今日は上野の東京国立博物館にやって来ました。こちらで開催中の京都大報恩寺の仏像展が目的です。
大報恩寺は今から約800年前、鎌倉初期の安貞元(1227)年に、藤原秀衡の孫である義空上人によって、学問の神様として有名な北野天満宮の近くに開創された真言宗智山派の御寺です。山号は瑞応山といい、本尊は釈迦如来坐像。上七軒・千本通の近くにあることから千本釈迦堂の名で親しまれています。
京都の多くの寺院は応仁の乱で殆どが焼失してしまっていて、室町時代以前の建物や仏像が残されている御寺は極僅かしかありません。そんな中、この大報恩寺の本堂は応仁の乱や後の明徳の乱といった様々な内乱の戦火を免れ、洛中最古の建造物として国宝に指定されています。今回はその本堂に安置され、今回の展覧会のポスターにもなっている本尊の釈迦如来坐像を始め、快慶を始めとした慶派の仏師達の手に成る様々な仏像が寺外で一堂に会する、貴重な機会となっています。
ポスターになっている本尊釈迦如来坐像(重要文化財)は、快慶の弟子である行快の作品です。仕上げが金箔押しではなく金粉を膠でといて塗布する金泥であることと、普段は秘仏とされ年に四回しか御開帳しないだけあって、全体の彩色がよく残っています。師・快慶の作風に倣いながらも、面部の丸みの強さやつり気味の目尻といったところに行快の作風がよく表れています。
今回の展示では、その釈迦如来坐像の周りに快慶晩年の名品の十大弟子立像(重要文化財)が並べられています。釈迦の弟子の中でも、とりわけ優れていた10人を取り上げて十大弟子と呼んでいて、奈良・興福寺を始めとして様々な寺院に作例がありますが、十体が現在まで完存している十大弟子像はこの大報恩寺の快慶の作品だけという大変貴重なものです。現在は別棟の霊宝殿に安置されていますが、今回はかつて本堂内に釈迦如来坐像を囲むように安置されていたというかたちでの展示となっています。
今回の目玉は何と言っても、霊宝殿に安置されている六観音菩薩像(重要文化財)揃い踏みです。
六観音とは、末法思想渦巻く平安時代以降に、六道輪廻(天界・人界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)の苦しみから人々を救済してくれる六つの観世音菩薩…如意輪観音・准胝観音・十一面観音・馬頭観音・千手観音像・聖観音のの像を祀ることが大流行しました。しかし現在までに、中世まで遡る六観音で光背から台座までが完存している作例は、大報恩寺のものが唯一となってしまいました。
大報恩寺の六観音菩薩像は、運慶一門の仏師である肥後定慶が主導して作製したものです。武家好みの厳しい作風の運慶と比べると定慶の作品には、例えば高く結い上げた髻(もとどり)の毛束の膨らみや毛先の動きを感じさせる繊細な質感の表現や、天衣が風をはらんでひらめく空気感をも感じさせる衣文の表現にありますが、この六観音にも、特に肥後定慶自筆の銘が遺る准胝観音像にそうした特徴が見て取れます。
今回は何と御寺のお計らいによって、聖観音菩薩像に限って写真撮影が許されています。なので、当然のことながら聖観音菩薩像の周りには黒山の人だかりが出来ていました。私も負けじと何とか近づいて撮影させて頂きました。
特に会期後半からは全ての六観音菩薩像の光背が外されていて、
御寺でも絶対に拝見出来ない御背中を拝見出来るように展示されています。さすがは慶派の作品、人々に絶対に見せることの無い背面にまで神経の行き届いた隙の無い造形を目の当たりにすると、ただただ感嘆するばかりです。
この他にも、室町幕府第三代将軍足利義満が建立し、大報恩寺が運営に密接に関与したという北野経王堂ゆかりの名宝も展示されています。かつて北野天満宮の近くにあり、東大寺大仏殿に匹敵する大きさを誇っていたという北野経王堂に納められていた《北野経王堂一切経》や《傅大士坐像及び二童子像》といった貴重な物を観ることができます。
この展覧会は12月9日㈰まで、東京国立博物館平成館特別展示第三・第四室で開催中です。大変貴重な展覧会ですので、お時間が許せば是非上野に足を運んでみて下さい。
