”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(74)

2006年05月19日 23時18分34秒 | ビジネス

5月19日(金)曇(東京)
今日は朝から東京出張で池袋の展示会と有楽町のセミナーと走り回っていたのでさすがに疲れちゃいました。帰りの途中静岡あたりですごい雨が降ってましたけど、名古屋の天気はどうだったんでしょうかね?ほんとは最初今日はGOLFの予定だったんだけど、骨折後の回復がいまいちのため急遽取り止めにして、一日空いたのでこの機会に情報収集をと東京に行ってきました。もう少しゆっくり昔の仲間とも会って話したりしたかったのですが、明日は歯医者と整形外科に行く予定だしあさってはまた横浜にFRPの講習会に行かなければならないので今回は誰とも会わずに、自分のほしい情報だけの収集でした。
そう言えば皆さんは”国家の品格”と言う本をもう読まれましたか?僕は先週読み終わったと言うか一ヶ月ぐらい読んでは戻りゆっくり読んでいました。と言うのも自分の思っていることを代弁してくれているような気がしたからです。特に最近反対できないような論理で物事が規則化されていく世の中の風潮に、おかしいと思っていたからかもしれません。以前にも書いたかもしれませんが、道徳教育が廃れて、欧米流の論理だけで物事を判断しがちですが、論理は出発点すなわち前提条件が異なるとまったく違った答えが出て来るものです。「国家の品格」はその点をかなり明快に証明してくれています。そして物事を見る感性(情緒)の大切さを必死に訴えているように思います。著者が言うように理屈なんかなくたってダメはダメなのです。その基準の根源には日本人としての道徳(武士道、儒教、仏教)があるのです。商売でも僕はやっていい商売とやってはいけない商売があると思っています。儲かればなんでもいいと言うのは長続きしないし、長続きしないビジネスはお客様に迷惑をかけるだけです。お客様だけならまだしも社会環境や国家の存続にすら影響することだって考えられます。それを僕達は”お天道様が見ている”と思うことによって自制していたのに、今では欧米流の論理だけを都合よくとって、理屈は通っているけど内心おかしいと思うことが堂々まかりとおっています。今一度原点に戻って日本人としての生き方を見つめ直すことがあってもいいように思います。
最近僕は腹の立つことが多くあります。特にコンプライアンスとかセキュリティについては過剰反応としかいいようのない規則ばかり作っています。そして少しでも異議を言おうものなら悪人になってしまいますが、アメリカという国は多国籍民族国家であり、基本的に性悪説国家です。だから法家のごとく規制、規制で統治していかざるを得なくなっているだけだと思います。そして法家が栄えた国は中国では”秦”ですが、過去の歴史では強力な国家になることはなるけど長続きしない国家でもあります。もっと日本史・国語の教育を充実して、人を大切にする心をベースにして”法”は作るべきだと思います。要は結果に対する罰はきびしくてもよいけど、手段についてはバカな規制は作らないということでしょう。今養老孟司さんの”こまった人”(中公新書)を読んでいるのですが、僕には彼も同じような感覚の持主のような気がします。但し養老さんは皮肉るだけであまり中味に立ち入らない傍観者的スタイルを貫いているので、やっぱり賢い先生だなとは思いますが。
それにしても「国家の品格」を書いた藤原さんも「こまった人」を書いている養老さんも理科系の人なのですが、肝心の文系の人たちって欧米至上主義の人しかいないのかなぁ。
まぁ僕もよくわからないけど、最近何か変だなぁと思うのは僕だけかもしれないのでもうこの話はやめましょう。ただ「国家の品格」の中で藤原さんがおっしゃっているように、直接世の中に役に立たない仕事をいっぱいやっている国は世界から尊敬され、国家として長く存続するというのは正解のような気がします。安ければ何でもいい、とかお金さえあれば何をしてもいいと言ったことにならない日本人でありたいと僕は思う。人生にはお金に変えられない自然や日本的美があることを知ってもらいたいのだけど無理なことかもしれません。人間の歴史は廃墟にならなきゃわからない歴史でしょうから。そう言えば人間ほど歴史に学ばない動物もないんですよね。そのくせ歴史の書物はいっぱいあるのはどうしてなのかな?ではおやすみなさい。

コメント
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