なんでも人生

Whatever life is

ホンダ力丸HP250の運搬ケース Carry case for Honda HP250

2016-12-30 | 日記
4年前に力丸に合板で運搬ケースを作って、石、砂利、砂、木材や他の建材を入れて運んでいたが、風雨に曝され遂に腐り始め重い石を積み込んだら破損。十分に役目を果たしてくれた。さて新しく作り直すためコンクリート木枠12mm合板一枚(90x180cm)買ってきて、家に近所の人が持ち込んだキャビネットドアがありそれを半分に切って65x90x45cmの箱を作製。この力丸はダンプ式なので一辺は開閉できるようにL型金具を使って細工を施す。残っていたキシラデコールコンゾランシルバーグレーを塗り力丸に取り付けたら家内がこれを見て思わず笑い出す。どういう意味で笑ったのか知らないが私としてはいい出来上がりだと満足。気になるのはキャビネットドアを利用したので材質が圧縮紙で水に弱く耐久性が心配だ。腐食したらまた作り直したら良いだけだ、

2016年を振り返り。
私にとってはカントリーキッチン建築に尽きる。ほぼ一年前から基礎穴、基礎鉄筋組み、基礎コンクリート敷設、給排水、2x4基礎、壁、トイレ、床、屋根、クッキングストーブ設置、煙突、内外装、ウッドデッキ、周辺コンクリート敷設、結構充実した作業内容と仕上がりだった。もう一度家作りするようなことがあれば改善点は2-3あるがもうないだろう。内装を手伝ってくれた友人達に感謝。それから大活躍したコマツパワーショベルPC10-7 これなくして整地はできなかった。軽トラで建材を運び、力丸も頑張った。有難う。
3ー4月に胆管、胆嚢手術を受け病院も通った。
旅行は国内だけで沖縄、石垣島、北海道、東北、あとは近場(雨降りはドライブ)。
熊本の実家が4月に地震で倒壊、7月母が93歳で他界。
ゴルフは相変わらず下手85-108。
振り返れば忙しい一年だったのかな?
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裏庭崖に石垣 Stone wall for backyard

2016-12-26 | 日記

裏の通路を整備(拡張+舗装)したので力丸が何とか通れるようになった。これこそ本当のブレイクスルーで今後重量物(薪、砂利、ブロック等)の運搬が楽になる。その横の崖も削り取ったので補強に石垣を積む。この作業もう何度やっとことか、目に見えて改善するので嫌いではない。この土地を買った時から急傾斜になっていて、更に私がキッチンハウス用の敷地確保にユンボで削って崖になった。写真でも分かるようにまだ見苦しいが少しづつきれいになって僅かだが花壇も出来た。石はいつもの落石現場で軽トラ横付けして拾ってきて力丸で作業場所まで運び上げ、モルタル練って石を重ね間に詰めていく。最初は少しぐらつくがセメントが固まる(2-3日はかかる)と頑丈な石垣になる。1m程積み上げ花壇を作り、更に積んでいく。家内はここは日陰だから紫陽花が良いと言うが私は料理に使えるハーブ類を考えている(両方植えれば良いことだが)。奥の方も元から埋まっていた石に持ってきた石をセメントで補強し流土防止。この場所はガーデンキッチンだが薪小屋も立てる予定なのでその前に整地をしなくてはならない。やることが(楽しみ)まだ沢山あり結構なことだ。

家内の友人グループがクリスマスパーティでパエリア作りでキッチンハウスに集まった。この日は強風が吹きキッチンハウスのどこかでオートバイがアクセルを吹かせる音がする。最初は煙突から風が逆流か、軒下にエアポケットができたのかと推測したが、ウッドデッキの下に顔を突っ込んで原因特定。強風がウッドデッキ(三角形)に吹き込み、出口が狭いためトランペット現象が起きてブルブルと鳴っていた。風を逃がす方法を考えたらいいが、あまりこういうことはないだろう。


