共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

発表されて100周年《夕焼け小焼け》の絵を描こう

2023年02月28日 18時30分18秒 | アート
今日は、日中はかなり暖かくなりました。完全に上着要らずでしたが、気温が上昇した分スギ花粉もなかなかの飛散量だったようで、たまりかねて早退してしまった子もいたほどでした。

今日は放課後子ども教室のある日でした。今までにも宿題を済ませた後の子どもたちにいろいろな体験をさせてきましたが、今日は



こんなものを用意してみました。

先日、作詞家の中村雨紅についての記事でも書きましたが、今年は雨紅が作詞した《夕焼け小焼け》が発表されてから、ちょうど100年目の節目の年となります。こんなタイミングに此の世に生を受けているのもなかなかレアなことなので、


ゆうやけこやけで 日がくれて
山のおてらの かねがなる
おててつないで みなかえろ
カラスといっしょに かえりましょう


という1番の歌詞を元にして、子どもたちに歌の世界観の絵を描いてもらうことにしたのです。

私がピアノで《夕焼け小焼け》のメロディを弾いている最中、子どもたちは思い思いに自分なりの夕焼けの絵を描いていました。そして20分ほどで







こんな感じの作品ができました。

面白いことに『山のお寺の鐘』を描いた子どもたちの何人かが、仏教寺院の梵鐘の形ではなく、真ん中の絵に見られるようにキリスト教会の釣り鐘的な形を描いていました。中にはその絵を観て

「お寺の鐘は、こんなんじゃないよ。」

と否定的な意見を言う子もいたのですが、今回は別に正解を求めているわけではなく、あくまでもその子がイメージした夕焼けの絵を自由に描いてもらうことが目的なので、その子がそう感じたのならそれはそれで有りだということを説明しておきました。

教室の最後にはそれぞれが描いた《夕焼け小焼け》の絵を持って、歌を歌って終わりました。子どもたちも、自分たちがなかなかなレアなタイミングに生きていることを知ってもらえたようでした。

さて、早いもので明日から3月になります。週末には桃の節句も迎えるわけですから、改めて時の移ろいの速さに驚かされますね。

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今日はベートーヴェン《交響曲第8番》初演日〜ハノーファー・バンドによる古楽の響き

2023年02月27日 18時50分15秒 | 音楽
今日は朝こそ冷え込んだものの、日中はかなりポカポカとした陽気となりました。明後日から3月になることもありますから、本格的に春めいてきたのかも知れません。

ところで、今日は



ベートーヴェンの《交響曲第8番ヘ長調》が初演された日です。

交響曲第8番は、交響曲第7番などとともに1814年の2月27日に初演されました。第7番の殆どが完成した後の1812年にテープリッツで養生しているときに作曲し始めて、その年の内には完成したと言われています。

それまでの交響曲をはじめとしたベートーヴェンの作品は、ベートーヴェンを経済的に支えたパトロンたちに献呈されたものが殆どでした。しかし、この交響曲第8番はベートーヴェンの全9曲の交響曲のうち誰にも献呈されていない、つまり誰からも頼まれていない交響曲を作曲家が自発的に発表したことになります。

ベートーヴェンにとって交響曲第8番は絶対的自信作でしたが、初演での聴衆の人気はより大規模な交響曲第7番に集まりました(現在でもこの傾向があります)。この反応に対しベートーヴェンは

「聴衆が交響曲第8番を理解できないのは、この曲があまりに優れているからだ」

と言ったそうですが、自発的に作曲した作品に対する聴衆の反応の悪さにベートーヴェンが納得いかなかったのは想像にかたくありません。

交響曲第8番は他の交響曲に比べて小規模で、演奏時間もベートーヴェンの交響曲の中で最も短く30分かからないことなどから、スケールが小さい作品と言われることもあります。しかし、特に第1楽章や第4楽章はベートーヴェンらしい力強い音楽ですから、この曲のスケールが小さいと言うには早計と言わざるを得ません。

