「あなたの燃える手であたしを抱きしめて ただふたりだけで生きていたいの ただ命のかぎり あたしは愛したい 命のかぎりにあなたを愛したい」
これは、エディット・ピアフが歌う「愛の賛歌」(作曲:マルグリット・モノー、岩谷時子訳)の歌詞です。パリで同時多発テロ事件が起きてから、間もなく2週間になります。多くの方が亡くなったり、怪我をされた大変悲しむべき事件ですが、パリで突然愛する人を亡くしてしまった人々の心の中で、この曲は慰めになったことでしょう。
この愛の讃歌は、日本では最も有名なシャンソンと言えるのではないでしょうか。
この歌は相思相愛だったピアフの恋人のセルダンに妻子がいたために、彼を諦めるためにピアフが作った歌だそうです。しかし、やがてセルダンは飛行機事故で帰らぬ人となってしまい、ピアフにとって永遠に実らぬ恋になってしまったようです。
ところで、このシャンソンですが、皆さんはどういう経緯で日本に入ってきたかをご存知ですか?
シャンソンは日本の近代化に多大なる貢献をした、フランス人の造船技師ヴェルニーによるとろこが大きいそうです。ヴェルニーは海軍増強を目指した徳川幕府の要請により横須賀製鉄所(造船所)建設の責任者として1865年に来日しました。
造船技術と一緒に灯台の建設、水道施設の整備、技術養成学校の設立、フランス医学の導入など、フランスの様々な技術が輸入されたそうですが、同時にシャンソンも日本に入ってきたのだそうです。
それでは、この造船技術を日本に伝えることになったのが沢山の国がある中で、なぜフランスだったのでしょうか?それは、当時アメリカは南北戦争の真っ最中で余裕がなく、ドイツ、イギリスなどの他国も自国のことで精いっぱいで、他国に技術指導者を送ることができなかったそうです。
そこで、フランスが日本を支援することになったのだということです。
これらの話を聞くと、今の日本の基礎の大きな部分を築いたのはフランスであり、まさにフランスさま様ということになるのかもしれません。
ところで、以前このブログでも触れましたが、人材育成の手法の一つのOJT(on the job training)は横須賀造船所で初めて実施されたものだと言われています。
横須賀造船所は小栗上野介により、日本初の近代的な工場として1871年に完成しましたが、そこでは職務分掌・雇用規則・残業手当・社内教育・簿記・月給制など、現代の労務管理の基礎がすでに実施されていました。OJTの基礎がここで築かれていたわけです。
ご存知の方も多いと思いますが、今年は、横須賀製鉄所(造船所)創設150周年で、それを記念して横須賀市では様々な記念行事が行われています。
先日、私もその一環で「魅惑のシャンソン・コンサート」に行く機会があり、シャンソンに酔いしれてきたのですが、皆さんもこの機会に横須賀市を訪れてみてはいかがでしょうか。
(冒頭の写真はヴェルニー公園 横須賀市HPより)
(人材育成社)