今年のクリスマス25日はポカポカ日和りで行事もなく、家内は庭の草取りや落ち葉集め(軽トラに何杯にもなる)、私は石積み作業でとてものんびり一日だった。夕食は私がインドカレー(コルマ)を担当する。これで3回目の挑戦で少しづつ腕を上げているはずだが、ナンをレシピ通り配合しパン焼器で生地作りをさせたが失敗、結局手で捏ね直し発酵時間不足で思う通りに膨れなかった。しかしフライパンで焼き上げたら味は合格。コルマカレーも家内から合格点が出た(多分空腹で減点するともう作って貰えないと判断したのだろう)。私のコルマはレシピ以外にココナツパウダーを加えることでガラムマサラも少し多めに入りカレー味が濃くなっている(辛さは中)。今回はキャシューナッツが少なかったので私の酒のつまみのバターピーナツを混合。にんにく入れるの忘れた。多めに作り残りを冷凍しようかと思ったら翌日のランチに家内が食べてしまった。また私に料理させる魂胆だ。しかしもう一度完璧なナンに挑戦しなくては!なんでパン焼き器ズボラしたのだ? インド料理簡単そうだが時間がかかる。ナンの発酵が2-3時間(捏ねて放って置けばいいのだが)、カレーも弱火でグタグタ一時間は煮なくてはならない。その間コンロの前に立っていないとならない。 食べるのは15-20分。前回のカレーはチキンがないので牛肉を使う、作りながらインド人きっと怒るだろうなとしきりに気にした。ところで本場インドではナンを見かけることはない。過去2度豪華インド結婚式に出席した時も、出張でインド料理店食事を何度もしたが一度もナンが並んだことはなく、どこでもチャパティだけだった。インドではナンは発酵に手間がかかるので一般的ではないらしい。友人宅で食事に招かれた時、小学生ぐらいの近所の女の子が台所を手伝っていた。内心びっくりしたがお小遣いを上げ毎日手伝いに来ているようだが、ごく一般的な風習らしい。もっと驚いたのは訪問した化学工場で女の人が裸足で頭の上に竹籠を乗せ化学品を運搬していたことだ。多分もうそんなことはやっていないだろう。会社の方針では児童労働や劣悪労働環境の会社とは取引してはいけないことになっていたが、それではインドのどの工場も失格である。私は経済が先行し労働環境は後に続くものだと思っている。
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裏通路コンクリート舗装 Back path covered with concrete

2016-12-21 | 日記
工事延べ1週間かな?裏の崖に石垣積み通路を拡張してコンクリートを張リ終える。再生採石を使いワイヤーメッシュを埋め込んだので今回は石の打ちこみはしなかった。これで雨でも土が流されることはないし歩行も楽になる。崖崩れの心配もなくなった。それより力丸がここを通れるはずだ(計算では)。1週間乾燥させてから通してみよう。崖に早速貰ったツルバラとハーブを植えたので春が楽しみ。
あとの作業は残りの崖の補強(石積み)、整地と舗装、そして薪置き小屋の作製だ。

ダイオキシン騒動
私は会社で現役の頃、オンブズマンと遵守委員長をも任されていた。これは私が会社で真面目に皆の意見を聞き正しく対応できると信頼されたためだと思っている。幸いにも会社は不正行為を厳しく禁止していたので事業展開で難しい問題には遭遇しなかったが、知らない間に法律に違反していることもある。ある時顧客の工場排水から規制値(25ピコグラム/L)以上のダイオキシンが検出されどうも我が社の製品がダイオキシン汚染されているのではないかと疑問が顧客より提議された。その製品(化学品)はアメリカルイジアナ州のしっかりした工場で製造されまさかそんなことはあるはずがないと試験をすると、何と60ピコグラムダイオキシンが検出されたのだ。製造したアメリカ工場も仰天、徹底調査の結果中国より仕入れた原料(化学品)がダイオキシン汚染されているのが分かった。日本の工場では800度以下での廃棄物焼却は許可されていないのでダイオキシンは発生することはないのだが、中国では廃棄物(特に塩素系)を低温焼却しているのでダイオキシン発生(汚染)の可能性はある。そもそもピコグラムとは1兆分の1グラムで測定器と測定技術の発達により検出が可能になったのだが、日本の排水規制25ピコグラムは世界で一番低くその根拠はない。当時ヨーロッパのライン川規制でも200ピコグラムだった記憶がある。ダイオキシンと言っても419異性体(種類)があり最高毒性を有するのは2 ・ 3 ・ 7 ・ 8 - テトラクロロジベンゾパラジオキシンで図で書くと六角形(俗に亀の甲)が3つ横に並び真ん中六角形上下に酸素(O)が2つ(これがダイオキシン命名理由)、両外側六角形斜め横に塩素(Cl)が2つづつ(合計4個)ついたものだが、実際これが自然に生成されることはまずあり得ない。試験室での最適条件下で初めて合成される。話は元に戻して、当社製品が汚染されていたとなると隠蔽も日本の規制が不当に低すぎる何もない。顧客や行政に汚染経緯を説明して、汚染された顧客製品(カーペット)の全面補償をした。これくらいの汚染濃度は人体にも環境にも何の影響はないし実際顧客工場の排水が工業排水に入った時点で何千倍に薄められもう問題ではないのだが、速やかで誠実な対応でこの件は無事収まった。日本では少しダイオキシン恐怖症が強すぎるが、タバコ排煙にもダイオキシンはある。日本の大手工場では低温焼却(800度C以下)はあり得ないが、個人でも塩ビ(プラスチック)等の焼却は止めた方が良い。今では日本の水質規制は年平均値1pg-TEQ/L以下と途方もないものになっている。
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裏庭石垣積み Stone wall for backyard

