フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732〜1809)は現在のオーストリア出身の音楽家であり、西洋音楽史中の古典派という時代を代表する作曲家です。古典派様式による数多くの交響曲や弦楽四重奏曲を作曲したことから『交響曲の父』『弦楽四重奏曲の父』『古典派音楽の父』とも呼ばれています。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732〜1809)は現在のオーストリア出身の音楽家であり、西洋音楽史中の古典派という時代を代表する作曲家です。古典派様式による数多くの交響曲や弦楽四重奏曲を作曲したことから『交響曲の父』『弦楽四重奏曲の父』『古典派音楽の父』とも呼ばれています。
道の両側に植えられたソメイヨシノが枝を伸ばしていて、まるで桜のトンネルのようになっています。堤防の下の川原付近では
人々が座って飲食をしたりボール遊びをしたりと、思い思いに過ごしていました。
延々と続く桜並木の間を春風が吹き渡り、それにのって花吹雪が舞っていました。神奈川県はここ数日雨模様で花見ができるかどうか危ぶまれていましたが、今年も何とか花見を楽しむことができました。
満開の桜の木の向こうを小田急線の電車が走っていきました。これは正に
厚木神社に参詣しました。こちらの拝殿の前にあった桜の木は数年前に切り倒されてしまったのですが、その切り株の側に新たに植えられた若木が
満開の花を咲かせていました。
夕映えに照らされて咲くソメイヨシノの花というのも、またいいものです。
『デコポンのワッフル』です。
『桜ぷりん』もいただきました。こし餡の風味の効いたミルクプリンと、塩漬けの桜の組み合わせは抜群の美味しさです。
こんな人形が飾られていました。これは人形メーカーの久月がWBCで優勝した侍ジャパンの選手たちを五月人形に仕立てたもので、
『今年の期待大将』というタイトルがつけられていました。
MVPを獲得した大谷翔平選手、チーム最年長のダルビッシュ有選手、日系人として初めて侍ジャパンに加わったラーズ・ヌートバー選手のメジャーリーガーたちと
準決勝で大健闘だった千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手、
準決勝と決勝で目覚ましい活躍をみせたヤクルトスワローズの『村神様』こと村上宗隆選手が、甲冑姿で微笑んでいました。
可愛らしくデフォルメされているのですが、
ピッチャーのダルビッシュ有選手や佐々木朗希選手はグローブとボールを
打者として大活躍だった村上宗隆選手やラーズ・ヌートバー選手はバットを携えています。そして、投打に大車輪の活躍目覚ましかった大谷翔平選手は
その両方を手にした二刀流の姿です。
このお線香です。
写真はウィーン中央墓地にあるベートーヴェンの墓標です。
その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなりました。この葬儀にはヨハン・ネポムク・フンメルやカール・チェルニー、フランツ・シューベルトといった多数の音楽家たちも参列しています。
セブンイレブンで桜スイーツを仕入れてきました。桜餅も美味しいのですが、抹茶パフェやさくらのシュークリームもなかなかの美味しさで、煎茶とともに楽しみながらナンチャッテ花見をしていました。
まだ五分咲きといった感じの桜が見られました。内冠木門(うちかぶきもん)の前にある、お堀の水面スレスレに枝を伸ばしている『スレスレ桜』も
まだまだ満開とは言えない感じでした。
なかなか見応えのある光景が広がっています。それにしても
こうして見ると、やはりソメイヨシノの花というのは実に美しいものです。
ずっとお蔵入りしていた布マスクを復活させたいと思って、久しぶりに引っ張り出して手洗いしてみました。今までは不織布マスクが推奨されていたので折角買ったこれらを仕舞い込んでいたのですが、使い捨ての不織布マスクをいちいち買っていると、費用も積もり積もってなかなか馬鹿にならないので…。
WBC決勝で日本がアメリカに勝利して優勝していました。2009年大会以来14年ぶりの栄冠ということでしたが、拙ブログを開設したのが2011年のことですから、WBCに関してのことを載せるのは初めてとなります。
