どうにかこうにか現場に無事到着し、ストレッチャーをガラガラと引っぱって建物に入っていきました。あんな悪質な進路妨害をされたことで、搬送される患者さんの容態に影響がないことを願うのみです。
どうにかこうにか現場に無事到着し、ストレッチャーをガラガラと引っぱって建物に入っていきました。あんな悪質な進路妨害をされたことで、搬送される患者さんの容態に影響がないことを願うのみです。
ベートーヴェンの《交響曲第8番ヘ長調》は、1814年の2月27日に《交響曲第7番イ長調》などと共に初演されました。
「聴衆がこの曲(第8番)を理解できないのは、この曲があまりにも優れているからだ」
と語ったといいます。
第8番はベートーヴェンの交響曲の中では比較的小規模な作品で、どちらかというとハイドンやモーツァルト以来の古典的な形式に則っていますが、その中にもベートーヴェンらしい独創的な工夫と表現にあふれています。なお、ベートーヴェンの全9曲の交響曲のうち、この曲だけは誰にも献呈されていません。
ジュゼッペ・タルティーニ(1692〜1770)はバロック期のイタリアで活躍した作曲家・ヴァイオリニストです。
タルティーニの技能は目覚ましい成長ぶりを見せて、1721年にはパドヴァのイル・サント礼拝堂付きの指揮者に、しかも彼自身が希望するなら他の団体で演奏してもよいという、当時としては珍しい契約つきで任命されました。1726年には自身のヴァイオリン教室を始めてヨーロッパ中の学生達を引きつけたタルティーニは次第に和声や音響学といった理論にも興味を持つようになり、1750年以降生涯にわたって多くの学術論文を発表しました。
さて、タルティーニといって真っ先に思い浮かぶのがヴァイオリン・ソナタ ト短調、通称《悪魔のトリル》でしょう。超絶技巧を要するこの作品はバロック期の作品としてのみならず、数あるヴァイオリン・ソナタの中でも屈指の難曲として知られています。
この《悪魔のトリル》という何ともおどろおどろしい通称は、タルティーニ本人が付けたものといわれています。それを裏付けるものとして、
タルティーニと同時代のフランスの天文学者ジェローム・ラランド(1732〜1807)が1769年にイタリアを旅行した際に記した旅行記の中で、タルティーニ自身から聞いたというこの作品にまつわるエピソードを記載しているものがあります。
それによると…
「1713年のある夜に私は夢の中で悪魔と、魂と引き換えに望むもの全てを手に入れる契約をした。その時、私は思いついて悪魔にヴァイオリンを手渡してみた。」
「すると悪魔は、
それはそれは素晴らしいヴァイオリン・ソナタを弾いてみせたので、私は驚愕してしまった。その演奏は優れた技術と知性に満ち溢れ、この世のものとも思えぬ美しい音楽だった。」
「そのあまりの美しさに心を虜にされた私はハッと目覚めると飛び起きてヴァイオリンをつかみ、夢で聴いた悪魔のソナタを再現しようとして慌ててメロディを奏で始めた。そうして作曲されたソナタは、私の今までに書いたどの作品よりも素晴らしいものとなり、私はこの作品を《悪魔のトリル》と名付けることにしたのだ。」
と、タルティーニ本人が語ったのだそうです。
何とも荒唐無稽な逸話ですが、これは当時としては…いや、現在でもかなりの超絶技巧を織り込んだ作品なので、もはや悪魔に魂を売って書いたくらいのレベルの作品だという賛辞と取れないこともありません。ただ、旅行記には1713年と書かれていますが、作品の書法などからそんなに若い頃ではなく、実際には1740年代くらいに書かれたのではないかとされています。
この《悪魔のトリル》は、その強烈なエピソードも相俟って様々なヴァイオリンの名手に愛奏されてきました。また後の世に様々な改訂も行なわれていて、現在モダンヴァイオリンで演奏する際には
20世紀の名ヴァイオリニストであるフリッツ・クライスラー(1875〜1962)が作ったカデンツァが使われることもあります。
そんなわけでタルティーニの命日である今日は、彼の代表作にして屈指の難曲《悪魔のトリル》をお聴きいただきたいと思います。動画の8:05くらいからトリルを含む第3楽章が始まって、9:30のところからいわゆる『悪魔のトリル』が始まりますが、先ずは全曲通してトータルの美しさを堪能してみてください。
桜餅があったので買ってみました。
螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)のフィギュアがあるのに目が留まりました。このテのものは前にも見たことがあったのですが、これはなかなか作りがよさそうだったので購入していたのを、鞄に入れたまま忘れていたのです(汗)。
表面に施された螺鈿や玳瑁(たいまい)の細かな細工も精巧にプリントされたものとなっています。勿論、裏面も
こんな感じで、螺鈿や玳瑁細工で華やかに象られた宝相華や瑞鳥が楽しめるようになっています。
美術館で展示していたような斜め置きもできるようになっています。昨今のフィギュアは、なかなか優秀です。
螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)です。何しろボディの素材は紫檀、装飾の素材は螺鈿や玳瑁細工と現在では輸入が厳しく制限されているものオンパレードですから、関係各位の御苦労たるや想像に難くありません。