2016-12-20 | 日記

キッチンハウスの裏通路を運搬車力丸が通れるように拡張工事。力丸普段その付近に置きっ放しだがそろそろ最終格納庫(そんな立派なものではないが)を作ってやろうかと思う。その理想的な場所がこのキッチンハウスの南側、しかし今は人がやっと通れるぐらいなので通路の拡張と崖の補強工事(石垣積み)開始。以前だったらユンボで一かきだったが今度はツルハシとスコップで作業だ。寒いのでちょうど良い。石はこの崖から出て来たのを(多分砂岩)使ったが少しもろい。まあセメントで補強すれば大丈夫だろうが、いずれにしても足りないのでまた採集に行こう。いつもの秘密の落石現場は更に奥にはなるがまだゴロゴロ落ちているはず。ここの石は玄武岩か安山岩で角がありとても硬くて石垣には最適だ。
砂もセメントも在庫が無くなり仕入れにいく。今回は作業足場が良いので材料(石、モルタル)の運搬が楽で助かる。石垣の中に入れる栗石も掘り出した土の半分は石ころなのでそれを利用。余った土は今作成中の花壇に入れる。
家内は花壇で咲いた花の茎を刈り取り冬支度だが、刈り取った花の茎だけで軽トラに数杯分になる。毎年この量は増えるが近所の山に捨てさせて貰っている。春には腐葉土となる。

今日は仕事で使っていた事故の原因究明手法の話。
アメリカのTAPROOTと呼ばれる手法だが、事故の要因(根本原因)を全ての角度(分野)で検証するのだが、日本の原因追究手法と異なるのは組織も検証の対象になる。私にしたらこの点が一番大事なところで、現場に問題点があるのに組織(つまり上部)が金を惜しんだり、問題点を隠したりして問題が手に負えないところまで事態が悪化し、事故が発生する。本来責任のある上部は現場に責任を転嫁し、挙句は現場の人的要因で事を片付けられてしまう。JR尼崎事故、福島原発事故等、本来全て組織に根本問題があるのだが、そこは取り上げられることはない。今回沖縄で米軍オスプレイが給油訓練中にプロペラでホースを切ってしまい墜落した。多分、気象条件が悪かったのだろうが、そういう時を選んだ上官の判断能力、それをアシストや阻止するチェック機能不足、すべて組織に最大要因があったようと思うのだが? それにしても沖縄知事の反応相当焦点がずれていて(この件だけではないが)県民を騒動に誘導することで人気維持している。
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軒下(庇)塗装完了 Eaves painted

2016-12-16 | 日記
今日は北風も吹き体感温度5度、それでも脚立に登り庇を塗り始める。西面の1mぐらい塗り残しと、南面全面(養生必要)を午前中で塗り終える。きれいになった。雨が直接かからないところなので耐久性は良いはずだ。これでこのキッチンハウスは一先ず完成。後は西側通路を広げ斜面を補強(石垣?)することかな?ガーデンキッチンのピザ釜作製もある。近所で庭に防草のためコンクリートを張って欲しい依頼も来ている。


インターネットオークションで落札した7トン電動薪割機(新品)が届いたので試運転。実はこの前に8トン同じ機械を買ったのだが初期不良か期待した力が出ず出品者に引き取って貰ったことがあり少し不安だったが今回は大丈夫のようだ。ついでに効率良く割れる付け足し斧(播磨興産バイワル)と4分割刃も別に取り寄せこちらも試し割り、バイワルはその名の通り節で割れない木もバリバリと割り、4分割刃は簡単なのは4分割してくれるがこれは役に立たないようだ。これなら家内でも薪割りができる。薪割り担当決定! コナラを2年前に切って置いたのを数本割ったら中に白い長い幼虫がいる、キクイ虫(カミキリ)だ。こいつら生木だけでなく枯れた木も食べるのか?リンゴ、プラム、チェリーを食倒した犯人はこいつらか?よく観察すると確かに歯は異常に発達している。 