ベートーヴェンは第7番と第8番を作曲してから、しばらく交響曲を書きませんでした(《交響曲第9番》が初演されたのは10年後の1824年のことです)。ですから、もしかするとこの2曲はベートーヴェンにとって交響曲制作の一つの区切りとなるものだったのかも知れません。

そんなわけで、今日はベートーヴェンの《交響曲第8番ヘ長調》をお聴きいただきたいと思います。古楽オーケストラのハノーファー・バンドによる演奏で、古雅な響きのベートーヴェンをお楽しみください(インタビューの後、本編は4:55から始まります)。


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着けるのか、着けないのか…

2023年02月26日 17時17分17秒 | 日記
今日、知り合いと一緒にランチをしていたのですが、そこで

『来月からマスクをどうするか』

についての議論になりました。

ニュースでご存知の方も多いかと思いますが、3月13日から



マスクの着用が義務ではなく、個人の判断に委ねられることになりました。厚生労働省のホームページにも記載されているように、特に屋外では基本的にマスクを着用しなくてもいいことになります。

勿論、感染リスクの高い高齢者や子どもたちに関してはいろいろとあるようで、全面解禁とはいきません。学校でも、体育の授業時や休み時間といった屋外行動ではマスクは必要ありませんが、屋内で会話がある状況下ではこれからもマスクの着用が推奨されています。

ただ最新の世論調査によると、3月13日以降もマスクを着用すると答えた人は調査した人数全体の6割にまで上っています。小学校で子どもたちに聞いてみても、マスクを外したいという子と外したくないという子が半々くらいに分かれています。

外したいといっているのは殆どが男子で、体育の授業の時に邪魔くさいという意見が圧倒的です。それに対して外したくないといっているのは殆どが女子で、今更素顔を晒したくないという意見が多数を占めています。

思うところは様々でしょうが、何より大切なのは『他人のマスク着用の判断について兎や角言わない』ということです。厚生労働省のホームページにも

『令和5年3月13日以降、個人の主体的な選択を尊重し、マスクの着用は個人の判断に委ねることになります。 本人の意思に反してマスクの着脱を強いることがないよう、個人の主体的な判断が尊重されるよう、ご配慮をお願いします。』

と明記されていますが、特にコロナ蔓延当初にあちこちで見られたいわゆる『マスク警察』なんぞ、来月からは言語道断です。

ともすると日本人は、自分がしていることや世の中の大多数がしていることが『正義』であるという錦の御旗を振りかざし、少数派に『朱に交わって赤くなる』ことを強要する傾向があります。ですが、少なくともマスク着用に関しては来月からは通用しなくなるわけです。

因みに私は、子どもたちと関わっている以上媒介者になってはいけないので、マスクは着用すると思います。そして、もし着用されない先生がおられても私は何も申し上げません。

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音色も見た目もゴージャスな《4台のチェンバロのための協奏曲 イ短調 BWV1065》

2023年02月25日 15時55分51秒 | 音楽
今日、目覚めたら昼近くになっていました。日頃の疲れが蓄積しているのかも知れませんが、それでも時計を見ると自己嫌悪でゲンナリします…。

それでも朝食を兼ねたブランチを摂ってから、今日はデスクワークを進めることにしました。そのお供BGMは



やはりバッハです。

いろいろと聴きましたが、今回はそのラインナップから《4台のチェンバロのための協奏曲 イ短調 BWV1065》を取り上げてみようと思います。

バッハは1729年から1741年にかけて、ライプツィヒにあったコレギウム・ムジクムという民間の音楽愛好団体での公演の指揮をしていて、バッハのチェンバロ協奏曲の殆どはその演奏会のために作曲されたもので、その多くはバッハの旧作や他の作曲家たちの作品を編曲したものでした。

