今日は朝から雨が降ったり止んだりする、ハッキリしない天候となりました。夏至前後らしい明るさを享受できたのは昨日だけで、なんともどんよりした日が多くなっています。
ところで、今日6月23日は『禿山の一夜』です。『禿山の一夜』とは
「聖ヨハネ祭の前夜に不思議な出来事が起こる」
というヨーロッパの言い伝えの一種で、これを基にして
ロシア五人組の一人で、ロシア史上屈指の天才作曲家モデスト・ムソルグスキー(1839〜1881)が作曲したのが交響詩《禿山の一夜》です。
交響詩《禿山の一夜》は
「聖ヨハネ祭前夜に禿山に地霊チェルノボーグが現れ、手下の魔物や幽霊、精霊達と大騒ぎするが、夜明けとともに消え去っていく」
というロシアの民話を元に作られています。聖ヨハネの前夜祭は夏至祭の前夜であることから、題材としてはシェイクスピアの『夏の夜の夢』と同様であるということもできます。
ムソルグスキーが最初にこの曲を構想したのは、まだ19歳の頃でした。1858年に、この伝説を扱ったニコライ・ゴーゴリ(1809〜1852)の短篇小説『イワン・クパーラの前夜』(イワン・クパーラは聖ヨハネ祭を意味する)を3幕のオペラにする案が、ムソルグスキーや、同じくロシア五人組の一人ミリイ・バラキレフ(1837〜1910)らの間で話し合われました。
結局このオペラ化の話は実現しませんでしたが、この構想が巡り巡って交響詩《禿山における聖ヨハネ祭前夜》として完成したのは1867年6月23日、まさにイヴァン・クパーラの夜のことでした。
「魔女たちがぺちゃくちゃしゃべっているところに魔王が現れると、魔女たちが魔王を讃え、大騒ぎが続く(最後まで夜は明けない!)」
というこの曲はあまりにも独創的過ぎたのか、尊敬する先輩作曲家バラキレフにきつくダメ出しされてしまい、結局お蔵入りになってしまいました。
しかしムソルグスキーはあきらめず、5人の作曲家が分担して作曲する予定だったオペラ=バレエ《ムラダ》(1872)の中に合唱を加えた《禿山の一夜》をはめ込もうとしたり、歌劇《ソローチンツィの定期市》(1880)の中で、主人公が見る夢の情景として使おうとしたりしました。しかしこれらはいずれも未完に終わり、結局《禿山の一夜》が作曲者の生前に日の目を見ることはありませんでした。
この曲が世に知られるようになったのはムソルグスキーの死後の1886年、
友人でロシア五人組の一人でもある作曲家リムスキー=コルサコフ(1844〜1908)が《ソローチンツィの定期市》の中にあった合唱付きバージョンを編曲して、交響詩として編曲したことでした。初版と違って最後に夜が明ける分かりやすいストーリーだったこと(これはムソルグスキー自身の変更)と、リムスキー=コルサコフの調和の取れたオーケストレーションも巧みだったことで、交響詩《禿山の一夜》は世界中で広く親しまれるようになりました。
以降、長らくリムスキー=コルサコフが編曲した版だけが普及していて、私が演奏したことがあるのもこのバージョンでした。しかし20世紀に入ってムソルグスキー自身の手による原典版が再発見されると、こちらもムソルグスキーの典型的作風を示すものとして広く知られるようになっていきました。
1933年に再発見された原典版の楽譜は、1968年に出版されました。クラウディオ・アバド(1933〜2014)指揮、ベルリン・フィルハーモニーによる1993年の録音で聴くことができますが、今回は20世紀の名指揮者クラウス・テンシュテット(1926〜1998)指揮、ベルリン・フィルハーモニー演奏による、1984年のライブ録音でお聴きいただきたいと思います。
洗練されたリムスキー=コルサコフ版に慣れた耳にはあまりにも強烈かも知れませんが、この粗野さがムソルグスキー自身が望んだ《禿山の一夜》です。晩年のテンシュテットによる、鬼気迫るライブ演奏でお楽しみください。