チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

火、鉄、蒸気機関、内燃機関、タービン、電気(その3)

2012-07-31 10:35:17 | 哲学

16.3 火、鉄、蒸気機関、内燃機関、タービン、電気(その3) 

 内燃機関に対する初期の企ては実用的な蒸気機関の現れる以前にすでにあった。燃料を直接シリンダーのなかで使うことは、火と汽罐とシリンダーという比較的複雑な蒸気機関に比べて簡単である。

 しかし内燃機関が観念としては蒸気機関より簡単であるにしても、実際に使用できるようにすることは、はるかに複雑困難な問題であった。そういうわけで、実用的な蒸気機関が現れると、内燃機関の研究は当分おあずけとなった。

 しかしそれにもかかわらず、内燃機関は発明家の心をひかずにおかない、いくつかの特徴がある。
 1)原理がきわめて簡単である。
 2)火格子と汽罐の必要がないため目方をかるくし小さくなる可能性がある。
 3)エントツと汽罐と蒸気パイプで失われるロスがなくなるため効率が見込める。
 4)小さな工場や仕事場に適する小型の内燃機関を作れる可能性がある。

 最初の内燃エンジンは1860年フランスのエチェンヌ・ルノアールによって、蒸気エンジンの本体を借りながらも蒸気の代わりに石炭を高温で蒸し焼きにして得られる石炭ガスをシリンダーに送り込み、点火、燃焼させた、非圧縮式内燃機関エンジンであった。ルノアールのエンジンは百年ほど前のワットの蒸気機関に近い効率しか残せなったが、始動までの時間とコンパクトなエンジンとして使いやすい長所があった。

 現代のガソリンエンジンの動作原理は1876年ドイツのニコラス・オーグス・オットーによって発明された。(この時点で、ガスエンジンで、1886年に液体燃料に)

 オットーはルノアールのエンジンの話を聞き、もっと新しい形の小型のエンジンを作って田舎道に車を走らせ、小さな企業の動力としてのエンジンの開発を目指した。そこでまず、燃料としてはガスよりも石油のような液体からの蒸気の方がどこでも、いつでも使えるエンジンの燃料になると考え、キャブレータ(気化器)を設計し作らせた。

 そして、小型のエンジンを作り実験を開始した。燃料と空気の割合を変え、点火の時期を変え、エンジンの特性を調べた。そこでオットーは重要な発明の入口に到達した。それは、混合気をエンジンに吸入してから”ピストンをもう1回余分に回転させる”と強い爆発が起こり、続いて速くて、強力な回転がえられることを発見した。

 この現象から、1つ目のストロークを混合ガスの充填に
        2つ目のストロークを混合ガスの圧縮に
        3つ目のストロークを混合ガスの燃焼に
        4つ目のストロークを混合ガスの排出に使うという考えが生まれた。
 そして1862年に最初の4サイクルエンジンを製作し、運転したがエンジンは調子よく回ったが、軸受がもたず耐久性に問題があることが分かった。

 オットーは、燃焼による爆発力をどうして穏やかな力に変換できるか。薄い混合気をどうしたら確実に点火できるかを考えていた。混合気の濃い所に点火すれば、爆発力は薄い方向にむかって広がり、爆発力は空気のクションにより緩和されると考えた。そして1876年にオットーは世界最初の4サイクルエンジンを完成された。

 4サイクルエンジンの理論は、フランスの学者のニコラス・レオナード・ザディ・カルノーによって、「カルノーサイクル」として、オットーの4サイクルエンジンが出現する前の1824年に存在していた。しかしオットーは、その理論の存在さえ知らずに4サイクルエンジンを創造し、それまで「カルノーサイクル」の理論は忘れられていた。(エンジン進化の軌跡 荒井久治)

 カルノーサイクルの最大の熱効率は e=(q2ーq1)/q2=(T2ーT1)/T2
T2:高熱源の絶対温度、T1:低熱源の絶対温度、q2:高熱源から吸収する熱量、q1:低熱源に捨てた熱量 

 カルノーサイクルの可逆理想エンジン dS=dq/T をクラウジウスは dS を積分した量である S をエントロピーと呼んだ。エントロピーの変化 dS が熱現象の方向を決定することに気が付いた。(第29回)


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