バッハがコレギウム・ムジクムの仕事を始めた頃、長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ、次男のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハを始めとする息子たちや、弟子のヨハン・ルートヴィヒ・クレープスらが一流のチェンバロ奏者に成長していました。そんな彼らに公演させるためということが、バッハのチェンバロ協奏曲の成立の背景にあると考えられています。

バッハのチェンバロ協奏曲にはソロ(1台)、2台、3台、そして最大で4台のためのものがあります。そして、4台ものチェンバロをソロに据えた作品を書いたのはバッハだけです。

《4台のチェンバロのための協奏曲》は、ヴィヴァルディの代表作のひとつである《調和の霊感》の中の『4台のヴァイオリンとチェロのための協奏曲ロ短調』を元にして作曲されました。チェンバロの音域の観点からロ短調からイ短調に移調されたり、チェロのソロパートをそれぞれのチェンバロのパートに振り分けられたりはしているものの、基本的にはヴィヴァルディの作品を丁寧にオマージュしています。

それでも、そこはバッハのことですから、ただヴィヴァルディをトレースしているわけではありません。原曲のヴァイオリンらしいフレーズをチェンバロ向けにアレンジしたり、主旋律に対して対旋律も加えてバッハらしい重厚な響きを聴かせるように改変したりもしています。

そんなわけで、今日はバッハの《4台のチェンバロのための協奏曲 イ短調 BWV1065》をお聴きいただきたいと思います。ネーデルラント・バッハ・ソサエティによる演奏で、4台ものチェンバロが奏でるヴィヴァルディとバッハのゴージャスな『共演』をお楽しみください。


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簡単かわいい!折り紙のバラ

2023年02月24日 19時35分15秒 | 日記
2月も後半に入り、小学校では6年生を送る会の準備が急ピッチで進められています。特に5年生が中心となって、



花紙で花を作ったり



折り紙でチェーンを作ったりしています。

ただ、一見簡単な作業で出来るこうしたものも支援級の子どもたちにとっては結構難しく、上手くできなくて癇癪を起こしたり泣き出したりしてしまいます。そんな様子を見ていると、私としては

『無理をさせなくても…』

と思うのですが、先生方はなるべく一般級の子どもたちと関わらせてあれこれやらせようとするので大変です。

そんな子どもたちに、私は



このバラの花を作ってもらっています。これは折り紙をひたすら同じ方向に折りたたんでいけばできるので、不器用で集中の続かない支援級の子どもたちにも手軽に作ってもらうことができます。

勿論、支援級の子どもたちに一般級の子たちと同じことを体験させようとすること自体は間違ってはいません。それでも、たとえ同じ作業ができなくても、工夫次第ではそれよりも易しくて似たようなことは経験してもらえると思うのです。

来週も作業がありますが、支援級の子どもたちにはこの簡単なバラを大量生産してもらおうと思います。その華やぎが6年生たちに喜んでもらえるように、私も頑張ります。

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今日はヘンデルの誕生日〜世界初のハープのための協奏曲

2023年02月23日 15時00分30秒 | 音楽
今日は今上陛下の63回目のお誕生日です。皇居では即位後初の一般参賀が挙行されましたが、私は見事に抽選に漏れました…。

ところで、今日は今上陛下の誕生日であるとともに、ヘンデルの誕生日でもあります。



ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685〜1759)はドイツ出身で、イタリアで成功した後にイギリスで長年活躍し、イギリスに帰化した作曲家、オルガニストです。『音楽の父』バッハとともに『音楽の母』とも呼ばれている後期バロック音楽の著名な作曲家の一人で、特にイタリア語のオペラ・セリアや英語のオラトリオの作曲で知られています。

ヘンデルの来歴についてはあまりにも有名なので、今更ここであれこれと書く必要もないかと思います。そこで今日は、ヘンデルが作曲した世界初のハープのための協奏曲をご紹介しようと思います。