夜光貝を磨いた螺鈿細工や、花の中心部を彩る玳瑁細工が一面に施されています。平成の再現模造ではオリジナルから採寸したデータを元に
螺鈿細工や鼈甲細工といった様々な分野の職人さんたちが分業して、8年もの歳月をかけて完成させたものです。
また、この琵琶を演奏するために作られたともいわれている
紅牙撥鏤撥(こうげばちるのばち)も再現されていました。撥鏤(ばちる)とは象牙を紅や紺に染色する技ですが、象牙が禁輸品となっている現在では尚の事貴重なものとなっています。
古代の竪琴である箜篌(くご)や
焼き物の鼓胴である磁鼓(じこ)、
現代のパンフルートのような甘竹簫(かんちくのしょう)といった楽器類が再現模造されていて、音楽に携わる者としてはかなり興味深い展示でした。
仏前に香を奉納するのに用いたといわれている黄銅盒子(おうどうのごうす)という法具も再現模造されていました。全長12〜13cmのものですが、蓋の上に着けられている五重塔を模した部分をX線撮影したところ、3cmほどのこの部分に実に58ものパーツが使われていることが判明した(!)そうで、そうしたところも忠実に再現模造されているとのことでした。
上皇后陛下が皇居内の御養蚕所で育てておられる日本固有種の小石丸(こいしまる)という蚕からとった生糸が使いられています(この小石丸からとられた絹糸は琵琶や阮咸の弦にも使われています)。また、現在では殆ど見られなくなり、皇居の敷地内て発見された日本茜を、上皇・上皇后両陛下のお心遣いの下で栽培したものからとられた染料を用いて赤や紫を染め上げています。
1300年以上の時を越えて伝えられてきたものを再現するということは、古の技術を伝承していくことにもつながる有意義な作業です。材料入手が困難になることもありますが、今後もこうした作業を通じて、古の工人たちの技を解き明かしていただきたいと思います。
今月限定の『チョコナッツワッフル』をオーダーしました。
こんな絵を描いてみました。これしきのものでも描くのに30分くらいかかってしまいましたが、
夕空に照り映える天守閣を横目に見ながら天守裏手の階段を降り、
二宮尊徳を祀る報徳二宮神社に参詣しました。
キジトラの野良ちゃんがチンと座っていました。あまり期待していなかったのですが、思わぬ野良ちゃんの登場に
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685〜1759)は、同い年でその生涯をドイツ国内で終えたヨハン・セバスティアン・バッハ(1685〜1750)と違ってイタリアやフランスを遍歴しながら、最終的にイギリス・ロンドンやアイルランド・ダブリンにまで活動範囲を広げた作曲家として知られています。
オラトリオ《サムソン》は1741年に《メサイア》とほぼ同時進行で作曲され、1743年にロンドンのコヴェント・ガーデンで初演されました。現在では《メサイア》と比べるとあまり演奏される機会は多くありませんが、ヘンデルが作曲したオラトリオの中でも最大規模の作品です。
ストーリーとしては旧約聖書に登場するサムソンとデリラの物語で、怪力無双を誇ったイスラエルの英雄サムソンがダゴン神を戴くペリシテ人たちの策略にはまって、両目をえぐられて捕えられているところから始まります。そして、最終的に密かに力を取り戻したサムソンが
剛力でダゴン神殿を支えている柱を押し倒し、ペリシテ人たちと共に死んでしまうというものです。
長いオラトリオの中でも特に知られているのが、終幕にイスラエルの女によって歌われるアリア『輝けるセラフィムを(Let the bright Seraphim)』です。このアリアは《メサイア》の『トランペットが鳴り響き(The trumpet shall sound)』同様、華やかなトランペットのオブリガートが伴います。
このトランペット付きの華やかなアリアは、オラトリオを離れて単独で演奏されることの多い曲です。これまでにも、昨年他界してしまったエディタ・グルベローヴァをはじめとして、ジョン・サザーランドやキャスリーン・バトルといったソプラノ歌手による録音も残されています。
ジョン・ダウランド(1563〜1626)はイングランドのエリザベス朝後期、及びそれに続く時代に活躍した作曲家でありリュート奏者です。
1588年にオックスフォード大学で音楽学士となったダウランドでしたが、イングランド女王エリザベス一世の下で宮廷リュート奏者を望んだものの得られずに国外に職を求めました。この宮廷楽士になれなかった理由として、青年期にフランスに滞在していた一時期ローマ・カトリック教徒だったことがあったため、そのことが尾を引いてイギリス国教会のイングランドでは排斥されたのだ…とダウランド自身は信じていたようですが、実際には宗教問題は関係なく、宮廷が予算を縮小する方向にあったことや、女王に献呈するための曲を書くのを怠ってしまったことなどが問題だったのではないか…とも言われています。
