なんでも人生

Whatever life is

北陸、飛騨、信州、木曽ドライブ旅行

2019-07-22 | 日記


弟夫婦が忙しい合間に2-3日の暇を作りやってきた。関西観光もあるが、せっかくだから一緒に車で梅雨さなか2泊3日の北上の旅に出かける。

私たちの父親は海軍(潜水艦乗組員)なので軍艦が見える舞鶴港に立ち寄る。ちょうど掃海艇が朝礼中。週末には波止場で一般公開があるのだが、今日は平日なので柵の隙間からちょい見。 

その後、東尋坊に立ち寄る。運よく雨が小降りになり迫力のある断崖まで歩いて近づけた。ここは確か来たことはあるが、いつ来たのか2人とも思い出せないほど忘れている。お陰で東尋坊の再訪は新しい記憶に残る。

今夜の宿泊地は飛騨高山なので、景色の雄大な白山ホワイトロードを走ろうとナビ設定したが案内ルートが安定しない(走っている途中ルート変更になる)。2-3度走った道なので白山市から中宮料金所に近づくと、通行止めの看板がある。アッ、激しく降り出した雨のため通行規制が始まったようだ。ナビの案内不安定理由が判明。急遽、富山五箇山経由をナビに入れ直し、土砂降りのなか、白川郷までやってくる。
白川郷道の駅で合掌作りの内部が見学できる。我々も中学までは藁葺の家だったので、いろりや土間、くどなど懐かしい。その後、白川郷合掌村(荻町)を車で通り抜ける。普段は通行規制で一般車は乗り入れ禁止だったと思うが、この日は土砂降りのためガードマンも立っていない。それでも観光客(ほとんどが外国人)は傘をさして歩き回っている。そこから高山まで国道を走り、荘川ダムで沈没した村から移植された荘川桜を横目で見ながら、予約していた高山ワシントンホテルチェックイン。新しく整備された駅前の便利な近代ビジネスホテルで快適。翌朝、保存町並み歩いて回るが、早いので観光客もいなく気持ちがいい。雨も上がり、信州のきれいな景色も見れそうなので乗鞍、長野、志賀高原を回る。日本一標高の高い国道渋峠からの眺望は残念ながら霧(雲)の隙間から草津、白根山がちらり。しかし良かったのは2年前の白根山噴火以来通行止めになっていた草津道路が開通、やはり眺めは雄大。長い間通行止めだったため、カモシカの道路を横切る姿もみることができた。

草津の湯畑で足湯(熱い)を楽しみ、浅間山を眺めて軽井沢、八ヶ岳を走り抜け、夕食は茅野の小作でほうとう、その夜のホテルは中津川ルートイン。
翌朝は雨、馬籠宿、妻籠宿を見学。
2泊3日、兄弟夫婦で約2000kmドライブ旅行でした。
このコースは何度行っても日本の絶景が楽しめる。

実は私は雨の馬籠で石畳を下っている時、左足かかとが滑り、右足の膝で着地。幸いにも骨への損傷はなく歩行影響はなかったが、右ひざに打ち身と軽い出血があった。家に帰り、ネットで馬籠観光センターに安全対策(滑る注意書きだけではなく、石畳に横溝や凹凸を付ける)をお願いした。センターからは返事があり今後の対策を検討するとのこと。私も、かかとがすり減ったスニーカーを滑りにくそうなのに買い換えた。

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梅雨 Rainy Season

2019-07-03 | 日記

6月中旬まで雨が降らず、近畿ではダムやため池などの水がめの水不足が心配されたがやっと本格的な梅雨になった。うちの庭にとっても恵みの雨だ。一部の地域(鹿児島)では降り過ぎて洪水被害も発生している。