《ハープ協奏曲 変ロ長調 HWV294a》は、1736年に初演された世界初の独奏ハープのための協奏曲です。ヘンデルお得意の緩-急-緩-急という4楽章構成の合奏協奏曲スタイルではなく急-緩-急からなる3楽章構成のソロ協奏曲で、1738年に出版された『オルガン協奏曲集作品4』(全6曲)には、ヘンデル本人がこの作品を編曲した別稿が《オルガン協奏曲 第6番 HWV294》として収録されています。

ヘンデルの協奏曲や合奏協奏曲の多くは舞台作品を上演する際に幕間の余興として演奏するために作曲されたものですが、この曲も頌歌《アレクサンダーの饗宴》がコヴェント・ガーデン劇場で1736年2月19日に初演される時に、《合奏協奏曲ハ長調『アレクサンダーの饗宴』HWV318》、《イタリア語カンタータ『チェチーリアよ、まなざしを向けたまえ』HWV89》、《オルガン協奏曲ト長調HWV289》とともに演奏するために作曲されました。ただし、その4曲の中でこのハープ協奏曲だけは幕間用ではなく、頌歌の本編に組みこまれて演奏されました。

当時のバロックハープでは半音階を切り替えることが難しいものでしたが、ヘンデルが使用したハープは





弦が3本交互に張られたトリプルハープでした。このトリプルハープはペダルを使わずにすべての半音が演奏できる画期的な楽器でしたが、その弦の多さから演奏は非常に困難でもありました。

現在ではペダル式のハープを使用するのとによって、より演奏しやすくなりました。今ではバロック期の貴重なハープ協奏曲として人気を博していて、コンサートで採り上げられたりCMをはじめとしたメディアで使われたりしているため、特に第1楽章の冒頭を聴けば

「あぁ!」

と思っていただけるのではないかと思います。

そんなわけで、ヘンデルの誕生日である今日は《ハープ協奏曲変ロ長調》をお聴きいただきたいと思います。ヘンデルが意図したトリプルハープでの演奏で、世界初のハープ協奏曲をお楽しみください。


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『ニャンニャンニャンの日』にいただくミートワッフル@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2023年02月22日 18時00分18秒 | カフェ
今日は2月22日、そう『ニャンニャンニャンの日』でございます。それだからというわけではないでしょうが、今朝の小学校へ向かう道すがらには







あちこちに様々なニャンコが、眠そうに佇んだりうずくまったりしていました。

今日も小学校ではいろいろなことがありましたが、学年末に近づいてきたからかテストをすることが多く、子どもたちはあれやこれやとボヤいていました。それでも何とか授業を終えてから横浜あざみ野の音楽教室に移動して、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日はまともに給食を味わっている暇もなく、とにかく胃に流し込んだだけになってしまっていたので、ものすごくお腹が空いていました。なので、今日はしっかりとしたものがいただきたくて



ミートワッフルをオーダーすることにしました。

お店の看板メニューであるクロワッサン生地のワッフルに、お店自家製のミートソースがたっぷりとトッピングされています。サラダもついているので、食べ応えも申し分ありません。

野菜の旨味を感じられるやさしい味わいのミートソースと、クロワッサン生地ワッフルとの相性は絶妙です。スイーツ専門の甘々○ルギーワッフルでは、こうはいきません。

明日は祝日で、放課後子ども教室もお休みです。なので、明日はたまった洗濯物を済ませてから、久しぶりにゆっくりと過ごそうかと思っております。

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サイタサイタ、河津ガサイタ

2023年02月21日 18時38分45秒 | 
今日は職場の小学校の放課後子ども教室がある日でしたが、いつもと比べるとだいぶ参加人数が少なくなりました。コロナ禍が収まってきた反面インフルエンザが台頭してきていて、全体的に見ても学年によっては欠席数が学級閉鎖一歩手前の状況になってしまっているのです。

