「ビジネススクールでは教えてくれないドラッカー」、これは今日の朝日新聞の読書欄で紹介されていた本のタイトルです。Amazonの「内容紹介」によれば、「(アメリカの経営学は)統計学を乱用した悪しき科学主義により、ドラッカー経営学の真の意味が理解されず、単なる統計の「お遊び」の様相を呈しているのだ。」とのことです。
なるほど、アメリカ流の経営学には確かにそういう面があるなあ・・・と思いながら、著者(慶大商学部教授菊澤研宗氏)のブログをのぞいてみました。
なかなか面白かったのですが、おや、変だな?と思ったのは「統計学に関する私の執念の疑念」と題した一文です。
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「・・・統計学の見えない暗黙の仮定 として「有限の抽出したデータの分布は、無限の母集団の分布と同じである」というのは、非現実的である。それは帰納法を容認しているのと同じ点が問題。」
「100羽のカラスが黒くても、「すべてのカラスは黒い」という命題は論理的に出ない。101目のカラスは白いかもしれないと論理的可能性が残るので。10万のカラスが黒くても、10万1羽目は白いかもしれないという可能性を否定できない。それでも「すべてのカラスは黒い」というには、論理の飛躍を必要とする。つまり、帰納法は論理ではない。」(原文ママ)
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うーん、さすがにこれはダメでしょう。
”見えない暗黙の”仮定 という表現も、高校生の作文では減点対象となりそうですが、それはさておき。
私は、この文の主張である「帰納法は論理ではない」という珍説を受け入れる学者は、ほとんどいないと思います。
「帰納法」は必ずしも正しいとは限らない(正しいことも間違っていることもある)という前提で使われます。統計学は、むしろこの点を上手に利用することで科学に役立つ論理のツールになっています。
統計学では、「世の中のカラスをランダムに100羽捕まえたらすべて黒だったので、カラスば全部黒い」などとは言いません。母集団が無限またはきわめて多数(たとえば、世界中の全カラスの数)であったとしても、「黒じゃないのが1匹もいないとは言い切れないけど、まあ95%とか99%とかの確率で”カラスは黒”って言ってもいいんじゃない?」というのが統計学が出す答えです。
論理というものが完璧に正しくて全く例外や矛盾があってはならないと言うならば、多くの自然科学は全滅してしまうでしょう。古典力学と量子論が矛盾せずに繋がっているとは思えませんが、どちらかが「間違っている」というわけではありません。それに、古典力学に基づいて作られた様々な機械や道具はきちんと動いています。
大学教授に比べれば浅学菲才な身ではありますが、こういうトンデモな話を聞くと頭が痛くなります。
もちろん、私の頭が悪いという確率も相当高いでしょうけれど。
(人材育成社)
ビジネススクールでは教えてくれないドラッカー(祥伝社新書): 菊澤研宗: 本