法案に反対か機密保全に反対か
2013年11月28日
特定秘密保護法案をめぐって国論が二分されています。法案には欠陥が多いから反対なのか、国家機密の保全を強化すること自体に反対なのかが、もっとも本質的な問題だとわたしは思います。法案反対派はその点を意図的に曖昧にしているか、考え方を整理しないまま反対しているような気がしてなりません。
新聞の世論調査によると、秘密保護法案に反対する人は、朝日新聞で42%、日経新聞で50%などとなっています。国民全体をみると、法案に反対の人が多いようですね。こう考えたらどうなのでしょうか。
「国家が国家機密を保全すること自体に反対なので法案にも反対」なのか、「国家機密の保全強化は必要だが、法案に欠陥があるから反対」なのか。
「法案を修正するか、運用の段階で適正な措置を講じていくなら機密保全の強化に賛成」なのか、「適正な運用など期待できないから反対」なのか。
そのあたりが曖昧なまま、世論の動向を探っていますね。秘密保護法案に対する議論を大別すると、以下のようになると、思います。
・法案の修正、運用の厳格化をすれば、容認する。機密保全の強化は必要だ。
・法案には欠陥が多く、容認できない。(機密保全の必要性に触れず)
・包括的な機密保全自体に賛成できない。
日本の場合、主として日米安全保障条約による日米同盟関係のもとで、平和が維持されてきたため、日本としてどのような自主的な努力をしなければならないのか、あまり真剣に考えてきたとは思えません。頼りにしてきた米国の経済力が落ち、内政を守るのが精一杯で外交力も低下しています。世界のガバナンス(統治)を主導する国がない「無極化」の中で生き延びていかねばならない時代になりました。安倍政権になって、積極的平和主義、集団的自衛権の容認、国家安全保障会議(日本版NSC)設置の考え方がでてきたのは、そういう背景があると思います。
国対国には、軍事的、外交的、政治的、経済的などさまざまな対立があります。日本と中国の対立は尖閣諸島問題に象徴されるように激化、複雑化する一方だし、日本の安全保障にとって北朝鮮は危険な存在です。本来、敵対関係にないはずの国との関係でも、あるいは相手が同盟国である場合でも、外交、経済的な対立が以前にまして増えています。現在も国家公務員法で守秘義務違反、自衛隊法で防衛機密漏えいに対する罰則の規程があります。それをもっと強化し、包括的に安全保障に関する防衛、外交上の機密を保全しよういうのが今回の法案の狙いです。
企業にも相手企業に知られたら都合の悪い企業機密があるように、国にも国家機密があり、情報を洗いざらい公開して丸裸になってしまったら、相手につけ込まれるだけでしょう。国の安全保障に特に重大な影響を与える防衛、外交、スパイ防止、テロ対策の4分野の機密情報に限定して、国家公務員による漏洩を防ぐことは必要です。その場合、留意すべきなのは、機密の拡大解釈の防止、期間を限定しての原則公開、知る権利・報道の自由への侵害禁止、第三者機関によるチェックなどの歯止めをきちんとかけることです。政府、行政機構、官僚組織は、よく監視していないと、都合の悪いことを隠し、自己の権限を膨張させ、国民の権利、利益を平気で侵害することが少なくないからです。
どの主要国でも、国家機密を保全する法体系を持っています。米国でも英国でも独仏、韓国にもあります。もちろん、歴史的経緯、国際的地位、安全保障における重点の置き方の違いによって、法制度には各国の違いはあるでしょう。日本では、国際的な常識にしたがって安全保障のあり方を考えること自体を拒絶するアレルギーがいまだに消えていません。 世界秩序が「無極化」に向かい、国の安全保障を自己責任で考えなければならなくなったのに困ったことです。
国内の論調をみると、朝日新聞は法案の問題点を厳しく指摘し、「決して成立させてはならない」と主張します。では機密保全がどの程度、必要なのかという基本的問題については、言及していません。「成立させてはならない」というだけでは無責任で、どのような条件のもとなら機密保全の強化を認めるのか、まったく機密保全の必要性を認めないのか、態度を明らかにしなくてはなりません。
かなり驚いたのは、ジャーナリストによる反対集会というのがあり、毎日新聞の特別編集委員(前主筆)が「メディアを規制し、国民を調査するための根拠法。明らかに治安立法だ」と発言したという記事が朝日新聞に載っておりました。まるで戦前に逆戻りしたような時代認識なのですね。政府対国民、国対国、国際社会における国の位置づけという複数の座標軸をもたなければなリません。「治安立法だ」なんていうと、喜ぶのは中国か北朝鮮でしょう。
不思議なのは日経新聞です。「この修正は評価に値しない」、「法案の強行採決は許されない」など手厳しい論調をしばしば社説に掲げています。ある編集委員はコラムで「国家には守るべき秘密があるというのは、分らないでもない」と書き、機密保全自体をひとごとのように考えています。国際秩序、国際情勢の安定があってこそ、経済の発展があるはずなのですがね。
日本ペンクラブは抗議声明で「廃案とされることを強く求める」と主張しました。「総合的な秘密保護法制はいらない」とまでいっています。日本は自国の安全保障を確立し、ノーベル文学賞を受賞しても出国させない国に、脅かされるようなことがあってはなりません。国の自立と民主主義の確立の両輪がそろってこそ、表現、言論の自由があるのです。
国家機密の保全と、国民の知る権利をどうバランスをとって、両立させるかが基本的な問題だと思います。法案や政府が考えていることに欠陥があるのなら、どう修正し、どう歯止めをかけて、ふたつを両立させ、不安定化する国際社会を生きていくかでしょう。首相が特定秘密の指定を監督するとかいう案は問題ですね。各省庁が好き勝手なことをやらせないという意味にしても、そのような能力がある首相がいつもいるとは考えられません。政権が交代して、どんでもないことをやろうとした、発言したという実例がつい最近もありました。やはり自立性を持った第三者機関の設置、それによるチェックは不可欠な条件ですね。
読売新聞も含め、メディア全体について言えば、なぜもっと主要国における国家秘密の保全のやり方について、調査し報道しないのかという不満を持ちます。日本だけが安倍政権のもとで、何か特殊なことを始めようとしているとの印象を持っている人は多いでしょう。機密保全はやりすぎてもいけない、やらなくてもいけない、それにはどうしたらよいのか、という基本的な常識が日本には必要であると思えてなりません。
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