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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (150) 長尾家 63

2024年07月25日 15時53分13秒 | 甲越軍記
 山村右京が敵陣へ挑みかかると、新発田尾張守も「つづけ」とばかりに長尾武蔵勢に攻め入る、そして武蔵勢五百騎を挟み撃ちにすれば、武蔵勢は東に西に討ちかかり戦ううち三百騎が討死となった、そして長尾武蔵守もついに山村右京に討たれて討死となる。

この時、府中勢の刈羽、泉澤、唐崎、庄瀬、大崎、大河、上田、丸田、志賀などの諸軍は景虎方の直江、竹俣、杉原、永井、柿崎らの軍勢と各方面で戦っていたが、武蔵守討死と聞き、急に戦意を失い切り崩されて敗走した
中でも泉澤河内守、唐崎左馬介、庄瀬新蔵、大崎筑前守、大河駿河守はもとより晴景の暗弱を疎んでいたので、たちまち冑を脱いで景虎に降参した。
長尾晴景はついにここも支えきれず、這う這うの体で府内の城に逃げ帰った
そして総曲輪の四方の門を固めようとしたが、すでに降参、逃走した諸隊が多く兵が足りないために、総曲輪の守りはあきらめて二の丸、三の丸に退いた。

長尾景虎勢は府内の城を十重二十重に囲んで、その夜は大篝を焚いて一人も城から逃さぬ構えで威を示した
城中の者たちは皆怖れて肝を冷やしている
晴景が栃尾征伐と意気盛んに攻め下った時には二万五千の大軍であったが、今城内にはわずか二千の兵だけとなった。
翌朝と共に包囲軍は鬨をあげて城門に攻め寄せる、城兵も大石を落し、矢を射かけて守る、攻めては攻めあぐむところに本庄美作、山村若狭、北条丹後、大熊備前の諸軍が駆けつけて「いつまで時を費やしているか」と一括して城門に攻めかかり、柵を破り、逆茂木を蹴散らして攻め入る
城兵も必死になるが多勢に無勢次々と討ち取られていく、景虎の旗本、五百川、荒川吉蔵、萬貫寺、鬼小島弥太郎、甘粕次郎吉、城織部、七寸五分らの勇姿は競って一番乗りを欲す。
塀に手をかけ飛び入ろうとするが、城兵も必死なればあ槍、長刀をもって切り払い、鉄砲を打ちかければさすがの勇士もなかなかに越えること叶わず、冑を傾けて塀下にうずくまっている時、あとからやって来た山村右京が、それらの人の背と言わず頭と言わず、するすると軽業の如く乗り越えて、塀の屋根に手をかけて敵の守りに飛び込み「我は山村若狭が嫡男、山村右京なり府内城の一番乗り」と大音声で言えば、塀下にいた旗本たちも勇気をもらって一斉に右京に続いて兵を乗り越えて攻め入った

本庄、山村、北条、大熊らの各隊は三の丸を越えられず苦戦していたが、右京や旗本らが早も塀を越えたと聞き「負けられぬ」と無二無三に城戸に攻めかかり城戸を破ったが、その先の大門には鉄の閂(かんぬき)で固く門を閉じて入りうことが出来ずにいた
そこに早くも中に入った奈弥辰蔵が閂に飛び乗り「エイや」と片足をかけて力を出して踏みつければ閂は二つに折れて門は開いた。
一斉になだれ込む景虎軍に守備側の諸将は驚き浮足立って、急ぎ二の丸の中に逃げ込んだ。
それでも景虎勢は勢いに任せて二の丸城戸も風前の灯。




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