今日はいつもの半分近い人数での教室となりましたが、来てくれた子どもたちはそれなりに楽しんでくれたようでした。解散時にはインフルエンザ対策も呼びかけて、無事に子どもたちを送り出すことができました。

後片付けとミーティングを済ませて大人たちも解散し、小田原駅へと向かいました。すると、小田急線の改札内コンコースに飾られている河津桜の生け花が



だいぶ見頃になっていました。

以前ここには松田町の蝋梅の生け花がありましたが、これは同じ松田町で開催されている『まつだ桜まつり』のPRを兼ねたものです。蝋梅の黄色から河津桜の鮮やかなピンク色に様変わりしましたが、



河津桜特有の華やかな色合いは実に美しいものです。

さて、明日も学校があります。自身のインフルエンザ対策にも万全を期して、いつも通り出勤しようと思います。

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ホームドア使用開始@本厚木駅

2023年02月20日 19時08分30秒 | 日記
今日もかなり暖かな陽気となりました。日中は上着の要らない暖かさとなりましたが、朝晩の空気はまだ冷たいので、上着の処遇が気になるところではあります。

さて、今日本厚木駅に行ったら



下り線のホームに設置されたホームドアが稼働していました。今までは開きっぱなしの状態だったのですか、ようやく実用化したようです。

電車がやってきて停車して、ホームドアが開く音がした…のですが、



ホームドアは開いたものの電車のドアが一向に開きません。そうこうしているうちに

「電車が発車いたします。」

というAIアナウンスが…。

『おいおい…!』

と思っていたら



ようやくドアが開きました。どうやらホームドアを操作する側も不慣れなようですが、ちょっと面食らいました。

上りホームの設置工事はまだ進んでいませんが、今後順次工事が始まるようです。本格的に上下線のホームで運用がスタートするのは、もう少し先のことになります。

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今日はヨーゼフ・シゲティの祥月命日〜ワルター指揮によるベートーヴェン《ヴァイオリン協奏曲ニ長調》

2023年02月19日 17時17分17秒 | 音楽
昨晩は久しぶりに暖房に頼らずに就寝しました。日中はTシャツでも過ごせるほどの暖かさで、勘違いした桜が咲いてしまうのではないかと思ったほどでした。

ところで、今日2月19日はヨーゼフ・シゲティの祥月命日です。



ヨーゼフ・シゲティ(1892〜1973)はハンガリー出身のヴァイオリン奏者で、日本ではヨゼフ・シゲティという表記も多く見られています。

ヨーゼフ・シゲティは1892年に、ハンガリー・ブダペストで誕生しました。父親はカフェのオーケストラの首席奏者で、叔父もコントラバスを弾くなど、音楽家の家系でもありました。

ヨーゼフ少年は父親から音楽の手ほどきを受け、ブダペストの私設音楽院予備校で歌劇場のオーケストラの団員にヴァイオリンを習いました。1904年にはブラームスの友人でもあったヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒム(1831〜1907)のもとを訪れ、ベートーヴェンの《ヴァイオリン協奏曲ニ長調》を演奏して評価されています。

1906年にはロンドンのベヒシュタイン・ホール(現ウィグモア・ホール)でイギリス・デビューを飾り、1907年には作曲家でピアニストのフェルッチョ・ブゾーニ(1866〜1924)の知己を得て度々共演するようになりました。しかしシゲティは1913年に結核を患ってしまい、一時演奏活動を停止することを余儀なくされてしまいます。

1917年にジュネーヴ音楽院の教授として音楽活動を再開して1924年までその任に当たったシゲティは、在任中の1923年にヴァイオリニストで作曲家のウジェーヌ・イザイ(1858〜1931)から《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番》を献呈されました。1924年にはプラハの「新しい音楽のための国際会議」音楽祭で同郷の指揮者フリッツ・ライナー(1888〜1963)の指揮でセルゲイ・プロコフィエフ(1891〜1953)の《ヴァイオリン協奏曲第1番》を演奏して、作曲者から