以前にもいただいた『さくらの紅茶』をアイスにして美味しく堪能しました。
相模國一之宮の寒川神社に参詣することにしました。
白い敷石の眩しい中に建つ壮麗な拝殿が見えてきます。こちらは八方除(はっぽうよけ)の御社として名高く、拝殿横には
大きな天分儀が据えられています。
既にかなりの長蛇の列ができていました。普段こんなに並ぶこともないので驚きましたが、先日tvk(テレビ神奈川)で紹介されたり、Instagramやfacebookで案内が流れてきたりしていたので、その効果もあるのでしょう。
結構待たされましたが、
どうにか無事に『御来光守』を頂くことができました。この『御来光守』は春分の日と秋分の日の年2回、東から昇った太陽が
千葉県の玉前神社から寒川神社、富士山山頂、元伊勢を通って出雲大社につながる御来光道を通っていく日に授与されるもので、昨年は春も秋も参詣しなかったので一年ぶりに頂いてきました。
前年の1994年6月には長野県で裁判官官舎を狙ってオウム真理教の信者がサリンを噴霧し、近くの単身者用マンションや社員寮に住む7人が死亡した『松本サリン事件』が起きました。また、國松孝次警察庁長官(当時)狙撃事件や東京の地下鉄新宿駅構内での青酸ガス発生未遂事件などオウム真理教が仕掛けた事件が相次ぎ、国民を不安に陥れました。
警察は95年3月22日、山梨県上九一色村(当時)の教団施設に踏み込んで一斉捜索を行い、5月に同施設内で教団代表の麻原彰晃(本名松本智津夫)を逮捕しました。教団が絡んだ事件での起訴は、2012年までに192人にものぼりました。
私はあの日、母が入院していた国立がんセンター東病院に行くために、朝早くに地下鉄千代田線に乗って柏駅に向かっていました。無事に病院に到着した私は前日の夜から泊まり込んでいた妹と交代し、妹は都内の勤務先に出発していきました。
しばらくすると、ベッドに寝ていた母が
「おまえ、今日地下鉄に乗ってきたんでしょ?」
と聞いてきたので
「うん、そうだけど何?」
と答えました。すると母は、音声を消したテレビを指さして
「何だか大手町の駅で沢山人が倒れてるけど、何かあったの?」
と聞いてきたのです。
『?』と思いながらテレビの音量を上げていくと、そこには
道路にバタバタと人々が倒れていて、救急隊員や消防隊員が対応に追われている異様な光景が映し出されていました。最初は母も私も何が起きているのか分からず、テレビからも
「地下鉄構内でガス爆発があった模様です」
という報道が流れていましたから、よもや化学兵器によるテロだとは夢にも思いませんでした。
私と入れ違いに出ていった妹とは、随分時間が経ってから何とか連絡をとることができました。現在のように携帯電話が普及する前のことで公衆電話に長蛇の列ができてしまったために、電話をするためにものすごく時間がかかってしまったとのことでした。
後で調べてみたところ、事件のあった電車は私が大手町駅を通過した数本後のものでした。つまり、もし私があと少し家を出るのが遅かったら、私もあの累々と横たわる群衆の中にいたかも知れないのです。
そんなこともあって、私の中では決して忘れることのできない事件となっています。しかし、昨今では東日本大震災や、同じ年に発生した阪神淡路大震災と比べると、残念ながらめっきりニュースにならなくなっているのが現状です。
かつて日本は
『安全と水はタダだ』
などと言われていた時代がありました。そんな日本の安全神話を根底から覆したこの事件を、絶対に風化させてはいけないと思います。
今日はその事件の犠牲者の御霊に、サミュエル・バーバーの《弦楽のためのアダージョ》に基づく《アニュス・デイ》を捧げます。空前絶後の化学兵器テロに倒れてしまった全ての犠牲者の御霊安かれと祈ります。
合掌。
桜の花を切り抜いた折り紙にメッセージを書いたものをサプライズでプレゼントしたのですが
ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー=コルサコフ(1844〜1908年)は「ロシア五人組」に挙げられる作曲家の一人で、色彩感あふれる管弦楽曲や民族色豊かなオペラを数多く残しています。
豚しゃぶカレーにやさいミックスしてみました。久々に食しましたが、やはりココイチのカレーは美味しかったです。