先日とっても面白いゴルフを体験。ロングホールでティショットOB,特設プレイング4でグリーン60ヤード手前、そこからアプローチが入ってしまいパー。そのハーフラウンド久々の40、もう片方は50で合計90のいつも通りだが、自分でもびっくりOBパー、こんなことはもう2度とないだろう。

プーチンロシア大統領と阿部首相が会談。日本のマスコミ北方領土返還を盛んに報道したが一度取り上げた領土ロシアは返す訳がなく領土問題存在せずとしている。1945年(昭和20年)8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定した後、8月28日から9月5日にかけてソ連軍は北方領土に上陸し占領。その後ロシアによる事実上の領有状態のため日本国政府の領有権主張は空回り。これもすべて日本が戦争を始め無条件降伏を遅くしたためだ。
NHKで東京裁判を連続放送したが、各国判事(連合国)が日本の戦犯を裁くドキュメンタリードラマでとっても興味があるものだった。東条英機元首相をはじめ当時日本の指導者28名が「平和愛好諸国民の利益並びに日本国民自身の利益を毀損」した「侵略戦争」の「共同謀議」を行ったとして、「平和に対する罪」で裁かれた。インドとオランダの判事がこの判決には法的根拠がないと異議を申し立てるが、敗戦国を裁く(罰を与える)ことを旨とする連合国判事の主導で判決が下された。私からすると敗戦国に選択肢はない、アメリカ相手に戦争を始めた時から負けは決まっていた。無条件降伏だから戦勝国の言いなりでも受け入れるしかない。戦争では勝者が正義なのだ。
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軒下塗装 Painting eaves

2016-12-12 | 日記
やっと軒下(庇)の処理の順番が回ってきた。最初は裏板を貼る予定であったがこのままでもおかしくないので塗装で済ますことにする。塗料はウッドデッキに塗ったキシラデコール コンゾラン シルバーグレー、この塗料は皮膜型で垂れが少ないので上を向いて塗るには一番適している。一日で東北2面を塗り終えた。家内の言葉で重厚さが出たそうな。あともう一日あれば南西2面塗り終えることができるが明日は雨で買い物日だ。助かるのは、梯子を掛けようがなかった東面にウッドデッキを作ったので足場が良くなり脚立に乗って塗ることができる。ペイントが垂れても下のウッドデッキは同じ色なので養生も要らない。しかし上を向いての作業なので顔にペイント滴が落ちるが、水性なので濡れたタオルで簡単に取れる。この塗料冬なのに2時間もすればもう乾燥し表面はカチカチになる優れもの。キシラデコールはオランダのAkzoNobel社が木材保護ドイツ規格に開発した塗料だが日本では大阪ガスケミカルがライセンス製造している。


昔昔の納得できなかった思い出
私は小学5年から野球をやり、身体も大きい方だったので最終学年の小6と中3ではピッチャーで4番バッターだった。中学は地域で野球が強い学校で一年生は水汲みに玉拾いで3分の2は辞める、3年生だけでレギュラーが揃っていて2年からやっと補欠に加わることができた。バッティング練習も上級生が終わった後に20-30球打たせて貰えるだけでこの間に監督にアピールしないとならない。私はヒットを打つことを目指し、コンパクトに強いスイングを心掛けていて三振することはなかったが、上級生のむっちゃんは私のバッティングの一振りごとに文句を言う。「腰入れて振れ」と必ず注意するのだが、私のスイングはコンパクトだが身体で振り抜き腰は十分に入っていると思うのでそれ以上入れようがない。確かに大きなスイングで振り回してたら腰が回るのが良く分かるが、2年生は大振りすると上級生から「大振りするな」とたちまち怒声を浴びる。しかしある日、その中学野球部の卒業生で高校と実業団で野球をやっている大先輩が指導に来てくれて、私のスイングを理想的なスイングだと褒めてくれた。むっちゃんは腰が入ってないのではとクレームを付けたが、大先輩は腰はきっちり無駄なく入っていると言ってくれ、むっちゃんはその後「腰入れんかー」は言わなくなったかどうかは憶えてない。先輩としてのアドバイスだったろうが、そしたらどうしたら改善するのかは指導がなくこちらとしたらいじめにしか聞こえなかった。思いだすとあの恐ろしかった監督も野球の素人(剣道有段者)だし、正しい野球コーチはおろかスポーツ知識など日本にはなかった。地獄の特訓練習だけが上達の基本で、炎天下の練習で水を飲ませず塩を舐めさせ、ピッチャー(私も)などはくそ暑いのに肩を冷やしたらいかんと夏でも長袖が強制された。泳ぐことなどご法度で、一度学校の防火用水プールで練習後泳いだのがばれて(女子バレー部が密告)鬼監督からビンタで張っ倒された。練習サボりでもするものならバットで先輩や監督から叩かれ、当時体罰と言う言葉すらなかった。
Funny English:
The dead batteries are mostly free of charge.
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ふみりんのベジガーデン Fumi's vegetable garden