「シゲティ以上に、この曲を素晴らしく弾けるヴァイオリニストは他にいない」

と言わしめたといいます。

1925年に指揮者のレオポルド・ストコフスキー(1882〜1977)の招きで渡米したシゲティは、1940年にアメリカに移住し、1951年にはアメリカの市民権を取得しました。また1930年代からは世界各国を精力的に回り、1938年にはエルネスト・ブロッホ(1880〜1959)から、1940年にはフランク・マルタン(1890〜1974)からヴァイオリン協奏曲を献呈されました。

シゲティは1931年に初来日を果たし、その翌年にも日本に来訪しました。1960年にアメリカからスイスに居を移してからは欧米諸国のヴァイオリニストだけでなく、海野義雄や久保陽子、潮田益子、前橋汀子、深井硯章(ひろふみ)といった多くの日本人奏者も指導したシゲティは、1973年の2月19日にスイスのルツェルンで死去しました(享年80)。

シゲティのレパートリーは、バッハから近代まで広範囲にわたりました。その中でも特にベートーヴェンの演奏には定評があり、録音だけでなくベートーヴェンのヴァイオリン作品についての著作も遺しています。

そんなわけで、今日はシゲティの演奏によるベートーヴェンの大曲《ヴァイオリン協奏曲ニ長調》をお聴きいただきたいと思います。20世紀の名指揮者の一人ブルーノ・ワルター(1876〜1962)との共演による、1932年の録音でお楽しみください。



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私の知らない渋谷駅

2023年02月18日 21時35分15秒 | スピリチュアル
今日はかなり暖かな陽気となりました。そんな中、今日はかなり久しぶりに渋谷に出かけました。

渋谷駅は先月頭に二日間かけて線路を動かして、外回りと内回りのプラットホームを一本化しました。実際に降り立ってみると



かつてのホームよりかなり広くなったように見えます。

山手線の電車がいなくなると



その向こうに埼京線のホームが見え、



湘南新宿ラインの電車が入線してきました。かつての埼京線の渋谷駅がここから数百メートル離れていた頃を知っている身からすると、山手線と埼京線が並んでいるこの光景は何とも不思議です。

ふりかえると



鉄骨だらけのかつての外回りのホームが見えます。かつてはあそこを普通に歩いて電車に乗っていたことを思うと、感慨深いものがあります。

それにしても、新しいホームを歩いていると自分がどこにいるのか分からなくなります。ふと見ると



成田エクスプレスの車両まで停まっているので、ちょっと脳が混乱します(汗)。

外へ出ようとして階段を降りると、そこにあったのは



見たことのないラビリンス(地下迷宮)でした。とにかく外が見えないので自分がどっちを向いているのかが判らなくなり、どこの出口に出たらいいのかが分からないのです。

やっとのことで外へ出ると



渋谷ヒカリエや渋谷スクランブルスクエアといった、それまでに見たことのない巨大建造物が聳え建っていました。そして



渋谷駅の上にあった東急東横店はすっかり姿を消し、渋谷らしからぬ広い空が広がっていました。

とにかく駅を出るまででかなり疲れてしまったのですが、それでも何とか気を立て直してスクランブル交差点を渡り



渋谷ロフトまで来ました。今日はここの地下にある文具コーナーという魔窟に、買い物をしに来たのです。

あれこれと買い物をしている中で、ふと気になって



マスキングテープのコーナーに来てみました。来たことを後悔するようなラインナップに時を忘れるようにしてあれこれと物色していたのですが、今日はその中から



ネコとピアノと音符がデザインされたマスキングテープを買ってしまいました(汗)。

私事ですが、今日でまた一つ齢を重ねて52歳となりました。気づけば母が他界した歳に追いついたのですが、自分では全く実感がありません。

今日に至るまで、

『自分は母の歳まで生きないのではないか…』

という根拠のない思いに、何となく囚われて生きていました。その齢を無事に(?)迎えたことで何とも複雑な気持ちになっていますが、今後とも日々を大切に生きていこうと思います。

