128. トランプを聴きながら (塩野七生著 文芸春秋2017年3月号)
『 二千年昔に生きたローマ人を書いていた頃よりも、さらに五百年も前に生きたギリシャ人を書いている今のほうが現代の政治の動向への関心が強いのはなぜか、と考える毎日だが、それへの答えならば簡単だ。
ギリシャの政治危機を見たローマ人は、それを避けるために新しい国家理念を創り出したからで、あの時期に早くもローマ人は、衆愚政治とは民主政の国にしか生まれない政治現象であることに気づいたにちがいない。
とは言っても今の私が相手にしなければならないのは、危機の真只中にいたギリシャ人のほうなのだ。
それも、彼らの歴史を物語る全三巻中の第二巻を「民主政の成熟と崩壊」と銘打った以上、民主政体の創始者で最良の実現者でもあったアテネが中心になるのも当たり前。
というわけで、そのアテネで民主政が機能できたのはなぜで、機能しなくなったのはなぜかを書いていったのが第二巻だが、それを書いている途中で壁に突き当たってしまったのだった。
われわれ日本人は、「デモクラシー」という言葉を簡単に口にする。「民主主義」と叫びさえすれば何ごとも解決できる、という感じだ。同様の感じで、「衆愚政」という言葉も、誰も疑いを持たずに口にしてきた。
ところが、民主政という日本語訳の原語は、古代ギリシア語の「デモクラティア」(demokratia)であるのは誰でも知っているが、衆愚政の原語も同じく古代のギリシア産の「デマゴジア」(demagogia)なのである。
その「デマゴジア」の日本語訳の「衆愚政」を、日本の辞書は、「多くの愚か者によって行われた政治」としか説明していない。となると、私のような何にでもツッコミをいれたがる人間の頭の中では赤信号が点滅しはじめる、ということになる。
ペリクレス(古代ギリシャ紀元前460年ころの政治家。民主政治を徹底させ、土木・建築・学芸にも功績を挙げた)が卓越した政治家であったことは事実だが、彼が死んだとたんにアテネの有権者たちがバカに一変したというわけでもないでしょう、と。
しかし、ペリクレスの死を境に民主政アテネが衆愚政に突入していったのも事実なのだ。こうなると、その「なぜ」を解明しないことには書き続けられない。
その「壁」を、少しにしろ超えることができたのは、イタリアの辞書のおかげだった。———「デマゴジア」とは、「デモクラツィア」の劣化した現象。
と言ってもこの両者は金貨の表と裏の関係でもあるので、デモクラシーも、引っくり返しただけでデマゴジーに転化する可能性を常に内包しているということ。イタリアの辞書は、「デマゴーグ」に関しても次のように説明している。
———実現不可能な政策であろうとそのようなことは気にせず、強い口調でくり返し主張しつづけることで強いリーダーという印象を与えるのに成功し、民衆の不安と怒りを煽ったあげく一大政治勢力の獲得にまで至った人のこと。つまり、扇動家。
二千五百年昔の衆愚政について書かねばならない私にとって、イタリアの元コメディアンで五ツ星運動の主導者グリッロと、選挙運動中のトランプは、生きた標本になってくれたのであった。
去年の一年間というもの、この二人の言動を観察しつづけたのである。その結果、二千五百年の歳月が横たわっていようと、いくつかの共通点があることがわかった。
一、 教養がないだけでなく、品格にも欠けること。ただし扇動者となると、これは弱みにはならずに強味になるという人間社会の不思議さ。
二、 自分たちだけが大切で、他の国々は関係ないとする考え方。これは、短期的には成功するとしても、長期的にはどうだろうか。
「アメリカン・ファースト」で終始したトランプの大統領就任演説を聴きながら、古代ギリシャは「デゴマジア」の混迷の後に新しい国家秩序の再建に成功するが、アメリカにその力があるのだろうかと考えてしまった。
もしも成功しないとすると、トランプの就任演説はアメリカにとって、終わりの始まりを示すことになるのだろうか、と。 』
『 その一日前かにダヴォスで習近平が行った自由貿易礼讃のスピーチには、わが眼と耳を疑った。それだけは中国人に言ってもらいらくないと思うと笑うしかなかったのだが、何だか地球が引っくり返ったようではないか。
ちなみに、「デマゴーク」と「ポピュリスト」は、日本では同じ意味で使う人が多いが同じではない。ポピュリストは大衆に迎合するが、「デマゴーグ」となると迎合なんかしない。
普通の人間ならば多少なりとも誰もが持っている将来への不安に火を点け、それによって起こった怒りを煽り、怒れる大衆と化した人々を操ることが巧みな男たちのことだからである。
これによって起こる津波を避けたければ、腹をくくるしかない。トランプの言行に注意ははらいながらも、彼と関係しなくてもできる政策を次々と実現していくことである。
TTPは不発の終るとしても、あれのおかげでヤル気になり始めていた日本の農業改革。そして私の考えでは漁業改革も林業改革も。日本の政治家が好きな言葉ならば、「粛粛」とやりつづけるのである。
農業・漁業・林業ともの改革が実現すれば、少なくとも日本人に、新鮮な水と食を保証することはできるのだから。
トランプにもプーチンにも習近平にも関係なくやれること、つまり日本人さえその気になればやれることを、やってやろうとおもいませんか。何もスイスのダヴォスまで行って、自由貿易の旗手ぶることまでしなくても。 』
私も現在のギリシャの政治、アメリカのトランプ旋風は、「おや」と感じますが、日本の民主主義は、問題がないのだろうかと考えるとき、一票の格差が2倍とか3倍とか。
半人前という言葉がありますが、都市の中流から下流の勤労者は、選挙に於いて半人前の扱いを受けます。
2~3倍の権利を行使している地方の有権者は、様々な政治的支援を受け、当選回数の多い議員が政治の中枢にあって、赤字国債という打ち出の小槌の恩恵に浴することができます。
一方都市部の勤労者は、政治的には半人前で、政治的優遇は、受けられません。私たちは、ギリシャやアメリカやイギリスを笑えるのでしょうか。 (第127回)
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