2016-12-10 | 日記
階段も溝も完成したのでガーデン通路を作る。
ここに何を植えようかと思案したあげく家内の野菜ガーデンにすることにした。ウッドデッキの横だしカントリーキッチンへの道中でもあるので便利なところだ。半日陰だがそれにあったものは何かな? ウッドデッキを壊してそれなりに正解だったのかな?
ここは陽だまりになるので冬でも暖かい。椅子を置いて二人でお茶タイム。

韓国朴大統領遂に弾劾職務停止となった。何と哀れな! 本来この国の権力の最上段にある者が国民や議会によって弾劾されるとは自分で招いた結果だがお粗末。組織で上に行くほど身の回りをきれいにして正しく振る舞わないとならないが、周りが権力に取りつき乱用(悪用)としようとするし誘惑は多い。しかし上に立つ者妥協してはならない。
トランプ政権どうなるものやら、意外に面白いかも?
Funny English: We are all human beans. We make mistakes.
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階段とU字溝

2016-12-07 | 日記
本宅側への階段を作る。私がウッドデッキを作った時にスコップで溝を掘りコンクリートで作った排水溝があるが、これを一部ハンマーで叩き割り新しく買ってきた90mmU字溝を水が流れる程度(1-2/100)の勾配で設置。つなぎ目は細かい川砂をセメント2:1で水、エマルジョン、防水剤を混ぜ接着。階段の下になる部分はコンクリートブロック2枚で蓋をしてその上に更にブロックを重ねで階段(2段)を作る。ブロックの上からモルタルを塗り一先ず完成、後は乾燥を待つだけだが寒くなったので3日ぐらいはかかりそう。化粧直しは後日にして一先ず双方から登り降りできるようになったので利便性は確保。さて排水溝(10m)を全部U字溝に替えなくてはならないがウッドデッキでカバーしているのでこの際ウッドデッキの端を丸鋸で切り取ることにした。その方が今後溝掃除が楽になる。

安部首相ハワイで真珠湾慰霊にオバマ大統領と出席する。素晴らしい。日本のどの首相もできなかったことだ。日本人はマスコミ報道と政府のせいで日本は太平洋戦争の被害者だと思い込まされている。日本は真珠湾で奇襲攻撃をして戦争を始めた加害者なのを忘れている。安部首相の真珠湾訪問は謝罪ではないとさかんに宣伝しているが、政府(特に関係者=もういないだろうが)は戦争を始めたこと、そして何百万にも犠牲者を出したことを世界に、それと早く終結(降伏)しなかったこと(これが日本全土空襲、広島長崎原爆投下、あげくは北方領土喪失を招いた)を日本国民に謝罪する勇気を持たなくてはならない。
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籠編み Basket making

2016-12-07 | 日記

この前取ってきたツルを使ってかご編みが始まった。家内が手ほどきをするのだが、飲み込みの早い人は一つ一緒に作るとさっと2個目にかかる人もいれば、作業も遅いし編み方を間違え解いてはやり直しする人もいる。要領の良い人の籠は形も良くしっかりしている。もたもた組は形はいびつだが、これがとても面白い味わいのあるのが出来上がる。大きなツルを曲げるのに結構力が要るようで家内は終われば疲れ果てゴロリと寝転がっている。最近よくある。女の子はリースを作り、男の子は私が植えたばかりの果樹の木や花の挿し芽を引っこ抜いたり悪いことばかりしているので近所で湧水が出るところにカニを取りに連れていく。最近椎茸がよくなるのでお土産に籠に入れて持って帰ってもらう。椎茸原木は菌を打ち込んで2年目(今年)からなり始め3年でスカスカになる。今年は場所が良いせいか直径20cmぐらいに成長し来訪者をびっくりさせ、お化けキノコと名前を貰っている。いつもの料理名人、これを片栗粉で揚げタレを付けて絶妙な味で返ってきた。私はキノコは苦手(特に子供の頃)であった。しかし最近やっと食べれるようになり美味しさもやっと少しは分かるようになったが、松茸だけは強烈な臭い(これが良いらしいが)が耐えれない。松茸はお土産でも要らない(誰もくれないから安心か)。