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今日はプッチーニ《蝶々夫人》の初演日〜三浦環歌唱による名アリア『ある晴れた日に』

2023年02月17日 19時45分10秒 | 音楽
昨日の天気予報通り…とまではいかないものの、今日はここ数日の中では比較的暖かな陽気となりました。小学校では子どもたちが体育の時間に外でサッカーをしていましたが、動いているうちにうっすら汗ばんでいたくらいでした。

ところで、今日2月17日は



ジャコモ・プッチーニ(1858〜1924)作曲の歌劇《蝶々夫人》が初演された日です。日本が舞台の作品ということもあってプッチーニの歌劇の中でも特に日本人になじみ易い作品で、色彩的な管弦楽と豊かな旋律の声楽部が調和した名作として知られています。

プッチーニは24歳の若さで最初のオペラを書き上げてから、35歳の時書き上げた3作目の《マノン・レスコー》で一躍脚光を浴び、その後《ラ・ボエーム》(1896年)や《トスカ》(1900年)と次々と傑作を生み出しました。プッチーニが《蝶々夫人》を書いたのは、正に音楽家として脂の乗り切ったその時期でもありました。

《トスカ》を発表してから次のオペラの題材を探していた頃、1900年に《トスカ》がイギリスで初演される時プッチーニはロンドンに招かれました。その時、デーヴィッド・ベラスコの戯曲『蝶々夫人』を観劇したプッチーニは感動し、次の作品の題材にこの戯曲を選びました。

作曲に際してプッチーニは日本音楽の楽譜を調べたり、レコードを聞いたり、日本の風俗習慣や宗教的儀式に関する資料を集めたりして、日本の雰囲気をもつ異色作の完成を目指して熱心に制作に励んだといいます。また、当時のイタリア駐在特命全権公使であった大山綱介の妻・久子に再三会って日本の事情を聞き、民謡など日本の音楽を集めました。

《蝶々夫人》は1903年12月27日に脱稿し、翌1904年の2月17日にミラノ・スカラ座で初演されました。

現在ではイタリアオペラの主要なレパートリーとなっている《蝶々夫人》ですが、初演時はプッチーニの熱意にもかかわらず振るいませんでした。失敗の理由としては、初演版では第2幕だけで1時間半を要するなど上演時間が長すぎたことや、文化の異なる日本を題材にした作品であったため観客が違和感を覚えたという原因が挙げられています。

ひどく落胆したプッチーニでしたがすぐさま改稿に取りかかり、改訂版の上演は3か月後の同年5月28日にイタリアのブレシアで行われ、こちらは大成功を収めました。その後、ロンドン、パリ公演とプッチーニは何度も改訂を重ね、1906年のパリ公演のために用意された第6版が、21世紀の今日まで上演され続けている決定版となっています。

これまでに歴代様々な名ソプラノ歌手によって歌われてきた《蝶々夫人》ですが、日本が舞台ということもあって早くから日本人歌手によっても歌われてきました。その草分け的存在が三浦環(みうらたまき)です。



三浦環(1884〜1946年)は、日本で初めて国際的な名声をつかんだオペラ歌手です。特にプッチーニの《蝶々夫人》を十八番とし、主人公「蝶々さん」と重ね合わされて『マダム・バタフライ』と称されて国際的に広く知られていました。

三浦環はオペラ生活40年の半分を海外で活動し、《蝶々夫人》だけでも2000回以上公演したというから驚きです。そして、



プッチーニにも直接歌唱を聴かれ、自宅にも招待されていました。

プッチーニは、三浦環の歌う《蝶々夫人》を絶賛しました。三浦環はプッチーニから

「他のプリマドンナは自分の歌を聴かせようとする自尊心の塊だが、あなたは唯一人蝶々夫人の気持ちを理解している」

という賛辞を贈られています。

そんなわけで、今日は《蝶々夫人》の中から名アリア『ある晴れた日に』を、三浦環の歌唱でお聴きいただきたいと思います。《蝶々夫人》が初演された日に、プッチーニ自身が愛した『世界の蝶々さん』の名唱をお楽しみください。


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そろそろ終わりかな?

