今日、神奈川県の黒岩知事が、春以降を目度に東日本大震災のがれきを神奈川県で受け入れることについての市民との対話集会を開催しました。今回で3度目になります。
知事曰く、受け入れに関しては放射線値を測定し、国が安全基準を示した100ベクレルを越えないもののみを受け入れ、受け入れ後の測定値等は細かく情報を開示していくということでした。しかし、それに対して集まった市民からは非難がましい反対意見が浴びせ掛けられていました。集会後、インタビューを受けた一人の男性は「神奈川県民のことを考えて発言しているとは、とても思えませんね」と、憤った様子で答えていました。
こういう尤もらしい人を見る度に「冗談じゃねぇ。神奈川県民のことじゃなくて、日本国民全体のこととして物事を考えらんないのかねコイツらは!」と思うのです。私も含めて、今まで自分達が利便性の高い生活を享受する上で必要な電力の需要を満たすために福島や宮城に原発を『押し付けて』おきながら、そこが震災で甚大な被害を受けて、復興させるためにはまずがれきを撤去すべきだと言うのに、そのがれきの受け入れを断固拒む…言葉を選ばず言えば「そういう厚かましいことをよく言えたな!」ということです。
喉元過ぎれば熱さを忘れる…あれだけ大きな地震を経験しておきながら、何と非情なことか。自分達の生活圏には、そういう危惧すべきがれきが1コも落ちていなかったからよかったですな、何ともお幸せなことで。
私の叔母が福島県いわき市に住んでいますが、原発から50キロ以上離れているのに、根拠のない風評でがれきを撤去するための土木関係の支援が届かず、かと言って直接的に津波の被害を受けなかった市内内陸部は義援金の分配順位が低い…と、家屋被害は仙台や気仙沼と同じくらいなのに、今でも謂われなく割り食っているのです。そういう人達の生活を成り立たせて差し上げられないということ自体が、日本国民として情けないと思いませんか?でなければ、かつて震災直後に外国から「日本人の秩序正しい姿勢と助け合いの精神は素晴らしい」なんて言われていたことを返上すべきです。
確かにあの事故は不幸な出来事でした。しかし、あんな震災が発生するなんて誰も予測できなかったし、それに伴って起きちまった原発事故は取り返しがつかないし、出ちまった放射線は収めようがないわけです。だったら、今までいい思いをしてきた我々が福島や宮城の人達のために成すべきことは、そう多くはないはずです。
いつかも書きましたが、昨今の日本人は『グローバル』という薄っぺらい言葉がお好きなようです。そんなに『グローバル』好きならば、同じ日本国民として被災地の一日も早い復興に寄与すべく、四の五のヌカしてないで、放射線量に問題のない範囲のがれきを日本国内全域で受け入れるべきです。特に首都圏に住んでいて、今までエアコンを使いまくったりオール電化等で散々便利な生活を謳歌したりしていた都民・県民の皆様方は、今こそ真に『グローバル』に物事をお考えになったら如何なんでしょうか。それが、ささやかながらせめてもの『御恩返し』になりますし、そういうことができる度量を持ち合わせてこそ『グローバル』を語る資格があると思うのですけど。