共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

時期のモノ

2012年03月16日 20時20分27秒 | 日記
3月も半ばを迎えました。この頃になると、あちらこちらで卒業式が挙行されますね。我が本厚木駅の前にも、振袖に長袴の『ハイカラさんスタイル』のお嬢さん達が見受けられるようになってきました。

ただ、この時期になると必ずと言っていいほどニュースになるものの一つに、いわゆる『日の丸・君が代問題』があります。

先日もニュースを見ていたら大阪の高校の卒業式で、教頭が君が代を歌っているかどうか教師達の『口元チェック』をしていて、しかも起立こそしたものの歌っていなかった3人もの教師が教頭の『口元チェック』にひっかかって注意を受けた…という話がありました。大阪は特に、橋下さんが知事になってからこの件に関してかなり厳しくなりましたから、教頭の立場からすればおよそこういう『不届きな教職員』を見つけ出して、いそいそと教育委員会に御忠心…と言ったところでしょうか。

こういう低次元なものはともかく、毎年このテのニュースが流されて、その度にメディア内でゴタゴタと揉めますが、私に言わせれば日の丸・君が代を『問題』にしてあーだこーだ騒いでいること自体、もはやナンセンスでございます。

確かに日の丸と君が代とは、かの太平洋戦争の下で他国侵略と共に旧軍部によってプロパガンダ的に使われ続けた結果、不幸に歪んだかたちの歴史の十字架を背負ってしまったことは事実です。しかし、それについて敢えて戦争責任を問うならば、あの戦争の時代の空気と利用した人間の側に罪があるのであって、あの『旗』と『歌』そのものには何の罪もありません。

だいたい、日の丸自体は大宝律令の昔から使われ続けている幡(はた)のデザインですし、《君が代》の歌詞は古今和歌集に掲載されている一首で、音楽は雅楽の旋律を基にして、かの戦争よりも遥か前に作曲されているわけです。だから、某新聞社のマークになっている軍艦旗や、右翼の街宣車がビャアビャア垂れ流している軍歌みたいなモンと一緒くたに考えているのであれば、とんだ見識不足なわけです。

それに、オリンピックやサッカーワールドカップ、WBC等各種競技の世界大会で日本選手やチームが優勝した場合には、会場内にデカデカと日の丸が掲げられ《君が代》が流れて、選手は胸に手を当ててしっかりと《君が代》を歌っていますよね。それで、現地にいる人もテレビで観戦している人も、等しく感動を共有し合っていますよね。ということは、いくら一部の教師が自校の式典ごときで頑強に日の丸掲揚と《君が代》歌唱を拒んだところで、そういう抗議行動というものは残念ながら全くもって社会に受け入れられていないし、実を結んでもいないわけです。

ま、《君が代》を歌わなかった彼等だって、学校とはまた違う背後からの『巨大な圧力』に逆らうわけにはいかなかった哀しい部分もあったのかもしれませんが、本当にイヤなのなら、せめて《日の丸》にとって代われるくらいシンプルでセンスのいいデザインの国旗と、《君が代》にとって代われるくらい品位と文化の香り高い芸術的な国歌を作り上げてから文句を言ってほしいものです。
コメント
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