その後ダウランドは、イタリアのヴェネツィアやフィレンツェ、ドイツのニュルンベルクなどヨーロッパ各地を遍歴し、1598年から1606年にはデンマークで国王クリスチャン四世付きのリュート奏者を務めました。そして1606年にはイングランドへ戻り、1612年に念願だったイギリス国王ジェームズ一世付きのリュート奏者となりました。
ルイジ・ボッケリーニ(1743〜1805)は、同時代のハイドンやモーツァルト比べると現在では作曲家として隠れた存在に甘んじていますが存命中はチェロ演奏家として名高く、チェロ協奏曲やチェロソナタに加えて弦楽四重奏曲を90曲以上、そこにチェロ一本を加えた弦楽五重奏曲を100曲以上作曲して、自身でも演奏を行いました。その中でも弦楽五重奏曲ホ長調G275の第3楽章は『ボッケリーニのメヌエット』として単独で有名になっています。
ボッケリーニの作風はハイドンに似ていながらも、独特な優美さと憂いを含んだものとなっているものが多く見受けられます。そのスタイルから、当時の音楽家からはハイドン夫人(Signora Haydn)などとも呼ばれていたようです。
優れた演奏技術をもって、それまで通奏低音楽器として用いられてきたチェロを一気にソロ楽器に昇華させたボッケリーニですが、スペインに渡ってからギターのための作品も遺しています。それを代表するのが、ギターと弦楽四重奏を組み合わせた13曲のギター五重奏曲です。
ボッケリーニはスペインのドン・ルイス王子の招きにより1749年からスペイン宮廷に仕えて以来、終生マドリードに住んでいました。ギター五重奏曲群はアマチュアのギタリストであり、1796年からボッケリーニのパトロンであったブナバント侯フランシスコ・ボルハ・デ・リケル・イ・デ・ロスのために1798年に作曲されたものです。
13曲のギター五重奏曲の中でもとりわけユニークなのがギター五重奏曲第4番ニ長調G448、通称『ファンダンゴ』です。これはボッケリーニが作曲したギター五重奏曲の中で最も人気のあるものの一つで、特に第3楽章と第4楽章は『序奏とファンダンゴ』の別タイトルでギター・アンサンブルやピアノとギターの二重奏など様々な編曲でクラシックギター奏者に親しまれています。
こんなものが売られていました。これは《milkfed.》というレディースブランドから発売されているリュックなのですが、ユニセックスなデザインになっているとのことだったので購入してみました。
こんな感じで、かなり大ぶりです。シンプルなデザインながらB4サイズが丸々収まる大きさとなっています。
アルカンジェロ・コレッリ(1653〜1713)はイタリアで生まれた作曲家・ヴァイオリニストです。
イタリア・バロック音楽の巨匠として有名なコレッリですが、現在のラヴェンナ県内であるフジニャーノで1653年2月17日に生まれたということ以外の若い頃のことは知られておらず、13歳でボローニャに出てくる以前のことは実はあまり分かっていません。コレッリの家系についても同様にあまり多くのことは知られていませんが、同じ一族から僧侶や法律家、医学者、詩人などを輩出していることは分かっています。
1666年に当時イタリアの器楽音楽発展の最大の拠点であったボローニャに出たコレッリは、ここでヴァイオリン奏法を学んで音楽家として大成しました。ただ、コレッリは初期の作品で自らを『フジニャーノ生まれでボローニャの人と呼ばれるアルカンジェロ・コレッリ』と名乗ってはいるものの、彼が確実にボローニャに滞在したのは1666年(13歳)から1670年(17歳)までのわずか4年間のようです。
コレッリ最初の大きな成功は19歳のときにフランス・パリで得たもので、これによって彼はヨーロッパでの評判を得ることができました。1675年(22歳)にローマのサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会でバイオリン奏者の地位についたコレッリはその後ドイツに拠点を移し、1681年に作曲した《トリオ・ソナタ集 作品1》を皮切りに作品番号を記した代表作を世に送り出して、器楽曲の作曲家としての名声を高めていきました。
更に1685年にローマに移ったコレッリは、1700年に名作《ヴァイオリン・ソナタ集 作品5》を出版しました。このヴァイオリン独奏のための作品集はヨーロッパ中の宮廷で評判となって、幾たびも再版や再出版が重ねられるほどのベストセラーとなりました。
今月限定メニューの『チョコナッツのワッフル』をお願いしました。バレンタインデーは過ぎ去りましたが、自分の誕生日が近いということもあってバースデーケーキ代わりに食べたくなったのです。
厚木一番街にあるゴーゴーカレーに寄っていくことにしました。
ゴーゴーデーとなっていて、
次回来店時に使えるトッピングサービス券が貰えます。なので今日は前回貰ったサービス券を使って
えびフライカレーにシャウエッセンをトッピングしてみました。
金沢カレー特有の黒くてドロッとしたカレーはほんのりとした甘さがあって、辛いものがあまり得意ではない人間にも優しいカレーとなっています。添えられたキャベツの千切りも存在感バッチリで、絶妙な箸休め(フォーク休め?)となっています。
これだけ大っぴらにチョコレートを買い込んでみました。