2023年02月16日 18時20分50秒 | 日記
今日は、いつもと違う小学校の放課後子ども教室の日でした。寒い一日でしたが、子どもたちは元気いっぱいに参加してくれていました。

無事に子どもたちを送り出して、後片付けとミーティングを済ませてから解散しました。そして、最寄り駅へ向かう道すがら



いつものミカンのコインロッカー式無人販売所に立ち寄ってミカンを購入することにしました。

この無人販売所には、我が家はかなりお世話になりました。無類のミカン好きの私としても、今シーズンどれほどここのミカンをいただいたことか…。

そろそろミカンのシーズンも終わる頃のようですが、それでも



L玉クラスのミカンをゲットすることができました。この大きさのミカンで一網¥300、二網でも¥600ですから、ヘタにそんじょそこらのスーパーで買うより断然お得です。

天気予報によると、明日は晴れて気温が上がるようです。もしかしたら日中は上着要らずの陽気になるかも知れないとのことですが、さてどうなりますやら…。

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アクシデントからの『いちごのワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2023年02月15日 18時18分18秒 | カフェ
今日、小学校の給食の時に一悶着ありました。

今日の給食でデザートに『イチゴのムース』が出たのですが、それの蓋開けに失敗したひとりの男子がものの見事にムースを床に落としてしまったのです。男子は号泣してしまいましたが、誰のせいでもなくその子自身で落としたものなので、周りは何にもできません。

男子はそれでもビービー泣き続けていましたが、こういう時に限って欠席者がおらず、デザートは全て出払っていました。こうなると最終手段としてかなり離れたところにある給食室まで誰かが取りに行かなければならないのですが、そこまで行くには時間的に邪魔くさかったので、

「じゃあ、これ食べなさい。」

と、まだ開けていなかった私の分を渡して納得させました。

そんなわけで私はデザートを食べ損ねたままで給食を終えることとなりましたが、あんなデザートひとつ食べられなかったからといって、これといってどうということもありませんでした。そして、午後の授業を終えてから横浜あざみ野の音楽教室に移動して、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

席に座ってメニューを見ていたら、急にいちごのデザートのことが頭をよぎったので、今日は



定番メニューの『いちごのワッフル』をオーダーすることにしました。今回はプラス¥100で小倉あんを別トッピングしてみました。

こちらのワッフルは、ソースが別添えでついてきて、それを自分の好みでワッフルにかけると



こんな華やかな感じになります。自分なりに工夫してかけたつもりでしたが、ミントの上に垂らしてしまったのは所詮素人の所業です…。

決して給食デザートに未練があったわけではありませんが(笑)、結果的に美味しいイチゴのデザートをいただけて満足することができました。明日は木曜日の放課後子ども教室でちょっとした企画があるので、帰ったら準備の最終確認をしようと思います。

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とりあえず頂きました…

2023年02月14日 19時50分05秒 | スイーツ
天気予報では午後から晴れると言っていたのに、今日は朝から冷たい雨が降り止まない一日となりました。こんなに雨がしっかりと降るならきちんとした傘を持ってきたかったのに、天気予報を信じて出かけた私は折り畳み傘で一日過ごすハメになったのでした…。

さて、今日は全国的にバレンタインデーです。本厚木駅のコンコースにも



こうした出店が登場していて、売り子が寒風にさらされながらチョコを売っていました。

因みに私は、



校長先生(女性)と事務局長(女性)からこれらのお菓子を頂きました。帰宅してから、お茶でも淹れて堪能しようと思います。

明日も寒いようです。

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