私も雨のため庭の手入れや家回りのDIYもできなく、することがない。

今日梅雨の合間をぬい、急遽シニアゴルフ競技会に参加、ゴルフ場に着いて会員カードをフロントで呈示しようとしたら財布がない。家にを忘れてきたことに気づく。フロントで財布忘れたので今日のプレーをキャンセルしたいと申し出たら、次回清算でプレーして下さいとのこと、助かった。実はこれが最初ではない。過去2度ほどゴルフバッグ(クラブ)を忘れたことがある。ゴルフに行くのにクラブを持たずに行くなんて考えられないが、これは起き得ることで、車に普段積んでいるバッグを何かの理由で降ろしたのを忘れて、あるものだと勘違い、ゴルフ場に行ってクラブがないのに初めて気づく。その時は時間に余裕があったので家まで取りに行き事なきを得た。

ボケたのは私だけではない。ゴルフ帽子に距離測定器(ボイスキャディ)を付けていたら、そのまま洗濯されてしまった。驚くことにボイスキャディ洗濯機で洗剤洗濯、脱水されたが、乾かしたら機能している!  しかし、いくら正確に距離が分かっても、その通り打てないので殆ど意味ないが。

G20も無事終わり、安倍首相大役を果たした。安倍さんならではの快挙だが、今回のG20では中国の習主席が世界の重鎮になったことを世界に知らしめた。


懸念の日韓関係がかなり複雑になった。きっかけは韓国が一度両国で合意(解決)した徴用工問題を韓国内裁判で日本企業敗訴裁定を行い、資産没収や賠償請求を開始したためだ。確かに徴用されて劣悪環境で労働につかされた人たちもいたようだが、韓国国内賃金の2倍の報酬が支払らわれ、徴用工当事者と韓国支援団体があたかも強制連行、無報酬労働を強要されたかのように真実を曲げて騒ぎ立てた産物である。一つの例をあげると、戦時中自ら三菱手稲鉱業所で徴用を志願した崔基鎬さんは、当時1000名の鉱夫募集に対して7000人の応募者あり「採用者(徴用者)たちは歓喜に溢れ、船内では全員歌舞に耽って、元気旺盛そのものであり、手稲鉱業所への就業後も、休祭日は自由に札幌市内に繰り出し、ショッピングはもとより銭函湾での船遊びまで楽しんだ」と証言している。崔基鎬さん「徴用」は「強制連行」とは異なると批判し、当時徴用に応募した99%は南朝鮮(韓国)出身者で「国民徴用令に基づく徴用、または挺身隊の志願者が多かったのは明白な事実で強制連行というのはおかしい」と批判している。日本は戦争中で、国民総動員(子供も)駆り出された。その時朝鮮(南北)は日本に併合されて日本の一部で、当然国民に(日本人も)人権など尊重された人はいない。召集令状一つで敗戦が分かっている戦場に送られたり、帰りの燃料のないベニヤ作りの飛行機に乗せられたりした。

慰安婦も同様、挺身隊と呼ばれ兵隊相手の娼婦(当時は合法職業)で高額報酬を得ていた人たち(日本人も)で、Camp followersとGHQ戦後処理公文書にも記録されている。中には、親が借金返済のため仲介業者に売られた娘さんたちもいたかも知れないが、日本軍が強制的に連行し性奴隷として扱った事実はない。朝日新聞の捏造報道により、日本軍が性奴隷として強制連行したとなってしまった。慰安婦経験者が事実を隠し(嘘をつき)韓国支援団体が世界中に強制連行性奴隷であったと共感を煽り問題化した。日本はこの問題を解決するため韓国政府と協議(合意)し日本から基金を拠出、慰安婦救済を続けていたが、韓国はこの2国間合意を反故にした。残念だが、韓国政府は自ら信頼に値する国家ではないことを行い続けている。


ホンダエンジンがF1で待望(私にとって)の優勝を果たした。今年からレッドブルとトロロッソ(オーストリア国籍)と組み、今回のオーストリアサーキットでついにメルセデスとフェラリーを抑えて優勝。快挙である。

 

 

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