大報恩寺は今から約800年前、鎌倉初期の安貞元(1227)年に、藤原秀衡の孫である義空上人によって、学問の神様として有名な北野天満宮の近くに開創された真言宗智山派の御寺です。山号は瑞応山といい、本尊は釈迦如来坐像。上七軒・千本通の近くにあることから千本釈迦堂の名で親しまれています。
京都の多くの寺院は応仁の乱で殆どが焼失してしまっていて、室町時代以前の建物や仏像が残されている御寺は極僅かしかありません。そんな中、この大報恩寺の本堂は応仁の乱や後の明徳の乱といった様々な内乱の戦火を免れ、洛中最古の建造物として国宝に指定されています。今回はその本堂に安置され、今回の展覧会のポスターにもなっている本尊の釈迦如来坐像を始め、快慶を始めとした慶派の仏師達の手に成る様々な仏像が寺外で一堂に会する、貴重な機会となっています。
ポスターになっている本尊釈迦如来坐像(重要文化財)は、快慶の弟子である行快の作品です。仕上げが金箔押しではなく金粉を膠でといて塗布する金泥であることと、普段は秘仏とされ年に四回しか御開帳しないだけあって、全体の彩色がよく残っています。師・快慶の作風に倣いながらも、面部の丸みの強さやつり気味の目尻といったところに行快の作風がよく表れています。
今回の展示では、その釈迦如来坐像の周りに快慶晩年の名品の十大弟子立像(重要文化財)が並べられています。釈迦の弟子の中でも、とりわけ優れていた10人を取り上げて十大弟子と呼んでいて、奈良・興福寺を始めとして様々な寺院に作例がありますが、十体が現在まで完存している十大弟子像はこの大報恩寺の快慶の作品だけという大変貴重なものです。現在は別棟の霊宝殿に安置されていますが、今回はかつて本堂内に釈迦如来坐像を囲むように安置されていたというかたちでの展示となっています。
今回の目玉は何と言っても、霊宝殿に安置されている六観音菩薩像(重要文化財)揃い踏みです。
六観音とは、末法思想渦巻く平安時代以降に、六道輪廻(天界・人界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)の苦しみから人々を救済してくれる六つの観世音菩薩…如意輪観音・准胝観音・十一面観音・馬頭観音・千手観音像・聖観音のの像を祀ることが大流行しました。しかし現在までに、中世まで遡る六観音で光背から台座までが完存している作例は、大報恩寺のものが唯一となってしまいました。
大報恩寺の六観音菩薩像は、運慶一門の仏師である肥後定慶が主導して作製したものです。武家好みの厳しい作風の運慶と比べると定慶の作品には、例えば高く結い上げた髻(もとどり)の毛束の膨らみや毛先の動きを感じさせる繊細な質感の表現や、天衣が風をはらんでひらめく空気感をも感じさせる衣文の表現にありますが、この六観音にも、特に肥後定慶自筆の銘が遺る准胝観音像にそうした特徴が見て取れます。
今回は何と御寺のお計らいによって、聖観音菩薩像に限って写真撮影が許されています。なので、当然のことながら聖観音菩薩像の周りには黒山の人だかりが出来ていました。私も負けじと何とか近づいて撮影させて頂きました。
特に会期後半からは全ての六観音菩薩像の光背が外されていて、
御寺でも絶対に拝見出来ない御背中を拝見出来るように展示されています。さすがは慶派の作品、人々に絶対に見せることの無い背面にまで神経の行き届いた隙の無い造形を目の当たりにすると、ただただ感嘆するばかりです。
この他にも、室町幕府第三代将軍足利義満が建立し、大報恩寺が運営に密接に関与したという北野経王堂ゆかりの名宝も展示されています。かつて北野天満宮の近くにあり、東大寺大仏殿に匹敵する大きさを誇っていたという北野経王堂に納められていた《北野経王堂一切経》や《傅大士坐像及び二童子像》といった貴重な物を観ることができます。
この展覧会は12月9日㈰まで、東京国立博物館平成館特別展示第三・第四室で開催中です。大変貴重な展覧会ですので、お時間が許せば是非上野に足を運んでみて下さい。