日本でカジノ解禁法案が議論されているが私は賛成派だ。理由は多くの日本人がラスベガス、シンガポール、マカオ、揚句は如何わしい団体運営の闇カジノで大金をすっている。大王製紙の馬鹿社長は会社の金を100億以上シンガポールのカジノですってしまった。会社もずさんだが、こんな大金が国外でばら撒かれるくらいなら安心して日本でギャンブルを楽しんでそれにしっかり課税したらよい。私個人はギャンブルはあまり好きでない。負けるに決まっているのとパチンコでも時間の無駄だと思っている。でもハマっている人は抜け出すことはできない。日本は知られてないが世界一のギャンブル市場(最大はパチンコ)で数兆円になっているらしい。
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ウッドデッキ跡に石畳 Stone pavement

2016-12-02 | 日記
ウッドデッキのこの部分は台風などの大雨の時、室内が半地下になっているため地下水が浸みだすことがあった。対策としてポリエチレンシートを敷いていたが、ここを石畳にしたので多分その問題も解消したのではないかと思う。まだ半分はウッドデッキなのでそちらの方は少し心配の種は残っている。後はカントリーキッチンに上がる階段への接続だが、溝にU字溝を設置をして石積みで対応するか? U字溝設置は勾配取りが難しい。今まで芝生庭から階段へのアクセスがなく子供と言わず大人まで不安定な所を危なげに登っていたのでこの際正式にそちらにもアクセス階段を作ることにした。早速、家内もそこを登っている。やることはまだ沢山あり優先順位を付けて少しづつこなして行こう。


昔昔の痛い思い出。
私は小学校の入学式に教頭先生が新入生点呼で私の名前を読み間違えた(憲治ケンジをのりはると)ので新入生ハーイの返事が出来なかった恨みは一度このブログに書いたことがある。何度思いだしても何といい加減な教頭だったのだろう。しかし今日の話題はそのことではない。
入学式翌日の朝一番私は鉄棒から落ちて左肘を複雑骨折をしてしまった。村唯一の天川医院に自転車に乗せられ連れて(多分先生に?)いかれたが肘関節の骨が砕けていることが分かりすぐ熊本市内の有名な骨折医院に転送された。その名骨折医は砕けてバラバラになった私の関節の骨を手術なしで指でかき集め関節を作りギブスで固め、私はその病院に一か月近く入院した。退院後もリハビリ通院のため祖母と市内の親戚の家に身を寄せることとなったが痛い思い出はそこからだ。ギブスが外れ、曲げたまま固まった肘をリハビリで徐々に伸ばしていく。これが子供の私には(多分大人でも)地獄の痛さで、看護婦2人に両腕両足を抑えられたが医師や看護師に唾を吐きかけたり噛みついたりして必死の抵抗をした。その地獄のリハビリは約一か月続いたと思うが、そのおかげで何とか生活に支障がないまで曲げ伸ばしができるようになった。名前は忘れたがあの骨折医と必死で私を抑えてくれた看護婦さんには感謝してもしきれない。学校は結局一学期間は休み、2学期からの登校となったが、学業は他の生徒には遅れてないどころか進んでいたように思う。理由は病院で祖母が読み書きを教えてくれて教科書は全部読めるようになっていたし、夏休みに担任先生の家に通い補修授業(自習)をして貰ったからだ。その時一つ下の弟も私の補習授業に付き合ってくれたのは有難かった。
今でも左肘は骨が少し変形しているが、子供の頃は夏の半袖の時期これを見られたり珍しがられたりされるのがとても嫌だった。先日も済生会の整形外科がしみじみそこを観察していたが、今では恥ずかしいよりその名医の治療痕跡が誇らしいし、あの痛みと経験が今の私を作ったに違いない。
下の写真は1984年ぐらいコネチカットに住んでいた頃、私の母親(言わなくても分かるか?)と子供達とでNYのWTCビル(2001年同時多発テロで破壊)展望台を訪れた時。昨年新しいビルOne Worldに登ったが周りの景色もかなり違って見えた。
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