成田空港なので何があっても大丈夫な出発4時間前には着いてこれから18時間近くの空の旅に、何とも言えない神妙な緊張でいっぱいでした。まず訪問先で新規開発商品のデモをする時に使用する変圧器を空港併設のトラベルショップで変圧器を購入しました。日本とデンマークは電圧が違うので220Vを100Vに変換する必要があったのです。チェックイン後初めて免税店なるものを見てまわり、ブランド品の高さにおどろいていたのですが、それでも免税分だけ安いのだからどんな人が買うのか考えられませんでした。当時の僕はまったくブランドなるものに興味がなかったというか貧乏してましたので。最近でも貧乏は相変わらずですが、ブランドは回りにバブリイな人達が多いので多少わかるようになりました。そんな訳で出張中の喫煙用にタバコを買っただけでした。あとは帰りに買う予定のウィスキーの銘柄と値段を頭に入れて、搭乗口で待つことに。SASのDC8だったと思うけど、エコノミークラスの後部座席はこれからアンカレッジ経由でドイツのハンブルクまで世話になるには狭すぎるような気がしました。でも機内から北極圏の氷の山々が朝日に輝くのが見えるとカメラでいっぱい写真をとっていました。
アンカレッジで給油のためしばらく待ってから北極回りでハンブルクまでになりますが、搭乗員がまったく変わってしまい、言葉も北欧語になり、まったくの異国に入った実感がしてきました。英語も北欧なまりと言うかコフィー オァ ティー?が カフェ オァ チィ?と聞こえるのです。特にチィが最初何だかわからずコーヒーばかり飲んでました。
そしてハンブルグ空港についてからが大失敗の始まりでした。訳のわからない字ばかりの空港で何とか自分の荷物をピックアップし、税関にきたら荷物のトランクを開けろときました。しかたないので空けたところ、中に入れていたデンマークの会社へのプレゼント用に用意した日本で発売したばかりの端末を見て、一方的にまくしたてられました。こちらは何を言われているのかさっぱりで、それはデンマークの友人とディスカッションするための機械だと言ったのですが、全然話が通じず、腕をつかまれて税関の事務所に連れていかれました。そこでまた質問が始まり、僕の会社のことから目的から1時間近く聞かれてしまいました。その時は何かのペーパーがないとこの機械は持ち込みできないと言うことだったのですが僕には何でなのかがさっぱりわからず、この機械の使用目的ばかりを話していたのです。あとでわかったことですが当時電子機器を持ち込むには日本の役所から証明書のようなものを発行してもらう必要があったようなのです。そんなことを知らない僕は苦し紛れに、丁度ドイツのハノーバで開催されていたヨーロッパ最大の電子機器展にうちの会社のメンバーがいるから聞いてくれといったようなことを言いました。そして税関の人も中でなにやら打合せをして、戻ってくると”ナウズ OK”と言いました。僕はやっと解放されると思うと、自然に”サンキューヴェリマッチ”と言って両手で相手の手をつかみ、握手をしてしまったので相手は苦笑したしたような笑顔で”ナイストゥリップ”と送り出してもらったのです。多分あまり言葉のできない日本人が電子機器で密輸ビジネスができるわけないだろうと判断してくれたのでしょう。人種が違っても、言葉は流暢でなくても、きっと表情や動作で人間をわかってもらえることだけが唯一の収穫でした。以後僕はよく税関でトランクを開けさせられます。何か表情にでるんでしょうかね?まぁとにかくこの一件はいまだに忘れることのできない失敗です。ただもうここまで恥をかいたのでやぶれかぶれで、かえって度胸がついたようです。その日は埃だらけのタクシーでハンブルグ駅に行き、ドイツ鉄道に乗ってブレーメンのホテルまで何とかたどり着いたのでした。今回の出張でドイツに寄ったのは”ハノーバメッセ”と言うヨーロッパ最大の電子機器展があったからですが、そのせいか主要都市のホテルはまったくとれなかったためブレーメンのホテルになったのでした。ブレーメンの宿も日本ではとれなくてイギリスの会社を通して取ってもらった宿だったので、宿泊客には東洋人は僕だけでかなり心細いものでした。ただその分異国に来ている実感は十分ありました。ブレーメンの音楽隊像も街角に自然にあるだけなので日本の観光地のように説明用のプラカードがある訳でもなく、すごく自然な田舎町という感じでよかったと思います。ここには4泊したので町中を散歩しました。先日愛ちゃんの世界卓球選手権がブレーメンで開かれ、中継もありましたが愛ちゃんもブレーメンの音楽隊像をみたのかなとあの頃を思い出してしまいました。
今日は長くなってしまいましたが”しんさんのドジドジ行状記”第一回を終わります。この続きはまた来週にします。お付き合いありがとうございました。おやすみなさい。