最初にお断りしておきます。今日は長いです。
今日は久しぶりに鎌倉まで出かけました。同じ神奈川県内の厚木から割りと手軽に行ける観光地でもあり、数々の歴史ある名刹が建ち並んでいるところでもあるので、一時期はかなり定期的に出かけていました。ところが、最近は特に理由もなく、何となく足が遠退いていました。しかし、先日中央林間の駅で上のポスターを見かけて、そう言えば随分前に行ったきりしばらく行っていないことと、その日がちょうど日曜日に当たっていることとで、久しぶりに出かけてみる気になったのです。
小田急の『鎌倉・江の島フリーパス』を買って藤沢へ向かい、そこで江ノ電に乗り換えて電車に揺られること20分強で長谷駅に到着します。そこから10分程歩いた先に、観音霊場として名高い海光山慈照院長谷寺があります。御本尊は奈良・初瀬の地に建つ長谷寺の御本尊と同じ巨大な十一面観世音菩薩です。そして、今日12月18日は長谷寺の歳の市の日で、この日には『御足参り(みあしまいり)』という特別な参詣ができます。
この『御足参り』は、普段は立ち入ることの出来ない壇上に登壇して、岩座の上に立たれている御本尊の御足に直接触れて礼拝出来るというものです。写真では分かりにくいかも知れませんが、画面右下に御本尊の御足に手をついて腰を屈めて礼拝している人が写っています。
本堂で受付を済ませて列に並び、徐々に大きな本堂に近づきながら歩みを進めること30分余りで御本尊の目の前まで歩みを進めます。世話役に促されて焼香をした後に登壇し、順番を待ちます。
やがて、靴を脱いで御足元に近づくよう案内されます。三丈三寸(9.18メートル)もの像高を誇る御本尊は、真下から見上げるととてつもない大きさです。やがて、左右一人ずつ岩座に上るよう僧侶に促されて御足元に近づき、打ち鳴らす御鈴に合わせて御足に手をつき頭を垂れます。
私は右足側でしたが、長く人々に触れられてきた御足先は金箔が落ちて下地の黒い漆塗りが露出していました。その様にこの観音様がここで過ごしてこられた歴史の長さと人々の信仰の篤さを垣間見つつ、御本尊の高く盛り上がった御足の甲と大きな爪とに触れて、しばし御本尊との一体感を感じていました。
その後、本堂横に新設された観音ミュージアムという建物にも入ってみました。これは、前身の長谷寺宝物館を改築して、それまでの寺宝の展示だけに留まらず、御本尊である観音菩薩を主題とした博物館として新たにオープンしたものです。
1階には開山徳道上人の像や鎌倉時代に鋳造された梵鐘等がで展示されていました。その奥には、御本尊の御前立ちとして安置されていた江戸時代の十一面観世音菩薩像と、室町時代作の《観音三十三応現身立像(かんのんさんじゅうさんおうげんしんりゅうぞう)》が展示されています。これは観音経に説かれている、衆生の願いに応じて三十三の姿(『応現身』または『応化身』と呼びます)に化身して救済するという観音菩薩の化身した御姿を表したもので、三十三全ての御姿が残っている、全国でも非常に珍しい作例のものとのことでした。
2階では、ミュージアム開館1周年を記念して公開中の《長谷寺縁起絵巻》を鑑賞しました。これは奈良時代の養老5(721)年に大和長谷寺の開山徳道上人が巨大な霊木で2体の十一面観世音菩薩像を造らせ、1体は奈良・初瀬の山に安置し、もう1体は縁あるところへ流れ着くように海に流したところ、15年もの歳月をかけた末に長井浦(現横須賀市長井)の沖合いに流れ着き、引き揚げられて現在の地に祀られたという寺伝を絵解きしたものです。実際の絵巻の内容は大和長谷寺に関することが殆どでしたが、それでも色鮮やかな画面からは、この特徴的な長谷寺式十一面観世音菩薩に対する人々の篤い思いが伝わって来るようでした。
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さて、折角長谷まで来たのですから、ここを外す手はありません。ということで、そのまま高徳院に向かいました。お寺の名前だけだと( -_・)?と思われる方も多いかと思いますが、高徳院とはこちら
御存じ、鎌倉の大仏様の坐しますお寺です。
ちょっと夕暮れのような感じに写っていますが、これでも15時台です。冬至が近いこともあって、目に見えて日が落ちるのが早くなっています。
そんな中でも御覧のように、参拝客が途切れることはありません。特徴的だったのは、やはり海外からの観光客が多かったのですが、特に白人系の方が熱心に手を合わせていたことです。昔いた知り合いのイタリア人の来日目的が『仏教を真剣に学びたくて』というものでしたが、一心不乱に手を合わせている白人さんの横で自撮り棒で写メっている日本人のバカップルを見ていると、彼等の方がよっぽど阿弥陀様に真摯に向き合っているように見えてなりません。
更に、一旦長谷駅まで戻ってから線路沿いの小路を5分ほど歩いたところにある御霊神社にも参詣しました。ここは歌舞伎十八番の内《暫(しばらく)》の主人公としても有名な鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)を御祭神として祀っています。
御霊神社というと、平塚市横内にある早良親王をお祀りした御社を思い出しますが、この御社はかつてこの地にいた大庭・梶原・長尾・村岡・鎌倉の5つの豪族の祖霊を祀っており、当初は五霊神社と称していたようでした。それが、いつの頃からか武勇の誉れ高い鎌倉権五郎景政一柱を祀る御社となり、名前も御霊神社と変わったのだそうです。
この御社は参道に特徴があります。というのも
何と鳥居の目の前に江ノ電の線路があり、それが参道を横切っているのです。これは観光パンフレットにも写真が掲載されていて、多数の鉄道ファンが撮影に訪れることでも有名です。私が参詣している間にも警報器が鳴って遮断機が降り、4両編成の江ノ電が通過して行きました。
今日は久しぶりにプチ鎌倉散歩を堪能することができました。年が明けたら、北鎌倉~鎌倉~長谷~藤沢という、一日かけて巡る鎌倉散歩に久しぶりに繰り出してみようかな…と思ったのでありました。