「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

独り言~反貧困ネットワーク事務局長「湯浅 誠」さん~

2009年07月08日 | 独り言

同居中の母(92歳)の介護のため、福岡から来ている姉が新聞を見ながら「やっぱり”いい大学”を出ていないとダメねえ~」と”ため息”をつくように言う。

日頃から弱者には同情的で、人の差別化につながるようなことは滅多に口にしない姉なので不審に思い「どうして?」と訊ねると、「朝日新聞」の土曜特集版
「フロントランナー」(2009・6・27付け)に登場した「湯浅 誠」ゆあさ まこと)さんのことだった。

 「反貧困ネットワーク事務局長」 湯浅 誠さん(40歳)  

姉の言わんとするところは「東大法学部を卒業して自身の立身出世とか、お金持ちになる道がいくらでもあったろうに、あえてこういう社会奉仕に従事しているところがエライ。学歴がいいのにこういう選択肢を選んだことでひときわ「志の高さ」が際立つし第一、社会に対するアピール力が違う」といった趣旨。

ウン!そういう意味なら分かる。

そりゃあ、たとえば東大を出て中央官庁のトップに上り詰めるような優秀なリーダーも国家にとって有為な人材であり十分尊敬に値すると思うが、「自然に頭が下がる」というわけにはいかない。なぜなら民間に比べて給料は安い代わりに「権力と名誉」というものを手中にするから。

夏目漱石が芥川龍之介宛ての手紙で「人は才能の前には頭を下げないが、努力に対しては頭を下げる」と諭したが、湯浅さんの場合は新聞で読む限りでは努力に加えて(公平な社会の実現に向けた)正義感といったことになろうか。

しかし、わが身に置き換えてみてもこういうことはとても実行できそうになく、あくまでも傍観者の立場なので「口では何とでも言える」と思わざるを得ないのがつらいところ。

せめてこの際、自分の「ライブラリー」にしっかり保存しておこうと大きな紙面二枚にまたがる記事の中から湯浅さんの”人となり”と共感を覚えた記事をピックアップしてみた。

 26歳で渋谷の野宿者支援を始め6年後に「自立生活サポートセンター・もやい」を設立。アパートに入る野宿者の保証人を個人で300人分引き受けた。生活保護申請の同行は1千件を超す。なぜ、そこまで人に尽くすのか。「そんなの、オレにもわかんないよ」。屈託なく笑うがその原点の一つが生い立ちにあるのは確かだ。

 3歳上の兄は筋萎縮性の障害がある。新聞社勤務の父、小学校教諭の母のもと一家の生活は兄中心。小学生のとき、養護学校へ兄をたびたび迎えにいった。引け目を感じる車椅子の兄は裏道を通りたがったが、ある日彼は「相手を見返してやればいい」と大通りを通った。帰宅後、兄は母に訴えた。「誠はもう来なくていい」。弱者と強者のはざまで感じた憤りは闘志の種火となった。

 大学に入ったとき、父は「官僚になれ」と言ったが、人に使われるのは嫌だった。ボランティアや平和運動にのめりこみ大学にはあまり行ってない。結局東大の院に入って博士課程まで進んだが友人がやっていた野宿者支援の活動をのぞいたのがこの道に入るきっかけ。

 野宿者、ネットカフェ難民などの背景には雇用の劣化、社会保障費の削減があるのに社会は「自己責任」で片づけてきた。「あんたに原因がある」と言われ、反論できる人はそうはいない。自己責任論は相手を黙らせ問題を閉じ込める。その結果、批判が社会や企業に向かない。

 従来の活動家はどこかマッチョで「どこで爆弾作ってるの」という印象を受けるが、自分の活動家のイメージとは市民がモノを言える場を作る人、いわば「市民の中の市民」。

 「社会をどう変えたいですか」の問に対して。

「ストライクゾーンをもっと広げたい。そうすればボールと判定される人が減り、多くの人が生きやすい社会になる。でもそれは一人じゃ出来ない。だから仲間を集め、「場」をつくり、社会に問いかける。それが私の役割だと思っています。」

著書に「反貧困ー『すべり台社会』からの脱出」(岩波新書:大佛次郎論壇賞受賞)がある。

以上のとおりだが、反貧困運動は平和運動などにくらべてまだまだ層が薄いといわれている。運動に共鳴する人が少ないのである。

その原因は自分が思うに、やはり
「この競争社会にあって、あんたはどれだけ汗をかいたのか?」という疑惑が常につきまとっていて、たとえば言い方は悪いが「働く意欲のない怠け者をわざわざ助けてやることはない」と突き放すところにある。

たしかにそういう人たちが一部にはいるんだろうけれども、湯浅さんたちの活動によってその辺の
「一人ひとりのやむをえない事情」が明かにされていけば、『すべり台社会』の実態が広く顕彰され、社会が貧困問題を正面から受け止める風潮が出て来るのかもしれない。

たとえば近年の東大入学者は富裕層出身が圧倒的に多いという現実は、「どんなに努力しても追いつけない努力」という不公平が既に生まれてきた時点から存在していることを物語っている。

一方には勉強がしたくても家庭の事情で諦めざるを得ない若人たちがいる。つまり「競争は必要」だけれども、せめてある程度の公平な土俵の上で勝負するのが前提でなくちゃね~。

とにかく、これからは「自己責任という言葉は迂闊に使えないなあ~とつくづく思った次第。

しかし、もし自分の子供が
”いい大学”を出ていながら社会奉仕をしたいと言い出したとしたら父親として「エライ!」と感心はするが「よし、分かった!」と気持ちよく後押して社会に送り出せるかどうかとなるとやはり考え込んでしまいそう。

皆さんの場合はいかが?
      
                           


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